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『暗闇にレンズ』(高山羽根子) [読書(小説・詩)]

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 私たちは、望めばどうにかひとりずつに与えられるひとつのレンズと夜でもなお眩しい液晶と、いくばくかの記憶容量を、子どもっぽいブレザーのポケットに隠し持ってサバイブしていて、この武器はその気になりさえすれば一本のでたらめでひどいほらを吹く映画をすっかり作り上げて、全世界に配信だってできてしまえる。たとえそれが非常に危険なもので、瞬く間にアカウントごとデリートされてしまったとしても、何度だって、繰り返し、いくらでも。
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単行本p.352


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 あらゆる世界に住みながら姿をかじられ続ける私たちは、同時に世界のあらゆるところをかじることもできる。人の住むところにあるレンズというレンズに、自分のレンズを向けることは、今のところ犯罪とはみなされていない。それらはこんなに恐ろしい武器なのにもかかわらず。
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単行本p.351


 映像、それは強力な武器、そして祈り。あらゆる場所に設置された監視カメラから見られている空間を、彼女たちはレンズという武器を駆使してサバイブしてゆく。映像が持つ暴力性を背景に、三代に渡って映像制作と関わった一族の奇妙な歴史をえがく長編。単行本(東京創元社)出版は2020年9月、Kindle版配信は2020年9月です。


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「拳銃は鉛の弾を、相手の脳味噌や心臓にぶつけてやっつける。せやけど、こいつの出した光は、目から入って脳味噌ン中にずっと残って、内側から人間をやっつける。(中略)この光を見たもんの生き方をその後がらりと変えることかてできる。これからは鉄砲玉でやっつけるんは獣ばかりになって、人間同士はまた別の方法で戦うようになるって、わしは思とるんや」
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単行本p.20、21


 まず語られるのは、映画は軍事兵器として発展してきた、という偽歴史。効果的に人間の脳だけを攻撃する非道な兵器。だが危険であると同時に人を魅了する、映画というもの。その黎明期から誰もがスマホひとつで映画を撮れる現代まで。


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 建物の壁をスクリーンとして利用し、町全体を無数の映像の再生機に仕立て上げて民間人の脳を攻撃する。このおぞましい作戦は、当初の想像をはるかに超えた効果を発揮した。(中略)町じゅうに浮かんだ無数の映像に囲まれた人間は、命にこそ別状はなかったが、誰ひとりとしてその後正常な生活を送ることは出来なかった。
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単行本p.113


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 攻撃を目的とした映像コンテンツを豊富に持っていた当時の帝国は、主に映画のみをもってその戦いに終始していた。主に侵略と領土の拡大が目的である戦争では、物理的な兵器による建物破壊や、生物、放射線兵器による占領地の荒廃は可能な限り避けたい事態であるため、帝国において映画兵器の開発には、何よりも資金や人力を注がれていた。
 中でも注目すべき特徴は、映像の再生装置よりも映像内容の拡充及び多様化による武力の増大で、そのために当時、帝国の軍事施設に設置されていた映像兵器の制作部門とは実質そのまま映像の撮影および編集部隊だった。
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単行本p.179


 今日の私たちは、映像、とくにSNSで拡散される動画が簡単にそして大規模にフェイクニュースや陰謀論を定着させてゆく危険性をよく知っています。現実の一部だけを切り取り、編集し、恣意的に意味づけてしまう映像というものの暴力性。それが支配する世界。カメラとスマホのレンズに満ちた世界で、それに対抗するための武器もまた、レンズなのです。


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 私たちは最初の一秒から、明確な意志をもってあらゆるものを撮影していた……と、思う。撮りためたものは日常の風景を切り取るなんていう生易しいものではなくて、ずっと見ていると、ひょっとしたら私たちは世界のすべてを撮り潰そうとしているんじゃないかって、怖くなってしまうほどだった。
(中略)
 私たちはそうして、その日までに撮ったすべての映像のすべてのコマに目をとおして、ほんの数百ぶんのフレームずつを選び取る。希釈してきた世界の一部から、ふたたび一滴を濃縮して、彼女の部屋でまた一度同じ世界を造り上げるという、たぶんそうとう手間がかかってむだの多い手順を踏んでいる。
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単行本p.118、119


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 私たちが撮るのは結局のところ、祈りのためにだった。眩しさに立ち向かう私たちに、運命は、闇を照らすものを祈りで撮り潰すために、ほんの小さな、まるっきり玩具でしかないほどのささやかな、レンズを与えたもうた。人が光に祈り始めたのは、たぶん人が人たり得る程度に進化した、ほんの初期のころだっただろう。
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単行本p.354


 映像制作に取り組む現代の女性の話と並行して、映画に関わり続けたある一族の三代に渡る物語が展開します。戦前フランスの映画会社、戦後アメリカのアニメーションスタジオ、ベトナム戦争当時のサイゴン。世界中を舞台に、映像の時代を生き延びようとした人生が語られ、歴史小説として読むこともできます。

 しかし、何しろ高山羽根子さんの作品ですから、分かりやすくひとつの物語にまとまってゆくようなことはありません。まき散らされた様々な断片は、他のパートと無関係に感じられたり、あるいは過去の作品との隠されたリンクを暗示しているように思えたりします。重ね合わされた複数の世界が、観測により収斂することを拒絶しているような、そんな長編です。好きな読者はとても好き。





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