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『偶然仕掛け人』(ヨアブ・ブルーム、高里ひろ:翻訳) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

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 あらゆる選択には必然的に別のなにかをあきらめることが伴い、自分がなにかをどれだけ強く求めるかによって、その犠牲を払うための勇気が必要となる。なぜなら、つねに正しい選択をすることは不可能だからだ。ときどきは失敗するし、ときどきどころではなく失敗する。
 その差はシンプルだ。幸福な人々は人生を見て選択の連続を見いだす。不幸な人々には犠牲の連続しか見えない。きみたちが偶然を仕掛けるときにとる行動は、どちらのタイプの人間に向けたものか、確認が必要だ。希望に満ちた人間と不安に満ちた人間。両者は似ているが、違う。
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単行本p.318


 ささいなきっかけで仕事を決めたり、たまたま出会った人と恋におちたり、思わぬ事故で運命が大きく変わったり。それらの偶然が背後ですべて、精密に、完璧に、操られているとしたら……。偶然の連鎖をコントロールし世界を動かしている偶然仕掛け人たちの仕事ぶりを描く冒険小説。単行本(集英社)出版は2019年4月です。

 15年間一度も会わなかった人の話をすると同時に、その人がレストランに入ってくる。書店で同じ本に同時に手を伸ばした二人が後に結婚する。食パンをくわえて走っていた女子が出会い頭に転校生とぶつかる。思わぬアクシデントでペニシリンやX線が発見される。ピンク・フロイドの『狂気』が『オズの魔法使い』の映像と完璧にシンクロする。

 シンクロニシティとかセレンディピティとか呼ばれる意味ある偶然。これらを意図的に計画し、複雑極まりない因果連鎖を精密に制御することで実現する、それが偶然仕掛け人の仕事。

 子どもたち相手に想像の友だち(イマジナリーフレンド)をつとめていた主人公は、謎の組織(実在するのかどうかよくわからない)に抜擢され、偶然仕掛け人になるために厳しい訓練を受けることになります。


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 偶然の仕掛けは繊細で複雑な芸術であり、複数のできごとを巧みにさばき、状況と反応を見極め、ときとして希少な抜かりのなさを応用する能力が求められることが多い。数学、物理学、心理学を使う必要もある……。わたしはきみたちに、統計学、連想と無意識、人々の普通の生活の背後にあるもうひとつの、彼らがまったく気づいていない層について教える。わたしはきみたちの脳に、性格的特性や行動論を詰めこみ、どんな量子物理学者や神経科学者や菓子職人見習いにも勝るレベルの正確さを要求し、ある主の鳥が特定の木に留まり、別の鳥は電線に留まるわけを理解するまで寝ることを許さず、生涯の恋人の――きみたちに恋人がいれば、または生涯があればだが――名前を忘れてしまうほど、因果関係の一覧表を暗記させるつもりだ。
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単行本p.74


 訓練過程を終了し実技試験に合格した主人公は、自宅に届く封筒の指示に従って、恋人同士の出会いや転職のきっかけ作りなど個人レベルの偶然を生み出す仕事を黙々と遂行してゆきます。同期メンバーたちとの掛け合いやら恋愛沙汰やら色々と経験しながらも、比較的穏やかに働く日々。だが、北半球最高の殺し屋、通称「ハムスターを連れた男」のサポートという穏やかでない仕事を指示されたとき、彼は自分の仕事について真剣に考えざるを得なくなるのでした。


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 アルベルト・ブラウンは北半球でもっとも成功した殺し屋になった。そして彼は虫も殺したことがなかった。時間がたつうちに、彼はそれに慣れていった。なにもかも準備して――武器を用意したり、罠を仕掛けたり、殺しを計画したりして、実行寸前までいく。そうするとターゲットはひとりでに死ぬ。アルベルトを雇った人々は満足し、彼自身、夜よく眠れる。
 アルベルトにとってすばらしい仕事であり、なんの暴力も必要としない。
 だがときどきさびしくなることがあった。それでハムスターを飼いはじめた。
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単行本p.180


 アルベルト・ブラウンがライフルの引き金に指をかけた瞬間、ターゲットは偶然の事故あるいは病気の発作で必ず死ぬ。一人も殺すことなく「自然死あるいは事故死としか見えない殺人」の名手となった殺し屋。もちろんその成功の背後では、ベテランの偶然仕掛け人が頑張っているわけです。今回、主人公が指示されたのは、この殺し屋のターゲットが完璧なタイミングで事故死するように偶然をコントロールするという仕事。

 これまで恋愛成就やら転職支援やらの仕事しかしてこなかった主人公は、殺人(としか言いようがない)を行うことが出来るのか。そもそも偶然仕掛け人という存在は倫理や道徳を超越しているというのか。それは傲慢な考えではないのか。主人公は(いまさら)悩み、そして決断を下すのでした。


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「この仕事に就いて、能動的に動き、ものごとを変え、自分が正しいと思う場所にものごとを導く機会を手に入れた。だがぼくはそうせず、封筒の言いなりになってしまった。自分を制度の一部と化した。それが楽で、快適で、帰属感を得られたから。最初の封筒からいままでずっと、ぼくは実行する任務しか見ていなかった。あなたのような人間になる安全経路を進んでいた。素晴らしい功績の自己賛美に夢中になり、自分の仕掛ける偶然によって影響を受ける人々の心を見ないような人間だ。だがもう違う」
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単行本p.270


 というわけで、スパイ工作員ものの典型的プロット(素質を見いだされスカウトされた主人公が厳しい訓練を経て工作員となって仕事に取り組むが、自身の倫理観に反する指令を受け、組織や友人を敵にまわして闘うはめになる)をうまく応用した長編小説です。登場する様々な偶然仕掛け人の仕事の説明が面白く、最後まで楽しめます。イマジナリーフレンド同士の恋愛というおバカ設定が、意外なことに、メインプロットとして浮上してくるあたり、恋愛小説としてもよく出来ていると思います。





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