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『ブルグミュラー25』(近藤良平、斉藤美音子、森下真樹、中村理、中村蓉、堀菜穂) [ダンス]

 2021年9月12日は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って公演を鑑賞しました。芸術監督に就任した近藤良平さんがいろいろ仕掛ける、彩の国さいたま芸術劇場オープンシアター「ダンスのある星に生まれて2021」、その一部として上演された『ブルグミュラー25』です。日本ではピアノの教則本としても知られているブルグミュラー作曲「25の練習曲」を踊る作品です。上演時間は70分ほど。

 2012年11月に神楽坂セッションハウスで初演され、その豪華メンバーで話題となった作品の、なんと初演メンバーが再集結した再演です。あれから十年近く経った今、よくこれだけの人をまた集めたなーと感心します。さいたま芸術劇場の芸術監督というのはやっぱりすごいんだな。


〔キャスト他〕
構成・演出・振付: 近藤良平
ピアノ演奏: 廣澤麻美
出演: 斉藤美音子、森下真樹、中村理、中村蓉、堀菜穂、近藤良平


 ごく短いブルグミュラーの練習曲ひとつひとつに、曲のイメージに合わせたショートコントみたいなダンスを合わせてゆきます。化粧とか買い物とか部活とか、ありがちな日常風景をダンスによって描写する楽しい作品。オチがある作品もあればない作品も、ときには人形劇(スクリーンにリアルタイム撮影映像が投影されたりしてコンドルズ風味)もあり。なお、一部の作品は初演時とはオチが少し変更されています。

 とにかくみんなすごいダンサーさんなので動きは鋭く、流れるように場面転換してゆき、飽きさせません。斉藤美音子さんの正体不明というかある種の妖怪感はさらに研ぎ澄まされているし、森下真樹さんの迫力と謎めいたキュートさもパワーアップしていて、めちゃめちゃ嬉しい。この十年という歳月を、とりあえず棚置きして心から楽しめる貴重な時間でした。





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『ネコは言っている、ここで死ぬ定めではないと』(春日武彦、穂村弘、ニコ・ニコルソン:イラスト) [読書(随筆)]

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穂村
 そういえば、街角のキリスト教系の看板に「神は言っている、ここで死ぬ定めではないと」って言葉があるらしいのね。経緯はわからないけど、それがゲームの台詞とかTシャツの文言になったりして、ある種のパロディのようにひろまってるんだって。その流れで、「神」という字の一部分がかすれて「ネコ」になっていた、みたいな面白画像も目にしたよ。

春日
 「ネコは言っている、ここで死ぬ定めではないと」か。一見すると、パチンコ屋のネオンサインが1文字切れて、まったく違う意味になってしまった系の笑い話だけど、今の俺たちには、ちょっとした啓示の言葉のように響かなくもないね。
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単行本p.239


 精神科医と歌人が様々な観点から「死」について語り合った対談集。単行本(イースト・プレス)出版は2021年7月です。


〔目次〕

序章 俺たちはどう死ぬのか?
第1章 俺たちは死をどのように経験するのか?
第2章 俺たちは「死に方」に何を見るのか?
第3章 俺たちは「自殺」に何を見るのか?
第4章 俺たちは死を前に後悔するのか?
第5章 俺たちは死にどう備えるのか?
第6章 俺たちは「晩節」を汚すのか?
第7章 俺たちは「変化」を恐れずに死ねるのか?
第8章 俺たちは死を前に「わだかまり」から逃げられるのか?
第9章 俺たちは「死後の世界」に何を見るのか?
第10章 俺たちにとって死は「救い」になるのか?
第11章 俺たちは「他人の死」に何を見るのか?
第12章 俺たちは「動物の死」に何を見るのか?
第13章 俺たちは一生の大半を費やすことになる「仕事」に何を見るか?
第14章 俺たちは、死にどんな「幸福」の形を見るか?




 テーマは重いのですが、あまり深刻な会話にはなりません。両名とも自分の得意ネタを駆使して読者を面白がらせようとしてくれます。例えば、穂村さんの発言は次のようなもの。


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穂村
 うーん……僕は家でどら焼きとか食べながらコーヒー飲んで、諸星大二郎とか読んでるような生活ができるなら、それでいいかな(笑)。別にダイヤモンド要らない。でも前に、そうしたマインドを作家の友だちに怒られたことがあるよ。「世界には飢えている人もいれば、性的少数者として苦しんでいる人もいる。そういう現実がある中で、諸星大二郎読んでどら焼き食ってれば自分はいいんです、って言っちゃう人は物書きとしてダメ」って(苦笑)。自分はここでちまちま遊んでいられれば、それ以上は望みません――みたいなのは、やっぱりダメなのかな?
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単行本p.228


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穂村
 僕が嫌だと思う死に方は苦しいの全般なんだけど、そうじゃない死に方ってないのかな? 例えば、猫が可愛すぎて死んじゃうとか、そういうメカニズムはないのかしら。「可愛い!」という気持ちがある一定量を超えて、幸せのまま死に至る、みたいなの。それなら僕も「まあいっか」と思えそうなんだけど。
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単行本p.50


 春日さんの発言はこんな感じ。


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 例えば、ホテイのやきとりの缶詰があるじゃない? あれ、今は違うんだけど、昔は缶にプラスチックのキャップが掛かってて、そこに爪楊枝が2本入ってたんだよね。つまり今ここにあったら、穂村さんと俺とであれを順ぐりにつまみながらカップ酒かなんかを飲むわけ。そういう情景を具体的にイメージさせるところに、すごく感動する。1本じゃなくて2本ある爪楊枝に、いわば人間の善なるものを感じて嬉しくなるの。そういうものの方が、俺にとっては宝くじが当たった! とかより遥かに重要なの。
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単行本p.231


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春日
 産婦人科に勤めていた頃、当直してたら、急に具合が悪くなったという飛び込みの患者があって。急いで病室を用意したんだけど、そしたら突然ベッドのまわりをぐるぐる回り出してさ。とりあえず横にならせたんだけど、その後、突然鬼瓦みたいな、まるで映画『エクソシスト』(1973年)のリンダ・ブレアみたいな凄まじい表情になって、同時にうんち漏らして死んでた。
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単行本p.51


 こういう二人が、こういう風に盛り上がるわけです。


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春日
 本当は生きているうちに苦痛の原因が取り除かれたり、「負の呪縛」から逃れられたらいいんだけど、仮に問題が魔法のように解消されたとしても、面倒なことに「そんなわけがない、これは例外だ」とかも思いそうな気がするんだよね。

穂村
 ああ、にわかに信じがたい、と。

春日
 そうそう。「おかしい、罠だ!」って。

穂村
 「俺を油断させといて、何をする気なんだ!?」と思ってしまうわけね。じゃあさ、先生の本がベストセラーになって、本屋の棚一つが丸っと自著で埋まるようなことがあっても喜べない?

春日
 うん、相当に悪辣な策略が仕掛けられていると思うだろうな。

穂村
 俺をベストセラー作家にしようとする陰謀が! みたいな(笑)。

春日
 で、俺が「サインでもしましょうか」と出てきたら、上からバケツに入った豚の血が降ってくる(笑)。
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単行本p.161





タグ:穂村弘
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『プラテーロと私 4』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

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プラテーロはまだ小さいが、毛並みが濃くてなめらか。外がわはとてもふんわりしているので、からだ全体が綿でできていて、中に骨が入っていない、といわれそうなほど。ただ、鏡のような黒い瞳だけが、二匹の黒水晶のかぶと虫みたいに固く光る。
(中略)
 かわいらしくて甘えん坊だ、男の子みたいに、女の子みたいに……けれどもしんは強くてがっしりしている、石のように。日曜日、プラテーロにまたがってわたしが町はずれの路地をとおると、こざっぱりした身なりでぶらぶらやってくる村びとたちが、足をとめてプラテーロをじっと見送る――
 「筋金入りじゃ」
 そのとおり、筋金入りだ。鋼づくり、そして同時に、月の銀いろ。
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『プラテーロとわたし』(J.R.ヒメーネス著、長南実:翻訳)より


 2021年9月4日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って佐東利穂子さんの公演を鑑賞しました。勅使川原三郎さんが原作を朗読し、佐東利穂子さんがロバのプラテーロを踊る上演時間一時間ほどの作品です。

 活発でかわいらしく、でも芯はとても強い、ロバのプラテーロを佐東利穂子さんが踊ります。舞台装置はなく、照明だけで、例えば舞台上に井戸を作り出してみせる印象的な演出。佐東利穂子さんのダンスも快活で楽しそうに見えます。ちゃんとロバに見えるところがすごい。蝶を追っているときは本当に蝶を追っているプラテーロに見えますし、「ボール紙のプラテーロ」が登場するシーンでは本当にボール紙で作ったプラテーロがそこに見えるのです。

 後半は魂のダンスになりますが、ここからが凄くて、もう感動に圧倒されます。ごく小さなステージが広大な空間に感じられ、そこにいる儚くも力強いプラテーロを、詩人とともに遠くから見守っている気持ち。心理的になかなか劇場にゆけなくなっている昨今ですが、やはり目の前で踊っているのを見守るという体験は特別なものだと改めて思いました。





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