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『短篇ベストコレクション 現代の小説2019』(日本文藝家協会:編) [読書(小説・詩)]

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 1980年代までのいわゆるバブル景気がはじけた後に到来した平成は、一口で言えば誰もが生きにくさを感じた時代だった。右肩上がりの成長神話が完全に崩壊し、自分の未来は薔薇色だ、と口にできるのはよほどの楽天家だけになった。
 平成という時代の担い手は、年号が替わってすぐに到来した就職氷河期の体験者である。自分の足元を見つめて歩く慎重さが求められ、能天気な言動をする者に対しては周囲からの非難が集中する。いわゆる「炎上」現象である。その一方で、高度情報化社会を器用に使いこなし、企業や権力者などの後ろ楯を必要とせずに一般からの支持を集める、ネットワーク化社会ゆえの英雄も登場した。
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文庫版p.691


 2018年に各小説誌に掲載された短篇から、日本文藝家協会が選んだ傑作を収録したアンソロジー。いわゆる中間小説を軸に、ミステリ、ホラー、震災小説、戦争文学まで、「平成」という時代を総決算するような作品が幅広く収録されています。文庫版(徳間書店)出版は2019年6月です。


[収録作品]

『時計にまつわるいくつかの嘘』(青崎有吾)
『どうしても生きてる 七分二十四秒めへ』(朝井リョウ)
『たんす、おべんと、クリスマス』(朝倉かすみ)
『代打、あたし。』(朝倉宏景)
『魔術師』(小川哲)
『素敵な圧迫』(呉勝浩)
『喪中の客』(小池真理子)
『ヨイコのリズム』(小島環)
『スマイルヘッズ』(佐藤究)
『一等賞』(嶋津輝)
『エリアD』(清水杜氏彦)
『pとqには気をつけて』(高橋文樹)
『傷跡の行方』(長岡弘樹)
『胎を堕ろす』(帚木蓬生)
『円周率と狂帽子』(平山夢明)
『銀輪の秋』(藤田宜永)
『牧神の午後あるいは陥穽と振り子』(皆川博子)
『守株』(米澤穂信)




『時計にまつわるいくつかの嘘』(青崎有吾)
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 完全受注生産、完成時に一度時間を設定したら最後、誤差を自動修正して死ぬまで絶対狂わないって触れ込みの高性能電波時計。よっぽど自信があるんでしょうね。見てください、デザイン優先でリューズがどこにもついてない。ですから人為的に時間をずらすこともできません
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文庫版p.14


 公園で何者かに襲われ死亡した女性。容疑者である恋人には、鉄壁のアリバイがあった。さっそく犯行方法担当の倒理がアリバイ破りに挑戦するが、動機担当の氷雨は「これは自分の出番だ」と直感する。壊れて止まった腕時計に隠された秘密とは。不可能専門探偵と不可解専門探偵、相棒にしてライバルの二人が組んで謎を解くバディ探偵もの連作ミステリシリーズの一篇。単行本の紹介はこちら。

  2018年08月02日の日記
  『ノッキンオン・ロックドドア』(青崎有吾)
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-08-02


『どうしても生きてる 七分二十四秒めへ』(朝井リョウ)
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 女性が女性として生きること。この時代に非正規雇用者として働くこと。結婚しない人生、子どもを持たない人生。平均年収の低下、社会保障制度の崩壊、介護問題、十年後になくなる職業、健康に長生きするための食事の摂り方、貧困格差ジェンダー。生きづらさ生きづらさ生きづらさ。毎日どこに目を向けても、何かしらの情報が目に入る。生き抜くために大切なこと、必要な知識、今から具えておくべきたくさんのもの。それらに触れるたび、生きていくことを諦めろ、そう言われている気持ちになる。
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文庫版p.79


 社会から踏まれ、差別され、なかったことにされる人生。そんな彼女にとって、あるネット動画を流す7分23秒だけが息継ぎのできる時間だった。こんなくだらないことでお気楽に喜んでいられる男たち。自分もこんな生き物だったら、もっと楽に生きられたのだろうか。非正規労働者の女性が置かれている絶望的な状況を共感をこめて描く切ない短篇。


『代打、あたし。』(朝倉宏景)
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 丈瑠はちらっとベンチに目をやった。ユニフォーム姿のシヅが監督然とした、堂々とした態度で腕を組み、腰をかけている。「代打、俺」ならぬ「代打、あたし」を、さらりとやってのけそうなほどの威圧的なオーラを放っているが、登録上はただの控え選手である。
 定時制通信制軟式野球の公式戦では、選手に性別と年齢の制限は存在しない。当然、昼間に働いている社会人が生徒に多いからだが、まさか八十三歳の老婆が出場することなど、誰も想定していないだろう。
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文庫版p.130


 「たった一回でいいんだ。最後の大会、打席に立たせておくれよぉ」
 定時制高校に通う83歳のおばあさんが、軟式野球の公式戦で打席に立つ。いくら何でもそれは自殺行為だということで、何とかして引き止めようとするチームメイトたち。しかし、ほぼ負け確定の九回裏、ついにそのときがやってくる。奇跡は起きるのか、それとも鬼籍が待っているのか。戦争から経済格差まで弱いものに押し付けられる理不尽な扱いに一矢むくいようとする姿を感動的に描いた変化球スポーツ小説。


『魔術師』(小川哲)
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「竹村理道は天才だよ。マジシャン史上、最大の天才。こんな仕掛けを思いついて、かつそれを実行するなんて、天才かつ狂ってないと無理。もし彼が天才じゃないのなら……」
「のなら?」
 その次の言葉を、僕は死ぬまで忘れないだろう。
「タイムマシンが本物だった。ただそれだけ」
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文庫版p.202


 舞台上の「タイムマシン」に乗って、数十年もの過去に戻ってきたと主張する天才マジシャン。提示された証拠には圧倒的な説得力があった。本当にタイムトラベルしたのか、それとも誰にも見破れない仕掛けがあるのだろうか。SFかミステリか、どちらに転ぶか最後まで分からないトリッキーな短篇。


『素敵な圧迫』(呉勝浩)
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 その夜、冷蔵庫におさまりながら、広美はいろいろ考えた。これまでにないくらい、考えた。人生初の、身の危険。一方の天秤に、人生最高の圧迫がのっている。こんなにも悩ましい選択があるのかと、身もだえしそうだった。(中略)
 けれど得られる圧迫は、凄まじい。人生を懸けてしまいそうになるほどだ。この悦びに勝るものなどないんだと、追いつめられてはっきりわかった。うれしいような、うんざりするような発見だった。
 手放すには惜しすぎる。けれど破滅はしたくない。この素敵な圧迫を、可能な限り長引かせる方法はないものか。
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文庫版p.238、239


 何かにはさまって圧迫されることで強い快感を得る女性が陥った三角関係。相手の男は正直どうでもいいけど、この危険な泥沼の三角関係にはまってゆく感じが素敵。ライバルからの脅迫、破滅の予感、その強烈な圧迫感に酔いしれる彼女が渡る決意をした危ない橋とは。異常心理サスペンスでありながら、どこかユーモラスな短篇。


『喪中の客』(小池真理子)
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 滝子はマッチをすって蝋燭に火をともし、線香を焚き、線香台の真ん中に一本立てて手を合わせた。何を考えているのか、わからなかった。何のために来たのか。本気でこんなことをするために、やって来たというのか。憎んでいるのか。未だに嫉妬にかられているのか。運命そのものを呪う気持ちから抜けられずにいるのか。
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文庫版p.296


 既婚者の男と不倫していた妹。その妹と、相手の男が、密会中に事故死してしまう。やがて死んだ男の妻が、語り手の家にやってきて、妹さんの遺影に線香をあげたいという。自分の夫の浮気相手になぜそんなことを。何か恐ろしいことが起きるような不安感をぐんぐん盛り上げてゆき、予想外の方向へ展開する傑作サスペンス小説。


『傷跡の行方』(長岡弘樹)
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 この男は、ただぼくを見逃したのではない。いったん見逃したに過ぎない、ということだ。
 ぼくはドアをゆっくりと閉めた。男の車が走り出した。一刻も早くこの男の前から逃げ出したい。いましがたまでそう思っていたのに、車が道を曲がり、完全に視界から消えるまで、ぼくはなぜか彼の姿をずっと追いかけていた。
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文庫版p.542


 震災直後、津波で大被害が出た地域を歩いていた語り手が、ヒッチハイクする。会話を避ける無愛想な運転手。そして後部座席には子どもの姿。そのとき被災地域で起きている連続児童誘拐事件の報道がテレビから流れてくる。後ろにいる子どもの顔は、まさに行方不明になっている捜索対象の子どもの写真と同じだった……。ありふれた設定のサスペンス小説と思わせておいて、意外な方向から読者を揺さぶる震災小説。


『胎を堕ろす』(帚木蓬生)
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 この部分の石崎さんの話を聞いたとき、私は息をのむ思いがしたのを憶えている。二十年の四月といえば、終戦いや敗戦までたった四カ月しかない。天と地がひっくり返るような日本の苦難が、その四カ月に凝縮されるのだ。目の前にいる石崎さんはまさにその激動の瞬間の生き証人だった。私はまばたきをするのを忘れ、石崎さんの話に聞き入った。
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文庫版p.558


 「ひとつだけ話しとらんこつがあるとです」
 従軍看護婦として半島で終戦を迎え帰国した年配の女性。その話を聞く医者。やがて、彼女は誰にも話さなかった戦争体験を語り始める。いつもいつも弱いものが、女が、犠牲にされる戦争のむごさを描いた戦争文学。


『牧神の午後あるいは陥穽と振り子』(皆川博子)
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 木々の葉は黄ばんできたが、私の背丈の倍ほどに、すっくと育った夾竹桃の葉は青い。初めて実をつけた。風の冷たい朝、郵便受けから出した朝刊が、外界の不穏な情勢を伝える。種が舞い散る。刃のような光が空を裂いて振り戻りつつある。地に近づく。
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文庫版p.664


 戦前、友だちの家で横光利一『日輪』を読みふけった幼い少女。古から繰り返される大殺戮。見た目は美しく「花も幹も枝も葉も、全部毒性を持っている」夾竹桃。そして再び近づいてくる、逃れようのない刃のような光。直接語ることなく語ってみせる驚嘆の戦争文学。


『守株』(米澤穂信)
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 消火器は崖から乗り出すように置かれていて、その真下にはごみ集積場があるのです。あんな重いものが落ちて、もし人に当たりでもしたら、大怪我は必至です。崖の上の消火器に気づいてからは、朝晩の通勤のときに集積所から離れて歩くようになりました。
 私は最初、あんなところにある消火器は、すぐに片づけられるだろうと思っていました。消火器は私の観察力が優れているから見つけられたわけではなく、誰でも一目見ればわかるところにあったのですから、近所の人も自治体の人たちも気づいていたはずです。危険な状態はせいぜい一週間か二週間ぐらいで解消されるだろうと思っていたのです。
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文庫版p.672


 ごみ集積所のすぐ上、崖のふちに引っ掛かるように置かれている消火器。もしも誰かが集積所にいるときに落ちでもしたら……。誰もがそれを知っているのに、誰もそれを片づけようとしない。いかにもありそうな状況を扱いながら、読者が密かに持っている「自分も無意識のうちに江戸川乱歩のいう「プロバビリティーの犯罪」に加担しているかも知れない」という不安心理を巧みについてくる心理サスペンス小説。



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