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『思考実験 科学が生まれるとき』(榛葉豊) [読書(サイエンス)]

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 しかし、自然な状態での実験、いわば「尋問による供述」ではなく、加速器実験や超高磁場での実験などのような、ベーコン流にいうなら「拷問による自白」の信憑性をどうとらえるべきなのでしょうか。人間の犯罪であったら、刑事訴訟法により証拠として採用されないでしょう。
 ある法則が妥当かどうかを拷問で問い詰めると、ほかの法則に影響して変わってしまうこともありそうです。つまり、法則を別々のものとして、一方を固定して考えてはいけない場合もあるということです。
 しかし、それでもこの方法で真理に近づくことができる、と考えるのが近代科学の心性なのです。いやむしろ、この方法によってこそ真理に肉迫できる、都合がよい理想化された状況をつくりだして拷問にかけなければ、自然は白状しない、と考えるのです。異常な状態でのふるまいにこそ自然の本性が現れるのだという感覚です。そして、さまざまなパラメーターを自在に変化させ、極限状況をつくりだすというやり方は、思考実験ならではのものです。
 思考実験でこそ、手を替え品を替え、現実にはありえないような状況も制約なしにつくりだして、容疑者を傷つけることなしに拷問にかけることができるのです。
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単行本p.43


 マクスウェルの悪魔、テセウスの船、故障した物質転送機、マッハのバケツ、ボーアの光子箱、シュレーディンガーの猫、終末論法、ニューカム問題。実際に試すのではなく、極限的に理想化された状況を想定して頭の中で実験してみる。それにより既存理論に対する批判や検証、問題提起、判断、解釈、そして教育を可能にする思考実験。これまでに試みられてきた有名な思考実験を取り上げ、その意義とその後の展開を示す本。単行本(講談社)出版は2022年2月です。




目次
第1章 思考実験を始める前に
第2章 実験とはなんだろうか
第3章 思考実験の進め方
第4章 思考実験の分類
第5章 批判と弁護のための思考実験
第6章 問題提起のための思考実験
第7章 判断や解釈のための思考実験
第8章 教育的な思考実験
第9章 意思決定と思考実験 




第1章 思考実験を始める前に
第2章 実験とはなんだろうか
第3章 思考実験の進め方
第4章 思考実験の分類
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 2010年には、日本の鳥谷部祥一・沙川貴大・上田正仁らによって、マクスウェルの悪魔の設定を実現するという注目すべき実験が行われました。(中略)「悪魔復活」というとセンセーショナルですが、この実験は、ベネットの主張が万全ではない、すなわち「情報消去」の際の熱現象は必ずしも不可逆ではないことを示して、ある意味で悪魔と熱力学第2法則の共存が可能であることを指摘したものです。沙川らは、情報熱力学と呼ばれる最新の研究の成果を採り入れて、熱力学第2法則に情報量を含めた形の不等式を導いています。マクスウェルが望んだのはまさに、このような議論が生まれてくることだったのではないでしょうか。
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単行本p.77、78

 テセウスの船、物質転送機問題。2の平方根が無理数であることを示したピタゴラス、質量と落下速度の関係を洞察したガリレオ、加速度と重力の関係を見いだしたアインシュタイン、そして熱力学第2法則を検証するために考案されたマクスウェルの悪魔。名高い思考実験を例として取り上げながら、思考実験に関する基礎知識を確認し、その分類を示します。



第5章 批判と弁護のための思考実験
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 簡単にいえば、西欧近代科学の世界観は、物事を線形的に、時間の流れに沿って順次あらわれる因果の連鎖としてとらえる「ロゴス」の感性で成り立っています。頭の中で言葉によって行われる思考も、そうなっています。ところが量子力学の論理は、なにかネットワーク的で、部分に全体が含まれているような、時間順序によらない同時的な世界観でできているのです。ブール論理に慣れた人間からするとまったく違う次元の世界であり、理解に困難を感じて当然です。(中略)
 21世紀直前まで生きたポパーは、量子力学に関する思考実験は弁護的用法が多いといい、しかもそれらのほとんどに疵があると指摘したわけですが、しかし、このように量子力学が成立した20世紀初頭に物理学者たちが直面した状況を考えてみると、その思考実験をどのような文脈で見るべきか、提出者はどのような目的だったのか、それをどのような立場の誰が見たのかは、本当にさまざまなことが考えられるように思うのです。
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単行本p.127

 ニュートンとマッハのバケツ、ハイゼンベルクのガンマ線顕微鏡、アインシュタインとボーアの光子箱。既存理論に対してその難点を指摘しようとした思考実験を取り上げて紹介します。




第6章 問題提起のための思考実験
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 ウィグナーにとっては、友人も含めた部屋全体が観測対象であり、ドアを開けるまでは、部屋の中は重ね合わせの状態です。つまり、友人も二つの状態の重ね合わせになっていて、ウィグナーが部屋を開けて友人の報告を聞いたときに初めて、どちらかに収縮するのです。(中略)フォン・ノイマンとウィグナーは、意識が波束を収縮させると考えました。すると、この思考実験ではウィグナーの友人は、観測はしていても波束を収縮できないので、意識がないということになります。友人はいつのまにか、ゾンビのようになってしまったということです。この考え方を敷衍していくと、世界には自分しか意識をもつ存在はいないという唯我論につながります。
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単行本p.159

 量子力学における状態の重ね合わせをそのままマクロな物体に適用してみる「シュレーディンガーの猫」。その猫を友人に置き換えて箱の中で「観測」をさせる「ウィグナーの友人」。そして局所実在論の立場から量子力学の矛盾を指摘しようとした「EPRパラドックス」。量子力学の解釈をめぐる問題を提起した思考実験を紹介します。




第7章 判断や解釈のための思考実験
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 その状況で考えられるさまざまな行動原理のうちから選択を迫り、選択された原理は何か、それを選択したあなたの原理は何かを問うのが、判断や解釈のための思考実験です。どの原理が正しいということはなく、立場や嗜好、倫理観などによって答えはさまざまなはずです。変化法で細かな設定や、状況そのものを変えてみたりして、あなたがその原理を選んだ理由を探るのです。もちろん、あなたではなくほかの誰かが選んだ別の原理について考察を加えることもあります。そうして、複数の原理それぞれの本質をあぶり出し、比較検討するのです。
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単行本p.174

 トロッコ問題、チューリング・テスト、中国語の部屋、量子自殺、終末論法、眠り姫問題、射撃室のパラドックス、ニューカム問題。人間の判断基準や倫理観の本質を探ろうとする思考実験を紹介します。




第8章 教育的な思考実験
第9章 意思決定と思考実験 
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 ジョン・スチュアート・ベルは、1964年に、局所実在論の要請を満たすものであれば、どんな理論でもそなえていなければならないある条件を表現した不等式を導き、その一方で、量子力学にはその不等式を満たさない場合があることを示しました。この不等式を「ベルの不等式」といいます。
 これは重大な成果で、この不等式によって、局所実在論が正しいのか、それとも量子力学が正しいのか、実験で決着をつける道筋ができたのです。その後もいろいろなタイプの不等式が発見されて、1982年のアラン・アスペの実験を皮切りにたくさんの検証実験が行われました。
 その結果、自然はベルの不等式を破っていることがわかりました。量子力学でなければ説明できないものが存在することが、疑いの余地なくわかったのです。(中略)
 しかし、数学的な推論を説明されればそのときは納得した気もするけれど、やはりピンとこない、腑に落ちないというのが、多くの人の正直なところだったようです。
 これは社会的選択理論での、「アローの不可能性定理」とどこか似たところがあります。
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単行本p.216、217

 相対性理論を説明するときの光時計、ギャンブラーの誤謬、ベルの不等式、マーミンの思考実験。人間の直感が陥りやすいポイントを浮き彫りにする思考実験を取り上げ、それを意思決定に活かすにはどうすればよいのかを探ります。





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『プラスマイナス 177号』 [その他]

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねてご紹介いたします。


[プラスマイナス177号 目次]
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巻頭詩 『「春のある日」より』(琴似景)、イラスト(D.Zon)
俳句  『微熱帯 42』(内田水果)
エッセイ『黒白猫の験担ぎ 2』(島野律子)
小説  『一坪菜園生活 60』(山崎純)
詩   『プラスマイナス』(島野律子)
詩   『春のある日』(琴似景)
詩   『庭の思い出』(島野律子)
詩   『お道楽』(多亜若)
川柳  『プラスマイナス』(島野律子)
エッセイ『香港映画は面白いぞ 177』(やましたみか)
イラストエッセイ 『脇道の話 116』(D.Zon)
編集後記
 「気になることば」 その4 D.Zon
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 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、お問い合わせは以下のページにどうぞ。

目黒川には鯰が
https://shimanoritsuko.blog.ss-blog.jp/





タグ:同人誌
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『エビはすごい カニもすごい -体のしくみ、行動から食文化まで』(矢野勲) [読書(サイエンス)]

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 本書は、このような「すごい」と思えるエビ・カニの巧妙な体のしくみと行動やしぐさについて紹介する。さらに、なぜそのような体のしくみを持ったり、行動やしぐさをとるのかについても説明した。
 ちなみに、そのいくつかを紹介すると、テッポウエビは、ハサミをパチンと鳴らして、その音で小エビなどの獲物を狩っている。また、サンゴ礁に棲む多数のテッポウエビがパチンと鳴らす音は、サンゴの幼生をサンゴ礁に呼び寄せることが明らかになっている。実は、この音は単なる音でなく、閃光とプラズマを放つ強い音圧の衝撃波である。本書では、その「すごい」と思えるスナップ音の発生のしくみを明らかにしている。
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「はじめに」より


 主に食材として親しまれているエビやカニ。しかしその生態は意外と知られていない。衝撃波とともに閃光とプラズマを放つテッポウエビ、数十万尾がいっせいに隊列を組んで渡りをするロブスター、武器として利用するイソギンチャクをクローニングするキンチャクガニ、そして感情表現豊かなカニ。エビとカニが持つ「すごい」と思える体のつくりや行動を紹介してくれる一冊。単行本(中央公論新社)出版は2021年12月です。




目次
第1章 エビ・カニとはどのような生き物なのか?
第2章 エビ・カニの五感と生殖
第3章 さまざまなエビたちの生態と不思議な行動
第4章 さまざまなカニたちの生態と不思議な行動
第5章 エビ・カニの外骨格の秘密
第6章 エビ研究の最前線からー交尾と生殖の解明
第7章 赤い色を隠すエビ・カニたち
第8章 私が愛したエビ・カニたち
第9章 エビ・カニの肉質の特徴と食文化




第1章 エビ・カニとはどのような生き物なのか?
第2章 エビ・カニの五感と生殖
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 自然界におけるフィロソーマ幼生とプエルルス幼生の暮らしの実態は、長い間、不明であったが、同じイセエビ下目のセミエビやウチワエビなどのフィロソーマ幼生が、海洋を浮遊するカラカサクラゲやミズクラゲなどのクラゲに取り付いていることが発見されている。この発見から想定すると、イセエビのフィロソーマ幼生も、クラゲの上に乗って広い海洋を漂いながら浮遊生活を送っている可能性が高い。仮に事実としたら、なんとも可愛らしい話である。
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単行本p.58

 エビ・カニの体の構造から生活史まで、まずは基礎知識をまとめます。




第3章 さまざまなエビたちの生態と不思議な行動
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 テッポウエビが餌とするクリーナーシュリンプが棲むイソギンチャクを外敵のファイヤーワームから守る習性は、まさに人類が野山を整備して食料などにする羊などを放牧する牧畜に似ている。(中略)仮にそうだとすれば、テッポウエビは人類が牧畜を始めるはるか以前の太古の昔に、牧畜の起源と思える、すごい行為をすでに行っていたことになると私は考えている。
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単行本p.87

 魚の口内を掃除するクリーナーシュリンプ。その棲息環境を調整して「牧畜」の対象とするテッポウエビ。そのテッポウエビが閃光とプラズマ衝撃波を放つしくみ。渡り鳥のように渡りをするコウライエビやフロリダロブスター。エビたちの「すごい」生態を紹介します。




第4章 さまざまなカニたちの生態と不思議な行動
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 イソギンチャクを持つキンチャクガニと持たないキンチャクガニを一緒に置くと、イソギンチャクを持たないキンチャクガニは、相手からイソギンチャクを奪うことを報告している。(中略)闘いを始めてから奪い取るまでの時間はなんと7時間ほどもかかり、両者の闘いはまさに死闘と言っても過言ではない。
 この後、イソギンチャクを奪い取ったキンチャクガニも奪い取られたキンチャクガニも、片方のハサミに挟んだイソギンチャクを縦に均等に2つに割って両ハサミに挟んで無性生殖を誘発しクローンを複製する。
 またシニッツァーたちはこのカニがハサミに挟むイソギンチャクの遺伝子を調べた。結果、各カニが持つ左右のハサミのイソギンチャクの遺伝子はまったく同じであり、他のカニのイソギンチャクとも互いに極めてよく似た遺伝子を持っていた。このことから、紅海に棲むキンチャクガニがハサミに挟むイソギンチャクは、もともと1つの個体であったことを示唆している。
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単行本p.121、122

 ズワイガニ、ガザミ、モクズガニ、サワガニなどの行動から、イソギンチャクを武器として使うキンチャクガニまで、さまざまなカニの「すごい」生態を紹介します。




第5章 エビ・カニの外骨格の秘密
第6章 エビ研究の最前線からー交尾と生殖の解明
第7章 赤い色を隠すエビ・カニたち
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 エビ・カニは、体を守るために外骨格を硬く堅固な組織にしただけでなく、比重を高くするために石灰化し、しばしば起きる飢餓に備えての栄養物質を貯蔵し供給する機能も持たせ、さらに外骨格に沈着したカルシウムを自由に出し入れするという、まさにすごいと思うほどのダイナミックな組織にしているのである。
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単行本p.141

 外骨格が果たしている様々な機能から赤い色をつくる色素アスタキサンチンが果たしている役割まで、エビ・カニの体のしくみをさらに詳しく見てゆきます。




第8章 私が愛したエビ・カニたち
第9章 エビ・カニの肉質の特徴と食文化
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 クルマエビが死んだふりをすることは、これまでまったく知られていなかったが、私は何度か人に話してきた。そうするとまず10人中10人が笑いながら「うそっ」と言う。なぜうそと思うのかと訊き返すと、エビにそんな高等なまねができるはずがないという答えが返ってくる。死んだふりは、賢い人間が熊に出会ったときにするもので、知能の低いエビにできるはずがないとはなから思っている。そこで私も、ついむきになって、エビ・カニの知能は発達していて、ときには人間以上に賢い行動をとると言い返す。
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単行本p.214

 弱いものいじめをするカニ、著者といっしょに遊ぶカニ、エサが遅れてムカついたので水草を切りまくって抗議したカニ、死んだふりをするエビ。著者が観察したエビ・カニの知能や感情、そして人間との関わりについて紹介します。





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『もつれる水滴』(ヨルグ・ミュラー、束芋) [ダンス]

 2022年5月4日は、夫婦で東京芸術劇場に行って、ヨルグ・ミュラーと束芋が共同制作した公演を鑑賞しました。ヨルグ・ミュラーによる布を使ったジャグリングに、束芋の不思議なアニメーションが投影される75分の舞台です。


[キャスト他]

構成・演出: ヨルグ・ミュラー、束芋
出演: ヨルグ・ミュラー、間宮千晴
美術: 束芋


 フランスを拠点とする現代サーカスアーティストのヨルグ・ミュラーが挑むのは、巨大な白い布を空中で自在に動かすジャグリング。布の四隅にワイヤーをつなぎ、床と天井に取り付けた滑車を経由してそれらを自分の手にむすびつける。ヨルグが歩いたり腕を動かしたりするとワイヤーが引っ張られ、布が動きます。ワイヤーはよく見えないので、まるで布が自分の意志で飛び上がったり、空中で広がったり、クラゲのようにたゆたい、ヨルグの動きに合わせるように踊ったり。

 オブジェクトに対する身体からのアプローチという、いわゆるジャグリングで、視覚的にも布が「踊る」様はとても印象的です。またタイミングや順番や方向をちょっと間違うとワイヤーがからんで悲惨なことになるのではないか、というジャグリングらしいハラハラ緊張感も。

 やがてヨルグはジャグリングで使った布を幽霊のようにかぶり、また舞台上には切れ目のある大きな布によるスクリーンが下りてきます。そこに束芋さんのアニメーションが投影されるわけです。個人的に束芋さんの作品はダンスとの共演である『錆からでた実』しか観たことがない(2013年初演版と2016年版)のですが、あの不思議で懐かしくちょっと恐いアニメーション(新作)がスクリーンに、そしてその前に立つヨルグにも投影され、しかもそれらが必ずしも同じ映像ではないので、遠近感を含め色々と感覚が混乱します。

 アニメーション投影に様々な工夫を加えており、画像投影されたヨルグ(の形をした布)がスクリーンの切れ目から向こうの世界に「入って」いったり、ヨルグを「解剖」して内臓を取り出して背景スクリーンに移動させたりと、驚きがあります。

 後半になると画像投影とダンスのコラボレーションになりますが、ここは『錆からでた実』と比べて印象が薄く、コラボレーションの効果が必ずしもうまく発揮されていないように感じられました。




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『笙野頼子発禁小説集』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 あなたは今、憲法二十一条の実現に基づき、この私の文を読んでくれている。見ての通り、刊行出来たから。
 主要掲載誌の版元から、作者の思想信条が理由で出なくなった本が、で?
 さあ、今から目次を見てみよう。そこにはこの本が刊行出来た、私がそうする気になった理由が光っているのだから。目を皿にして見て欲しいこの本の目次を!
 既に一冊分の分量がある群像の連作に加えて計二十五枚、それはこの鳥影社が発行を引き受けている純文学専門誌季刊文科掲載の短編二つである。内容は?
 時間軸も社会軸も群像と同じ、中にはかぶっているエピソードもある。
「難病貧乏裁判糾弾/プラチナを売る」(季刊文科84号)/「古酒老猫古時計老婆」(季刊文科86号)
 と書くと、何か群像の三百枚分の添え物にしたかのように思うかもしれない。でも実は違う、話は真逆である。この二作が本書の目玉なのだ。(中略)もし、この二作がなかったらこの本は作家の動機というか書きたい事が隠されたまま、芸術作品として一定の評価を得るだけだった。しかし、世に訴えようとして書いた事を私は残したい!
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単行本p.15、17


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第138回。

「私小説は報道だ捕まるまで書くだけだ。この、自由を守ってくれた鳥影社に感謝する」(単行本p.349)

 長編二作のボツ、大手出版社の単行本化拒否、コロナ質屋貧乏暮らし、圧力中傷手のひら返し。様々な困難を乗り越えついに刊行された渾身の「報道」私小説集。差別だヘイトだと糾弾された作家は、実際には何を書き何を主張したのか。「最近、笙野頼子がトランス排除の陰謀論だか何だか主張したせいでネットや文芸誌で叩かれてるらしいよ? 知らんけど」くらいの認識の方必読の最新作品集。単行本(鳥影社)出版は2022年5月です。


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 私は干され、怒鳴られ、ヘイターと言われてもう三年を越えている。私はヘイターじゃない! 今もまだ本来の左翼の気持ちでいる。その証拠として、ここにまずこれを収録する。むしろヘイターは女消の方である。ウーマンヘイター・メケシと覚えてね。
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『九月の白い薔薇 ―ヘイトカウンター』まえがきより(単行本p.41)


 『笙野頼子三冠小説集』 『笙野頼子窯変小説集』に続くシリーズ第三弾……と思った方いるかも知れませんが、内容的にはそうではありません。「群像」に掲載された連作私小説、「季刊文科」に掲載されたいわゆる性自認法の危険性を訴える作品、さらにこまめに解説や補足説明などを加えてまとめた一冊です。




目次
『前書き 発禁作家になった理由?』
『女性文学は発禁文学なのか?』
『九月の白い薔薇 ―ヘイトカウンター』
『返信を、待っていた』
『引きこもりてコロナ書く #StayHomeButNotSilent』
『難病貧乏裁判糾弾/プラチナを売る』
『質屋七回ワクチン二回』
『古酒老猫古時計老婆』
『ハイパーカレンダー1984』




『前書き 発禁作家になった理由?』
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 そも、私小説とは? 目の前の事を書いた時に世界全体を書こうとするもの。しかも目の前にあるものの「総てを」書く。それが現実ならば睨んで書く、具体を肉体を暗黒を詳細を、いかさまな禁忌が隠せないものを、……。
 そして「予言」は当たるけど私は潰される。
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単行本p.13

 全体の前書き。「群像」に掲載された連作が単行本化を拒否された件、何が問題でどうして糾弾されることになったのかの解説、この単行本の刊行に至るまでの経緯をまとめてくれます。




『女性文学は発禁文学なのか?』
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 不味い事に、というか前書きで述べたように、現在この新訳「性自認」、絶対に公式に批判出来ない。理由? ――この新訳語が「性的少数者の苦しみを救う根本にある」と主張する「善意の」人々がけして真実を報道させないからだ。そして、この性自認の尊重と人権扱いが性的少数者にとって必要欠くべからざるものという、誤解、誤認、誤報道を熱心に押し通すからだ。
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単行本p.36

 文藝家協会ニュースに掲載された、性自認法/セルフID法に反対しその危険性を訴えた文章。ネットに無断転載されたことから炎上状態を招いた作品。本編の三倍以上の補足『性自認とは何か?』『女を消す運動、女消運動、メケシとは』を追加した上でこの単行本の劈頭を飾ることになりました。




『九月の白い薔薇 ―ヘイトカウンター』
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 今、私がいるこの時代とは何か、それは上が規則を破り公約法律議会全部、本質を失わせ捕獲する世界。そして外国からフェミ認定で褒められた初の女性(極右)都知事は、慰霊祭への追悼文を出さないようにした。ばかりかそのお供養に対抗する嫌がらせ的法事が、このみんなの広場横網町公園において許可されている。それはお供養の紛らわしい偽物、主催するのは極右女性団体。だけど今や、もう右も左もない。ここはTPPの平気な人達が、保守を自称する国なのである。
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単行本p.43

「今もまだ本来の左翼の気持ちでいる。その証拠として、ここにまずこれを収録する」(単行本p.41)

 ヘイトデモ的な嫌がらせが予告されていた慰霊祭、カウンター側に参加したときの体験を書いた作品。




『返信を、待っていた』
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 そこに言葉はないし正体もない。ただ大地の底で小さい火が燃えている。崖が向こうにある。かつて私を生かしていたものが全部滅亡している。それでも、怒りを維持する事で生命を維持している。どんな時も、今をやり過ごしても未来を憂えていたら、他人の人生を生きて蘇ってこれる。難病の若い人のブログを読んでいて、食べているおやつの写真を見る。この知らない人が死ぬことが嫌だと思う。
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単行本p.72

 若くして亡くなった詩人、川上亜紀さんの追悼のために書かれた作品。川上亜紀さんとの交流をえがきながら、彼女が受けた理不尽な仕打ちや受難を自身のそれと重ねてゆく。
 今回単行本化にあたって自作解説が追加され、本作(における一部描写)が気に入らない連中による糾弾や嫌がらせ、さらにはファンサイト管理人が彼らに絡まれた挙げ句にサイト更新停止に追い込まれた件が報告されています。この件については、川上亜紀さんの知り合いである私の配偶者(詩人)も怒り悲しんでおり(死んでからまでこんな仕打ちを受けるなんて……)、また私自身についていうなら、長年に渡って拙い(ほとんど引用しかない)私のブログ記事にこまめにリンクをはってくれたファンサイト管理人に対する(一方的ながら感じていた)恩義や連帯感が踏みにじられたようで個人的にも腹が立ちます。
 なお遺族がまとめた全詩集『あなたとわたしと無数の人々  川上亜紀刊行全詩集』(七月堂叢書)が、偶然ながら本単行本と同時期に出版されていることをここに記しておきます。




『引きこもりてコロナ書く #StayHomeButNotSilent』
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 要するに我が国ではことが起こるとただパニックになり理由もなく下位のものを叩く。さらには不幸な人間を追放して目の前から消そうとする。
 要するに文脈のある行いをみると切れる、の一択。しかし実はそれが結局今の我が国の土俗、習俗、国民性なのではないかと私はついに、思うようになった。
 なおその成分とは? 先述したような、仏教伝来の頃のセーフが作り込んだ、ケガレ、ハライ、ミソギの「信仰」。或いは他人さえ不幸にすれば富貴になれるという「おとぎ話」。どんな最底辺にいるものであってもさらに下をたたいて権力に同化すれば、この魔術で栄達の日々が来るという「期待」、で出来ている。同時に、……。
 この国の精神衛生は女性に当たり散らすことによって支えられているとも思う。女子児童や難病の老婆に加害すればすべてオッケー、の世界である。今は上から下まで、国中でやっている。(中略)徹底して何にも対処しない。不幸も犯罪もなかった事にする、その被害者までも沈黙させる。もしそれでも被害者が負けなければ、いないことにする。ついに被害者が死ねば死者に自分達の罪を被せ、黒歴史の責任をすべて押しつける。
――――
単行本p.157、161

 新型コロナ禍のなかであらわになったこの国の棄民精神、その背後にある黒土俗「信仰」を、疫病を軸にえがき、権力に呪い返しを仕掛ける作品。




『難病貧乏裁判糾弾/プラチナを売る』
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 で? 女は女の女による女のフェミニズムをやりますというとそんなフェミニズムは殺す殴る犯すお前等は排除的差別者だと言われ、干され脅かされ糾弾される。無論、女だけでやる原則的フェミニズムというのは世界中にあるに決まっている。しかし日本には現在そういうラディカルフェミニズムの目ぼしい学者というのがいない。私などは文学でありながらそれの代用、代表に仮に(勝手に)されている。なので……。
 最近の私は、――殺せ殴れ犯せ顔に入れ墨しろ糾弾会に来い石打ち拷問しろ道で大便していろ私の本を焼きたいが煙が迷惑なのでゴミの日に捨てろ文藝家協会も出ていけと言われている。基本、人間ではないという事をくりかえされている。私の他親子二代の共産党支持者や女性の若い党員が言われている。ナチスがユダヤ人に言ったのと同じようなセリフを自分達が被害者だと言いながら、男とその奴隷のインテリ女学者達が、普通のレズビアンや市井の性転換当事者にまで言い続ける。その上、一部共産党支持者から出ていけと言われている末端党員の女達などは、離党した上で日本第一党に投票しろなどと強要されている。党本部は助けない。黙っている。そんな中「糾弾は良くない」という返事を私は共産党の総意として某委員会からやっとメールで貰い、有志が作ったサイトに投稿した。
 すると、共産党ではなく私だけが責められた。党に批判が来た時も中央委員会の窓口係は何も中央に問い合わせをせず、一方的な話をする批判者に対しうち関係ありませんと言っただけだ。弱虫! 卑怯者!
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単行本p.222

 イカフェミニズム、共産党の掌返し、著作・書店・出版元に対する糾弾など、作家の受難と状況をまとめた作品。この単行本出版の背景と経緯が書かれます。




『質屋七回ワクチン二回』
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 私は名出しの上で声を上げていた。しかし発禁と言ったって十七年前に出した本の復刻版を、ただ私の作品だからと言って怒ってくるのである。相手は唯心論者で私はアカの魔女だ。
 しかも今年は七月に長編の書き直しまで返ってきた。これで貧乏が一段と深まった。私は書けないのではない。リスクのある作家になってしまったのだ。だけど何も差別とか私はしていない。唯物論者なので偽りが書けない。その結果が今の困難である。
(中略)
 私は貧乏して貴金属を売った。でも徹夜で仕事した。何も変な事も書いていない。テーマ、女という言葉、概念、主語、その大切さ、女の歴史を消すな、だけであって……。
 つまりは自分が女である事を、医学、科学、唯物論、現実を守るために書いた。子供の頃、男の子になりたくて、驚くと出てしまう自分の女らしい声が辛くて死にたかった。でもそれは思春期によくある事だそうだ。今は閉経もして、今までセックスも何もしなかったし、爽快になっている。そこには「予言」と言われる程ずっと書いてきたテーマもあった(なのに今さら書店に置くなだのと)。
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単行本p.248、283

 生活困窮や質屋通い。その事情を書いた、『増殖商店街』や『居場所もなかった』を思い出させる作品。掲載誌「群像」の出版元から「「このようなご主張のある」作品を含んだ刊行」(単行本p.2)を拒否されたとのことで、ある意味で本単行本の出発点。




『古酒老猫古時計老婆』
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 で? 私は昨年から書く方こればっかりだが、成果はというと?
 この季刊文科とネットに感謝するのみ! 他所では結局本二冊分の没を私は書いた(でも今から中編ひとつ発表出来るかも)。しかしもともと作品化は難しいテーマだしこれで金がない。でもだったら私小説家の貧乏話をやるのに良い? 病は悪化したが、なんだろう秋風に同化出来る私。そして仲間がいる、世界中に。でも返済の事を考えると辛くなってくる。
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単行本p.323

 性自認法/セルフID法にまつわる世界情勢と作家の身辺をならべて書く作品。




『ハイパーカレンダー1984』
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 今現在、マスコミやネットで糾弾されている「トランス差別」と称せられているもの大半は実は本当の差別などではない。
 もし、トランス差別と言われたら相手のクレームの大半は実はトランス原理主義、女性差別や性犯罪的侵入、児童に対する医療虐待の正当化なのだ。つまりそれは本来の実在の性的少数者の権利をむしろ侵害、誤解させる可能性がある、虚構でしかない。というわけで、……。
 たったそれだけの事をこうして書くのにここまで大変な事になってしまった。
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単行本p.342

 古いワープロがぶっ壊れて必死の思いで手にいれた代替品に「愛があふれてきて、ついつい手久野バブ子、てくのばぶこ、という名前をつけてしまった」(単行本p.329)という思わず吹き出すエピソードからはじまる後書き。今さらワープロ専用機なんて、と思う人は親指シフトキーボード搭載オアシスを使ったことがないのでしょうか。私も政府から頂いた給付金をすべて(製造中止が決定した)親指シフトキーボード数枚につぎ込んで、それを積み重ねて祭壇にしています。





タグ:笙野頼子
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