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『背丈ほどあるワレモコウ』(コマガネトモオ) [読書(小説・詩)]

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平安絵巻の雲居のように
土台の部分はいつも
煙に巻かれる
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『きっかい』より

 異化した日常風景はすでにしてSFかも知れず、口上は流れに流してそのまま煙に巻いてしまう雲居詩集。単行本(思潮社)出版は2006年10月です。


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さては床下にはすでに私の鏡像体でも入っている。押し出されるようにして、ちょうどそいつの分だけ私がさらされてしまっている。鏡像体・Dの存在が、いま、背面を鏡面に仕立て上げる。左の挙手に右手で応えよう。私たちはきっちりとかみ合う歯車である。ちょうどぐるりと回ってしまえば、交代することさえ可能である。思えばうつ伏せのDとはずっと、背中合わせの温もりを感じてきた。温もりを隔てるあわいが歯がゆい。本当に歯がゆい。重力は特に感じようとすれば感じる。とてつもなく引っ張られている。押し潰してしまう。
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『ヒトの背丈ほどあるワレモコウ』より


 個人的に「SFを感じさせる現代詩」が大好物なのですが、意外にびびんと来る作品が見つからないのが残念なのです。

 題材や設定にSF的なものを使っていても、何というか、感性が非SFというか、魂がSFフリーというか。逆に、どこがSFかと問われると口ごもってしまうものの、まぎれもなくSF詩だと感じる作品も、わずかながら存在するわけで、本書もその一つです。


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万年が経ってしまった
もはや
箔がはがれてしまったうえに神代文字で書かれていて読めない
ただ実際は、神代文字ではないことはわかる
なぜなら神代文字などないからだ
開くと中も活字が所々消えている
覚えのないページだが、端が目印に折られている
しょうがない、愛したページから朽ちていく
文字の中でも特に左側、主に偏の脱落が著しい
偏のこの副次性は
言語における右空間認識の優位性を示唆するだろう
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『おや、おまえいつからそこにいた?』より


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細かな気遣いはまだ続く。そうした意味では玄関ホールは腹より喉のあたりと言えるだろうか。入ってすぐの喉越し。右の階段は上がらない。上げられるのだ。下りてくる人がいれば摩擦で発電し、起こった電力で段差が動く。下りは、手すり部分の緩い勾配を滑り台同様滑り下りればよい。自分自身もまた下りで滑ることで、上がるためのエネルギーをためられる。
省エネ仕様の。
下落が上昇につながる永久循環がここに。
美しい、永久循環がここに。
環境指向型住宅ゆえん。
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『ホームスイートホームもぬけ』より


 狙いすぎの妙なユーモアも含めて、SFを感じます、ひっしひし。これがリズムに乗ってサイファイをふるうと、こんな感じに。


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くらくらする、というのかいつもの立ち眩みで
首の具合を補強しようとこめかみに手をかけたあたしは
あたしは手動に切り替えぜんまい、
何しろそのころ電気も止まっていましたから自動制御つまりあたしあた
しぜんまいあたしの手はぜんまい、知らず知らずのうちにぜんまい、
締めていました
なれませんでした慣れませんでした最後まで
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『商・三つの手を順に数え上げる』より


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(御)仁を呼び込み、有(難)い説法を施すためには
口上は流れに流すべきで

  (御)みそしる
  御)御)御)つけ(重量級)

(理)不尽に、
  う)そ)を)つけ(モスキートー)
というのはひどすぎるけれど
このようになるたけ
方違えによって(申)(し)(上)(げ)るのだった。
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『みまくり草紙』より


 というわけで、書き写しているうちにどこがSFだと感じたのか自分でも判らなくなってきましたが、言葉の浮遊具合とウケ狙いっぽいユーモアがいーい感じの素敵な詩集です。


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優しい風を春風と呼ぶならば
春風の伝播に沿って 花々が
次々と耳をふさぐ
ふさぐような音でもないように思えたが、
一斉に耳をふさぐ
ミロのヴィーナスは肩から先の印象がおぼろげだが
記憶では
なんとなくその時耳をふさがなかったただ一人の
女であったように思う
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『子午線通過』より


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