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『空飛ぶクルマ 電動航空機がもたらすMaaS革命』(根津禎) [読書(サイエンス)]

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 2018年になると、長らく空飛ぶクルマの製品化に取り組んでいた新興企業が製品化を発表したり、これまで「ステルス」状態にあった新興企業が表に出たりと、空飛ぶクルマの実現に向けて、業界が大きく動いた。さらにフランスAirbus(エアバス)グループや米Boeing(ボーイング)、英Rolls-Royce Holdings(ロールス・ロイス ホールディングズ)といった航空機分野の大手メーカーも、その進捗状況をアピール。自動車メーカーも取り組みを明かすなど、大小や新旧の入り乱れた、業界をまたぐ激しい主導権争いが勃発している。
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単行本p.4


 渋滞に巻き込まれることなくビルの屋上から屋上へと飛ぶタクシー。内燃機関(ジェットエンジン等)がなくCO2を排出しない航空機。数年後に迫った商用サービス開始を見据えた「バッテリーとモーターで空を飛ぶ航空機」の開発競争と次世代交通インフラ支配をめぐる激しい攻防の現状を紹介してくれる一冊。単行本(日経BP)出版は2019年4月、Kindle版配信は2019年4月です。


[目次]

序章 離陸する「空飛ぶクルマ」、先行する海外勢を日本が追う
第1章 勃興する新市場「空飛ぶクルマ」
第2章 電動化が変える航空機市場
第3章 破壊的イノベーションに備える航空大手
第4章 加速する電動化技術の革新
第5章 電動航空機を日本の基幹産業に


序章 離陸する「空飛ぶクルマ」、先行する海外勢を日本が追う
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 空飛ぶクルマの市場が本格化するのは2025年以降とされ、「ずっと先の話」と思われるかもしれないが、新しい乗り物だけに、安全性の確保や安全基準の策定、運航管理システムの整備、技術開発など、実現に必要なエコシステムの形成に時間がかかる。すなわち、今まさに取り組み始めないと世界競争を勝ち抜けない。
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単行本p.4


 次世代の交通運輸システムを大きく変革する電動航空機。激化するその開発競争の現状を簡単にまとめます。


第1章 勃興する新市場「空飛ぶクルマ」
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 予測の幅は広いものの、約6.4兆円を超える新市場が誕生する可能性があることから、大手企業からスタートアップと呼ばれるような新興企業まで、国内外の数多くの企業がeVTOL機や同機を利用した都市航空交通の分野になだれを打って参入してきている。さらに自動車業界という「異業種」からの参戦も相次ぐ。すなわち、空飛ぶクルマを舞台に、「新興企業 vs 大手企業」「航空機業界 vs 自動車業界」「海外 vs 日本」といった構図で激しい主導権争いが始まっているのである。
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単行本p.23


 ドライブモードで地表を走行し、フライトモードにチェンジして離陸する。あるいは垂直離着陸可能な小型電動航空機eVTOL。「空飛ぶクルマ」の様々な方式や技術、主なプレーヤー、その狙い、市場規模予測など、基礎情報を確認します。


第2章 電動化が変える航空機市場
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 空飛ぶクルマこと、eVTOL機の実現に不可欠な電動化技術。同技術に目を向けると、それ単独で大きな産業に成長する可能性が高い。電動化技術の応用先は、回転翼を備えたeVTOL機にとどまらず、「ジェネラルアビエーション」「ビジネスジェット」と呼ばれるような小型の固定翼機、「リージョナルジェット」といった数十人乗りの中型機、「細胴(ナローボディ)」や「太胴(ワイドボディ)」といった100人以上が乗る大型機(旅客機)もその範疇にあるからだ。
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単行本p.98


 回転翼、固定翼、小型、中型、大型。あらゆるタイプの航空機に大きなインパクトを与える電動化技術。空の技術革新を目指す航空機業界の動向をまとめます。


第3章 破壊的イノベーションに備える航空大手
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 ここまで紹介したように、空飛ぶクルマや航空機の電動化を舞台に、新興企業や自動車業界の企業が航空機業界に攻め入っている。それを迎え撃つのは、航空機メーカーや航空機用装備品メーカーなどである。
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単行本p.114


 エアバス、ボーイング、ベルヘリコプター、ロールスロイス。電動航空機と電動化技術の分野で主導権を狙う大手企業の動向をまとめます。


第4章 加速する電動化技術の革新
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 ハイブリッド車や電気自動車といった電動車両の開発競争によって、駆動用のモーターやモーターを制御するインバーターといったパワーエレクトロニクス技術は従来に比べて性能が向上した。(中略)それでも、電動航空機の時代を迎えるには、一層の性能向上が必須である。中でも軽量化、すなわち「高密度化」がカギを握る。
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単行本p.150


 電動化技術の中核であるモーターとインバーターの軽量化。さらに超電導モーターの開発競争。技術開発に邁進するシーメンスと、それに挑戦する新興企業の動きをまとめます。


第5章 電動航空機を日本の基幹産業に
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 このように、eVTOL機を手掛ける日本の新興企業も登場し始めるなど、産・官・学を巻き込んだ大きなうねりになりつつある。モーターやインバーター、パワーデバイス、2次電池といった要素技術で強みを持つ日本勢が、先行する欧米勢に追い付けるか。ここ5年が勝負になりそうだ。
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単行本p.184


 経済産業省と国土交通省が共同でたち上げた官民協議会、JAXA宇宙航空研究開発機構が中心となってたち上げたコンソーシアムなど、欧米に比べて出遅れている日本の巻き返しをかけた動きをまとめます。



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『皮膚はすごい 生き物たちの驚くべき進化』(傳田光洋) [読書(サイエンス)]

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 ケラチノサイトを眺めていると、私たちのからだの表面を覆っている表皮、それを形作っているケラチノサイトの一つ一つに意思や気分があるように思えてきます。
 それがきっかけで、私は人間のケラチノサイトの性質をいろいろ調べ始めました。そこで気づいたのは、私たち人間の皮膚、特に表皮が、すごい能力を持っていることでした。外からの刺激を感じたり、感じて興奮したり形を変えたり、さらには全身や脳にも「命令」を発しています。
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 私たちの身体を覆っている最強のバリア、皮膚。だが皮膚が持っている機能はそれだけではないらしい。外界からの様々な情報をセンサとして受信し、情報処理を行い、脳や臓器と連携する。皮膚が持っている驚くべき機能について専門家が分かりやすく紹介してくれるサイエンス本。単行本(岩波書店)出版は2019年6月です。


[目次]

1.人間だけじゃない!
2.皮膚は最強のバリアだ!
3.皮膚は生まれ変わる?
4.植物だって「皮膚」でできている
5.なんといっても皮膚は防御
6.極限環境のなかでも平気な皮膚
7.驚くべき進化を遂げた皮膚
8.コミュニケーションする皮膚
9.人間の皮膚を再考する
10.家を出た人間


1.人間だけじゃない!
2.皮膚は最強のバリアだ!
3.皮膚は生まれ変わる?
4.植物だって「皮膚」でできている
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 人間の皮膚やトマトの皮の表面は死んだ細胞が重なってできていますが、ゾウリムシの皮膚は生きています。それはゾウリムシが一つの細胞からできている生き物だからです。しかし、人間もトマトもゾウリムシも、からだと外部との境界を作ります。そしてからだの中を外部環境の変化から守り、生き続けるために、その境界は大きな役割を持っているのです。そういう意味での皮膚は、あらゆる生物が持っています。
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単行本p.2


 皮膚に関する基礎知識から始まって、カエルのスキンケア、節足動物の脱皮、皮膚呼吸する植物など、様々な生物において「皮膚」が果たしている幅広い役割を紹介してゆきます。


5.なんといっても皮膚は防御
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 表皮のケラチノサイトが作るもう一つの防御機能が、なんと外から皮膚にくっつき入り込んでくる菌を殺す抗菌物質なのです。正確にいうと、抗菌作用を持ったタンパク質で、そんなものまでケラチノサイトは作ります。
 面白いことに、角層の防御機能と、ケラチノサイトが作りだす抗菌物質の防御機能はうまく連携しています。角層のバリア機能、からだから水を逃がさない役目があると前に述べましたが、同時に有害な菌やアレルギーの原因、抗原をからだの中に入れない役割も果たしています。角層が壊れると、ケラチノサイトが合成する抗菌物質が多くなるのです。
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単行本p.45、


 カバの赤い汗、猛毒を作りだす鳥の皮膚、果物の「傷口」が腐る理由。抗菌物質や免疫システムなど皮膚が持っているアクティブな防御機能を紹介します。


6.極限環境のなかでも平気な皮膚
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 その後の研究で、予想通り、いくつかの「不凍タンパク質」が発見されました。そのタンパク質があるヒラメの皮膚や臓器は、氷点下でも凍らないのです。
(中略)
 どうして、そのタンパク質が表皮の凍結を防ぐのかはわかっていません。ただ水が凍る、結晶になる物理現象そのものが、まだ明らかになっていないのです。実は、私の大学院時代の研究が水の物理化学でした。そのあとも、水の研究の話題には興味があったのですが、知り合いの水の研究者に尋ねても、この30年以上、進展はないようです。むしろ、このヒラメのタンパク質を研究すれば、水の謎が解けるかもしれません。
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単行本p.65、66


 気温が極端に高かったり低かったりする環境に適応するために、皮膚が果たしている体温調整機能を紹介します。


7.驚くべき進化を遂げた皮膚
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 エレファントノーズフィッシュという名前の、確かにゾウの鼻のような口先をした魚がいます。ナイル川などに棲んでいます。この魚、泥の中で獲物を探したり、障害物を避けたりするため、なんと電気的なレーダー機能を持っているのです。尻尾に発電器があって、体の周りに電場を作ります。そこに生き物が近づいたり、障害物があると、全身の表皮のセンサーで感知します。この魚の口先からしっぽまで皮膚表面に小さな電気センサーがびっしりあるので、電場の異常の場所がわかります。
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単行本p.72


 高速で泳ぐための皮膚、電気レーダーを装備した皮膚、捕食する皮膚、分裂して増殖する皮膚など、様々な生物種が進化によって身につけた皮膚の特殊能力を紹介します。


8.コミュニケーションする皮膚
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 こんなふうにとても面白いコウイカですが、よく考えると、凄い能力です。まず自分が今いる場所の色合い、砂地とか、岩場であるとか、変わった色合いをしているかだとか、一瞬に判断しなければなりません。近づいてくるのがオスかメスか別種の生き物か、オス同士の場合、自分よりエライ奴かそうでないか、そんな判断も必要です。そして判断したらすぐ、全身の皮膚の色、というより模様を変えなければなりません。とても優れた情報処理能力を持っているはずです。
 最近、その機能をコンピュータシミュレーションで表現する研究が発表されましたが、その結論の一つとして、コウイカの脳、神経系と皮膚の間には、未知の極めて速い情報伝達システムが存在することが挙げられています。コウイカの研究は情報工学にも何らかのヒントをもたらすかもしれません。
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単行本p.88


 保護色、威嚇色、ディスプレイなど、捕食者や異性に対するコミュニケーションを果たしている皮膚機能を紹介します。



9.人間の皮膚を再考する
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 帰国して化粧品会社の研究員に戻ってから、ダメージを受けた角層の修復を速くする方法を探し始めました。すると、電場、適切な温度、可視光、音波にいたるまでがバリア回復機能に作用することを発見しました。このことは、すなわち表皮を構成する細胞、ケラチノサイトに、そういう刺激を感知する機能があるということです。
(中略)
 これらのケラチノサイトの受容体が、バリア機能以外の何かの役割を担っているのかどうかは、まだわかっていません。ただ、ある神経科学者の研究で、指先に、いろんな形のものを押し付けると、その形によって、異なる神経応答が前腕の神経で観察されました。つまり尖ったもの、丸いもの、三角のもの、四角のものに指が触れると、指先と腕の神経の間のどこかで、その形を識別する情報処理がなされているということです。
 私は、その情報処理も表皮で行われていると想像しています。形を識別すること、難しく言うと空間的な情報を獲得すること、これが指先から腕の神経の間でできうるのは表皮だけだからです。
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単行本p.93、100


 五感すべてを検知する感覚機能、さらに脳の情報処理システムと連携する独自の情報処理システムを備えているらしい皮膚。人間の皮膚が持っている未知の機能を探る最先端の研究成果を紹介します。


10.家を出た人間
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 ここで、高機能の表皮を持った動物を思い出してみましょう。全身の表皮に電気レーダーを持っている魚エレファントノーズフィッシュ。全身の表皮でさまざまなディスプレイを行うコウイカ。どちらも大きな脳を持っています。つまり高機能の表皮を持つと大きな脳が要るのです。
(中略)
 前に述べたさまざまな危険には音波、電場、光などの現象が付随します。それを耳や目が感知する前に、表皮が感知し、より速い対応ができたので、体毛の薄い先祖は生き延びる確率が高かったのではないでしょうか。そして表皮からもたらされる膨大な情報を有効に活用するために大きな脳が必要になったと考えられます。
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単行本p.106、107


 体毛を失うとともに大きな脳を持つようになった人類。その進化の原動力となったのは、私たちの皮膚が持っている様々なセンサ機能および情報処理機能ではなかっただろうか。皮膚の特異性が人間を作った、さらに文明の発達にも皮膚が大きな役割を果たしてきた、という大胆な仮説をもとに思索してゆきます。



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『会いに行って――静流藤娘紀行(第二回)』(笙野頼子)(『群像』2019年7月号掲載) [読書(小説・詩)]

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 文学をやるという事は自分を作るという事、私小説はことに、小説の自分と実在の自分、その両方を厳しく全力で作ってゆくしかない。
 というとなんか人ごとのようだが、いい年をして私でもまだそれをやっている。というか最初に師匠をカッとさせてしまった。あれがもしかしたら私の文学的自我かもしれなかった。
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『群像』2019年7月号p.191


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第126回。


「病名が付いて納得したのはこの病と一生使うしかない薬の作用で、自分が人より早く老けていくしかないという事であった。ならばもう七十だと思って書いてみよう、となった」(『群像』2019年7月号p.185)
 群像新人賞に選んでくれた恩人であり、また師と仰ぐ「私小説」の書き手、藤枝静男。渾身の師匠説連載その第二回。


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 ただしそれはいざ書くと決めたときには、自分の私小説的な自由な見方により、師匠についての勝手な持論を展開していくというものに変容してしまっていた。
 本作は師匠の文章の引用をその中核とし、さらに、重要なリアリティを描写ではなく引用で示していくものだが、にも拘らず、研究ではなく、論考でもなく、しかも評伝とは言えないほど偏ったものだ。
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『群像』2019年7月号p.186


 師匠と一度だけ体面したときの記憶から、『志賀直哉・天皇・中野重治』の引用を核として、天皇に対する師匠の怒りについて書いてゆきます。


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 で、第二回(と第三回)は、そういう師匠の残した、天皇についての記述を引用して、目の前のあの不毛な改元について追いかけてみる。つまりかつて師匠の危惧した人間天皇のあり方や天皇の発言への怒りを引用していく。
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『群像』2019年7月号p.187


 天皇制批判は簡単ですが、問題は、天皇制をめぐる言説はそれこそ簡単に捕獲され、いいように分断に利用されてしまうということ。


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 師匠は天皇制をそのままは攻撃しない。なぜなら、人間が一筋縄でいかない事をしっているからだ。同時にあの天皇も人間だ、という捕獲装置的な視点を彼は知り抜いている。
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『群像』2019年7月号p.193


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 次回も書くけれど、ここにまず書いておく。志賀は特権階級で天皇に親しく、既にそこに捕獲されてしまっているのである。なので制度と知り合いを分ける事が出来ない。一方中野は人間と制度をきちんと分けている。しかし分ける事によって、人間をその行為ではなく人間性によって判断するという、文学としてもっとも適切な行為を禁じられてしまったのである。これもまた政治に捕獲されてしまった。
 噫、平野も師匠も本多も好きな、大切な志賀さんと大好きな中野、それをなんという悲しい分断であろう。もしもこの優れた二人を分断させる相手方をロコツに書くなら、この師匠の題名は「志賀直哉・人間性・中野重治」になっていたかもしれない。
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『群像』2019年7月号p.200


 天皇個人の人間性という話題。そこにある捕獲装置的なものを、笙野頼子さんは、前の改元のときに、既に書いているのです。三十年前の改元小説『なにもしてない』に。


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 リセット元年、ゼロ和、しかしなんであれ政権の行いは前の改元時をなぞるだけだ。つまり君主の人間性というものをいま正に話題にして来ている。しかも皇族のドレスの色とかと交えてである。しかしそんな皇族のドレスの色がどういうものかを、(正確にはドレスではなくスーツなのだが)私は既に三十年前に書いているのである。つまり平成の改元の時に。
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『群像』2019年7月号p.199


 それから三十年たっても同じようなことが繰り返される不毛。そのかげに隠れて何がどう進行しているのかを文学はちゃんと「報道」してるんだから、きちんと読みましょう。


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 改元、それは基地も原発も自由貿易も隠せる、便利なぺらぺらの紅白幕、政府は今きっとここに隠れて何かひどい法律でも通してるに違いない。それは多分、専門家が見ても一瞬では判らないような何かひどい法律。
 連中? 読まないで言うんだな、文学は、文学はって、どこにでもそんなやつ昔からいたけれどどうせ今もきっと読まないで「文学は年号について何も言わない、僕は文学は判らない読まないけど」って言いながらどうせこそこそサブカル年号の本でも出して生きているはずだよニセ文学は。
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『群像』2019年7月号p.196


 というわけで、師匠の怒りを引用しながら、師匠のことだけでなく、自身のこと、今のこと、目の前のことを書く。師匠説にして私小説でもある連作は、第三回に続きます。



タグ:笙野頼子
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『リラと戦禍の風』(上田早夕里) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

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「かつて、リラは言いました。『戦禍の風は、子供や大人の区別なく、あらゆる人間を怪物に変える』と。確かにその通りです。人間の社会では、いつの時代でも、そのようなことが簡単に起こり得る。だから僕はそれに対して、横合いから茶々を入れられる者になりたいのです。愚かな社会の狭さを指して、人を恐ろしい風から遠ざけておきたい。それは魔物にしかできないでしょう? 永遠の時を生きる者にしか」
「それは魔物の務めじゃない。虚構(フィクション)の仕事だね」
「魔物なんて、所詮は、虚構(フィクション)みたいなものじゃありませんか。書物や物語と同じなんだ。いつも人に寄り添い続けているという意味でも」
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単行本p.476


 第一次世界大戦当時、塹壕で死にかけていたひとりの若きドイツ兵が、460年も生きてきたという魔物と出会う。魔力とひきかえに彼に与えられたのは、リラという少女を守る使命だった。『セント・イージス号の武勲』から百年後の世界を舞台に、人間と魔物が入り乱れる歴史ファンタジー。単行本(KADOKAWA)出版は2019年4月、Kindle版配信は2019年4月です。


『セント・イージス号の武勲』より
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「上官が部下を思いやったり勇ましく闘ったりーー。こんなのは、木造帆船時代でおしまいだよ。鉄鋼船の時代が来れば、戦争の方法は大きく変わる。大砲や新しい道具がどんどん発達し、これまで以上に、人を人とも思わない潰し合いが始まるだろう。産業の発展は戦争の形まで変える」
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 19世紀初頭を舞台とした『セント・イージス号の武勲』で予感されていた「人を人とも思わない潰し合いの戦争」の時代がやってきた20世紀。戦場では兵士がただ殺され、銃後では人々が飢えて死ぬ。それなのに兵力と新兵器は果てることなく次々と投入され、戦いはいつまでも続いてゆく。


 近代戦のやりきれない悲惨と理不尽を背景に、人間らしさを失ってゆく人間たちと、非情であくどいのにどこか人間くさい魔物たちが入り乱れて活躍する長編です。


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「戦時下の過酷さの中では、子供も子供のままではいられない。子供時代をすっ飛ばして、いきなり大人になってしまうの。この意味がわかるかな。ヒューバーさんから見ると、私は子供のくせに冷たくて残酷なことを言う怪物みたいに見えるかもしれない。でも、それがその通りだとしても、私を怪物に変えたのは戦争よ。戦禍の風は、子供や大人の区別なく、あらゆる人間を怪物に変える。それはヒューバーさんも、よくわかっているでしょう」
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単行本p.160


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「お願いします。僕を魔物にして下さい。僕は人を救うために人であることを捨てます。あなたと出会わなければ戦場で死んでいた身だ。戻る場所もないのだから、好きなように生きさせて下さい。魔物の力を得ることでリラを生涯守り抜き、同時に、なんの罪もない人たちを救えるなら、僕はすべてを捨てられる。何ひとつ惜しくはありません」
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単行本p.171


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「どれほど時間がかかっても変えるわ、そんな世の中は」リラは作業服の袖口をめくり、髪を後ろでひとつにまとめた。「この世に生きるすべての人が、他の誰かから『存在するな』とか『物を考えるな』とか『いつまでも俺たちに支配されてろ』なんて言われないで暮らせる世界を、私たちは何百年かかってでも作りあげる」
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単行本p.385


 登場人物たちはいずれも二面性を抱えています。恐ろしいほど非情な一面を見せるととに、驚くほどナイーブで情熱的に理想を語ったりします。斜に構えた態度を崩さない魔物たちも、人間の熱意にほだされたり、何のかんの言いながら人間を助けたり。


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「『人間である』とは、どういうことなのか。おそらく人間は、常にそれを己自身に向かって問い続けていなければ、容易に、人でないものに変わってしまうのだ。不断に問い続けることで、かろうじて人は人であり続けられる。その問いを自ら捨てた結果が、この無残な欧州大戦そのものじゃないのかね」
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単行本p.414


 魔物(妖怪)に託す形で「人間とは何なのか」と問い続けるという意味では、セント・イージス号よりも、むしろ『妖怪探偵・百目』のシリーズに近いような印象を受けます。魔物たちによる楽しそうな百鬼夜行シーンも登場しますし。



タグ:上田早夕里
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『あるまじろん』(荻原裕幸) [読書(小説・詩)]

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かねてから第三歌集は、星投手の大リーグボール三号のやうなポップでダンディな魔球にしたいと考へてゐた。一夜で新魔球を完成した星投手とは違ひ、これは二年の期間を要してゐる。うまく完成できたかどうか、読者がおのおののバットを手に、打席に立つて対決してもらへるとうれしい。
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 幽霊論、火星語、プテラノドン。ポポポニア王侯が投げてくる大リーグボール三号のやうなポップでダンディな魔球歌集。単行本(沖積舎)出版は1992年11月です。


 二十代の頃に作った作品が収録されており、その若さがまぶしい。


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意味はよく知らないけれど何となく近頃われは「青の時代」だ
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幽霊にさへあれこれとソンザイについて問ひただした二十代
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よもすがら幽霊論をたたかはせ「われ」に疲れてきたわれである
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水星にむかしは棲んでゐたといふ記憶に悩むとしごろである
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あかねさす火星語辞典を置いてない図書室にゐて希望が死んだ
――――
ねえ##が焦げてるQが燃えてるよお火星人だぞ早く起きろよ
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 もちろん火星語や幽霊論のことだけを考えているわけではなく、それなりに二十代の悩みはあります。


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ぼくにはぼくの悩みがあつて恋人とαの麒麟のこづかひのこと
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なぜだらう百葉箱のある庭がこの街から一つもなくなつた
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(結婚+ナルシシズム)の解答を出されて犀の一日である
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就職がまたも決まらぬ心象にキングギドラのまんなかのくび
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 悩んでゆううつになると、すぐキングギドラとか恐竜にもってゆく癖。


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われの憂ひをあらはして足る形容をおもへばイグアノドンの憂愁
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職のない午後の眠りのなかを飛ぶプテラノドンも憂鬱だらう
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プテラノドンが例へば第二象限に棲むなら街も楽しいだらう
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OL達に踏んでは蹴られけふもまた獅子奮迅のイグアナでした
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 でも猫がいるから大丈夫。


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われではなく猫の宛名でダイレクトメールが届くそんな暮しを
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何もすることがない日はぼんやりと猫のアリョーシャと哲学をする
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哲学に耽るアリョーシャぽぽとして猫の明日は?/ボクノ明日ハ?
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ぽぽぷると食事するわが愛猫の髭/かなりあヲ見殺シニシタ!
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 猫といるうちに言葉がどんどんぽぽぽどんぽぽぽそこはもうポポポポニア王国。見てるだけでゲシュタルト崩壊が起きて、ちなみにそれを書き写す苦労は誰にもわかってもらえないのです。


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恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず
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キスすれば一匹の蚊がぽぽっぷるぽっぷるぽぷるぷぷぷぷぷぷぷ
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ぽぽぽぽぽぽと生きぽぽと人が死ぬ街がだんだんポポポポニアに
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ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽと生活すポポポニアの王侯われは
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んんんんん何もかもんんんんんんんもう何もかもんんんんんんん
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