SSブログ

『それはあくまで偶然です 運と迷信の統計学』(ジェフリー・S・ローゼンタール、石田 基広:監修、柴田裕之:翻訳) [読書(サイエンス)]

――――
 統計学は素晴らしく、役に立ち、重要で、発展中の領域だ。ただし、一つだけ小さな問題がある。誰もが大嫌いなのだ。(中略)何をしているのか訊かれると、今度は、統計学者です、と答えるようになった。すると、いちばん一般的な反応は何だったか? 「統計の授業はほんとうに大嫌いでした」だった。そうなのだ。そんなことがありうるとは思えなかったけれど、ほとんどの人は、数学が大嫌いなばかりか、それに輪をかけて統計学が嫌いなのだ。(中略)
 けれど、それは残念な話だ。なぜなら、統計学は本来、たった一つの単純で直感的で重要な疑問、すなわち、それはただの運なのか、という疑問についての学問なのだから。
――――
単行本p.174


 珍しいと思える出来事が起きたとき、それは何らかの魔法的な力が働いた証拠なのだろうか、それとも単なる偶然なのか。それを見分けるのが統計学だ。運命の出会い、奇跡の出来事、カルマ、超能力、ジンクス、運に関する超自然的な説明を統計学でばっさばっさ斬ってゆくサイエンス本。単行本(早川書房)出版は2021年1月、Kindle版配信は2021年1月です。


――――
 何が原因で何が起こり、何が何も引き起こさなかったかという観点から、私がこの世界を論理的に解明しようとするときにはいつでも、私は世の中をつまらなくしていると苦情を言う人が必ずいる。
「あなたは、せっかくの楽しみに水を差しているのではないですか?」と彼らは尋ねる。
 彼らは、熱心に願えば、宝くじのジャックポットを勝ち取る助けになることを期待しているのに対して、私は無情な統計学を使って、宝くじで大当たりするよりも宝くじ券を買いに行く途中で死ぬ可能性のほうが高いなどと言う。彼らは完璧な人生の伴侶を見つけるのを「運命」が助けてくれると想像するのに対して、私は思いがけず誰かに出会う確率を冷徹に計算する。彼らは魔法のような力が自分の宿命をコントロールしていると空想するのに対して、私は人の人生は無情な自然の物理法則によって支配されていると言い張る。「それだけのことでしかないのですか?」と彼らは問う。(中略)
 これにはがっかりする人が多いことは承知している。けれど、落胆するべきではないと思う。私たちが暮らす世界は、たとえ超自然的現象が一つもないとしてもなお、すでに喜びと驚異的なもので満ちあふれていると思う。
――――
単行本p.386、387


〔目次〕

第1章 あなたは運を信じていますか?
第2章 ラッキーな話
第3章 運の力
第4章 私が生まれた日
第5章 私たちは魔法好き
第6章 射撃手の運の罠
第7章 運にまつわる話、再び
第8章 ラッキーなニュース
第9章 この上ない類似
第10章 ここらでちょっとひと休み──幽霊屋敷の事件
第11章 運に守られて
第12章 統計学の運
第13章 繰り返される運
第14章 くじ運
第15章 ラッキーな私
第16章 ラッキーなスポーツ
第17章 ラッキーな世論調査
第18章 ここらでちょっとひと休み──ラッキーなことわざ
第19章 正義の運
第20章 占星術の運
第21章 精神は物質に優る?
第22章 運の支配者
第23章 ラッキーな考察




第1章 あなたは運を信じていますか?
第2章 ラッキーな話
第3章 運の力
第4章 私が生まれた日
第5章 私たちは魔法好き
第6章 射撃手の運の罠
第7章 運にまつわる話、再び
第8章 ラッキーなニュース
第9章 この上ない類似
第10章 ここらでちょっとひと休み──幽霊屋敷の事件
――――
 投票の前日、同僚の政治学者にそそのかされて、この選挙に少額の賭けをした。もしクリントンが買ったら私が一ドル払い、もしトランプが勝ったら彼が私に二ドル払うというものだった。じつは私は、クリントンにはトランプの二倍以上の勝ち目があると踏んでいたけれど、面白そうだからというだけの理由で、その賭けをすることにした。だから、トランプが当選したとき、この結果にはがっかりだったものの、少なくとも同僚の鼻を明かして二ドル勝ったと、自分を慰めた。
 その後、なんともおかしなことが起こった。奇妙な、不快な気分になってきたのだ。その晩、眠りに落ちるときに、ひょっとしたらトランプが選挙で勝ったのは、私が彼の勝ちに賭けたからかもしれないと、知らず知らずのうちに恐れていた。私がトランプ政権の誕生を招いてしまったのかもしれない!(中略)私の馬鹿らしい賭けがどういうわけかあの驚愕の選挙結果の説明になると信じたい気持ちが、どこか私の中にあったようだ。何たる狂気。
――――
単行本p.73


 統計学を駆使して「それはあくまで偶然です」と説明しても、人は超自然的な原因を信じることを止めない。私たちは魔法が大好きなのだ。運に関する人間の思い込みのパターンと、そのような思い込みを招く典型的な統計学上の罠について解説します。




第11章 運に守られて
第12章 統計学の運
第13章 繰り返される運
第14章 くじ運
第15章 ラッキーな私
第16章 ラッキーなスポーツ
第17章 ラッキーな世論調査
第18章 ここらでちょっとひと休み──ラッキーなことわざ
――――
 私はすでに、これまでに受けてきた宝くじの確率にまつわる多くの疑問や、ジャックポットを勝ち取る可能性がとても低いこと、あれこれ違う数を選んでも勝ち目を増やせないこと、自分の可能性を高めるというさまざまな「システム」がじつは効果がないことなどを説明した。正直に言うと、途中でそうした説明に、少しうんざりしてきた。
――――
単行本p.224

 統計学の基本的概念を説明し、続いて統計学の威力が大いに発揮される分野、すなわち宝くじ、スポーツ、世論調査、における一般的な思い込みを覆してゆきます。




第19章 正義の運
第20章 占星術の運
第21章 精神は物質に優る?
第22章 運の支配者
第23章 ラッキーな考察
――――
 並外れた偶然の一致や幸運のお守り、魔法のような影響、神の介入といった奇妙で驚くべき話はどうなのか? 私はそれらが、運の罠や選択的観察、科学的原因、人間の思考で、すべて――そう、すべて――説明できると、心から信じている。これはあまり神秘的な見方ではないけれど、それでも、私たちの世界の運を先覚に要約している。それを承知したうえでなお、私たちはこの世界をありのままに受け入れ、喜びや幸せや成功を見つけられると、私は自信を持っている。
――――
単行本p.381


 裁判で取り上げられる証拠、占星術の有効性、超能力が存在する証拠、そういったものは本当なのだろうか。並外れた偶然の一致や珍しい出来事が生ずる確率を統計学によって分析してみると、あまり神秘的でない結論が出てくる。統計学は世の中を、凡庸でつまらない、退屈な場所にするための学問なのだろうか。運と思い込み、あるいはその否定が、私たちの世界観、宗教観に与えるものを考察します。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『UFO手帖4.1』(Spファイル友の会)重版&通販再開 [その他]

――――
ここにあるのは
合理的な解釈に至ろうとする道筋で
立ち止まらざるを得なかった
いくつかの断片です
――――


 気になる、どーしても気になる。目を逸らそうとしても、頭の隅にこびりついて離れない、あのこと。ジグソーパズルの余ったピースのように、どこにも置き場がなく、瑣末で、どうにも扱いに困る、そう、断片的なもの。

 超常同人誌「UFO手帖4.1」の特集は、UFO事件にまつわる“断片的なもの”を集めた「気になる!――断片的なもののUFO学」です。


[ニュース]随時更新します(最新更新:2021年3月16日)


2021年3月16日
ながらく在庫切れになっていたバックナンバー『UFO手帖4.0』を『UFO手帖4.1』として増刷(重版)し、通信販売を再開しました。

『UFO手帖4.1 特集:気になる!―断片的なもののUFO学』――UFO手帖4の増刷および通信販売再開のお知らせ
http://spfile.work/spf2/2331


2019年12月29日
12/30冬コミ委託頒布/通販冬季休業のお知らせ
http://sp-file.oops.jp/spf2/?p=1977


2019年12月1日
通販開始のお知らせ
http://sp-file.oops.jp/spf2/?p=1890
通販ページ(BASEネットショップ)
https://spfile.thebase.in/items/24931886


2019年11月24日
第二十九回文学フリマ東京、ブース番号「ノ-36」にて頒布
https://c.bunfree.net/p/tokyo29/16991


2019年11月23日
Spファイル友の会ホームページに表紙解説が掲載
【UFO手帖4.0】表紙の絵について――『夜の美しさ』
http://sp-file.oops.jp/spf2/?p=1861


2019年11月15日
Spファイル友の会ホームページで情報公開
http://sp-file.oops.jp/spf2/?p=1832


[感想、紹介など]随時更新します(最新更新:2019年12月21日)


2019年12月21日
「映画秘宝」2020年2月号で紹介されました。(P.106)

いま最も面白いUFO-ZINE、今回も濃厚特集!
読ませるZINEとして高評価の『UFO手帖』も4巻目が刊行。問答無用の面白さ。充実の内容。デザインもよく、4コマ漫画も楽しい。

https://www.amazon.co.jp/dp/B082BVMW69


2019年12月4日
「笑う金色ドクロ」(金色髑髏)で紹介されました。

今号も読み応えたっぷりの一冊であります。
読もう『UFO手帖』!!

紹介その1
http://www.golden-skull.net/article/471918559.html
紹介その2
http://www.golden-skull.net/article/471964326.html
紹介その3
http://www.golden-skull.net/article/471981517.html


2019年11月20日
「又人にかけ抜かれけり秋の暮れ」(花田英次郎)で紹介されました。

最近日本語で読めるUFO本が少ないわいとお嘆きのUFOファンにおかれましては「マスト・バイ」である。

http://macht.blog.jp/archives/1076321545.html


[UFO手帖4.1 目次]

[特集]気になる!――断片的なもののUFO学

『断片的なもののUFO学 ガイダンス』(馬場秀和)
『ポーランドのUFO本』(花田英次郎)
『1975年頃の紀南フラップについて』(ものぐさ太郎α)
『止まるドッヂボール』(金色髑髏)
『UFOによって失われたモノたち』(ペンパル募集)
『極端に孤独な場所でのUFO体験』(秋月朗芳)
『時計円盤の幽霊』(秋月朗芳)
『宇宙人の性別』(雅)
『マゴニアの演出家たち――朝鮮半島の非核化とUFO』(礒部剛喜)

持ち回りエッセイ

『UFOと音』(星野勝之、雅、ペンパル募集)
『UFOと漫画 第4回』(新田五郎、金色髑髏、朱雀辰彦)

連載エッセイ

『古書探訪 第4回 さねとうあきら『UFOにのってきた女の子』』(中根ユウサク)
『シリーズ 超常読本へのいざない 第5回 伝染するパラノイア――夜更けの円盤私小説』(馬場秀和)
『乗り物とUFO 第4回 世界を変えなかったUFOの技術』(ものぐさ太郎α)
『ブルーブックもつらいよ 第4回 ルッペルト調査やつれ』(雅)
『死後の世界の世界 第3回 映画『アルカディア』』(ペンパル募集)

単独エッセイ、その他

『連載漫画 フラモンさん』(めなぞ~る♪)
『呪術とUFO――術にて人、UFOとなる』(金色髑髏)
『最後の天狗譚』(朱雀辰彦)
『UFOクロスワードパズル』(羽仁礼)
『新編・日本初期UFO図書総目録稿』(有江富夫)
『化物日記 ほか五篇』(横山茂雄)


[バックナンバー紹介]

2018年11月15日の日記
『UFO手帖 3.0』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-11-15

2017年11月15日の日記
『UFO手帖2.0』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-11-15

2016年11月24日の日記
『UFO手帖 創刊号』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-11-24





タグ:同人誌
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『サティ 退屈と孤独と真空の呼吸』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2021年3月12日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんの公演を鑑賞しました。エリック・サティのピアノ曲を背景に勅使川原三郎さんや佐東利穂子さんが踊る上演時間一時間ほどの作品です。

 二人のうちどちらが踊るかは日によって違い、全8日間の公演のうち最初の4日間は勅使川原さんのソロ、後半の4日間のうち3日間は佐東さんのソロ、最終日は二人のデュエットとのことです。私たちが鑑賞した日は佐東さんのソロでした。

 サティの楽曲はどうもとらえどころがないというか、おしゃれで軽快な音楽なのか、虚無的で諦念ベースの音楽なのか、よく分からないところがあります。まるで日常生活のようです。ダンスという身体の動きでこれらの楽曲を演奏しているのを観ると、そういう感じがいっそう強まります。

 暗闇のなか小さな照明が静かに床を照らしている光景がテーマのようにくり返され、照明領域と照明領域の境界線上で佐東利穂子さんが踊る。おそらく勅使川原三郎さんが自身で踊ることを想定して振り付けた動きを佐東利穂子さんが自分のものとして踊っています。

 宙を突くような激しい動き、ゆったりと水をかき混ぜるような動き、ゆるやかな腕のあの動き。様々な動きが観られて嬉しい。動きの印象と楽曲の印象が必ずしも合致しないところがいかにもサティらしくて面白い。

 実は最終日のデュエットも観たかったのですが、残念ながら都合も合わず体調も思わしくなく、断念しました。





nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

『図書館の外は嵐 穂村弘の読書日記』(穂村弘) [読書(随筆)]

――――
カーテンの向こうは、激しい雨と稲妻。
でも、平気。
だって、私はここにいる。
体は暖かい図書館に。
心は本の中の世界に。
ここからはもう出られないんだ。
――――
単行本p.187


 『これから泳ぎにいきませんか』『きっとあの人は眠っているんだよ』に続く穂村弘さんの読書日記。単行本(文藝春秋)出版は2021年1月、Kindle版配信は2021年1月です。

 ちなみに前作の紹介はこちら。

2018年02月27日の日記
『きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-02-27

2018年02月22日の日記
『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-02-22


 今作でも、本の紹介の「前ふり」としてちょっとつぶやいたような言葉が印象に残ります。こんな感じです。


――――
 小説の中に、中心となる語り手以外の人物の手記とか手紙とかノートが出てくると奇妙な興奮を覚えるのはどうしてだろう。語りの主体が入れ替わると、一人の目を通して見えていたそれまでの世界の風景ががらっと変わる。今まで信じていたことが次々に覆される。それがスリリングなのだ。
――――
単行本p.16


――――
 一人の人間が裡に秘めた独自の価値観が、結果として反社会的と見なされるような特殊な犯罪にときめく。
――――
単行本p.32


――――
 その人に関するすべてが「いい感じ」に作家がいる。それは好きな作家というのとも微妙に違っている。
 本のタイトル、文体、装丁、名前、外国文学の場合は訳文や訳者の名前に至るまで、原因不明の「いい感じ」に包まれていて、本屋で本を見かけるとつい買ってしまう。好きな作家の場合は買ったら当然読むだろう。でも、「いい感じ」の作家はそうとは限らない。読まなくてもいいからその魂に触れたい、という奇妙な欲望がある。
――――
単行本p.48


――――
 ひと夏の物語が好きだ。子どもたちが、大人には見えない不思議な世界をくぐり抜ける冒険をする。そして、季節の終わりとともに、少しだけ、けれども決定的に以前とは変わった自分に気づく。そんな物語の系譜がある。
 どうしてか、その魔法の季節は夏と決まっているようだ。ひと春の物語やひと秋の物語やひと冬の物語というのは、あまり耳にしたことがない。
――――
単行本p.72


――――
 すごく面白い作品に出会うと、その本の世界からいったん顔を上げてきょろきょろする癖があるんだけど、あれって一体なんなんだろう。わざと寸止めして感動を引き延ばすためか、それとも本の衝撃によって現実世界の側に何か変化がないか確認しているのだろうか。
――――
単行本p.88


――――
 そうなのだ。「世界の手塚治虫」であり「世界の萩尾望都」かもしれないが、「世界の大島弓子」ではあり得ない。少なくとも大島弓子の読者の多くは、そんな風には感じていないと思う。彼らはただひたすら「私の大島弓子」と思い込むのだ。
――――
単行本p.156


――――
「クラムボン」は正体不明のままに何度も反復され、教科書に載り、バンド名となって、さまざまな人々を魅了してゆく。意味の呪縛から逃れられない言語表現にとって、それは音楽の境地にも近いような一つの理想像なのかもしれない。
――――
単行本p.183





タグ:穂村弘
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた<サピエンス納豆>』(高野秀行) [読書(随筆)]

――――
 バオバブでアフリカ納豆が作られている!?
 脳天を打たれたような衝撃だった。(中略)
 なんだか三十年前、初めてコンゴの謎の怪獣モケーレ・ムベムベのことを知ったときのような気持ちになった。ムベムベは現地の人のみならず調査に行ったアメリカ人の科学者までが目撃を報告していた。でもムベムベは体長が五~十メートルにも達すると言われる巨大生物だという。もし実在するなら、もっと多くの人の目に留まっているはずだし、とっくに発見されているはずだという反論ももっともだった。
 私はムベムベの存在をむやみに信じていたわけではなく(もちろん自分が「発見」できたら理想的ではあったが)、むしろ「本当のことを知りたい」と思ってコンゴの密林へ出かけたのだ。
 バオバブ納豆はそのときの感覚を思い出させる。
――――
単行本p.230、231


「納豆は私が思っているより、もっと広く深く、この世界を支配しているようなのだ」(「プロローグ」より)


 アジア納豆を取材した著者が次に目をつけたのは、アフリカ納豆だった。アフリカ大陸に世界一の納豆大国がある? ハイビスカスやバオバブから納豆を作っている? さらには韓国では立入禁止の南北軍事境界線DMZ内で納豆のもとを栽培している? 次々と集まってくる怪情報に奮い立つ著者。そして納豆取材から見えてきた驚くべきビジョン。失われた納豆超大陸、そして超古代納豆文明の存在。単行本(新潮社)出版は2020年8月、Kindle版配信は2020年9月です。


 タイトルからも分かる通り、『幻獣ムベンベを追え』と『謎のアジア納豆』の続編的な一冊です。未知の納豆を求めてアフリカ大陸に向かう著者。その先に待ち構えているものとは!(いや納豆ですが)。


2008年01月16日の日記
『幻獣ムベンベを追え』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2008-01-16

2016年08月30日の日記
『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-08-30


――――
 アフリカにおける納豆は他のどこよりも秘密のベールに閉ざされている。まずアフリカ納豆(仮)の日本語での情報は乏しい。一つには西アフリカが日本人にとってあまりにも遠く、日本語の情報が全般的にひじょうに少ないこと。(中略)
 やはりこれは一度自分で現地へ行かねば始まらないと思う。ただ、そこにはまた別の大きな障害があった。
「アフリカ納豆(仮)」のエリアは、なぜかイスラム過激派が活性化している地域と重なっているのだ。
――――
単行本p.15、16


〔目次〕

第1章 謎のアフリカ納豆
 カノ/ナイジェリア
第2章 アフリカ美食大国の納豆
 ジガンショール/セネガル
第3章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/DMZ(非武装地帯)篇
 パジュ/韓国
第4章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/隠れキリシタン篇
 スンチャン郡~ワンジュ郡/韓国
第5章 アフリカ納豆炊き込み飯
 ワガドゥグ~コムシルガ/ブルキナファソ
第6章 キャバレーでシャンパンとハイビスカス納豆
 バム県/ブルキナファソ
第7章 幻のバオバブ納豆を追え
 ガンズルグ県/ブルキナファソ
第8章 納豆菌ワールドカップ
 東京都新宿区
第9章 納豆の正体とは何か
エピローグ そして現れたサピエンス納豆




第1章 謎のアフリカ納豆
第2章 アフリカ美食大国の納豆
――――
 なんと! セネガルはナイジェリアから優に三千キロ離れている西アフリカの西の端。そんな土地でアフリカ納豆(仮)が食されていることも驚きだったが、名前がネテトウ?
 日本語そっくりじゃないか。納豆の語源はセネガルだったのか!!
 ……まあ、そんなわけはないと思うが、迷ったら面白そうな方向に進むのが私の流儀だ。
 かくして、私たちアフリカ納豆探検隊はナイジェリア取材のあと、「納豆」の類似商品じみた謎の「ネテトウ」の正体を突き止めるべく、セネガルの首都ダカールへ飛んだ。
――――
単行本p.61

 パルキア豆を使ったアフリカ納豆、ナイジェリアの“ダワダワ”やセネガルの“ネテトウ”を取材した著者は、アフリカにおける納豆文化の豊かさに驚く。というより質・量ともにアジアを抜いてアフリカこそが世界納豆文化の頂点にあることを発見する。


第3章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/DMZ(非武装地帯)篇
第4章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/隠れキリシタン篇
――――
 日本では38度線といえば、北朝鮮軍と韓国軍がにらみ合い、とくに私が取材に行っていた2016~18年ごろは北朝鮮の核開発やミサイル実験などから、一触即発の危険地帯のように思われていた。私もそう思っていたのだが、いま韓国ではDMZ内で自然観光ツアーが催され、野生のカワウソやワシが見られるとか、「星がきれい」などと若い女子の間でも人気だという。「大自然が残された韓国最後の楽園」的なイメージらしい。そして、その大豆を使っているからこそ、パジュに韓国納豆汁の有名店が存在する……。
 なんという皮肉。なんという不可思議な現実。納豆を追っていくといつも不思議な場所にたどりついてしまうが、今回はまた特別である。
 しかし、DMZで農作業なんかしていいのだろうか。
――――
単行本p.121

 謎の納豆はアフリカ納豆だけではない。韓国における“チョングッチャン”は果たして日本の納豆と同じものなのか。取材のため僻地の隠れキリシタンの里から南北軍事境界DMZ(非武装地帯)までどんどん踏み込んでゆく。


第5章 アフリカ納豆炊き込み飯
第6章 キャバレーでシャンパンとハイビスカス納豆
第7章 幻のバオバブ納豆を追え
――――
「あ、納豆の匂いがする! する!」カメラを持ったまま、竹村先輩が大声をあげ、同時にアブドゥルさんも「コロゴ、コロゴ!」と騒ぎだした。
 置き去りにされた私が、今度は大量に土塊を口につっこんでみた。「おおっ!」
 噛んでいると懐かしい風味が少しずつ口の中に浸透してきて、飲み込むときにはわずかに開いた鼻孔から古く甘い香りがすっと抜けた。「納豆だ!」
「できちゃったよ」「できちゃいましたね」「いやあ、これでできちゃうのか」「できちゃうんですね」……。
 私たちは馬鹿のようにくり返した。
――――
単行本p.273

 舞台は再びアフリカへ。ブルキナで広く食されている“スンバラ”、さらにはハイビスカスやバオバブの種を使ったアフリカ納豆の噂を聞きつけて飛び回る著者。謎のバオバブ納豆なんてものが本当にあるのだろうか。


第8章 納豆菌ワールドカップ
第9章 納豆の正体とは何か
エピローグ そして現れたサピエンス納豆
――――
 現在こそ西アフリカが世界最大の納豆地帯だが、人類史上ずっとそうであったとはかぎらない。というより、私はかつてアジアに、超大陸パンゲア並の巨大な納豆の支配区が存在したと考えている。
 ミッシングリンクは漢民族エリアである。あまりにも広大なのでミッシングリンクに見えないが、かつては間違いなく納豆を食べていたはずだ。(中略)
 失われてしまったのは返す返すも残念だが、最近は中国でも北京、上海など都市部を中心に日本の納豆がブームだという。もしかすると、十年後、二十年後には漢民族もふつうに納豆を食べるようになり、ネパールから日本までつながるアジア納豆超大陸が復活するかもしれない。
 その過程で、世界納豆界の盟主の座をかけた、アジアとアフリカの最終戦争が起きる可能性がある。
 それはきっと眺めて楽しい、食べて美味しい、極めて平和的な激戦となるにちがいない。
――――
単行本p.340

 アフリカ納豆とアジア納豆から代表菌を選んで培養し、同じ条件で納豆にして試食し点数を競わせるという納豆菌ワールドカップを企画実行する著者。はたして優勝するのはどの納豆菌か。そしてその先に浮かび上がってくる納豆超大陸の姿、古代人にとって豆よりも先に納豆があったとする「サピエンス納豆仮説」。アフリカとアジアが、現代と古代が、すべてが納豆でつながり糸をひく壮大なビジョン。





タグ:高野秀行
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ: