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『9つの脳の不思議な物語』(ヘレン・トムスン:著、仁木めぐみ:翻訳) [読書(教養)]

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 本書に登場した人たちは特別な人々だが、願わくばその風変わりさではなく彼らの人間性に驚嘆し、彼らとの違いより共通点に驚いていただきたい。彼らは、我々はみな一人一人特別な脳を持っていると教えてくれた。我々にはボブのような頭脳はないが、誰しも過去を思い出し、数え切れない素晴らしい瞬間で心を彩ることができる。我々は存在しない音楽を聴いたり、宙に浮かぶカラフルなオーラを見たりはしないが、それでも幻覚は見ている。我々が感じる現実はその幻覚の上に成り立っているのだ。我々はジョエルほど他人の痛みをありありと感じることはないが、ミラーニューロンのおかげで、程度は違うがそれを感じることができる。
 我々はみな素晴らしく精巧な神経システムを持っているおかげで、強い愛情を感じ、他の人を笑わせ、誰とも違う、予想もつかない人生を作り出す力を持っている。
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単行本p.302


 完全記憶、脳内地図喪失、幻音楽、狼への変身、ミラータッチ共感覚。他人にはない特別な能力を持っている人々はそれをどう感じているのか、どのように生きてきたのか。特殊な脳を持つ人々に取材した驚愕のノンフィクション。単行本(文藝春秋)出版は2019年1月、Kindle版配信は2019年1月です。


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 人生のほぼすべての日のことを細大漏らさず、完璧に覚えているボブや、荒れた人生を送っていたのに脳出血を起こして以来、別人のように繊細で優しい性格になり、絵を描き続けるようになったトミー、他人にオーラのような色を感じるルーベンのように、その脳の特別さと共存し、ある意味楽しんでいる人たちもいれば、自宅内でも迷子になってしまうシャロン、頭の中で絶え間なく響く音やメロディに苦しめられているシルビアのように症状と戦い、想像を絶する苦労をしている人たちもいます。どれだけ不自由で辛い毎日であったのかは想像に余りあります。さらに自分が死んだと感じる絶望、なくなった手足があるはずだと感じたり、実際にはある手足がないと感じる激しい違和感などは、筆舌に尽くしがたい苦しみだと思います。
 相手の感覚を自分のものとして感じる能力がある医師のジョエルは、患者から見れば自分のことをよくわかってくれる名医ですが、本人の精神的、肉体的負担は想像もつかないほど大きいでしょう。また、日本の読者の中には突然、トラに“変身”してしまうマターのエピソードに、中島敦『山月記』を思い出す人もいるでしょう。
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単行本p.315


 オリヴァー・サックスの著作と同様、脳の高度機能の働きが他人とは違う人々について書かれた本です。「症状」についての最新知見も含まれますが、むしろ多くのページが割かれているのは、本人の人生や生活、主観体験を聞き出すこと。バラエティに富んだ「ユニークな脳」の世界を知るにつれて、逆に「平凡な脳」がどれほど高度なことを行っているのかが分かってきます。そして、私たち一人一人が見ている感じている世界が、思ったよりも大きく異なっているということも。


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 我々は脳の全てを理解しているとは言い難い。実際、我々が「高度な機能」と呼んでいる、記憶や意思決定や創造性や意識といったものについて、満足な説明がなされているとは決して言えない。(中略)わかっているのは、奇妙な脳はいわゆる「正常」な脳の謎を解くためのユニークな窓だということだ。こうした脳は我々みなの中にも特別な能力が隠されていて、解き放たれるのを待っていると教えてくれる。また、我々がそれぞれ知覚している世界はみな同じではないことを示してくれる。さらには自分の脳は今まで思っていた通り正常なのかという疑問まで抱かせる。
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単行本p.19


 全体は序章と終章に加えて9つの章から構成されています。


[目次]

序章 「奇妙な脳」を探す旅へ出よう
第1章 完璧な記憶を操る
  過去を一日も忘れない“完全記憶者”ボブ
第2章 脳内地図の喪失
  自宅で道に迷う“究極の方向音痴”シャロン
第3章 オーラが見える男
  鮮やかな色彩を知る“色盲の共感覚者”ルーベン
第4章 何が性格を決めるのか?
  一夜で人格が入れ替わった“元詐欺師の聖人”トミー
第5章 脳内iPodが止まらない
  “幻聴を聞く絶対音感保持者”シルビア
第6章 狼化妄想症という病
  発作と戦う“トラに変身する男”マター
第7章 この記憶も身体も私じゃない
  孤独を生きる“離人症のママ”ルイーズ
第8章 ある日、自分がゾンビになったら
  “三年間の「死」から生還した中年”グラハム
第9章 人の痛みを肌で感じる
  “他者の触覚とシンクロする医師”ジョエル
終章 ジャンピング・フレンチマンを求めて


第1章 完璧な記憶を操る
  過去を一日も忘れない“完全記憶者”ボブ
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 自分の過去についての記憶力が素晴らしいからといって、ほかの事柄を覚えるのも得意なわけではない。しかし彼にある一日について聞くのは、話がまったく違う。彼は40年前のある日のことを、昨日のように容易に思い出せる。その日のことはにおいや味やそのときの気持ちなど、様々な感覚を伴ってありありと思い出せるのだ。
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単行本p.40


第2章 脳内地図の喪失
  自宅で道に迷う“究極の方向音痴”シャロン
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 シャロンの“迷子”はだんだん頻繁になって、ついには一日中常に起こるようになった。道がわからないので、近所や学校に行くこともできなくなった。それなのにシャロンはこの問題を誰にも打ち明けなかった。その代わりに生来のユーモアと鋭い知性を駆使して、いつも迷子になっていることを誰にも知られぬまま学校を修了し、友達を作り、結婚までした。
「25年も隠していたのよ」
「25年も?」
「そう……魔女って言われると思っていたから」
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単行本p.62


第3章 オーラが見える男
  鮮やかな色彩を知る“色盲の共感覚者”ルーベン
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 じっさい、ルーベンは2005年まで、自分の共感覚に気づいていなかった。彼はグラナダ大学で心理学を勉強していた女性と親しくしていた。彼女は共感覚の研究に参加することになったと話してくれた。このとき彼は「共感覚」という言葉をはじめて聞いたので、彼女に説明してもらった。
 これまでの多くの人たちと同じように、ルーベンもなぜそれを調べなければならないのかわからなかった。
「僕は『ふーん、ふーん、で?』みたいな感じでした。そんなの普通じゃないか!って」
 友人は驚き、あなたは共感覚者かもしれないと言った。
「そう言ってから、彼女は真っ青になりました」ルーベンは言った。「思い出したんです、僕が色盲だってことを」
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単行本p.111


第4章 何が性格を決めるのか?
  一夜で人格が入れ替わった“元詐欺師の聖人”トミー
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「側頭葉に損傷のある人々が、言語能力を失っているのに異常に多弁になるケースはよく見られます。そういう人たちは自分の発言を、以前より厳しく判断しなくなっていることが多いです。我々はそれを“政治家の話し方”(ポリティシャン・トーク)と呼んでいます。たくさんの言葉を話していても、内容はないということです」
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単行本p.144


第5章 脳内iPodが止まらない
  “幻聴を聞く絶対音感保持者”シルビア
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 セスは以前こう語ってくれた。「我々の現実というのは、感覚によって抑制されている、コントロールされた幻覚にすぎないのです」あるいは心理学者クリス・フリスはこう言う。「それは、現実と一致している幻想です」
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単行本p.172


第6章 狼化妄想症という病
  発作と戦う“トラに変身する男”マター
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 彼女は興奮し、張り詰めた様子で救命救急部門にやってきたという。彼女は突然カエルのように跳びまわったかと思うと、ゲコゲコ鳴き、まるでハエを捕まえるかのように舌を勢いよく突き出した。別のケースでは、蜂になったという奇妙な感覚を持った女性が報告されている。彼女は自分がどんどん小さくなっていくように感じていたという。
 2015年の終わり頃、ハムディは私に、長年にわたって狼化妄想症にかかったり、治ったりを繰り返しているマターという男性患者がいるというメールをくれた。
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単行本p.183


第7章 この記憶も身体も私じゃない
  孤独を生きる“離人症のママ”ルイーズ
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 ルイーズが離人症に本格的に悩まされはじめたのは大学生のときからだった。悪夢を見ているときに、彼女は急に世界が遠くなり、自分が身体から抜け出たように感じた。宙に浮かんでいて、世界の一員ではなくなっていたという。この感覚は一度起こると数日続いた。
「そのうちに一週間続くようになり、それからもっと長くなっていった。ついにいつもその状態になってしまって、元に戻らなくなった」
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単行本p.215


第8章 ある日、自分がゾンビになったら
  “三年間の「死」から生還した中年”グラハム
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「私は死んでいる」ある出来事を機に脳がなくなったと感じたグラハムは、そう訴えて周囲を当惑させた。彼を検査した医師らには衝撃が走る。起きて生活をしているのに、脳の活動が著しく低下し、ほとんど昏睡状態にあったのだ。
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単行本p.230


第9章 人の痛みを肌で感じる
  “他者の触覚とシンクロする医師”ジョエル
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 ジョエルが病院という環境の中で、どうやって冷静さを保っていられるのか不思議だ。痛みを抱え、咳をし、嘔吐している患者を前にすると、彼は自分の肺が締めつけられる感じがするという。喉にチューブを挿管されている患者がいると、チューブが喉に降りていくにつれて声帯が押される感覚を味わうという。脊椎に注射をするときは、針がゆっくりと自分の腰に滑りこんでくる感覚があるという。(中略)ジョエルが初めて人の死を目撃したときは、そこで自分が何を感じるのかわかっていなかった。
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単行本p.275、277



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