『しびれる短歌』(東直子、穂村弘) [読書(小説・詩)]
――――
わざわざ言葉を型にはめてコンパクトな詩型にしたのに、それを何時間もかけて語りあって読み解こうとするなんて、なんとも奇妙で、非効率的なことだと思います。でも、なんというか、その奇妙で非効率的なことが楽しくて仕方がないんです。だって、奇妙さゼロ、効率百パーセントな世界は、おもしろくないですよね。
この世のどこかで、だれかがそっと形にした一首の短歌。それは、短歌でなければ残せなかった心です。残してくれなければ、知ることのできなかった感覚、時代の気分、世界観がつまっています。
この本では、そうした短歌をいくつかの項目に分けて語りあい、それぞれの角度から見えてくる人間の心や時代性を探りました。
――――
新書版p.218
恋愛、食事、家族、動物、金銭。歌人二人が持ち寄った作品を様々なテーマに沿って分類し語り合う短歌アンソロジー。新書版(筑摩書房)出版は2019年1月です。
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短歌を作るのは楽しいけど、うまくいかないと苦しい。短歌を読むのは楽しいけど、慣れないと難しい。無条件に楽しいのは短歌について話すこと。というわけで、友だちの歌人、東直子さんとあれこれ語り合ってみました。
――――
新書版p.9
[目次]
第1章 やっぱり基本は恋の歌
第2章 食べ物の歌には魔法がかかっている
第3章 いまがわかる!家族の歌
第4章 イメージを裏切る動物の歌
第5章 人生と神に触れる時間の歌
第6章 豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌
第7章 いつか分からなくなるのかもしれない固有名詞の歌
第8章 表現の面白さだってある、トリッキーな歌
付録1 歌人ってどうやってなるの?
付録2 真似っ子歌
第1章 やっぱり基本は恋の歌
――――
こうやって見ると、恋愛というのは思いのほか、時代の影響を受けていますね。本能的な部分は変わらないんだろうけど、社会的に制約を受けることで、表現として出てくるものが変わってくることがあるような気がします。今は全面的に前向きになれないというか。若い人が出す歌集で一冊丸ごとバリバリ相聞歌というのは減りましたね。恋愛ばかり詠んでいる人って少ないんじゃないかな。
――――
新書版p.34
したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ
(岡崎裕美子)
するときは球体関節、のわけもなく骨軋みたる今朝の通学
(野口あや子)
鳩サブレは絶対くちびるから食べる。くちびるじゃなくってくちばしか
(佐藤友美)
第2章 食べ物の歌には魔法がかかっている
――――
食べ物は対人関係と結びつくよね、典型は家族。胃袋をつかむとか同じ釜の飯とかなんとなく気持ち悪く感じるんだけどね。
――――
新書版p.46
「今お前食べてるそれは蛇だよ」と言いし男が今の夫なり
(斎藤清美)
冷や飯につめたい卵かけて食べ子どもと呼ばれる戦士であった
(雪舟えま)
飼いていし兎を「今夜食べるぞ」と取り上げし父 今、墓にいる
(岡崎裕美子)
第3章 いまがわかる!家族の歌
――――
老夫婦の歌を調べたことがあるんだけれども、夫が妻を詠んだものは大体いい感じの歌になっているのが多くて、妻が夫を詠んだものはすごい。もう、本当にすごい。
階段に置いた私のコートをあなたが足でどけたとか、私以外の家族は一度も靴を揃えたことがないとか、そんなのばっかりいくらでも出てきて、こんなに男女で違うかと思った。読んでいるうちに怖くなってくる。
――――
新書版p.82
父の撒くポップコーンを鳩が食ふついでに父も食われてしまへ
(木村陽子)
家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンまだ温かい
(小坂井大輔)
浴室のドアは開けといてと何回も言えども出来ぬカビの味方か
(稲熊明美)
第4章 イメージを裏切る動物の歌
――――
やっぱりプロの歌人は文体が、「こはいかに」と入る感じとか、「ひとがみなみな見ゆるぞ猿に」とか、さっきの「ぺったんぺったん」とか、ちょっと不思議な感じ、違和感があるよね。「ぺったんぺったん」の入る位置が面白い。水を出て大きな黒い水掻きの白鳥が歩いて来る、という流れの間に水掻きの「ぺったんぺったん」が挿入されている。いわゆる散文の文体ではない。
――――
新書版p.101
こはいかに人参色のゆふぐれはひとがみなみな見ゆるぞ猿に
(永井陽子)
水を出でおおきな黒き水掻きのぺったんぺったん白鳥がくる
(渡辺松男)
そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています
(東直子)
第5章 人生と神に触れる時間の歌
――――
これまで読んだ作品の中には、内容はそれぞれユニークでおもしろいんだけど、短歌として捉えた場合に少し散文的な気がしたものもあります。でもこの歌には、長い歳月が醸し出す重層性がある。この重層性が短歌だと思う。短歌的な豊かさがあると思うんだけど。
――――
新書版p.122
一秒でもいいから早く帰ってきて ふえるわかめがすごいことなの
(伊藤真也)
いきつぎの瞬間見える太陽の光がのびて水面走る
(金山和)
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
(笹井宏之)
第6章 豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌
――――
土屋文明の頃はお金がないから、ほしいものや栄養価があるものが買えなくて、貧しくて苦しかった。単純に日本人の夢がかなった時代というのが八〇年代、俵万智さんの時代。そこから三十年たって、永井くんになると不思議な様相を帯びていて、もし一度、一周回った貧しさの中にいる。でもそれは、かつての真っ当な貧しさとは何か違っていて、バナナは何本でも食べられるし、大晦日の渋谷のデニーズで一万円持っている。これは、貧しいのか豊かなのかよくわからないわけです。
――――
新書版p.140
大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円
(永井祐)
奥村は源泉徴収でボーナスの四分の一を国に取られた
(奥村晃作)
たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく
(山田航)
第7章 いつか分からなくなるのかもしれない固有名詞の歌
――――
穂村 ブーフーウーは今誰も知らない。発表したときはみんな知っていた固有名詞が、三十年後には誰も知らない名前になった(笑)
東 この前、四百人近い学生に聞いてみたけど、一人として知らなくて、シーンとなった。
穂村 ショック! 彼らの親はみんな知ってると思うけど。それじゃこの歌は意味不明になっちゃうよね。
――――
新書版p.160
「酔ってるの? あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
(穂村弘)
夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで
(仙波龍英)
生前は無名であった鶏がからあげクンとして蘇る
(木下龍也)
第8章 表現の面白さだってある、トリッキーな歌
――――
音数以外の何か、内面に関わる短歌のアイデンティティみたいなものがあるのかないのか、あるとすればそれは何なのか。俳句と川柳は、それが特に問題になるよね。音数が同じなんだから。あとは、内面に関わるものだけがその二つを分けるわけだから。それは何なのかっていうのは分かるようで分からないというのがある。短歌だって、これは狂歌だと言われる可能性もあるよね。
――――
新書版p.190
にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった
(加藤治郎)
トンカチのイントネーションはトンカチと思い込んでた本当はトンカチ
(エース古賀)
(7×7+4÷2)÷3=17
(かっこなな、かけるななたす、よんわるに、カッコとじわる、さんはじゅうなな)
(杉田抱僕)
わざわざ言葉を型にはめてコンパクトな詩型にしたのに、それを何時間もかけて語りあって読み解こうとするなんて、なんとも奇妙で、非効率的なことだと思います。でも、なんというか、その奇妙で非効率的なことが楽しくて仕方がないんです。だって、奇妙さゼロ、効率百パーセントな世界は、おもしろくないですよね。
この世のどこかで、だれかがそっと形にした一首の短歌。それは、短歌でなければ残せなかった心です。残してくれなければ、知ることのできなかった感覚、時代の気分、世界観がつまっています。
この本では、そうした短歌をいくつかの項目に分けて語りあい、それぞれの角度から見えてくる人間の心や時代性を探りました。
――――
新書版p.218
恋愛、食事、家族、動物、金銭。歌人二人が持ち寄った作品を様々なテーマに沿って分類し語り合う短歌アンソロジー。新書版(筑摩書房)出版は2019年1月です。
――――
短歌を作るのは楽しいけど、うまくいかないと苦しい。短歌を読むのは楽しいけど、慣れないと難しい。無条件に楽しいのは短歌について話すこと。というわけで、友だちの歌人、東直子さんとあれこれ語り合ってみました。
――――
新書版p.9
[目次]
第1章 やっぱり基本は恋の歌
第2章 食べ物の歌には魔法がかかっている
第3章 いまがわかる!家族の歌
第4章 イメージを裏切る動物の歌
第5章 人生と神に触れる時間の歌
第6章 豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌
第7章 いつか分からなくなるのかもしれない固有名詞の歌
第8章 表現の面白さだってある、トリッキーな歌
付録1 歌人ってどうやってなるの?
付録2 真似っ子歌
第1章 やっぱり基本は恋の歌
――――
こうやって見ると、恋愛というのは思いのほか、時代の影響を受けていますね。本能的な部分は変わらないんだろうけど、社会的に制約を受けることで、表現として出てくるものが変わってくることがあるような気がします。今は全面的に前向きになれないというか。若い人が出す歌集で一冊丸ごとバリバリ相聞歌というのは減りましたね。恋愛ばかり詠んでいる人って少ないんじゃないかな。
――――
新書版p.34
したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ
(岡崎裕美子)
するときは球体関節、のわけもなく骨軋みたる今朝の通学
(野口あや子)
鳩サブレは絶対くちびるから食べる。くちびるじゃなくってくちばしか
(佐藤友美)
第2章 食べ物の歌には魔法がかかっている
――――
食べ物は対人関係と結びつくよね、典型は家族。胃袋をつかむとか同じ釜の飯とかなんとなく気持ち悪く感じるんだけどね。
――――
新書版p.46
「今お前食べてるそれは蛇だよ」と言いし男が今の夫なり
(斎藤清美)
冷や飯につめたい卵かけて食べ子どもと呼ばれる戦士であった
(雪舟えま)
飼いていし兎を「今夜食べるぞ」と取り上げし父 今、墓にいる
(岡崎裕美子)
第3章 いまがわかる!家族の歌
――――
老夫婦の歌を調べたことがあるんだけれども、夫が妻を詠んだものは大体いい感じの歌になっているのが多くて、妻が夫を詠んだものはすごい。もう、本当にすごい。
階段に置いた私のコートをあなたが足でどけたとか、私以外の家族は一度も靴を揃えたことがないとか、そんなのばっかりいくらでも出てきて、こんなに男女で違うかと思った。読んでいるうちに怖くなってくる。
――――
新書版p.82
父の撒くポップコーンを鳩が食ふついでに父も食われてしまへ
(木村陽子)
家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンまだ温かい
(小坂井大輔)
浴室のドアは開けといてと何回も言えども出来ぬカビの味方か
(稲熊明美)
第4章 イメージを裏切る動物の歌
――――
やっぱりプロの歌人は文体が、「こはいかに」と入る感じとか、「ひとがみなみな見ゆるぞ猿に」とか、さっきの「ぺったんぺったん」とか、ちょっと不思議な感じ、違和感があるよね。「ぺったんぺったん」の入る位置が面白い。水を出て大きな黒い水掻きの白鳥が歩いて来る、という流れの間に水掻きの「ぺったんぺったん」が挿入されている。いわゆる散文の文体ではない。
――――
新書版p.101
こはいかに人参色のゆふぐれはひとがみなみな見ゆるぞ猿に
(永井陽子)
水を出でおおきな黒き水掻きのぺったんぺったん白鳥がくる
(渡辺松男)
そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています
(東直子)
第5章 人生と神に触れる時間の歌
――――
これまで読んだ作品の中には、内容はそれぞれユニークでおもしろいんだけど、短歌として捉えた場合に少し散文的な気がしたものもあります。でもこの歌には、長い歳月が醸し出す重層性がある。この重層性が短歌だと思う。短歌的な豊かさがあると思うんだけど。
――――
新書版p.122
一秒でもいいから早く帰ってきて ふえるわかめがすごいことなの
(伊藤真也)
いきつぎの瞬間見える太陽の光がのびて水面走る
(金山和)
えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
(笹井宏之)
第6章 豊かさと貧しさと屈折と、お金の歌
――――
土屋文明の頃はお金がないから、ほしいものや栄養価があるものが買えなくて、貧しくて苦しかった。単純に日本人の夢がかなった時代というのが八〇年代、俵万智さんの時代。そこから三十年たって、永井くんになると不思議な様相を帯びていて、もし一度、一周回った貧しさの中にいる。でもそれは、かつての真っ当な貧しさとは何か違っていて、バナナは何本でも食べられるし、大晦日の渋谷のデニーズで一万円持っている。これは、貧しいのか豊かなのかよくわからないわけです。
――――
新書版p.140
大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円
(永井祐)
奥村は源泉徴収でボーナスの四分の一を国に取られた
(奥村晃作)
たぶん親の収入超せない僕たちがペットボトルを補充してゆく
(山田航)
第7章 いつか分からなくなるのかもしれない固有名詞の歌
――――
穂村 ブーフーウーは今誰も知らない。発表したときはみんな知っていた固有名詞が、三十年後には誰も知らない名前になった(笑)
東 この前、四百人近い学生に聞いてみたけど、一人として知らなくて、シーンとなった。
穂村 ショック! 彼らの親はみんな知ってると思うけど。それじゃこの歌は意味不明になっちゃうよね。
――――
新書版p.160
「酔ってるの? あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
(穂村弘)
夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで
(仙波龍英)
生前は無名であった鶏がからあげクンとして蘇る
(木下龍也)
第8章 表現の面白さだってある、トリッキーな歌
――――
音数以外の何か、内面に関わる短歌のアイデンティティみたいなものがあるのかないのか、あるとすればそれは何なのか。俳句と川柳は、それが特に問題になるよね。音数が同じなんだから。あとは、内面に関わるものだけがその二つを分けるわけだから。それは何なのかっていうのは分かるようで分からないというのがある。短歌だって、これは狂歌だと言われる可能性もあるよね。
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新書版p.190
にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった
(加藤治郎)
トンカチのイントネーションはトンカチと思い込んでた本当はトンカチ
(エース古賀)
(7×7+4÷2)÷3=17
(かっこなな、かけるななたす、よんわるに、カッコとじわる、さんはじゅうなな)
(杉田抱僕)
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