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『死ぬまでに行きたい海』(岸本佐知子) [読書(随筆)]

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 歳をとるとともに思い出は薄らぎ、きれぎれになり、でもぜんぜん平気だった。私があそこで過ごした日々の記憶は、旧校舎の壁や小部屋や教室や床に吸われて、いつまでも保存されているような気がしていた。でも外付けの記憶装置だった旧校舎がなくなってしまったら、その思い出はどうなってしまうのだろう。私がもっと歳をとってすべての記憶が失われてしまったら、それでも私は本当にそこにいたことになるんだろうか。
(中略)
 この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい。
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単行本p.61、88


 気にかかっていた場所、昔そこにいた記憶。様々な場所をめぐりながら過去の記憶と対話する、岸本佐知子さんの第五エッセイ集。単行本(スイッチ・パブリッシング)出版は2020年12月です。

「どこかに出かけていって見聞きしたままを書きたい」

 毎回、ちょっとした旅に出かけては書く紀行文。ではありますが、ほとんど常に記憶を探る旅になります。通っていた学校、大学のキャンパス、働いていたオフィス。ひさしぶりに訪れた場所で誰もが感じる、目の前の光景と過去のそれが重なってゆく奇妙な感慨、本当かどうか定かでない不思議な記憶が蘇ってくる瞬間、そういったものが書き留められ、読者も岸本佐知子さんの人生に寄り添うことになります。




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 四年生の春、授業中に息ができなくなって、手を挙げて教室を出た。そのまま走って、カウンセリングルームと書いてあるドアをノックした。私がしどろもどろに将来の不安や、時間が怖いこと、道路が二股になっているとどちらかを選んだことで人生が大きく変わってしまいそうで一歩も進めなくなること、本が怖くて読めないこと、髪の毛が洗えないこと、食べられないこと、眠れないことなどを訴えると、カウンセラーの男の先生は「なあんだそんなことか、あっはっはっ」と笑い、「これ読むといい」と言って、自分が雑誌に書いた文章のコピーをくれた。“本当はピアニスト志望だったのに親に無理やり英文科に入れられた女子学生が、鬱病になって私のところに来た、「それなら習った英語を活かしてピアニストの伝記を翻訳すればいい」とアドバイスしたらすっかり元気になった”というようなことが書いてあった。そこへは二度と行かなかった。
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単行本p.29


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 自分が住んでいた部屋の前に立った。鉄製のドアの灰色の塗装がまだらに剥げ落ちていた。細い覗き窓は、内側ブルーのビニールテープのようなものが貼られていて、ここもどうやら空き室らしかった。三十五歳から五年間、このドアの向こうに住んでいた。その五年のあいだに、心身の調子がどんどん悪くなっていった。突然泣いたり怒ったりした。つねに頭痛と動悸がして、歩くと目眩がした。正体不明の焦燥感にじっとしていられず、立ったり座ったり歩きまわったりした。頭の中に危険な考えが渦巻き、公園のハトの殺害方法を三十通り考えたり、駅前に停めてある自転車をドミノのように蹴倒す衝動に駆られたり、意地の悪い店主のいる書店の棚の『こち亀』の順番をでたらめに並び替える計画を立てたりした。最後のは本当にやった。
(中略)
 なぜ私はこの町で楽しく暮らせなかったんだろう。たくさんの記憶が、だらだらと脈絡なく噴きこぼれた。越してきた翌日、近所のコンビニで買った十個入りの卵が一つ残らず双子の黄身で、最初はうれしかったけれども次第に薄気味悪くなったこと。小学生の男の子が電信柱の根元を一心に嗅いでいるのを、少し離れたところから母親が無表情に眺めていたこと。公園にテントを張って生活していたホームレスのおじさんが、ある日テントごと焼けてしまったこと。一段高くなったところに鎮座した氷のような目をした医者が、一度も私の顔を見ずに薬を出したこと。毎日、大量の人々が駅から出てくるのに、みんなうつむいて生気がなく、ときどき半分透き通った人や地面から少し浮いている人が交じっていたこと。それともこんな記憶はぜんぶ幻だったのだろうか。
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単行本p.92、93





タグ:岸本佐知子
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