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『セミ』(ショーン・タン:著、岸本佐知子:翻訳) [読書(小説・詩)]

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セミ おはなし する。
よい おはなし。かんたんな おはなし。
ニンゲンにも わかる おはなし。
トゥク トゥク トゥク!
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 ニンゲンの会社で働く一匹のセミ。差別され、仲間外れにされ、孤独に17年も働き続けたセミが迎えた定年退職の日。『アライバル』などの絵本でお馴染みのショーン・タンによる痛烈きわまりない絵本。単行本(河出書房新社)出版は2019年5月です。


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17ねんかん。しょうしん なし。
ニンゲン えらいひと 言う、セミ ニンゲンじゃない。
セミ えらい 必要ない。
トゥク トゥク トゥク!
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 くすんだ緑色のセミの顔だけがわずかな色彩という、灰色に塗りつぶされたような息苦しいオフィス風景。同僚からも上司からもいじめられ、それでも黙々と働くセミ。淡々と、むしろ冷淡に、事実だけ片言で述べては「トゥク トゥク トゥク!」と鳴くセミ。

 白人社会で働くアジア系移民が置かれている苦境を象徴しているんだろうなあ、などとセミに同情しながら(でも他人事として)読んでいると、痛烈な一撃、そしてとどめの一撃。



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『我ら人生のただ中にあって バッハ無伴奏チェロ組曲』(アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ローザス) [ダンス]

 2019年5月19日は、夫婦で東京芸術劇場プレイハウスに行ってローザスの公演を鑑賞しました。ケースマイケル自身を含むローザスの五名のダンサーがバッハの無伴奏チェロ組曲全曲生演奏にダンスで伴奏をつける上演時間120分の作品です。


[キャスト他]

振付: アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル
    Anne Teresa De Keersmaeker

音楽: J.S.バッハ<無伴奏チェロ組曲> BWV 1007 – 1012
演奏: ジャン=ギアン・ケラス Jean-Guihen Queyras

出演: 
Anne Teresa De Keersmaeker
Boštjan Antončič
Marie Goudot
Julien Monty
Michaël Pomero


 舞台装置のないシンプルな空間で、チェリスト(ジャン=ギアン・ケラス)が無伴奏チェロ組曲全曲を演奏し、ケースマイケルを含むローザスのメンバーが踊るというかダンスによる伴奏をつけてゆきます。多くの時間はソロダンスですが、ときどき二人で踊ることもあり、第六番は全員が出演することに。

 曲の始めには二人の出演者が床にテープを貼るという謎の儀式。テープをぴーっと伸ばして床に貼って上から足ですっと密着させるという動きが、特にケースマイケルがやると、なぞの高揚感。続いてケースマイケルが観客の方を睨み付けて威嚇しながら(主観)両手でシンボルを作り、それから指を伸ばして次は第何番と無言で示します。この威厳と威圧に満ちた存在感がおそろしい。こわい。ただ歩いたり上着を脱いだりするだけで会場を制圧してしまいそうなパワーソース。

 後半になると驚くような演出も加わります。ケースマイケルがまず光の中で踊って観客に印象づけておいてから、光から外れて暗闇の中で踊ると、観客には見えないダンスが音楽と共に脳内再生されるとか。あれはいったいどういう魔術なのか。

 チェリストとの絡みはほとんどありませんが、演奏中の身体の向きを左右さらには背面と柔軟に変えることでフォーメーションに「参加」したり、だんだん「チェロを弾くという動作」を踊っているダンサーのようにも見えてきます。

 先週の『A Love Supreme ~至上の愛』も素晴らしかったのですが、とにかくアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル自身が踊るところを舞台で見られたという事実に興奮がおさまりません。



タグ:ローザス
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『たべるのがおそい vol.7』(銀林みのる、小山田浩子、高山羽根子、他:著、西崎憲:編集) [読書(小説・詩)]

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「たべるのがおそい」は未来のための本だった。
 口上はこれくらいにしておこう。列車は絶えることなく入線してくる。
つぎの駅でお会いしましょう。
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編集後記より


 小説、翻訳、エッセイ、短歌など、様々な文芸ジャンルにおける新鮮ですごいとこだけざざっと集めた文学ムック「たべるのがおそい」その第7号にして最終号です。単行本(書肆侃侃房)出版は2019年5月。


[目次]

巻頭エッセイ 文と場所
  『文とふん』(斎藤真理子)

特集 ジュヴナイル―秘密の子供たち
  『上水線83号鉄塔』(銀林みのる)
  『ジュヴナイル』(飛浩隆)
  『作文という卵から小説という鳥は生まれない』(岩井俊二)
  『米と苺』(櫻木みわ)
  『物置』(松永美穂)
  『おまえ知ってるか、東京の紀伊國屋を大きい順に結ぶと北斗七星になるって』(西崎憲)

創作

  『ラピード・レチェ』(高山羽根子)
  『けば』(小山田浩子)
  『儀志直始末記』(柳原孝敦)

翻訳

  『退社』(チョン・ミョングァン:著、吉良佳奈江:翻訳)
  『ハイミート・フォン・ドーデラー「ヨハン・ペーター・へーベル(1760-1826)の主題による七つの変奏』(ハイミート・フォン・ドーデラー:著、垂野創一郎:翻訳)

短歌

  『三日月の濃度』(熊谷純)
  『手をつないだままじゃ拍手ができない』(佐伯紺)
  『天国と地獄』(錦見映理子)
  『インフルエンザに過ぎる』(虫武一俊)

エッセイ 本がなければ生きていけない

  『心にプロなんてない』(梅﨑実奈)
  『安住の書庫を求めて』(東雅夫)




『ラピード・レチェ』(高山羽根子)
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 その場では文字を読むことはできなかったけど、私は後になって、
『前にいるプレイヤーの首に、できるだけ速やかにスカーフを巻く、東洋で開発された競走の指導者』
 とかいう種類の人間にされていたらしい。これは、こっちの国に来てアレクセイに書類を見せてわかったことだった。
「まあ、大きくまちがってはいないけど」
 と私が言うと、アレクセイはいぶかしげに、
「あなたはこの国にいったい何を広めにきたの」
 と訊いてきた。
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たべるのが遅いvol.7 p.10


 日本で開発された新競技を普及させるために、とある国に、指導者として赴任してきた語り手。異文化、慣れない習慣、妙に印象的な友だち、トレーニングには真面目に取り組むものの競技を理解しているのかどうかよくわからない選手たち。
 かつて謎競技〈怪獣上げ〉で読者を魅了した高山羽根子さんが、新たな謎競技(おそらく駅伝競走がモデル)の普及活動を通じて世界のわからなさとそのなかで生きてゆくことについて描いた作品。


『けば』(小山田浩子)
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 どうして猫は早く走れて跳び上がれて知能もかなり高いらしいのに、左右も見ず車道に走りこんでいくのだろう。この家には幼い兄弟しかいないのだろうか。平日の午前中、保育所なり幼稚園なり小学校なりに行っていないのか。私は気持ち耳をすませた。どこかからテレビの音と赤ん坊の鳴き声が聞こえた。彼らの家の奥は静かだった。
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たべるのが遅いvol.7 p.29


 道端に落ちている動物の死骸。平日の昼間、静かでまっ暗な家の窓から見つめてくる子供たち。職場の飲み会で交わされる一見たわいのない会話。その合間から立ち上がってくる不穏な気配。何か特別に怖いことが起きるわけでも何でもないのに、心を毛羽立たせる要素を巧みに配置して読者を揺さぶる傑作。


『上水線83号鉄塔』(銀林みのる)
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 絶対的な静けさが訪れた。風はない。鳥はいない。空気に音はない。世界は停止していた。
 ぼくは83まで数えたことは覚えていた。ああ、83て、この鉄塔の番号だったな。それに素数だ。――ぼくは確かに、0.1秒くらいの短いあいだに、そう考えた。
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たべるのが遅いvol.7 p.52


 83号鉄塔の隣にある友だちの家。そこに遊びに行ったとき体験した怖い出来事。今となっては真相を確かめようもない、気にかかる記憶。鉄塔作家による、鉄塔と子供たちしか出てこない作品。もしや第6回日本ファンタジーノベル大賞受賞作『鉄塔 武蔵野線』以来、四半世紀ぶりの受賞後第一作ということになるのか。


『おまえ知ってるか、東京の紀伊國屋を大きい順に結ぶと北斗七星になるって』(西崎憲)
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「知ってるか、東京の紀伊國屋を大きい順に結ぶと北斗七星になるって」
 ヒムカは唐突にそう言った。
「知らない」とぼくは答えた。
 紀伊國屋書店の案内を見ていて気づいたらしかった。そして北極星を探そうとヒムカは言った。
 ヒムカが言うには、北極星は北斗七星の柄杓の先のふたつの星、アルファ星とベータ星の線を五倍した位置にあるらしく、では紀伊國屋の作る北斗七星が指すところにはなにがあるのか。地上の北極星はいったいなんなのか調べに行こう、ということだった。
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たべるのが遅いvol.7 p.91


 東京の紀伊國屋を大きい順に結ぶと北斗七星になる。では本の「北極星」は地上のどこにあるのか。さあ、探しに行こう。現実と虚構の境界を恐れず進んでゆく子供たちの冒険を通じて書物の魔術性にせまる、本好き読者感涙作品。


『退社』(チョン・ミョングァン:著、吉良佳奈江:翻訳)
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 実際に、彼の生涯の夢は変身と合体だった。決して砕けることのない金属製の肉体と、あらゆる物を破壊できる無限のパワー。それゆえに、貧しさも苦痛も無縁の不滅のヒーロー。しかし、彼は変身にも、そして合体にも失敗して、職もなくひとりで子どもを育てる、貧しいモーフの身の上になってしまった。
 こうやって、かなわない夢は代々引き継がれるのだろうか。子どもがカイシャインになるのはトランスフォーマーになるのと同様に、不可能なことだった。だから、昔彼の父親がしたように、彼も子どもに向かって声を立てて笑うことしかできなかった。
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たべるのが遅いvol.7 p.110


 結局、子どもは死んでしまうのだろうか?
 いつからこんな過酷な世の中になってしまったのだろう。
 むごい試練と苦痛、不平等と不条理、搾取と服従だけが生きていくための条件なのか。

 ほんの少数のスーパーリッチを除けば、大多数の国民が貧しく、職もなく、健康を損なっても病院にかかることも出来ずに死んでゆく、そんな経済格差が極端に進んだ時代。ひとりで子育てをしている男は、病気の子供の薬を闇市で買うために食事を切り詰めるぎりぎりの貧困生活を続けてきたが、それも情け容赦なく薬価が倍額になるまでのことだった……。新自由主義経済の暴走による過酷な末期的格差社会を痛切な筆致で風刺した作品で、日本にもそのまま通じる絶望感。笙野頼子さんの近作を連想させる、韓国版ひょうすべ小説。



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『短歌ください 双子でも片方は泣く夜もある篇』(穂村弘) [読書(小説・詩)]

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 その年月の間に、投稿者の中から歌集を出版して、いわゆるプロの歌人への道を歩み出した人も数多く現れました。彼らの活躍のおかげもあって、さらに投稿数が増え、全体のレベルが高くなっています。でも、そのハードルを越えて、新しい才能が次々に登場しています。息を飲むような傑作に出会う喜び。短歌を全く読んだことのない人にも、本書のどの頁からでも開いて貰えれば、その魅力を実感していただけると思います。
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単行本p.250


 「ダ・ヴィンチ」誌上にて募集された、読者投稿による短歌の数々と、歌人の穂村弘さんによる選評を収録したシリーズ最新作。単行本(角川書店)出版は2019年3月です。

 連載の第91回から第120回までをまとめたものになります。作品は「転校生」「手紙」「スポーツ」といった毎回指定されるテーマに沿ったものと、自由枠とに分かれています。


 まず、別に何の不思議もないありふれた出来事の描写なのに、どこか「へんな気持ち」(NHK Eテレ0655&2355)になる作品、日常的な光景に潜む微妙な不安を感じさせるような作品が目につきます。


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「鵜が吐いた鮎を食べた」の記事にすぐいいね!をくれた初恋の人
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ゴミ箱に食パンを買うゴミ箱に食パンを入れレジまで運ぶ
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乾電池の出し入れをしてリモコンにまだ生きてると錯覚させる
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胃の内容物を全員同じにし眠気を誘う給食センター
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泣きながら埋めたクワガタだったけどもしかしてまだ死んでなかった?
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一粒の胡椒で練習し始めたサイコキネシスいま角砂糖
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さっきまで誰かの髪を撫でていた彼が鏡の彼方から来る
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彼女らは液体窒素汲みに行き四つ葉をお裾分けしてくれる
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 若者の恋愛をテーマにした作品も素敵です。


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「かわいい」と言うなら責任取ってよね新婚旅行はコンビニでいいよ
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「ジブリでどの豚が好き?」と聞いてくる紅の豚が好きな君が好き
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みなさんの初恋はどんな色ですか わたしは寒冷地迷彩です
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 しかしながら、若者にとって生活は愛よりも恋よりも「戦」に近いわけで、その戦意あふるる様が。


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「まっすぐに飛ぶよう育て」と『弓』の字を名付けた母よ飛ぶのは『矢』では?
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ご一緒にポテトはどうでしょうかよりポテト買えならMサイズ買う
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洋梨とぶどうの皮はたべますよそういう世界で生きてきたから
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壁ドンをしてくる男子を払いのけ狼を撃つために帰った
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クリスマスプレゼントには私だけ甘やかしてくれる怪人がほしい
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 年齢が高くなるにつれて、戦意というより、決死の覚悟がうたわれるようになってゆきます。


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あたしたちゴミなんですかと面接の会場ぜんぶに響き渡る声
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薄紅の光るさくらの中に立つ 避妊薬飲み忘れた朝に
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「生理中のキスは磁石の味がしませんか?」にはまだ回答がない
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今、向かうところ敵なしスーパーで万能ねぎを買ったのだから
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 なお、個人的に、クラゲと猫が登場する作品にぐっときました。


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海水が真水になってクラゲたち全員溶けてしまった未来
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さされたと嘘つきましたごめんなさいくらげのことは何も知らない
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猫カフェの店長であるその人のアイコンが犬だった衝撃
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こんなところまでついて来てくれてありがとう52階で払う猫の毛
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抱き寄せてキスした君が抱き寄せてキスした猫は股間を舐める
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タグ:穂村弘
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『Like a Virgin』(構成・振付:近藤良平、コンドルズ) [ダンス]

 2019年5月12日は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って、近藤良平率いる大人気ダンスカンパニー「コンドルズ」の新作公演を鑑賞しました。毎年、この時期になるとさいたま芸術劇場にやってくる恒例の「地域の皆様にも初夏の風物詩として親しまれている」(劇場関係者談)コンドルズさいたま公演、その第13回です。今回は上演時間100分。

 舞台中央が巨大奈落として下がっており、そこから移動式の階段を昇り降りして舞台に「出没」するコンドルズメンバーたち。前半はこの奈落を釣り堀に見立てた仕掛けが大活躍します。後半になると、奈落が上昇して通常の舞台となり、今度は舞台のあちこちに点在する形となった移動階段を利用したコントが繰り広げられるという、Z軸展開型の作品となっています。

 いつもの通りショートコント、人形劇(今回は馬とラクダ)、お絵描き、脱力演劇(サプライズあり)、そしてカッコイイダンスシーンを織り交ぜ、退屈する暇のない100分の全力疾走。ラストは舞台の広大な奥行きを利用したちょっと切ない雰囲気、を作り出してからの、近藤良平さんの超絶ソロへ。隙のない構成はもう伝統芸の領域。毎年、確実に楽しめるという期待を裏切らない安心感がすごい。



タグ:近藤良平
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