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『掃除婦のための手引き書』(ルシア・ベルリン、翻訳:岸本佐知子) [読書(小説・詩)]

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 たとえ時間はかかっても、最上の作家はいつかはきっとミルクのクリームのように表面に浮かびあがると――そして正当な評価を得て、広く世界に知られるようになるはずだと、私はずっと信じてきた。そうして彼らの作品は語られ、引用され、教えられ、演じられ、映画になり、曲をつけられ、アンソロジーに編まれるようになる、と。もしかしたらこの作品集によって、ルシア・ベルリンは今度こそ、本来得るべきだった多くの読者を獲得することになるかもしれない。

 ルシア・ベルリンの文章ならば、私はどの作品のどの箇所からでも無限に引用しつづけ、そしてしみじみと眺め、堪能しつづけていられる。
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リディア・デイヴィス「物語こそがすべて」より
単行本p.309


 死後10年を経て「発見」され、さらにそれから5年後に日本語になった、魂をゆさぶる作品の数々。翻訳者である岸本佐知子さんが選んだ24篇を収録したルシア・ベルリンの短編集。単行本(講談社)出版は2019年7月、Kindle版配信は2019年7月です。


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 母親が自分の寝室で酒を飲んでいる。祖父も自分の寝室で酒を飲んでいる。少女はポーチに寝て、瓶から酒がとくとく注がれる音を二つの部屋からべつべつに聞く。小説内のこと、だがおそらくそれは事実でもあり――いや、というより小説は誇張された事実であり、それがあまりに鋭く観察され、かつユーモラスであるために、読み手は痛みを感じている時ですら、同時に語りの巧みさが快くて、快感のほうが痛みを上回ってしまう。(中略)
 たしかに彼女の小説の中ではいろいろなことが起こる。口の中の歯は一度に全部抜かれる。少女は尼僧を殴ったかどで退学になる。老人は山頂の小屋で、山羊や犬たちと一つ寝床で死ぬ。カビくさいセーターを着た歴史の女教師は、共産党員だったために学校を追われる――〈だがそれで終わりだった。父に言った、たった三つの単語で。その週のうちに彼女はクビになり、二度とわたしたちの前に姿をあらわさなかった。〉
 それがルシア・ベルリンの小説をいったん読みだしたら途中でやめられない理由なのだろうか――出来事がつぎつぎ起こることが? あるいは魅力的で気のおけない語りのなせるわざでもあるだろうか? それと文章の無駄のなさや緩急、イメージやクリアさも? 彼女の小説を読んでいると、自分がそれまで何をしていたかも、どこにいるかも、自分が誰かさえ忘れてしまう。(中略)
 いったい彼女はどうやっているのだろう? とにかく読み手はつねに次に何が起こるかわからない状態に置かれつづける。先の展開がなに一つ読めない。それでいてすべては自然で、真実味があり、こちらの心理と感情の予想を裏切らない。
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リディア・デイヴィス「物語こそがすべて」より
単行本p.296、299、302


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 十数年前に初めてルシア・ベルリンを読んで以来ずっと、なぜ彼女の書くものはこんなにも心を揺さぶるのだろうと考えつづけてきた。今も考えている。だが結局のところ、説明の言葉は重ねるだけ虚しい。ルシア・ベルリンの書くものならどこからでも延々と引用しつづけられる、というリディア・デイヴィスの言葉に全面的に賛成だ。ルシア・ベルリンの小説は、読むことの快楽そのものだ。このむきだしの言葉、魂から直接つかみとってきたような言葉を、とにかく読んで、揺さぶられてください、けっきょく私に言えるのはそれだけなのかもしれない。
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岸本佐知子「訳者あとがき」より
単行本p.315




〔収録作品〕

「エンジェル・コインランドリー店」
「ドクターH.A.モイニハン」
「星と聖人」
「掃除婦のための手引き書」
「わたしの騎手」
「最初のデトックス」
「ファントム・ペイン」
「今を楽しめ」
「いいと悪い」
「どうにもならない」
「エルパソの電気自動車」
「セックス・アピール」
「ティーンエイジ・パンク」
「ステップ」
「バラ色の人生」
「マカダム」
「喪の仕事」
「苦しみの殿堂」
「ソー・ロング」
「ママ」
「沈黙」
「さあ土曜日だ」
「あとちょっとだけ」
「巣に帰る」
「物語こそがすべて」(リディア・デイヴィス)




「エンジェル・コインランドリー店」
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「おれは長だぞ! アパッチ族のチーフなんだ! くそったれめが!」
「くそったれはそっちだよ、チーフ」彼は黙って酒を飲みながら、鏡の中のわたしの手を見ていた。
「チーフ様が、なんだって洗濯なんかしてるのよ?」
 どうしてそんなことを言ってしまったのかわからない。こんなひどいこと、言うべきではなかった。彼が笑ってくれるとでも思ったんだろうか。たしかに彼は笑った。
「あんた、どこの部族だ、レッドスキン?」わたしの手が煙草を出すのを見ながら彼は言った。
「わたしが生まれてはじめて吸った煙草はね、さる王子様が火をつけてくれたのよ。信じる?」
「信じるよ。火、いるかい?」彼がわたしの煙草に火をつけ、そしてわたしたちは顔を見合わせて笑った。二人がうんと近づいた、と思ったら彼は気を失い、わたしは鏡の中で独りになった。
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単行本p.16


「掃除婦のための手引き書」
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 ターは絶対にバスに乗らなかった。乗ってる連中を見ると気が滅入ると言って。でもグレイハウンドバスの停車場は好きだった。よく二人でサンフランシスコやオークランドの停車場に出かけて行った。いちばん通ったのはオークランドのサンパブロ通りだった。サンパブロ通りに似ているからお前が好きだよと、前にターに言われたことがある。
 ターはバークレーのゴミ捨て場に似ていた。あのゴミ捨て場に行くバスがあればいいのに。ニューメキシコが恋しくなると、二人でよくあそこに行った。殺風景で吹きっさらしで、カモメが砂漠のヨタカみたいに舞っている。どっちを向いても、上を見ても、空がある。ゴミのトラックがもうもうと土埃をあげてごとごと過ぎる。灰色の恐竜だ。
 ター。あんたが死んでるなんて、耐えられない。でもあんただってきっとわかってるはずね。
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単行本p.56


「わたしの騎手」
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 通訳しているあいだ、ジョンソン先生がわたしのおでこを拭いてくれた。鎖骨はまちがいなく折れてます。それに肋骨がすくなくとも三本、脳震盪の可能性もあります。いやだ、とムニョスは言った。絶対に明日のレースに出る。レントゲンにつれていって、とジョンソン先生は言った。頑としてストレッチャーに乗ろうとしないので、わたしがキングコングみたいに抱えて廊下を運んでいった。彼はおびえて泣いて、涙でわたしの胸が濡れた。
 暗い部屋で二人きり、レントゲン技師が来るのを待った。わたしは馬にするみたいに彼をなだめた。「どうどう、いい子ね、どうどう。ゆっくり……ゆっくりよ……」彼はわたしの腕のなかで静かになり、ぶるっと小さく鼻から息を吐いた。その細い背中をわたしは撫でた。するとみごとな子馬のように、背中は細かく痙攣して光った。すばらしかった。
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単行本p.67


「ママ」
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 母は変なことを考える人だった。人間の膝が逆向きに曲がったら、椅子ってどんな形になるかしら。もしイエス・キリストが電気椅子にかけられてたら? そしたらみんな、十字架のかわりに椅子を鎖で首から下げて歩きまわるんでしょうね。(中略)
「愛は人を不幸にする」と母は言っていた。「愛のせいで人は枕を濡らして泣きながら寝たり、涙で電話ボックスのガラスを曇らせたり、泣き声につられて犬が遠吠えしたり、タバコをたてつづけに二箱吸ったりするのよ」
「パパもママを不幸にしたの?」わたしは母に訊いた。
「パパ? あの人は誰ひとり不幸にできなかったわ」
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単行本p.202、203


「あとちょっとだけ」
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 世間の人が幽霊の存在を信じたり、降霊会で死者を呼ぶ気持ちがわたしにはわかる。何か月も生きている人のことだけ考えて暮らして、でもある日ふと一曲のタンゴや一杯のスイカ水に誘われて、バディがあらわれて冗談を言ったり、すぐ目の前にあなたが活き活きと立っていたりする。あなたと話せたらどんなにいいか。あなたは耳の聞こえない猫よりわるい。
 つい二、三日前、ブリザードの後にもあなたはやって来た。地面はまだ雪と氷に覆われていたけれど、ひょっこり一日だけ暖かな日があった。リスやカササギがおしゃべりし、スズメとフィンチが裸の木の枝で歌った。わたしは家じゅうのドアと窓を開けはなった。背中に太陽を受けながら、キッチンの食卓で紅茶を飲んだ。正面ポーチに作った巣からスズメバチが入ってきて、家の中を眠たげに飛びまわり、ぶんぶんうなりながらキッチンでゆるく輪を描いた。ちょうどそのとき煙探知機の電池が切れて、夏のコオロギみたいにピッピッと鳴きだした。陽の光がティーポットや、小麦粉のジャーや、ストックを挿した銀の花瓶の上できらめいた。
 メキシコのあなたの部屋の、夕方のあののどかな光輝のようだった。あなたの顔を照らす日の光が見えた。
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単行本p.268





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