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『モーアシビ 第44号』(白鳥信也:編集、小川三郎・北爪満喜・他) [読書(小説・詩)]

 詩、エッセイ、翻訳小説などを掲載する文芸同人誌、『モーアシビ』第44号をご紹介いたします。


[モーアシビ 第44号 目次]
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 『迎える』(北爪満喜)
 『河の土地 もしくはυ(ウプシロン)』(サトミセキ)
 『机』(小川三郎)
 『花までの道』(島野律子)
 『惑星』(森ミキエ)
 『前期前半(第一クォーター)末試験「基礎中の基礎心理学概論A」
  同じ夏は二度とやってこないはずだからこれはある夏休みの課題』(楼ミュウ)
 『帰る場所』(白鳥信也)

散文

 『雪の壁』(平井金司)
 『退職後の生活(その二)』(清水耕次)
 『風船乗りの汗汗歌日記 その43』(大橋弘)

翻訳

 『幻想への挑戦 18』(ヴラジーミル・テンドリャコーフ/内山昭一:翻訳)
――――――――――――――――――――――――――――

 お問い合わせは、編集発行人である白鳥信也さんまで。

白鳥信也
black.bird@nifty.com




――――
緑の葉のようにそよがせられなかった言葉も
痣のようにくすむ紫のいくつもの陰りも
桜色に灯ったあと散ってしまった夢も
そんなこともあったねと
私のうちがわへ降って
光に
触れられていく
軒下の
会えなかった猫たちの可愛いさも
寒風の切り裂くような痛さも
みな迎える
これがわたし
きょうのわたし 風のなかの
――――
『迎える』(北爪満喜)より




――――
夜になれば
星が瞬き
虫が鳴き
二度も年号が変わったくせに
昔と変わったことはなく
私はいまも机に向かって
線路を描き
問題を書き続けている。

一生やめない。
――――
『机』(小川三郎)より




――――
未来と永遠は似ている
私が逝ってからも続く時空
見届けることはできない
地球という物語の続きも。
忘れてた、うがい薬を買わなくちゃ
明日は傘がいるかしら
眠たい
――――
『惑星』(森ミキエ)より




――――
どこにいても
水の気配がした
隣の井戸から水をくむ音
どぶに落ちた弟の靴の中の水音
裏の湧水に舞い降りる鳥のさえずり
熟した柿が落下してはじける濡れた音
夏の夜はカエルの鳴き声が満ちていたけど
家族の誰もが音楽の響きのように聞いていた
稲刈りの前に水を落とした水田の堀で魚を捕らえ
寒々とすれば雑草の道に張った薄氷をパリンと踏みしめ

みずみずしい時間
輪廻となる水にふれ続けていた
――――
『帰る場所』(白鳥信也)より





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『水車小屋のネネ』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

――――
 姉は水車が動くのを確認すると、今度は内部装置ではなくネネのいる部屋に研司を案内して、止まり木の上にいるネネに、仕事よ、と声をかけた。ネネは、そんなことは承知だとでも言いたげにきっと姉を見返したかと思うと、内部装置と自分の部屋の間の窓がはまった引き違い戸の傍らの台に飛び降りて、隣の部屋を覗き込む。
 出会った頃、おそらく十歳と説明されたネネは、推定で四十歳になっていた。自分は小学二年から中年になったし、ネネももうおじいさんなんだなあ、と仕事に従事するネネの厳しい横顔を見つめながら律は改めて思う。水車が回り、内部装置が動く音を聴きながら、去っていった人たちのことを想い、ネネや姉や自分も含めたこれから去るかもしれない人たちのことを考え、やってきた人たちの顔を思い出した。言葉にならない感慨が胸の底で起こった。
――――
単行本p.458


 親から逃げるために妹を連れて家を出た姉。そば屋で働きながら、そこに隣接する水車小屋に住むヨウムのネネの世話をする二人。見知らぬ土地でなんとか生きてゆこうとするまだ幼い姉妹を、周囲にいる大人たちの善意が支えてくれるのだった。四十年の歳月が流れるなか人々のそれぞれの人生と善意をえがく長篇小説。単行本(毎日新聞出版)出版は2023年3月です。

 著者がこれまで書いた最長の長篇とのことで、ざっくりいって四つの中篇から構成されています。それぞれの中篇のあいだに十年の歳月が流れ、登場人物たちもそれぞれに十歳成長してゆきます。全員をつなげるいわば中心にいるのがネネという一羽のヨウム(非常に賢いことで知られる鳥)です。

 わずか八歳の律という子供が、姉である理佐といっしょに家を出て、そして始めての土地でネネやその周囲の大人たちと出会うというところから物語は始まります。




――――
 引っ越してきて二か月ほどが経ち、自分は働いて律も小学校に行かせて、なんとかやってはいるけれども、「なんとか」の域は出ていない。いつ出るのかも定かではない。
 引っ越してきた時よりもますます緑が濃くなった山脈と渓流の景色を車窓越しに眺めながら、自分はどのぐらい「なんとか」でいられるのかな、と理佐はぼんやり考えた。
――――
単行本p.106




――――
 陽が落ちる直前の渓谷を眺めながら、律は地元の駅へと帰っていた。恵まれた人生だと思った。母親の婚約者に家から閉め出されて、夜の十時に公園で本を読んでいた子供が、大人になって自分の稼ぎで特急に乗って、輝く渓谷をぼんやり眺めている。自分を家から連れ出す決断をした姉には感謝してもしきれないし、周囲の人々も自分たちをちゃんと見守ってくれた。義兄も浪子さんも守さんも杉子さんも藤沢先生も榊原さんも、それぞれの局面で善意を持って接してくれた。
 自分はおそらく姉やあの人たちや、これまでに出会ったあらゆる人々の良心でできあがっている。
――――
単行本p.383




 自分がこれまで生きてこられたのは周囲の人々の善意や助けがあったからこそ。だから自分も些細なことでよいから他人を助けたい。本作はこの感情にあふれています。そのいわば善意のバトンを受け継ぐことで、他の人々もまた救われてゆくのです。




――――
 その時聡が感じたのは、他人の来し方を耳にすることの気詰まりさではなく、本当のことだけを話してくれるとわかっている人と接する時の不思議な気楽さだった。聡の周りが全員嘘つきばかりだったわけではないし、現に今は嘘をつく必要のない生き方をしている人のほうが多いのだが、聡はあまりにも、自分の弱さを正当化するためだとか、誰かに罪悪感を抱かせるために口を開く人々の言葉を真に受けながら生きてきた。その人たちの保身に、どこまでも翻弄されながら生きてきた。
――――
単行本p.273




――――
 研司はネネを見上げて笑う。ネネの頭と研司の肩が夕日に照らされている。
「自分が元から持っているものはたぶん何もなくて、そうやって出会った人が分けてくれたいい部分で自分はたぶん生きてるって。だから誰かの役に立ちたいって思うことは、はじめから何でも持ってる人が持っている自由からしたら制約に見えたりするのかもしれない。けれどもそのことは自分に道みたいなものを示してくれたし、幸せなことだと思います」
 律は長い間何も言えなかった。悲しいのでもうれしいのでもない感慨が、自分の喉を詰まらせていることだけが明らかだった。
 陽が落ちきる直前に、それはよかった、と律はやっと言った。本当によかった。
――――
単行本p.438




 この世には確かに酷薄さや理不尽がまかり通っていますが、でも善意や博愛精神だって強い力として存在しています。そうでなければ、私たちは誰もまっとうに生きてゆけないことでしょう。誰もが他人の善意によって生かされている、仕事や責任を通じてそれを実感し自尊感情を育ててゆく人々の物語です。ともすれば世の中をシニカルに見たがる若者にぜひ読んでほしいと思います。明るく、ひたむきで、感動的な小説です。





タグ:津村記久子
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『ハルハトラム 5号』(現代詩の会:編、北爪満喜、白鳥信也、小川三郎、他) [読書(小説・詩)]

 「現代詩の会」メンバー有志により制作された詩誌『ハルハトラム 5号』(発行:2023年4月)をご紹介いたします。ちなみに既刊の紹介はこちら。


2022年04月06日の日記
『ハルハトラム 4号』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2022-04-06

2021年08月02日の日記
『ハルハトラム 3号』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2021-08-02

2020年05月03日の日記
『ハルハトラム 2号』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2020-05-03

2019年07月02日の日記
『ハルハトラム 1号』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2019-07-02




[ハルハトラム 5号 目次]
――――――――――――――――――――――――――――
『秋光』(橘花 美香子)
『サイコロの目をふるピクニック』(長尾 早苗)
『冬薔薇』(水嶋 きょうこ)
『地面に投げる』『小さな光』(来暁)
『春の電車』(小川 三郎)
『川岸』(北爪 満喜)
『空を焼く』(小野 恵美)
『赤道でバスに乗る』(サトミ セキ)
『名刺』(佐峰 存)
『石を磨く人』(沢木 遥香)
『日から出る足』(島野 律子)
『対話している』(白鳥 信也)
『ヒカリ蜥蜴』(楼 ミュウ)
――――――――――――――――――――――――――――

 詩誌『ハルハトラム』に関するお問い合わせは、北爪満喜さんまで。

北爪満喜
kz-maki2@dream.jp




――――
サイコロを振って出た目のマスの数だけ来た電車で進んでください
使う電車は東急田園都市線です
3人1チームで進んでください
最初に偶数が出たら二子新地方面、奇数が出たら中央林間方面
二子新地か中央林間以降に停まる場合には折り返して数えてください
――――
『サイコロの目をふるピクニック』(長尾 早苗)より




――――
春の電車というものは
いかにもよくある出来事なのだ。

この世が終わる気配もなく
次の季節がくる予感もなく
消えゆく景色をただ眺めていた
いかにもよくある私たちは
やはりすぐに済んでしまった。

傾いていく
憧憬と
春の電車はよく似ている
――――
『春の電車』(小川 三郎)より




――――
枯れた木々の間を抜ける声のゆらぎの破れる波を
弧を描いて白いボールが
飛ぶ
流線のうつくしさに
木々の枝を背景に ボールそのものが
音もなく浮かんでいるようで
ボールが蹴られて飛んだことを忘れていた

木陰へシャボン玉が流れてきた
フェンスの網にかかってしまったものは消え
網の上を乗り越えられたものは川岸へと流れていく
寒風が走らせるシャボン玉を誰も追おうとしない
強まる風は
眺めるいとまさえ与えずに
光を引く無数のシャボン玉を
すばやく飛び去らせてしまう
――――
『川岸』(北爪 満喜)より




――――
西の空に飛行機雲が伸びていく
あの飛行機はどこへ向かうのだろう
雲が流れて
街灯が道を照らしていく
何度生まれ直しても
夜は鈍く、痛い
それが私であることの唯一の標となって
私は次の生へと向かう
――――
『石を磨く人』(沢木 遥香)より




――――
森の奥へと分け入って分け入ってシミュラクラ現象にくららんらん

正しい場所に立てば正しい行き先が見える、はず
(問題はどうやって正しい場所を見つけるかなんだ)

不確かさと確かさとが極光みたいに揺らめく境界線

自尊感情低空飛行でも大丈夫なポトスとサンスベリア

幾多の星は放物線を描き幾星霜の骸の上に立つ

光と影 ひかりとかげ ヒカリ蜥蜴
――――
『ヒカリ蜥蜴』(楼 ミュウ)より





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『女肉男食 ジェンダーの怖い話』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

――――
 結論、ジェンダーという言葉を使ってする言葉遊び的なカルト思想=ジェンダーイデオロギー、私はまずこれを批判しその危険性を報道するしかない。
 学問としてではなく、市井の私小説家として、ジェンダーという言葉が新世紀に入り、どのようにおかしくなり狂ってきたかを今ここに告発する。
 その上で右も左もないこの不可解な事態を可視化したいのだ。
――――
単行本p.10

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第139回。

「けして美しい総論などやっている場合ではありません。(中略)私は仕上がりかけの私小説(自信作)を放置して、一番最後の章を大幅改稿しました」(単行本p.114、115)

 『笙野頼子発禁小説集』出版から一年、その後の情勢を報道する「二冊目のターフ文学」(単行本p.85)ついに刊行。報道と報告と解説と批判と告発と糾弾のあれこれが文学的火砕流となっておしよせる炎上の一冊です。




――――
 新世紀二十年、先述のように、今この反ジェンダーは御禁制なんです。議論、批判、質問も禁止、反差別最強のタブーになっています。するとジェンダーは守るべき規範なんですかね? 女に押しつけられた性役割を守る? その理由は? ね、判らんでしょ?
 ともかくこれなかなか見抜けないけど危険だろう・表現の自由で告発しようよ・文芸誌なら自由に書けるはず、と私はやってみた。すると、あれれ、書けない! しかもふと気が付くと、仕事は消え、没続き、貧乏になっていました。そう、ジェンダー批判の祟りなんですね。
 カード、質屋、友人に借金して生き延びる私、その上私の存在それ自体ばかりか、顔出し、発言、飼い猫まですべて、過去作品までもが「このヘイター(憎悪煽動者、ナチスっぽい何か)め! 消えてしまえ!」と、本当に消されようとしていました。
――――
単行本p.20




――――
 最新作『笙野頼子発禁小説集』にも私はただ、事実を書いただけです。TRA(後述)からは「ヘイトスピーチだ、書店は平積みするな」と言われたけど。しかも読者がネットでそう言った相手にその理由を問うと「理由を聞くのもヘイトだから、お前もヘイター」と言われてるけれど。その上さらに「だからどの部分の何があかんのか」と、別の元気な読者が聞くと「お前はナチスか虐殺が好きか、さあ差別やめろ黙れ」って、要は? 結論――「おれらが差別認定したら、それは差別なんだ、質問、議論、聞き返し、やったらいかん」と言う事でした。まあでも想定内ですね。ここ四年間こればっかりでしたし。
 結果? 書店はひるまず読者は駆けつけ、ジュンク堂池袋本店七位、王様のブランチに映り、一週間で増刷。この本少しだけど新聞雑誌に出して貰えて、報道の契機にはなりましたね。
――――
単行本p.37




 前作『笙野頼子発禁小説集』を読んでおらず、あるいは読んでいても、何をどうしてもめているのか全体像が把握できず、ネット上の論争というか罵り合いをみても相手を糾弾するための「お作法」しかつかめない、と困惑している方にもお勧めの、一年ぶりの新作です。長年の読者にすれば、おんたこ、ひょうすべ、メケシ、という構図もそれなりに見えてきます。

 とはいえ本書の内容を的確に要約して紹介するのは難しく、またそんなことに挑戦してもゼッタイに誤解を招くだけだと思うので、ここでは出版社による紹介と目次へのリンクを示すにとどめておきます。興味ある方は(ネット上の紹介や要約ではなく)現物を読んでください。




鳥影社による書籍紹介
https://www.choeisha.com/pub/books/20162.html




――――
 私は実在の彼らを批判しはじめて五年程になります。
 ポストモダン、クイアのもたらす未来の地獄絵図として書いたのは遅くとも2006年からです。冒頭に書いた『水晶内制度』はその前哨戦です。今の心境は? これは発禁小説と同じ事です。逮捕されるまで書いて報道します。
――――
単行本p.116




 逮捕はともかくとして、経済状況や病状やピジョン(猫)を心配する読者は、もう少しだけ待てば報われるようです。Female Liberation Japan への投稿から二つ引用しておきます。




「今年も押し詰まってまいりました」(2022年12月27日投稿)より
――――
 来年四冊出す本の、三冊まで大半完成しています。(中略)
 この四冊のうち二冊は文庫本です。解説、著者校ほぼ終わり、版元は無論、講談社でも河出書房新社でもありません。まず『未闘病記』で一冊、後は『母の発達』と『アケボノノ帯』を一冊にしたもの、『アケボノノ帯』の解説の方に、「狸の言葉(知る人ぞ知る)」の人語訳を入れています。他の二冊は書き下ろし。一冊は闘病記・私小説、執筆中、後の一冊は?
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https://femalelibjp.org/nf/?p=1001




「「人権モデル」=ウーマンウィズペニス、を肯定する某党へ、最後のメール」(2023年4月5日投稿)より
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 なお、この新刊は、ネットを見ない同世代や忙しい方々に向けたつもりです。皆さんには物足りない部分があるかもしれません。
 「高くてもいいから分厚いのを出してくれ」とお思いの文学読者の方は、書き下ろし私小説を大半仕上げましたので、もう少しお待ちくださいませ。でもその前にこれもぜひともお読みください。
――――
https://femalelibjp.org/nf/?p=1016





タグ:笙野頼子
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『パレードのシステム』(高山羽根子) [読書(小説・詩)]

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 今後私は、おじいちゃんのルーツを知りたいと思うのかもしれない、という予感があった。おじいちゃんにまつわる痕跡を探して、自分のルーツと重ね、ときにスケッチブックに書きとめて、旅をするという欲望が生まれつつあった。私のおじいちゃんがどういうシステムの中で産まれ、みずからの死を決定するまで、どんなシステムの中で動いていたのか。これから先の旅でおじいちゃんの足跡を探すとしたら、それはたぶん、私の生涯の長さを使って行なう作業になる。何度も旅を終え、何度もまた旅立たなくてはならなくなるにちがいなかった。
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 人生はパレード、あるいはピタゴラ装置。様々なモチーフの非線形的な配置によって人生を浮き彫りにしようとする長篇小説。単行本(講談社)出版は2023年1月です。

 祖父と友人の自死。祖父が日本統治時代の台湾で生まれた、いわゆる湾生だったことを知った語り手は知人をたよって台湾を訪れ、そこで葬式に参列するのだが……。というような筋立てからは、きっと祖父には何か隠された過去があって、それは戦争とか植民地統治時代の闇に関連していて、しかもその因縁は友人の死にもつながっていて……、みたいな展開を期待してしまうわけですが、もちろん高山羽根子さんですからそういう話にはなりません。


――――
 私は最初、お母さんたちはおじいちゃんの幼いころのことについて、それぞれが心の奥でだけ共有する言いにくいなにかが潜んでいたんじゃないだろうかと憶測していた。でも実際のところ、どうやら本当にみんなはおじいちゃんのことについて、あいまいな事柄しか語るべきものを持っていなかった。これは一族の秘密なんていて大げさなものではなくて、そもそもみんなが深く知らなかっただけのことだ。
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――――
 私は、おじいちゃん本人からも忘れ去られていたそれらの資料に、ちょっとした物質的な愛着をもってしまっただけなのかもしれない。単純にこれらの手ざわりに私が強く惹かれていたことは確かだった。この、おじいちゃんには読めたであろう、それでいて私にはまったく読むことができない暗号めいた紙きれたちは、私の人生の中で大切な宝物になりそうな予感を秘めてもいた。
 でも同時に、おじいちゃんの死の原因は、この暗号のなぞ解きによっては解決しないだろうという気もしていた。おじいちゃんや私が生きた世界はそんなふうに、わかりやすく暗号に回収されては行かないんじゃないだろうか、という思いはあの日帰ってきてからずっとあった。
――――


――――
 私はほんとうにおじいちゃんのことを知りたいという切実を持っているんだろうか、と考えていた。これは、探し物の旅なんだろうか。私はどういうわけで死んだおじいちゃんの謎をさぐる探偵のまねごとじみた行為をやりとげたいという欲求を持っているんだろうか。おじいちゃんがどうしても家族にも話したがらなかった秘密を暴くみたいな? あるいはどこかほかの国に自分のアイデンティティがあるのを期待しているとでもいう自分探し。どう考えてみても、うまく自分の中に答えが出てこなかった。そうして、この旅にゴールがあるのかも、よくわからないままだった。
――――


 本作には高山羽根子さんの小説によく登場する「旅」や「たくさんの小物」や「謎めいた書き付け」などのほかにも、ルーブ・ゴールドバーグ・マシン、日本ではピタゴラ装置としばしば呼ばれているギミックが、きわめて印象的に、ちょっと忘れられないような形で登場します。

 ピタゴラ装置にはちゃんとしたプロットが用意されています。例えば最初にビー玉が重力に引かれて転がってゆき、あちこちに配置された仕掛けを作動させ、ときに別のアイテムに「主役」を交替したりしながらも、焦点となる現象は連鎖し続け、最後に終着点に到着して大団円、そういうプロットです。

 しかしビー玉を転がさないままピタゴラ装置のあちこちをクローズアップして見ていると、部分部分にはプロットの片鱗が感じられるものの、全体として何のための装置なのか、というよりそれが何なのかは、分からないでしょう。

 普通の小説を、ピタゴラ装置で起きる連鎖現象を最初から最後まで追ってゆく映画にたとえるなら、高山羽根子さんの小説はピタゴラ装置のあちこちのパーツを順不同に映し出す断片的な映像にたとえることが出来そうです。あちこちにプロットの断片はあるものの、すっきりした一本のストーリーが提示されるわけではありません。

 しかし、ピタゴラ装置、あるいは私たちの人生といったものを正確に表現しようとしたら、こういうやり方こそが正直なのではないでしょうか。初期の傑作『オブジェクタム』を読んだときにもそう思いましたし、本作でもそうでした。おそらく次の作品も正直な小説でしょう。その正直さを、また読みたいと願うのです。





タグ:高山羽根子
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