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『リラと戦禍の風』(上田早夕里) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

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「かつて、リラは言いました。『戦禍の風は、子供や大人の区別なく、あらゆる人間を怪物に変える』と。確かにその通りです。人間の社会では、いつの時代でも、そのようなことが簡単に起こり得る。だから僕はそれに対して、横合いから茶々を入れられる者になりたいのです。愚かな社会の狭さを指して、人を恐ろしい風から遠ざけておきたい。それは魔物にしかできないでしょう? 永遠の時を生きる者にしか」
「それは魔物の務めじゃない。虚構(フィクション)の仕事だね」
「魔物なんて、所詮は、虚構(フィクション)みたいなものじゃありませんか。書物や物語と同じなんだ。いつも人に寄り添い続けているという意味でも」
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単行本p.476


 第一次世界大戦当時、塹壕で死にかけていたひとりの若きドイツ兵が、460年も生きてきたという魔物と出会う。魔力とひきかえに彼に与えられたのは、リラという少女を守る使命だった。『セント・イージス号の武勲』から百年後の世界を舞台に、人間と魔物が入り乱れる歴史ファンタジー。単行本(KADOKAWA)出版は2019年4月、Kindle版配信は2019年4月です。


『セント・イージス号の武勲』より
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「上官が部下を思いやったり勇ましく闘ったりーー。こんなのは、木造帆船時代でおしまいだよ。鉄鋼船の時代が来れば、戦争の方法は大きく変わる。大砲や新しい道具がどんどん発達し、これまで以上に、人を人とも思わない潰し合いが始まるだろう。産業の発展は戦争の形まで変える」
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 19世紀初頭を舞台とした『セント・イージス号の武勲』で予感されていた「人を人とも思わない潰し合いの戦争」の時代がやってきた20世紀。戦場では兵士がただ殺され、銃後では人々が飢えて死ぬ。それなのに兵力と新兵器は果てることなく次々と投入され、戦いはいつまでも続いてゆく。


 近代戦のやりきれない悲惨と理不尽を背景に、人間らしさを失ってゆく人間たちと、非情であくどいのにどこか人間くさい魔物たちが入り乱れて活躍する長編です。


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「戦時下の過酷さの中では、子供も子供のままではいられない。子供時代をすっ飛ばして、いきなり大人になってしまうの。この意味がわかるかな。ヒューバーさんから見ると、私は子供のくせに冷たくて残酷なことを言う怪物みたいに見えるかもしれない。でも、それがその通りだとしても、私を怪物に変えたのは戦争よ。戦禍の風は、子供や大人の区別なく、あらゆる人間を怪物に変える。それはヒューバーさんも、よくわかっているでしょう」
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単行本p.160


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「お願いします。僕を魔物にして下さい。僕は人を救うために人であることを捨てます。あなたと出会わなければ戦場で死んでいた身だ。戻る場所もないのだから、好きなように生きさせて下さい。魔物の力を得ることでリラを生涯守り抜き、同時に、なんの罪もない人たちを救えるなら、僕はすべてを捨てられる。何ひとつ惜しくはありません」
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単行本p.171


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「どれほど時間がかかっても変えるわ、そんな世の中は」リラは作業服の袖口をめくり、髪を後ろでひとつにまとめた。「この世に生きるすべての人が、他の誰かから『存在するな』とか『物を考えるな』とか『いつまでも俺たちに支配されてろ』なんて言われないで暮らせる世界を、私たちは何百年かかってでも作りあげる」
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単行本p.385


 登場人物たちはいずれも二面性を抱えています。恐ろしいほど非情な一面を見せるととに、驚くほどナイーブで情熱的に理想を語ったりします。斜に構えた態度を崩さない魔物たちも、人間の熱意にほだされたり、何のかんの言いながら人間を助けたり。


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「『人間である』とは、どういうことなのか。おそらく人間は、常にそれを己自身に向かって問い続けていなければ、容易に、人でないものに変わってしまうのだ。不断に問い続けることで、かろうじて人は人であり続けられる。その問いを自ら捨てた結果が、この無残な欧州大戦そのものじゃないのかね」
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単行本p.414


 魔物(妖怪)に託す形で「人間とは何なのか」と問い続けるという意味では、セント・イージス号よりも、むしろ『妖怪探偵・百目』のシリーズに近いような印象を受けます。魔物たちによる楽しそうな百鬼夜行シーンも登場しますし。



タグ:上田早夕里
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