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『ぶたぶたのシェアハウス』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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 どこへ行ったらいいのかわからなかった智世に、別の世界もあると教えてくれたのがぶたぶただったのだ。そこでは、ぬいぐるみが傷ついた人たちを笑顔にしてくれたり、おいしいものを食べさせてくれたりする。(中略)
 人間、今が幸せだと、過去を忘れるのも少し容易になるのかもしれない、と智世は思った。昔も確かに幸せだったんだろうけど、今の方がずっといい。幸せは過去を上書きしてくれる。たとえそれがささやかな幸せであっても。
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文庫版p.153、158


 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、中身は頼りになる中年男。そんな山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。大好評「ぶたぶたシリーズ」は、そんなハートウォーミングな奇跡の物語。

 最新作は「響子さんに負けず劣らずかわいい、ぶたぶたの管理人さん」(作者談)が活躍する、女性専用シェアハウスを舞台にした五つの物語を収録した連作短編集。離婚や虐待など重い背景を持った話ばかりですが、そこは癒しの名手ぶたぶた、何とかなります。NNNシリーズとのクロスオーバー、ぶたぶたの家庭事情の一端など、ファン向けサービスも充実。文庫版(光文社)出版は2020年01月です。


[収録作品]

『ワケアリの家』
『自分のことは』
『行かなかった道』
『優しくされたい』
『るーちゃん』




『ワケアリの家』
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「あの」
 実里は思い切ってぶたぶたに訊いてみた。
「ここはワケアリの人が多いと聞いたんですが」
 弓花がここを教えてくれた時、チラッと言っていたのだ。
「いや、そこまでじゃないと思いますよ」
 ぶたぶたは言う。
「問題があるにしても、それは人なら大なり小なり持つものです。ワケアリになんてなりたくてなるもんじゃないと思いますし(中略)それに『ワケアリ』って言ったら、わたしが一番かもしれないですからね!」
 そう言って、なんとなくだが胸を張ったように見えた。
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文庫版p.35


 いわゆる毒親である母親の支配から逃れて自立するために「シェアハウス&キッチンY」で一人暮らしをはじめた語り手。ところが母親に居場所を突き止められて……。舞台となるシェアハウスとシェアキッチン、そして管理人ぶたぶたを紹介する導入話。


『自分のことは』
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 うつむいたまま、家に帰る。冷たくほこりっぽい臭いのする家に。なんだか、また泣けてきた。
 宗昭は靴も脱がず、玄関に座り込んだ。誰も出迎えてくれない。善美は家を出るまで、出迎えてくれた。それはどうしてだろう。離婚をしたいくらい嫌っていたはずだ。突然嫌いになるわけはなかろう。
 でも、妻は家を出るまでちゃんと掃除をして、食事も作ってくれた。自分の生活は、宗昭自身で整えられていたわけではなかったのだ。
 しばらく座り込み、涙が止まったところで家に上がった。ひらりと持っていたチラシが落ちる。
 あのキッチンのイベントカレンダーか……。月に一度の手作り市、平日には昼食会、週末には料理教室――ほぼ毎日イベントが行われている。
 その中で宗昭の目を引いたのは、「家事初心者講座」というものだった。
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文庫版p.98


 家事を奥さんに丸投げしてきた夫が、熟年離婚を切り出される。妻が出て行った家はどんどん荒んでゆく。傲慢で無神経なだけで何も出来ない自分にようやく気づいた夫は、何とかしようと、山崎ぶたぶた氏による「家事初心者講座」に参加してみたが……。典型的なダメ中年男性でも、自分で自分の人生を救おうと決意すれば、そこにぶたぶたとの出会いが待っている、かも知れない。

 社会の分断に対する危機感からか、本書に限らず近作には、不愉快な人、共感できない人、友達になりたくない人、そういった「嫌な人」をあえて視点人物にして、それでもその人なりに人生があり悩みがあり、許容はともかく共存はできるのだ、ということを書くのに挑戦した話が増えているような気がします。


『行かなかった道』
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 彼がぬいぐるみであることをあまり考えないように対応するうちに、相談されたシェアハウスに興味を持った。
「DVや虐待で行き場を失った人のシェルターとしても利用してもらいたいんです。一時的な安息の場所として、セキュリティもしっかりしたい」
 そういう人たちを支援しているNPOとも連携すると言っていた。もちろん、それ以外の人も入れる予定だという。その場合は紹介や面接などで「ここが必要」と判断した人だけに絞りたい、とも。
「理想論ですけどね」
 ぶたぶたはそう言って笑った。
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文庫版p.152


 好きなミュージシャンの話で盛り上がり、年上の女性と友達になった高校生。チケットが手に入ったというので一緒にライブに行こうと思ったのに、彼女は行けないという。実は辛い過去があったのだ。傷ついた女性を保護するシェルターでもある「シェアハウス&キッチンY」の由来が明らかになる作品。


『優しくされたい』
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 こんなに悲しいのなら、もう猫なんて飼わないと思っていた。両親の死とは違う悲しみだった。いや、最後の家族を失ったことでまひるはより打ちひしがれてしまったのだ。このままずっと一人でいることばかり考えていた。
 だから、あのシェアハウスに入りたかった。暖かな輪に混ざりたかった。ぶたぶたに優しくしてもらいたかった。
 でも、小さな毛玉のような子猫を抱えた時、自分は優しくしてもらいたかったのではなく、誰かに優しくしたかった、とわかったのだ。
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文庫版p.195


 両親に続いて飼い猫まで亡くなり、天涯孤独になってしまった語り手。一人は寂しい、誰かに優しくされたい。念願かなってぶたぶたのシェアハウスに入居するチャンスが来たとき、まさかのタイミングで子猫を拾ってしまう……。ぶたぶたとミケさん夢の共演、NNNシリーズとのクロスオーバー作品。


『るーちゃん』
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「知らないおじさんに声かけられた!」
 とあたしが言うと、みんな「ええっ!?」と叫んで、あわててお父さんを呼んでくれた。
 お父さんの姿を見て、あたしは泣き出してしまう。
「お父さん、お父さんはお父さんだけだよね!?」
 怖かったのもあるけど、それが一番のショックだった。あたしのお父さんは、ぬいぐるみのお父さんだけだ!
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文庫版p.208


 ご存じの通り、ぶたぶたには奥さんと二人の娘がいます。姉が語り手となる話はありましたが、妹が語り手となるのはおそらくはじめて。その妹さんが、友達と一緒に歩いているときに、知らないおじさんから「パパだよ」と声をかけられる。これまでの作品でも、うちは再婚だとぶたぶたが語っていたので、子連れの女性と結婚したのだろうとは思っていましたが、実のところ山崎家の家庭事情について真面目に考えたことはなかった……。





タグ:矢崎存美
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