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『オフィーリア』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2020年2月9日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんの公演を鑑賞しました。シェイクスピアの戯曲『ハムレット』をもとに、オフィーリアに焦点を当てた上演時間1時間ほどの作品です。

 佐東利穂子さんがオフィーリアを、勅使川原さんがハムレットを踊ります。といっても基本的にハムレットは暗闇でうごめいているだけで(彼には彼なりの事情があるのでしょう)、オフィーリアの孤独と苦悩がひたすら表現されることに。

 まず驚かされるのは、二人の踊りに人外感がないこと。神仏でも精霊でもソラリスの海の創造物でもなく、ごく普通の若者たちに見えます。佐東利穂子さんの動きも、いつものように水中でゆらめいている感じではなく、若い女性が感情を抑えたり爆発させたりしている、という印象が強い。

 照明はもちろんですが、音響が素晴らしく効果的。水音や鳥の声が流れるなか川辺に横たわるオフィーリア(舞台の床にシートを敷いているのか、彼女の姿が床に写り水面に見える)という美しいシーンから始まり、ハムレットとその周辺事情を暗示する馬の足音、死臭を思わせるハエの音、悲劇を連想させる雷鳴、などの音がドラマ性を高め、やがてまた川辺で沈んで世界を見上げているオフィーリアに戻ってくる。すべては刹那の回想なのかも知れません。

 それにしても佐東利穂子さんの苦悩や激情のダンスは、思わずびびってしまうほどの迫力。ちょっと忘れがたいものがあります。『ハリー』や『泉』と比べても凄味が増しているのではないかという印象で、この先どこまでゆくのでしょうか。





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『如何様』(高山羽根子) [読書(小説・詩)]

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「私がこの依頼の最初からずっと申しあげている薄気味悪さというのはね、帰ってからの平泉を見ていると、もともと目指していた偽物に、彼自身がなってしまったんじゃないかということをどうしても考えてしまうからなんです。そうして彼の本物というのは、はなっから存在などしてなかったんではないのか、と、私はそんなふうに思ってしまっているんです」
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単行本p.56


 終戦後に復員してきた画家。書類は本人だと証明しているが、その容貌は出征前とはまるで違っていた。別人によるなりすましだろうか。謎を追う記者は、そもそも本物とは何か、という問いにとらわれてゆく。『オブジェクタム』『居た場所』『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』に続く謎めいた表題作と、文芸誌「食べるのがおそい」最終号に掲載された短編『ラピード・レチェ』を収録。単行本(朝日新聞出版)出版は2019年12月、Kindle版配信は2019年12月です。


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 今、私が調べるよう頼まれている一連のことというのは、復員した貫一についてであった。タエの夫、画家平泉貫一は第一次、第二次復員といった大規模な一斉復員の機会と外れたまったく別の時期に、復員局からの連絡があったのちに、ひとり戻ってきた。(中略)問題であったのは、帰ってきた貫一の姿だった。出征前の貫一の写真と現在の彼の姿は、普通に考えたらまったく似ても似つかぬ、むしろ完全な赤の他人であってもこれより似せることは簡単であろうというほどのちがいようだった。
 要はどう見ても別人が帰ってきた、ということである。
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単行本p.18


 終戦とともに復員してきた画家。書類上は本人に間違いないし、画風も変わっていない。だがどう見ても顔は別人。それなのに家族は本人として受け入れている。調査を進めるうちに彼が贋作者だったことが判明し、書類も、画風も、証拠としての信頼性を失ってしまう。そもそも他人に成りすまして贋作を作る仕事。では出征前の彼は「本物」だったのだろうか。いや、「本物」とはなんだろう。


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 まったく同じもののうちひとつが本物であったとわかったとして、ほかの残りは絶対に偽物なのだろうか?(中略)本物が消え去って、あるいはそれぞれに部分的な本物があり、それの寄せ集めが完成品だとして、その本物という性質はどこに存在するのだろうか。多色刷りの版画の版木もまた、色ごとに分けられたひとつずつは単体ではなんの絵なのかさえわからない。大量に刷られた版画のほうが美しい本物だとしたら、版木はその材料でしかないとしたら。女性の美しさをうたった詩は偽物で、美しい女性だけが本物なのだろうか。それとも女性は美しい詩を作るための材料にすぎないのだろうか。
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単行本p.60


 終戦直後の混乱期を舞台にしたミステリだと思って読むと困惑することになります。これまでの作品と同じく、提示された謎は背景に過ぎず、解明されるとか、そういうことは期待してはいけません。

 本物と偽物は境界線でくっきりと分かれるものだろうか。そもそも「本物」という属性はどこに存在しているのか。それは対象に内在しているのか、それとも周囲の人々がそのように扱うという社会的状況こそが本物と偽物を分けるのか。そしてラストシーンでは、これらの問いを象徴するような紙幣(通貨)、たくさんのそれが空を舞い飛ぶ美しい情景にたどり着くのです。


『ラピード・レチェ』


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 彼のたすきはつながるんだろうか。そうして私は、いつの間にかつかんでいるこの、自分のたすきをだれに手渡そうとしているんだろう。沿道や、建物のバルコニーから何人かの人が旗を振って私たちを鼓舞しているのが、視界のはじっこに見えた。私は、視界のどこかにアレクセイがいないか、期待してしまう。アレクセイは、マオイストと私、どっちに向かって希望の旗を振ってくれるんだろう。
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単行本p.143


 日本で開発された新競技を普及させるために、とある国に、指導者として赴任してきた語り手。異文化、慣れない習慣、妙に印象的な友だち。トレーニングには真面目に取り組むものの競技を理解しているのかどうかよくわからない選手たち。かつて謎競技〈怪獣上げ〉で読者を魅了した著者が、新たな謎競技(駅伝競走がモデル)の普及活動を通じて、世界のわからなさとそのなかで生きてゆくことについて描いた短編。





タグ:高山羽根子
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『Genesis 白昼夢通信』(石川宗生、中村融、川野芽生、西崎憲、松崎有理、水見稜、他) [読書(SF)]

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 創元SF短編賞について、この場をお借りして大事なお知らせがあります。(中略)《傑作選》の刊行終了にともない、次回第11回から選考体制を一新し、この《Genesis》を受賞作発表の場といたします。
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単行本p.252


 書き下ろしの小説7篇とエッセイ2篇を収録した、『Genesis 一万年の午後』に続く創元日本SFアンソロジー第二弾。単行本(東京創元社)出版は2019年12月、Kindle版配信は2019年12月です。

 ちなみに前巻の紹介はこちら。

2018年12月26日の日記
『Genesis 一万年の午後』(宮内悠介、高山羽根子、宮澤伊織、他)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-12-26


〔目次〕

『配信世界のイデアたち』(高島雄哉)
『モンステリウム』(石川宗生)
『地獄を縫い取る』(空木春宵)
『エッセイ アンソロジーの極意』(中村融)
『白昼夢通信』(川野芽生)
『コーラルとロータス』(門田充宏)
『エッセイ アンソロジストの個人的事情』(西崎憲)
『痩せたくないひとは読まないでください。』(松崎有理)
『調律師』(水見稜)




『モンステリウム』(石川宗生)
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 怪物は泉のようだ。焦げ茶や群青など抑えめの色調をまとっているけど、太陽の位置や見る角度によって薄緑色になったり深い紅に輝いたりする。目を凝らすと、小魚、緑の藻、小エビ、プランクトン、ネッシーとさまざまな模様が浮かび上がってくる。錯覚のなかでしか生きられない、霞の命の水生生物だ。けど、凝視し続けると、そこにいるのが水生生物だけではないことにはっと気がつかされる。体毛の揺らめきがヒョウになる。一本一本が絡まりあってボノボになる。影と影が融けあって夜になる。きらめいて昼に。草原に。大西洋に。エッフェル塔に。深い、深い井戸の底で、わたしが手を振っている。
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単行本p.49


 あるとき町に怪物が現れる。ほとんど動かず、ただそこにいるだけの巨大な存在。人々はその周りで様々な活動を繰り広げるが……。バラード風の状況から奇妙な余韻を残す短編。


『白昼夢通信』(川野芽生)
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 展示室や学芸員室のある一階から暗い色の木の階段を上ると、二階はもう静まり返っていて、その一番奥の扉にかかった不似合いにファンシーな札の、「開室中」の面を表にして中に入ると、空気はほんとうに冷え切っていて。奥にひとつだけある窓の向こうでは、ますます強くなる粉雪が白く渦巻いていたけれど、それを見なくても雪が降っているとわかる、ううん、雪の日じゃなくてもあの部屋の中はいつでもしんしんとした雪野だったんだと思うの。わかってもらえるかな、雪と埃は似ていて、埃と積み重なるページも似ていて、図書室や書庫というのは目に見えないものがしんしんと降り積もっていった気配に充ちている。あるいは、蛤の吐いた息が蜃気楼になるって言うでしょ、本にも本の呼吸があって、それが雪の蜃気楼みたいなものを作っているような気がする。わたしは本の吐く息のその冷たさが好きで、自分の体も冷えていっていつか一冊の本になれるんじゃないかって気がして。
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単行本p.120


 大学の図書館で出逢った二人が、文通を始める。夢の気配を増してゆく文面。誰が誰に書いた手紙なのかも曖昧になってゆく。幻想的な書簡体小説。


『痩せたくないひとは読まないでください。』(松崎有理)
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 現政府は加速する肥満率上昇傾向を打破すべく国民的イベントを企画した。国民のなかから抽選で参加者五名を選ぶ。なおBMIが高いほど参加権の当選率があがるしくみだ。
(中略)
 うわあ、すごい。優勝したら大金持ちだ。しかもスリムな体になってタレントあつかいだなんて。
 たった五人のうちのひとりとなった幸運に舞いあがった。アイスクリームのパッケージを持ちあげてばんざいしたあと、中身をきれいにたいらげた。以上は彼女にとっておやつである。夕食はいつもの宅配ピザで3Lサイズを注文した。ふだんは2Lでがまんしてるけど、今夜はちょっとだけ多めに食べてもいいよね。だって優勝したら痩身術を受けられるんだし。
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単行本p.193


 医療費削減のために政府が打ち出した恐怖のデスゲーム。参加者はあの手この手で繰り出される美食への誘惑に耐えなければならない。誘惑に負ければ、死、あるのみ。果たして生き残るのは誰か……。「本作の執筆中にニキロ痩せた」(作者あとがきより)という、ダイエット時の心象風景を表現したと思しき抱腹絶倒の悪いこと言うパンダSF。


『調律師』(水見稜)
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 人々は合唱し、神々に祈る。天と地と、その間にある重力を感じる。
「ああ、いい気持ちだ」とマイケルは薄目をあけて父の耳元でささやいた。「ここに帰ってきてようやく思い出した。心臓の鼓動と音楽が合っている。――人間には音楽が必要なんだ」
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単行本p.245


 火星に運ばれてきたグランドピアノの調律を担当することになった調律師。楽器や演奏に対する重力の影響、そして人間の身体に対する音楽の影響。「天体の音楽」をテーマに奏でられる音楽SF。





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『雲』(エリック・マコーマック、柴田元幸:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 たぶん、信じるかどうかというより、そうした事柄に関して私が考えることは、一種の願望なのだ。トールゲートのような陰惨で残酷な場所で生まれ育つと、人間が存在していることに意味があると確信するのは時に困難である。でも私たちの大半は、理性から見てどう思えるにせよ、自分の人生が何かを意味していると考えたがっているのではないか。だから、キャメロン・ロスや幽霊長屋の件も、さらなる不可解な出来事一般も、内容は不快であれ、とにかくこの世界には見た目以上のものがあるのだという、歓迎すべき証しに思えるのではないか。
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単行本p.83


 どうにも薄気味の悪い奇想、提示されるだけで解決されない謎、受け入れざるを得ない世界の不可知性。『隠し部屋を査察して』『パラダイス・モーテル』『ミステリウム』で読者を魅了した高純度オカルト気分を満喫できる作家、マコーマックの最新長編。超自然現象めいた奇怪な「雲」の記録から始まる先読み不能な旅の物語です。単行本(東京創元社)出版は2019年12月、Kindle版配信は2019年12月。


 ある一人の青年がスコットランドの小さな町を飛び出して、世界中の辺境をまわり、やがて年老いてからその町に戻ってくる。それだけの話ですが、これがものすごく面白い。いつまでも読んでいたい、と思わせる魅力にあふれています。


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 思いがけずその名を、ここ別半球で目にして、私は思わず息を呑んだ。ダンケアンはスコットランドのアップランドにある、私が若者だったころつかのま滞在した小さな町である。その町で、あることが起きて、私の人生の軌道が丸ごと変わった。それは忘れようのない体験だった。そして理解しようもない体験だった。
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単行本p.12


 いかにもマコーマックらしく、次から次へと奇怪なエピソードが登場します。登場人物の言葉を借りれば「超自然というのとは少し違うかもしれないけど、どうなってるんだろう、と考えてしまうくらい奇怪ではある」(単行本p.83)という、微妙かつ独創的なエピソードの数々。まるで寄り道のようにも思えるそうした挿話こそが、実は物語の中核なのかも知れません。


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「どうしても解けない謎には、何かとても心に訴えるものがあると思うんだ。僕たち人間の心みたいに」
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単行本p.316


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「科学者にひとつ信じねばならないことがあるとすれば、それは合理的思考の力だ。これは命よりも大事なことなんだ」
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単行本p.349


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「人間らしくあるために、人は何と大きな代償を払うことでしょう」
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単行本p.413


 いくつかのエピソードは過去の作品とも共通しています。鉱山で起きた事故で多数の坑夫が片足を失った話とか、梁から逆さ釣りになって行う性交とか、住民たちが致死的な喋り病にかかって次々と死んでゆくとか。過去のマコーマック作品タイトルがパロディ的に登場したりもします。『断層の査察』『パラディン・ホテル』『ウィステリウム』といった具合。


 個人的に好きなのは、個々のエピソードが積み重なってゆくうちに、何というか「オカルト気分」のようなものが醸成されてゆくところ。


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 私はいつしか、ここにたどり着くまでにどれだけ遠回りしてきたかに思いをめぐらせていた。私も人並に驚異や神秘に出遭ってはきた。人生、それなりに長く生きていれば、たぶん誰だってそうだろう。だが宿命だの運命だの、何か隠れた曖昧な力を信じる人間であれば、すべては不可避的に『黒曜石雲』の発見へと通じていたのだ、そしてついにはわが人生におけるもっとも執拗な謎の解明へとつながっていくのだ、などと唱えても不思議はあるまい。
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単行本p.120


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 二つの空恐ろしい経験を、白昼落着いて客観的に、それこそ技師にでもなったつもりで考えてみると、合理的な説明を割り出すのは難しくない。(中略)
 落着いて客観的でいられるときは、それで済む。
 だがいったんそうした精神状態が過ぎると、合理的に並べた説明は、必死に捏造した、何とも空疎なものに思えてくる。しょせん自己欺瞞でしかない。自分が本当に恐れているもの、言葉が予言になってしまうのを恐れてすることもできないくらい心底恐れているものを認めぬための方便にすぎない。
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単行本p.450、451


 実のところ、マコーマック作品としては珍しく、冒頭で提示された「謎」はそれなりに解けるのですが、いっけん解決したように見えてもオカルト気分や不可知論的世界観は何も変わらないというのがとってもマコーマック。翻訳者によるあとがきに、マコーマックのどこが魅力的なのかを完結にまとめた一文があり、深い共感とともに引用しておきます。そうなんですよ、マコーマック。もっとみんなマコーマック読もう。


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 自分は何でこの人の書くものがこんなに好きなんだろう、と思う作家が誰にでもいるのではないかと思う。僕にとってスコットランド出身、カナダ在住の作家エリック・マコーマックは、間違いなくそういう書き手の一人である。
 Macabre(不気味な、猟奇的な)というぴったりの奇怪なエピソードが頻繁に現れるものの、ほとんどつねにどこかユーモラスな感じも伴っている。心惹かれる謎が提示されても解決されるとは限らず、世界が謎であることが静かに再確認されているようでもあるが、単に構成がルースなのではと思えることもないではない。他者の不透明性、世界の不可知性がたびたび、諦念のような、だがどこか面白がっているようでもある気分とともに受けとめられる。そうしたすべてが、僕の個人的なツボにはまり、ああいいなあ、と思いながら至福の読書時間が過ぎていく。
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単行本p.454





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