『ヌシ 神か妖怪か』(伊藤龍平) [読書(オカルト)]
――――
これらのヌシたちは、いずれも人知では測れない強大な霊力を持ち、その場所に君臨している。ヌシが自分のテリトリーを離れることはめったにないので、その場所に近づかなければ危害を加えられることはない。しかしながら、ヌシの棲む場所が人の生活圏と重なる場合は緊張関係が生まれる。人が生きるのに水が必要不可欠である以上、ヌシの棲む水域と無縁でいるのは難しい。われわれの先祖はヌシとつかず離れずの関係を保ちながら、日々を過ごしてきた。ヌシとともに歴史を紡いできたのだ。
本書は、ありそうでなかったヌシについての本である。こんにち、民俗学関連の事典類で「ヌシ」が立項されているものは皆無に近い。龍や蛇、河童を論じた本や、水の神や山の神を論じた本は多く、それらのなかでヌシについてふれられることはある。また、特定の地域のヌシ伝承を対象とした論文もある。しかし、どういうわけか、日本のヌシ伝承を総括的に取り上げた本はないようだ。
――――
単行本p.6
同じ場所に棲んで長い歳月を生き抜き、強い霊力を持つに至った特別な個体。主に池や沼など淀んだ水に潜む謎多き「ヌシ」たち。妖怪とも神とも違う、怪異存在としてのその独特な位置づけを探る一冊。単行本(笠間書院)出版は2021年8月です。
ネットで発生する怪異譚をテーマにした『ネットロア』、台湾における怪談の流布をテーマとした『現代台湾鬼譚』の著者による、妖怪とも神とも違う、どうやら日本特有の怪異存在らしい「ヌシ」についての研究考察をまとめた最新作です。ちなみに私が読んだことのある旧作の紹介はこちら。
2018年10月04日の日記
『何かが後をついてくる』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-10-04
2016年05月16日の日記
『ネットロア ウェブ時代の「ハナシ」の伝承』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-05-16
2014年02月06日の日記
『現代台湾鬼譚 海を渡った「学校の怪談」』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2014-02-06
〔目次〕
序 ヌシと日本人
第一章 英雄とヌシ
第二章 神・妖怪とヌシ
第三章 ヌシとのつきあい方
第四章 ヌシの種類
第五章 ヌシの行動学
第六章 ヌシの社会
第七章 ヌシVSヌシ
第八章 ヌシが人になる
第九章 人がヌシになる
第十章 文学のなかのヌシ
第十一章 現代のヌシ
後書 ヌシの棲む国
第一章 英雄とヌシ
第二章 神・妖怪とヌシ
第三章 ヌシとのつきあい方
――――
ヌシはヌシとして生まれるのではない。悠久の時を超えていくことによって、少しずつ少しずつ、生物はヌシへと変化していくのだ。
このことは、ヌシが、生の延長線上にある存在であることを示している。生物が死んだのちにヌシになることもあるが、そうした例はまれである。たいがいは、死というプロセスを経ずに、ただ長く生き続けることによって、生物はヌシ化する。生きものは、生きつづけることによって、べつの何かになるのである。そして、いったんヌシ化したのちは、英雄に退治される以外に死ぬことはない。ヌシとは、生物でありながら生死を超越した存在なのだ。
――――
単行本p.23
淀んだ場所に長く棲み、そこから離れようとしない。巨大化など身体的な特徴と尋常でない能力を持っている。人身御供を要求したり、英雄に退治されたり。伝承にあらわれるヌシの姿を俯瞰し、ヌシとは何かを考えるための出発点を明らかにします。
第四章 ヌシの種類
第五章 ヌシの行動学
――――
すでに述べたように、河川沼沢に潜む水棲のヌシが圧倒的に多く、次いで深山幽谷に潜む陸棲のヌシ、そして、古城廃屋に棲むヌシと続く。そのほかはバリエーションに乏しい。
――――
単行本p.72
蛇、龍、ウナギ、コイ、ナマズ、カニ、カメ、ヤマメ、イワナ、アユ、カエル、トカゲ、サンショウウオ、クモ、牛……。各地に残る伝承のなかでヌシの正体とされた様々な動物をならべ、襲う・さらう・祟る・毒を吐く・昇天する・修行する・子孫を残すなど、その行動パターンを分類します。その上で民俗学的になぜなのかを考察してゆきます。
第六章 ヌシの社会
第七章 ヌシVSヌシ
――――
ここで注目されるのは、どうやらヌシにはヌシの社会があるらしい、ということである。この手紙の文面は、人間世界の礼状とほぼ同じ。お歳暮やお中元の贈答もしているのではないだろうか。ひとつ所に蟠っているのが、ヌシをヌシたらしめている条件だと先に書いたが、そのじつ、遠方の河川沼沢のヌシとも、頻繁に連絡を取りあっていた。
――――
単行本p.117
手紙のやり取り、ご贈答の交換、ときに秘密の地下水脈を通って互いのテリトリーを行き来するなど、ヌシにはヌシの付き合いがあるらしい。ときにはヌシ同士で争ったり、大規模な戦争に発展したり、さらには人間に助太刀を求めたりする。意外に人間くさいヌシたちの社会生活について考察します。
第八章 ヌシが人になる
第九章 人がヌシになる
――――
ヌシが人の姿になるということは、一面では、人間界へと取り込まれることを意味している。さらにいえば、ヌシが人語を話すこと自体、人間界のフレームに入れられているともいえよう。これは人がヌシ=自然を統御できるようになったことの表れである。人とコミュニケーションを取り始めた瞬間から、神性の矮小化が始まっているのである。
――――
単行本p.160
人間が環境破壊を企てたとき、天変地異を起こして懲らしめるようなヌシばかりではない。人の姿に化けてお願いをしたり交渉を試みるヌシもいる。ヒトに化けて結婚するヌシもいる。逆に絶望して死んだ人間や禁忌をおかした人間がヌシになるパターンもある。人間とヌシの距離が近づくことをどう解釈すればよいのだろうか。
第十章 文学のなかのヌシ
第十一章 現代のヌシ
――――
要するに、領域侵犯をした人類にたいする警告で、ここにヌシの発想が見られる。宇宙は、20世紀に見いだされた新たなヌシの棲みかだった。留意すべきは二点。ひとつは、ヌシが警告する相手が、地球人類全体となっていること。宇宙時代になって、話もスケールアップしたのだ。もうひとつは、ナメゴンそのものはヌシではないこと。この場合、劇中に一度も姿を現さない宇宙人こそがヌシで、ナメゴンはミサキ(神の使い)の立ち位置にある。
――――
単行本p.219
文学作品に登場するヌシ、未確認動物UMAとして語られるヌシ、怪獣や宇宙人の姿をかりて人類に警告を与えるヌシ。古くから神話伝承のなかで語られてきたヌシは、今も様々な形で新たに語り継がれているのだ。
これらのヌシたちは、いずれも人知では測れない強大な霊力を持ち、その場所に君臨している。ヌシが自分のテリトリーを離れることはめったにないので、その場所に近づかなければ危害を加えられることはない。しかしながら、ヌシの棲む場所が人の生活圏と重なる場合は緊張関係が生まれる。人が生きるのに水が必要不可欠である以上、ヌシの棲む水域と無縁でいるのは難しい。われわれの先祖はヌシとつかず離れずの関係を保ちながら、日々を過ごしてきた。ヌシとともに歴史を紡いできたのだ。
本書は、ありそうでなかったヌシについての本である。こんにち、民俗学関連の事典類で「ヌシ」が立項されているものは皆無に近い。龍や蛇、河童を論じた本や、水の神や山の神を論じた本は多く、それらのなかでヌシについてふれられることはある。また、特定の地域のヌシ伝承を対象とした論文もある。しかし、どういうわけか、日本のヌシ伝承を総括的に取り上げた本はないようだ。
――――
単行本p.6
同じ場所に棲んで長い歳月を生き抜き、強い霊力を持つに至った特別な個体。主に池や沼など淀んだ水に潜む謎多き「ヌシ」たち。妖怪とも神とも違う、怪異存在としてのその独特な位置づけを探る一冊。単行本(笠間書院)出版は2021年8月です。
ネットで発生する怪異譚をテーマにした『ネットロア』、台湾における怪談の流布をテーマとした『現代台湾鬼譚』の著者による、妖怪とも神とも違う、どうやら日本特有の怪異存在らしい「ヌシ」についての研究考察をまとめた最新作です。ちなみに私が読んだことのある旧作の紹介はこちら。
2018年10月04日の日記
『何かが後をついてくる』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-10-04
2016年05月16日の日記
『ネットロア ウェブ時代の「ハナシ」の伝承』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-05-16
2014年02月06日の日記
『現代台湾鬼譚 海を渡った「学校の怪談」』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2014-02-06
〔目次〕
序 ヌシと日本人
第一章 英雄とヌシ
第二章 神・妖怪とヌシ
第三章 ヌシとのつきあい方
第四章 ヌシの種類
第五章 ヌシの行動学
第六章 ヌシの社会
第七章 ヌシVSヌシ
第八章 ヌシが人になる
第九章 人がヌシになる
第十章 文学のなかのヌシ
第十一章 現代のヌシ
後書 ヌシの棲む国
第一章 英雄とヌシ
第二章 神・妖怪とヌシ
第三章 ヌシとのつきあい方
――――
ヌシはヌシとして生まれるのではない。悠久の時を超えていくことによって、少しずつ少しずつ、生物はヌシへと変化していくのだ。
このことは、ヌシが、生の延長線上にある存在であることを示している。生物が死んだのちにヌシになることもあるが、そうした例はまれである。たいがいは、死というプロセスを経ずに、ただ長く生き続けることによって、生物はヌシ化する。生きものは、生きつづけることによって、べつの何かになるのである。そして、いったんヌシ化したのちは、英雄に退治される以外に死ぬことはない。ヌシとは、生物でありながら生死を超越した存在なのだ。
――――
単行本p.23
淀んだ場所に長く棲み、そこから離れようとしない。巨大化など身体的な特徴と尋常でない能力を持っている。人身御供を要求したり、英雄に退治されたり。伝承にあらわれるヌシの姿を俯瞰し、ヌシとは何かを考えるための出発点を明らかにします。
第四章 ヌシの種類
第五章 ヌシの行動学
――――
すでに述べたように、河川沼沢に潜む水棲のヌシが圧倒的に多く、次いで深山幽谷に潜む陸棲のヌシ、そして、古城廃屋に棲むヌシと続く。そのほかはバリエーションに乏しい。
――――
単行本p.72
蛇、龍、ウナギ、コイ、ナマズ、カニ、カメ、ヤマメ、イワナ、アユ、カエル、トカゲ、サンショウウオ、クモ、牛……。各地に残る伝承のなかでヌシの正体とされた様々な動物をならべ、襲う・さらう・祟る・毒を吐く・昇天する・修行する・子孫を残すなど、その行動パターンを分類します。その上で民俗学的になぜなのかを考察してゆきます。
第六章 ヌシの社会
第七章 ヌシVSヌシ
――――
ここで注目されるのは、どうやらヌシにはヌシの社会があるらしい、ということである。この手紙の文面は、人間世界の礼状とほぼ同じ。お歳暮やお中元の贈答もしているのではないだろうか。ひとつ所に蟠っているのが、ヌシをヌシたらしめている条件だと先に書いたが、そのじつ、遠方の河川沼沢のヌシとも、頻繁に連絡を取りあっていた。
――――
単行本p.117
手紙のやり取り、ご贈答の交換、ときに秘密の地下水脈を通って互いのテリトリーを行き来するなど、ヌシにはヌシの付き合いがあるらしい。ときにはヌシ同士で争ったり、大規模な戦争に発展したり、さらには人間に助太刀を求めたりする。意外に人間くさいヌシたちの社会生活について考察します。
第八章 ヌシが人になる
第九章 人がヌシになる
――――
ヌシが人の姿になるということは、一面では、人間界へと取り込まれることを意味している。さらにいえば、ヌシが人語を話すこと自体、人間界のフレームに入れられているともいえよう。これは人がヌシ=自然を統御できるようになったことの表れである。人とコミュニケーションを取り始めた瞬間から、神性の矮小化が始まっているのである。
――――
単行本p.160
人間が環境破壊を企てたとき、天変地異を起こして懲らしめるようなヌシばかりではない。人の姿に化けてお願いをしたり交渉を試みるヌシもいる。ヒトに化けて結婚するヌシもいる。逆に絶望して死んだ人間や禁忌をおかした人間がヌシになるパターンもある。人間とヌシの距離が近づくことをどう解釈すればよいのだろうか。
第十章 文学のなかのヌシ
第十一章 現代のヌシ
――――
要するに、領域侵犯をした人類にたいする警告で、ここにヌシの発想が見られる。宇宙は、20世紀に見いだされた新たなヌシの棲みかだった。留意すべきは二点。ひとつは、ヌシが警告する相手が、地球人類全体となっていること。宇宙時代になって、話もスケールアップしたのだ。もうひとつは、ナメゴンそのものはヌシではないこと。この場合、劇中に一度も姿を現さない宇宙人こそがヌシで、ナメゴンはミサキ(神の使い)の立ち位置にある。
――――
単行本p.219
文学作品に登場するヌシ、未確認動物UMAとして語られるヌシ、怪獣や宇宙人の姿をかりて人類に警告を与えるヌシ。古くから神話伝承のなかで語られてきたヌシは、今も様々な形で新たに語り継がれているのだ。
タグ:その他(オカルト)