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『モン・サン・ミシェルに行きたいな』(田中庸介) [読書(小説・詩)]

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いっさいの意味のいっさいのこだわりのなくなった
いっさいの意味のいっさいのこだわりのなくなった
詩の
行が飛ぶ、滝のように
時の
水の
流れるほどに、
――――
『G/T、前に行く』より


 細胞生物学の研究所から群青色の世界の果てへ。言葉が旅をする詩集。単行本(思潮社)出版は2018年10月です。


 『山が見える日に、』と『スウィートな群青の夢』で、ぬけるような青空の困惑を教えてくれた詩人による、待望の第三詩集。


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私の前に〔偉大な〕詩人が座っていた
田中さんはもっとごじぶんの ordinary life について詩を書かなくてはならないな
と、彼はビールを飲んで言った
あなたにはまず毎日
終電まで働くライフ、そうライフですよ、
じゃんじゃん働く
研究者としての生活というものがあるでしょう、それはいろいろと
書きにくいことであるかもしれないけれども
マージナルなそれを
かかなければ駄目だ
と、彼は重々しくビールを口に含んで言った
――――
『G/T、前に行く』より


 なるほど、箱型ポテンシャル場に置かれた質点(小犬)の運動とか、波のように座標が広がってゆく片対数方眼紙とか、いかにも理系の研究者らしい。


――――
人々は箱のポテンシャルが低すぎると感じている
だが私は箱のポテンシャルが低すぎるとは考えていない
この場合、小犬は
小犬は
十分無視できるほど
小さいものとする
だがそこに
君は知っていたのか
おお、
とりかえしのつかない一つの
悔恨、
それが
ひそんで
いる
――――
『低すぎる箱のポテンシャル』より


――――
文具売場に買いに行く
片対数方眼紙には原点がない。
波のように座標が
ひろがっていき、
またひろがっていき。

涙、あるいは
それからもっとも遠いものとして。
この罫線の青がある。
――――
『片対数方眼紙』より


 片対数方眼紙の青い罫線から遠くへゆけるのが詩のいいところで、旅が始まります。


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抹茶のような新緑の、
すずしげな
山ふところに分け入るのか、
山のぐるりを辿るのか、

初夏の伊豆に、
あたたかい気持ちのような、
分かれ道がある。
――――
『分かれ道』より


――――
細い道が山に向かって続く
左右は田畑、あるいは家屋、私はそれは知らない
プレッシャーでもう、デプレっちゃいそうになったが何とかなりました
何とかなりましたか、
救いとかそんなものはぜんぜんない、
状況は特に改善していない、
ただ、か細い道が続く、

風船が勝手に飛んでいくような、
その勝手を逆再生。
宇宙全体の大爆発が、
あのテーブルのコーヒーカップから始まったとは。
――――
『道の終わり』より


 デプレっちゃいそうになりながら、ついにたどりつく芋畑。


――――
やっとそれが、それがどんな
芋畑だったとしても、おれの全幸福は
この芋畑とともにある。

叫ぶから、叫ぶから。
春の水へ。

叫ぶから、叫ぶから。
春の芋のように。

おれはひとつの、
世界にただひとつのように、
叫ぶ、芋畑だ。
――――
『叫ぶ芋畑』より


 研究室から一歩も出てないような、日々の研究生活について書かれているような気もしてきます。そして机の上には、モン・サン・ミシェルのクッキー。


――――
それでは
この砂州を撤去して
陸地と島に橋をかけましょう
するとまた海流が
残りの砂を運び去る
それは
いつの日か
いつの日か
いつの日か
いつの日か
モン・サン・ミシェルに行きたいな

いつの日か
おれは
モン・サン・ミシェルに行きたいな
いつの日か
ある晴れた日に
おれは
君と
モン・サン・ミシェルに行きたいな
――――
『モン・サン・ミシェルに行きたいな』より



タグ:田中庸介
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