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『雲』(エリック・マコーマック、柴田元幸:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 たぶん、信じるかどうかというより、そうした事柄に関して私が考えることは、一種の願望なのだ。トールゲートのような陰惨で残酷な場所で生まれ育つと、人間が存在していることに意味があると確信するのは時に困難である。でも私たちの大半は、理性から見てどう思えるにせよ、自分の人生が何かを意味していると考えたがっているのではないか。だから、キャメロン・ロスや幽霊長屋の件も、さらなる不可解な出来事一般も、内容は不快であれ、とにかくこの世界には見た目以上のものがあるのだという、歓迎すべき証しに思えるのではないか。
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単行本p.83


 どうにも薄気味の悪い奇想、提示されるだけで解決されない謎、受け入れざるを得ない世界の不可知性。『隠し部屋を査察して』『パラダイス・モーテル』『ミステリウム』で読者を魅了した高純度オカルト気分を満喫できる作家、マコーマックの最新長編。超自然現象めいた奇怪な「雲」の記録から始まる先読み不能な旅の物語です。単行本(東京創元社)出版は2019年12月、Kindle版配信は2019年12月。


 ある一人の青年がスコットランドの小さな町を飛び出して、世界中の辺境をまわり、やがて年老いてからその町に戻ってくる。それだけの話ですが、これがものすごく面白い。いつまでも読んでいたい、と思わせる魅力にあふれています。


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 思いがけずその名を、ここ別半球で目にして、私は思わず息を呑んだ。ダンケアンはスコットランドのアップランドにある、私が若者だったころつかのま滞在した小さな町である。その町で、あることが起きて、私の人生の軌道が丸ごと変わった。それは忘れようのない体験だった。そして理解しようもない体験だった。
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単行本p.12


 いかにもマコーマックらしく、次から次へと奇怪なエピソードが登場します。登場人物の言葉を借りれば「超自然というのとは少し違うかもしれないけど、どうなってるんだろう、と考えてしまうくらい奇怪ではある」(単行本p.83)という、微妙かつ独創的なエピソードの数々。まるで寄り道のようにも思えるそうした挿話こそが、実は物語の中核なのかも知れません。


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「どうしても解けない謎には、何かとても心に訴えるものがあると思うんだ。僕たち人間の心みたいに」
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単行本p.316


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「科学者にひとつ信じねばならないことがあるとすれば、それは合理的思考の力だ。これは命よりも大事なことなんだ」
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単行本p.349


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「人間らしくあるために、人は何と大きな代償を払うことでしょう」
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単行本p.413


 いくつかのエピソードは過去の作品とも共通しています。鉱山で起きた事故で多数の坑夫が片足を失った話とか、梁から逆さ釣りになって行う性交とか、住民たちが致死的な喋り病にかかって次々と死んでゆくとか。過去のマコーマック作品タイトルがパロディ的に登場したりもします。『断層の査察』『パラディン・ホテル』『ウィステリウム』といった具合。


 個人的に好きなのは、個々のエピソードが積み重なってゆくうちに、何というか「オカルト気分」のようなものが醸成されてゆくところ。


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 私はいつしか、ここにたどり着くまでにどれだけ遠回りしてきたかに思いをめぐらせていた。私も人並に驚異や神秘に出遭ってはきた。人生、それなりに長く生きていれば、たぶん誰だってそうだろう。だが宿命だの運命だの、何か隠れた曖昧な力を信じる人間であれば、すべては不可避的に『黒曜石雲』の発見へと通じていたのだ、そしてついにはわが人生におけるもっとも執拗な謎の解明へとつながっていくのだ、などと唱えても不思議はあるまい。
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単行本p.120


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 二つの空恐ろしい経験を、白昼落着いて客観的に、それこそ技師にでもなったつもりで考えてみると、合理的な説明を割り出すのは難しくない。(中略)
 落着いて客観的でいられるときは、それで済む。
 だがいったんそうした精神状態が過ぎると、合理的に並べた説明は、必死に捏造した、何とも空疎なものに思えてくる。しょせん自己欺瞞でしかない。自分が本当に恐れているもの、言葉が予言になってしまうのを恐れてすることもできないくらい心底恐れているものを認めぬための方便にすぎない。
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単行本p.450、451


 実のところ、マコーマック作品としては珍しく、冒頭で提示された「謎」はそれなりに解けるのですが、いっけん解決したように見えてもオカルト気分や不可知論的世界観は何も変わらないというのがとってもマコーマック。翻訳者によるあとがきに、マコーマックのどこが魅力的なのかを完結にまとめた一文があり、深い共感とともに引用しておきます。そうなんですよ、マコーマック。もっとみんなマコーマック読もう。


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 自分は何でこの人の書くものがこんなに好きなんだろう、と思う作家が誰にでもいるのではないかと思う。僕にとってスコットランド出身、カナダ在住の作家エリック・マコーマックは、間違いなくそういう書き手の一人である。
 Macabre(不気味な、猟奇的な)というぴったりの奇怪なエピソードが頻繁に現れるものの、ほとんどつねにどこかユーモラスな感じも伴っている。心惹かれる謎が提示されても解決されるとは限らず、世界が謎であることが静かに再確認されているようでもあるが、単に構成がルースなのではと思えることもないではない。他者の不透明性、世界の不可知性がたびたび、諦念のような、だがどこか面白がっているようでもある気分とともに受けとめられる。そうしたすべてが、僕の個人的なツボにはまり、ああいいなあ、と思いながら至福の読書時間が過ぎていく。
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単行本p.454





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