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『2000年代海外SF傑作選』(橋本輝幸:編) [読書(SF)]

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 90年代以降、特定のサブジャンルが界隈の話題を独占するようなことはなかったが、トレンドをひとことで言えば複雑な世界観、不安の投影、ジャンルやサブジャンルの相互越境が特徴的だった。(中略)
 新たなミレニアムは平和な日常の劇的な崩壊に見舞われた。個人の日常を揺るがしたのはテロだけではない。2008年、米国の経済危機(リーマン・ショック)は世界各国に連鎖的にダメージを与えた。
 車は空を飛ばず、市井の人々にとっては宇宙は遠く、我々は不安に満ちた世界の渦中にいた。
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文庫版p.467


 生々しい冷戦の記憶とテロの恐怖。経済成長神話の終わり。インターネットの急激な普及と世代間の断絶。混迷と不安の時代にSFは何を書いたのか。2000年代を代表する翻訳SF九編を収録したアンソロジー。文庫版(早川書房)出版は2020年11月です。


【収録作品】

『ミセス・ゼノンのパラドックス』(エレン・クレイジャズ)
『懐かしき主人の声』(ハンヌ・ライアニエミ)
『第二人称現在形』(ダリル・グレゴリイ)
『地火』(劉慈欣)
『シスアドが世界を支配するとき』(コリイ・ドクトロウ)
『コールダー・ウォー』(チャールズ・ストロス)
『可能性はゼロじゃない』(N・K・ジェミシン)
『暗黒整数』(グレッグ・イーガン)
『ジーマ・ブルー』(アレステア・レナルズ)




『懐かしき主人の声』(ハンヌ・ライアニエミ)
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 ぼくのヘルメット・レーザーが藍色の夜空をめがけ、1ナノ秒間、祈りの光を放った。天空の〈荒野〉に1量子ビットを送るなら、1ナノ秒もあればいい。そして、待った。ぼくのしっぽが、ひとりでに左右に振れはじめる。腹の中には低い緊張の唸りが高まっていく。
 スケジュールどおり、赤いフラクタル・コードの豪雨が降りはじめた。ぼくのARビジョンが負荷にあえぎだす。雨季の大雨のようにネクロポリスに降りそそぐ高密度な情報の奔流を処理しきれなくなったのだ。鎖でつづった北極光がちらつき、消滅した。
「いけ!」猫に叫んだ。ぼくの中で奔放な歓びがはじける。夢の中で〈小動物〉を追うのと同じあの歓びだ。「いまだ、いけ!」
 猫が虚空にジャンプした。アーマーの翼がぱっと開き、氷のように冷たい風をつかむ。
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文庫版p.18

 主人を連れ去られ、取り残されてしまった犬と猫。彼らは飼い主を取り戻すべく世界に戦いを挑んでゆく。犬猫コンビが活躍するサイバーアクション小説。テンポよく繰り出される文章とガジェットの魅力で一気に読ませます。


『地火』(劉慈欣)
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「わからん。ただ、不安なだけだ。きみたちは国のエンジニアだから、わたしに口をはさむ権限はない。しかし、新しい技術には、たとえ成功したように見えても、つねに潜在的危険がある。この数十年、そういう危険を少なからず見てきた。(中略)それでもやはり、きみには感謝している。石炭産業の未来に対する希望を、この老人に見せてくれた」火柱をしばらく見つめてから、局長は言った。「お父さんも喜んでいるだろう」
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文庫版p.126

 地下炭層燃焼により炭鉱をガス田に変える。最新テクノロジーにより制御される石炭地下ガス化プロジェクトに挑む若き技術者。だが、人類は新しい技術を、地中の炎を、コントロールすることが出来るだろうか。『三体』で世界のSF界をゆるがした著者による自伝的要素を含む作品。どうしても原発事故を重ねて読んでしまう。


『シスアドが世界を支配するとき』(コリイ・ドクトロウ)
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 ぼくたちはみんなネットワークに対する想いや願いを共有し、そこでの自由を愛しているはずだ。その一方で、世界でもっとも重要な組織や政府にかかわるツールをあつかってきた経験もある。今や、まがりなりにも世界を管理できそうな立場にあるのは、ぼくたちだけだろう。ジュネーブはクレーターと化した。イースト・リヴァーは火の海だ。国連本部には誰も残っちゃいない。
 サイバースペース分散共和国はこの嵐をほとんど無傷でやりすごした。ぼくたちの手許にあるのは、滅びることのない、ものすごい、最高のマシンだ。これなら、もっといい世界を築きあげることも可能だろう。
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文庫版p.202

 同時多発大規模テロにより壊滅した世界。だが、それでも滅びないものがある。それがインターネットだ。生きのびたシスアド(システム管理者)たちが世界各地の拠点に集まり、ネットを、世界を、救おうと奮闘する。ギークたちの地獄と楽園をえがく作品。今となってはネットに対する素朴な信頼と希望がまぶしすぎる。


『コールダー・ウォー』(チャールズ・ストロス)
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「連中は化け物を目覚めさせた。そしてコントロールできなくなっている。信じられるか?」
「ええ、信じられますよ」
「明日の朝、またデスクについてくれ、ロジャー。あのトゥルーという怪物になにができるかを突きとめる必要がある。どうすれば止められるかを突きとめる必要があるんだ。イラクなんかどうだっていい。イラクはもう地図上の煙を上げている穴だ。だがK-トゥルーは大西洋岸に向かってるんだ。もしも止められなかったら、いったいどうなる?」
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文庫版p.310

 冷戦(コールド・ウォー)のさなか、ソ連がショゴスを実戦配備したとの報告が世界をゆるがす。米国の諜報員である主人公は東西軍事均衡を保つために奔走するが、恐れていた事態がついに現実となってしまう。最終兵器、コードネーム「K-トゥルー」が目覚めてしまったのだ……。例のネタを使って東西冷戦を皮肉るパロディスパイ小説。


『暗黒整数』(グレッグ・イーガン)
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 ぼくは、ふたりの友人とともに、ぼくたち自身の世界と同じ場所に存在しているが目には見えない幻の世界と結んだ協定の、円滑な運用をゆだねられている。幻の世界は決して敵ではないが、これは人類史上もっとも重要な協定だ。どちらの側も、核兵器によるホロコーストが針で刺された痛み程度に思えるような完璧さで、相手側を灰燼に帰す力を持っているのだから。
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文庫版p.352

 物理現象はすべて数学的演算だ。ゆえに異なる公理系に基づく複数の数論体系ごとにそれに対応する物理現実が存在する。そして、両現実に共通する真偽未定命題の真偽を演算により確定させることで相手側の数論体系を攻撃できるとしたら……。名作『ルミナス』の続編で、数論攻撃による純粋数学的冷戦を描きます。すごくイーガン。





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