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『マネキン人形論』(勅使川原三郎) [ダンス]

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 父は物質という不思議なエレメントの賛仰を切りもなくつづけた。生命のない物質は存在しない――と父は教えた――生命がないのはただの見せかけであり、その向うには生命の未知の形が隠されている。それらの形は大小、無限の規模を持ち、陰影、ニュアンスも数限りない。造物主は重要な、また興味深い様々な創造の処方を持ち合わせていた。それによって彼は自ら更新する力を具える無数の種を創造した。
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『マネキン人形論あるいは創世記第二の書』(ブルーノ・シュルツ:著、工藤幸雄:翻訳)より


 2019年6月22日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんの公演を鑑賞しました。ブルーノ・シュルツの短篇を原作とする60分の作品です。

 前作『青い記録』と対照的な印象を受ける作品です。前作では青が主役でしたが、今作は赤。服装から照明まで刺激的な赤が多用されます。静謐なシーンの多かった『青』と比べてかなり激しく踊るシーンも多く、またガラスが暴力的に割られる音(実際にガラスを床に叩きつけて割るシーンが繰り返される)、足踏み式ミシンの作動音(ジャカジャカジャカ……)など、ライブ音も重要な効果として使われています。

 舞台はかなり怪しい印象で、マネキン人形三体(うち一体は出演者、おそらく鰐川枝里さん、が微動もせず演じており、生々しい雰囲気が漂います)、大きな姿見、そして古い足踏み式ミシンが配置され、古典バレエで例えるなら「部屋に引きこもって外出しない不健全なコッペリウス博士」の部屋みたいです。


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 娘たちは身動きもせずに坐っていた、ひとつきりのランプがくすぶっていた、ミシン針の下の布地はとうに滑り落ちているのに、機械だけは虚しくかたかたと鳴り、窓外の冬の夜の経が繰り出してくる黒々とした星のない布にちいさな孔を空けつづけた。
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『マネキン人形論あるいは創世記第二の書』(ブルーノ・シュルツ:著、工藤幸雄:翻訳)より


 マネキン人形たちが生きているように見えてきたり、逆に勅使川原三郎さんが人形のように見えてきたり、ミシンの縫い針が手に刺さりそうではらはらする場面、床に叩きつけて割ったガラスの破片の上を歩く場面など、赤の色調とあいまって不穏な気配が漂います。ダンスのシーンは多く、どれも強烈で、なんだかずっと踊っていたような印象が残ります。



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