『あなたのための時空のはざま』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]
――――
いろいろ考えていると、余計にわからなくなってくる。それであきらめる人もたくさんいるのだろうな、と思う。まず怪しげなサイトの数列をクリックする勇気があるか、というところからだし、場所にもし心当たりがあったとしても、本気にしないとか、細かい条件がわからなくて面倒になるとか――そうしているうちに、ひっそりと時空の狭間は消えていく。
そういう想像を、十代の頃によくしたな、と思い出す。タイムマシンなんて、自分の生きている間にできあがることはないだろうが、時空の狭間ならばふいに出てくるかもしれない。巡り合わせの問題でしかないんじゃないだろうか。
――――
文庫版p.143
「あなたのための時空の狭間が、ここにあるかもしれません」
真っ黒の背景にそんな言葉が浮かび上がる、あからさまに怪しいサイト。そこに並ぶ過去の日時のなかに、戻りたいとずっと願っていたまさにそのときが含まれていたら、あなたはそれをクリックしますか?
ぶたぶたシリーズで知られる著者による新シリーズは、過去に戻るチャンスを得た人々の物語です。過ちを正すために、真実を知るために、誰かにもう一度会うために。様々な理由で謎サイトの日時をクリックした彼らの様々な体験をえがく第一作は、5篇を収録した連作短編集。文庫版(角川春樹事務所)出版は2021年11月です。
[収録作品]
『誕生日をプレゼント』
『あなたのため』
『メッセンジャー』
『父のかわりに』
『最後のファン』
『誕生日をプレゼント』
――――
でも、何が起こっても起こらなくても、きっと忘れられない思い出になるだろう。由真が生まれた日に、本人が戻る? それを計画したのは、生んだ母?
もし今後、由真に子供ができたとしたら、ぜひ話したいエピソードだ。確実に笑いや驚きをもたらすだろう。つかみだけで充分面白い。
さてオチはどうなるのか――それはこれからわかる。
――――
文庫版p.19
もしも自分が生まれた瞬間に立ち会えるとしたら……。いったい何が起きるのだろう。
本シリーズにおけるタイムトラベルのお作法を教えてくれる導入話。
『あなたのため』
――――
何かのいたずらのサイトと考えるのが妥当だろう。なんの目的で作ったのか、皆目見当もつかないが。
でも、織衣はそのページから移動できなかった。身体の震えが止まらない。
織衣にとってこの数列は、ある年月日と時間を表していた。他の数列も、おそらくそうなのだろう。だが、織衣に関係あるのはこの一つだけ。忘れたくても忘れられない日。後悔とともにいつも思い出す日だ。
――――
文庫版p.48
後悔してもしきれない過去の過ち、それを正すチャンスが与えられたとしたら……。はたして過去の行動を止めることで現在は、人生は、変わるのだろうか。誰もが思う「やっちまったことを取り消すことで、その結果も消えてほしい」というよく考えたら身勝手な願望を正面から扱ったビターな作品。
『メッセンジャー』
――――
むつ子さんは認知症のため、施設に入っている。宏伸はたまに訪ねるのだが、最近彼女は「ばあちゃん」の話をすると泣くようになった。
「あたしがばあちゃんを殺したのかもしれない」
最初に聞いた時は仰天した。そんなことを告白されるとは、思ってもみなかったから。
「それはないでしょ」
宏伸は、とっさにそう返すしかない。けれどむつ子さんは、
「ばあちゃん、ばあちゃんに会いたい。ごめんなさいって言いたい」
そう言って、ずっと涙を流す。
――――
文庫版p.90
「あたしがばあちゃんを殺したのかもしれない。会ってごめんなさいって言いたい」
泣きながらそう繰り返す祖母。その日その時、いったい何があったのか。謎サイトでその日時を見つけた孫は、祖母のために時空の狭間へ向かう……。
『父のかわりに』
――――
誰にだって戻りたい日や時があるんじゃないのかな。小説を読んで、父はきっと思い出したのだろう。それだけ印象的な出来事があったに違いない。
順也にももちろん、戻りたいと思う過去がいくつかある。二十代は特に、バカなことをして人を傷つけたり、ちゃんと謝れなかったり――ずっと連絡をしていない友人などもいる。が、父のように年老いてからもこうなふうに思い返したり、具体的な日付をいつまでも覚えているほど切実だろうか。四十代の今でも記憶は薄れているし、だいたい過去には戻れないのだし。
しかし、自分は父ではないからわからない。もちろん、どんなことで戻りたいと考えていたのかも。
――――
文庫版p.133
亡き父が残した読書ノートに「戻りたい時」として書かれていた日時。父はいったい何を望んでいたのか。残された息子は父のかわりにその時へと戻ってみるが……。
『最後のファン』
――――
もう二度と「昔」に戻りたくはない。
それはわかっているのに、どうしても彼女に会いたくてたまらなかった。
香保子は、再びあのサイトの日付をクリックした。
お決まりの言葉が出てくる。まったく同じだった。
行くべき場所もわかっている。
こんなチャンス、二度も巡ってくるなんて普通ないはず。あたしは恵まれている。
これで彼女に会える。
だが、会ってどうしろと? 彼女にそのまま書き続けてほしいと伝えることはできない。
それでも香保子は、彼女の作品が読みたいと思うのだ。
――――
文庫版p.201
ある時点で過去を改変して違う人生を歩んだとしたら、もとの自分やその人生はどこに消えてしまうのか。悲惨な人生は、間違っているから削除して「なかったこと」にすればそれでいいのだろうか。過去改変後、もう一度タイムトラベルのチャンスを得た語り手は、過去の自分と会う決意をするが……。
いろいろ考えていると、余計にわからなくなってくる。それであきらめる人もたくさんいるのだろうな、と思う。まず怪しげなサイトの数列をクリックする勇気があるか、というところからだし、場所にもし心当たりがあったとしても、本気にしないとか、細かい条件がわからなくて面倒になるとか――そうしているうちに、ひっそりと時空の狭間は消えていく。
そういう想像を、十代の頃によくしたな、と思い出す。タイムマシンなんて、自分の生きている間にできあがることはないだろうが、時空の狭間ならばふいに出てくるかもしれない。巡り合わせの問題でしかないんじゃないだろうか。
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文庫版p.143
「あなたのための時空の狭間が、ここにあるかもしれません」
真っ黒の背景にそんな言葉が浮かび上がる、あからさまに怪しいサイト。そこに並ぶ過去の日時のなかに、戻りたいとずっと願っていたまさにそのときが含まれていたら、あなたはそれをクリックしますか?
ぶたぶたシリーズで知られる著者による新シリーズは、過去に戻るチャンスを得た人々の物語です。過ちを正すために、真実を知るために、誰かにもう一度会うために。様々な理由で謎サイトの日時をクリックした彼らの様々な体験をえがく第一作は、5篇を収録した連作短編集。文庫版(角川春樹事務所)出版は2021年11月です。
[収録作品]
『誕生日をプレゼント』
『あなたのため』
『メッセンジャー』
『父のかわりに』
『最後のファン』
『誕生日をプレゼント』
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でも、何が起こっても起こらなくても、きっと忘れられない思い出になるだろう。由真が生まれた日に、本人が戻る? それを計画したのは、生んだ母?
もし今後、由真に子供ができたとしたら、ぜひ話したいエピソードだ。確実に笑いや驚きをもたらすだろう。つかみだけで充分面白い。
さてオチはどうなるのか――それはこれからわかる。
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文庫版p.19
もしも自分が生まれた瞬間に立ち会えるとしたら……。いったい何が起きるのだろう。
本シリーズにおけるタイムトラベルのお作法を教えてくれる導入話。
『あなたのため』
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何かのいたずらのサイトと考えるのが妥当だろう。なんの目的で作ったのか、皆目見当もつかないが。
でも、織衣はそのページから移動できなかった。身体の震えが止まらない。
織衣にとってこの数列は、ある年月日と時間を表していた。他の数列も、おそらくそうなのだろう。だが、織衣に関係あるのはこの一つだけ。忘れたくても忘れられない日。後悔とともにいつも思い出す日だ。
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文庫版p.48
後悔してもしきれない過去の過ち、それを正すチャンスが与えられたとしたら……。はたして過去の行動を止めることで現在は、人生は、変わるのだろうか。誰もが思う「やっちまったことを取り消すことで、その結果も消えてほしい」というよく考えたら身勝手な願望を正面から扱ったビターな作品。
『メッセンジャー』
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むつ子さんは認知症のため、施設に入っている。宏伸はたまに訪ねるのだが、最近彼女は「ばあちゃん」の話をすると泣くようになった。
「あたしがばあちゃんを殺したのかもしれない」
最初に聞いた時は仰天した。そんなことを告白されるとは、思ってもみなかったから。
「それはないでしょ」
宏伸は、とっさにそう返すしかない。けれどむつ子さんは、
「ばあちゃん、ばあちゃんに会いたい。ごめんなさいって言いたい」
そう言って、ずっと涙を流す。
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文庫版p.90
「あたしがばあちゃんを殺したのかもしれない。会ってごめんなさいって言いたい」
泣きながらそう繰り返す祖母。その日その時、いったい何があったのか。謎サイトでその日時を見つけた孫は、祖母のために時空の狭間へ向かう……。
『父のかわりに』
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誰にだって戻りたい日や時があるんじゃないのかな。小説を読んで、父はきっと思い出したのだろう。それだけ印象的な出来事があったに違いない。
順也にももちろん、戻りたいと思う過去がいくつかある。二十代は特に、バカなことをして人を傷つけたり、ちゃんと謝れなかったり――ずっと連絡をしていない友人などもいる。が、父のように年老いてからもこうなふうに思い返したり、具体的な日付をいつまでも覚えているほど切実だろうか。四十代の今でも記憶は薄れているし、だいたい過去には戻れないのだし。
しかし、自分は父ではないからわからない。もちろん、どんなことで戻りたいと考えていたのかも。
――――
文庫版p.133
亡き父が残した読書ノートに「戻りたい時」として書かれていた日時。父はいったい何を望んでいたのか。残された息子は父のかわりにその時へと戻ってみるが……。
『最後のファン』
――――
もう二度と「昔」に戻りたくはない。
それはわかっているのに、どうしても彼女に会いたくてたまらなかった。
香保子は、再びあのサイトの日付をクリックした。
お決まりの言葉が出てくる。まったく同じだった。
行くべき場所もわかっている。
こんなチャンス、二度も巡ってくるなんて普通ないはず。あたしは恵まれている。
これで彼女に会える。
だが、会ってどうしろと? 彼女にそのまま書き続けてほしいと伝えることはできない。
それでも香保子は、彼女の作品が読みたいと思うのだ。
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文庫版p.201
ある時点で過去を改変して違う人生を歩んだとしたら、もとの自分やその人生はどこに消えてしまうのか。悲惨な人生は、間違っているから削除して「なかったこと」にすればそれでいいのだろうか。過去改変後、もう一度タイムトラベルのチャンスを得た語り手は、過去の自分と会う決意をするが……。
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