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『獣たちの海』(上田早夕里) [読書(SF)]

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「我々は同じ海上民であっても、これほどまでに考え方が異なってしまった。おまえたちは陸の技術と価値観を受け入れて海の文化を捨てた。記憶まで捨てて都市に適応しようとした。いよいよ、世界の終わりが訪れるのだ。命を何よりも尊いと考えるなら、それも選択肢のひとつだ。おまえたちは、命の重みを一番に考えるがゆえにその生き方を選んだ。いまはまだ我々を理解できるように言うが、あと十年も経てば、都市に移住した海上民は外での暮らしなどまったく忘れる。魚舟も獣舟も気にしなくなる。かつて、それらが自分たちの〈朋〉だったことも。忘れたという事実を、なんとも思わなくなる。わかるか。それが、特定の人々に対して、民俗を捨てさせるってことなんだ」
(中略)
「この世の終わりがやってきても、海を捨てない者たちは誇り高く生き、誇り高く死んでいくだけでしょう。まるで野生動物のような生き方です。海上都市に移住し、科学技術によって生き延びる道を選んだ私たちとは違う。どちらが、より人間的と言えるのでしょうか。いや、そもそも、人間的であるとはどういうことなのか」
 私は、そこで少しだけ言葉を切った。「あなたと共に生きれば、その答えを得られるはずだと思っています」
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文庫本p.203、244


 大規模な海面上昇により陸地の多くが海に沈んだ時代。迫り来る〈大異変〉による避けられない絶滅を見すえながら、激しくも誇り高く生きる海上民たち。その文化と社会をえがく4篇を収録した「オーシャンクロニクル」シリーズ短篇集。文庫本(早川書房)出版は2022年2月です。

 人間と同じ遺伝情報を持つ魚舟と獣舟。人間の遺伝情報を保存するために作られた異形の深海生物ルーシィ。人間の精神を模したアシスタント知性体。文化も生活習慣も異なる海上民と陸上民。どこまでが人間であり同胞なのだろうか。SFでしか扱えない問いを根底におきながら、地球規模の大規模異変、多くの異なる価値観の衝突、そして個人の葛藤までを、大きなスケールで描き続ける「オーシャンクロニクル」シリーズ。本作は海上民を中心とした一冊となります。


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 本書には、シリーズの長篇パート(『華竜の宮』 と『深紅の碑文』)には挿入できなかった四つのエピソードを収録した。物語の構造上、長篇には組み込めなかったエピソード群である。すべて書き下ろしで、未発表の作品。海上民とその社会に焦点をあてて執筆した作品群で、海上民からの視点で魚舟や海洋世界を描くパートは本書で最後となる。
 将来、もし、陸上民からの視点で海洋世界が書かれることがあれば、本書はその一冊と、双子のような関係を持つ位置づけとなるだろう。
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文庫本p.253




収録作品
『迷舟』
『獣たちの海』
『老人と人魚』
『カレイドスコープ・キッス』



『迷舟』
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 寄ってくる魚舟はかなり大きい。既に誰かと血の契約を済ませた個体に見える。なんらかの事情で、所属していた船団からはぐれて迷子となり、ここへ辿り着いたのだろう。
 このような魚舟を、ムラサキたちは迷舟と呼んでいた。
 嵐に巻き込まれて船団からはぐれたり、寄生虫にやられて方向感覚を失ったり、自分だけ見当違いの方向へ泳いでしまって、そのうち太い潮に流されて迷うのだ。
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文庫本p.9

 自分の〈朋〉である人間やその船団からはぐれてしまった魚舟、それが迷舟。
 迷舟とそれを見つけた男との交流をえがいた短篇。まずこの短い物語りを読むことで魚舟や海上民の暮らしについて知ることが出来ます。




『獣たちの海』
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 切ない思いに掻きたてられて船団を目指していた頃のクロは、もう、どこにもいなかった。いまここにいるのは、ただ自分のためだけに生きる、獰猛で力強い新しい生きものだ。
 双子の片割れと出会えず、乗り手を得られなかった孤独な魚舟――本来の姿とは違う変異種に変わってしまった個体を、人は獣舟と呼ぶ。海上民はそれを畏怖し、陸上民は自分たちの生命操作技術の失敗によって生まれた怪物として忌み嫌う。
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文庫本p.51

 自分の双子たる〈朋〉である人間と再会できなかった魚舟は、異常変異のはてに獰猛な獣舟となって暴れ回る。シリーズの原点となった『魚舟・獣舟』以来おなじみの設定を、獣舟の視点から描くという大胆な短篇。




『老人と人魚』
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 ルーシィは胸鰭で挟み込むようにして、老人をゆっくりと抱擁した。抱いたといっても腹側がでっぱった体型なので、人間同士のようにぎゅっと抱きしめることはできない。ふんわりと体の両側から鰭で挟んだ程度だ。それでも老人は、何かどきりとするものを感じた。知性があるとは知らされていたが、この生きものが人間と変わらぬ感情を持っているかもしれないと思うと、少しだけぞっとした。あまりにも人間離れしかルーシィの容姿は、ヒトの美しさの基準では計れないものだ。自分たちが死に絶えたあと、これが海の底で何百年も生き続け、新たな人類になるのだとは――。自分の想像を遥かに超えた話である。
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文庫本p.72

 陸上民との絶え間ない抗争に疲れ切ったひとりの老人が、二度と戻らぬ最後の旅へと船出する。彼に付き添うように泳ぐのは、〈大異変〉を越えて何百年もの先に人間の遺伝子を届けるために創られた深海生物、ルーシィ。相互理解もコミュニケーションもとれない二つの種族のあいだに、パーソナルな関係が生じてゆく様をえがいた短篇。




『カレイドスコープ・キッス』
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 マルガリータ周辺では、海上民相手に海上商人(ダックウィード)が交易を行っている。船団が密集しているので、病潮が発生する可能性も高い。南洋海域の連合が主導する形で、外洋公館が常に監視を続けていた。陸の人間が行くと反発されることも、仲間である海上民が説明すると素直に聞いてもらえるパターンが多いという。リンカーとは、つまり海の架橋者。陸と海とを結ぶ架け橋なのだ。民族と民族、人と人、人とシステムを結びつける役割を担う仕事だ。
 説明を聞いているうちに、自分でもやれそうな気がしてきた。
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文庫本p.124

 陸上民と海上民が共存する海上都市マルガリータ・コリエ。ここに移住した海上民である語り手は、海と陸をつなぐリンカーという仕事につく。アシスタント知性体と共に、生粋の海上民であるオサとの交流に乗り出したものの、都市移住をめぐるトラブル、海賊ラブカや獣舟への対処をめぐる対立、獣舟発生を阻止するために魚舟の中絶を義務づけようとする陸上民に対する反発など、問題は山積みだった。同じ海上民とはいえ都市居住者である自分と、魚舟と共に海に生きるオサとの価値観の違いを乗り越え、信頼関係を築くことは出来るのだろうか。多くの価値観が衝突するなか、自らの生き方を模索する若者の姿を描くオーシャンクロニクルシリーズらしい中篇。





タグ:上田早夕里
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