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『絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ』(M・R・オコナー、大下英津子:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 環境保護がいいことなのは当たり前というわたしの信念は、実は社会的、文化的なバイアスだったのだ。キハンシヒキガエルが繁殖していたタンザニア奥地の熱帯雨林にたどりついたときには、昔なら野蛮と思ったに違いない考えを抱いていた。
「人間はこのカエルを絶滅するに任せるべきだったのではないか」
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単行本p.iii


 環境から切り離されガラス箱の中だけで繁殖しているカエル。絶滅を避けるため遺伝子を強化すべく人為的交配で生まれたパンサー。ゲノム編集とクローニングによる「復活の日」を期待して冷凍保存されている様々な遺伝子。保護するために自然に手を加えて別物にする行為は、はたして自然保護活動といえるのだろうか。絶滅種の「復活」テクノロジーを中心に、自然保護活動が抱えるジレンマをあぶり出す一冊。単行本(ダイヤモンド社)出版は2018年9月、Kindle版配信は2018年9月です。


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 わたしたちの上に大きくのしかかっている倫理上の問題は、人間は、自分たちが種に及ぼしている進化の影響を認識したうえで、そうなってほしいと望む方向に意識的に進化を誘導したり、操作したりすべきか否かだ。
 ときに「規範的進化」や「指向性進化」とも呼ばれるこうした進化は、今後、環境の影響を生きのびていくうえで助けとなる特徴を、種に植えつけるかたちをとる可能性がある。もしくは、動物を別の場所に移したり、回復力の高い新しい交配種をつくりだしたりする可能性もある。このように生物学的プロセスを操作するのは、自然保護主義者にとっては悪魔と取り引きするようなものだ。
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単行本p.x


 飼育下繁殖され一度も「自然な」環境にいたことのない個体を育てることが自然保護といえるだろうか。環境変化への適応を促進するために人為的に遺伝子操作を加える行為は、種の保護ではなく、自然種をあえて絶滅させて新種を創り出しているだけではないのか。棲息環境が失われたのに冷凍庫の中で遺伝子を保存し続けることにどれほどの意味があるのか。そしてリョコウバトからネアンデルタール人まで、ゲノム編集とクローニングによる「復活」は倫理的に問題ないのか。

 投入できる資源に厳しい制限があるなかで、何をどのように「保護」すればよいのか。様々な実例を紹介しつつ、現実の自然保護活動が抱えている深刻なジレンマを解説する衝撃的な本です。


[目次]

第1章 カエルの方舟(アーク)の行方
 「飼育下繁殖」された生きものは自然に帰れるのか?

第2章 保護区で「キメラ」を追いかけて
 異種交配で遺伝子を「強化」された生きものは元と同じか?

第3章 たった30年で進化した「砂漠の魚」
 「保護」したつもりで絶滅に追いやっているとしたら?

第4章 1334号という名のクジラの謎
 「気候変動」はどこまで生きものに影響を与えているのか?

第5章 聖なるカラスを凍らせて
 「冷凍標本」で遺伝子を保護することに意味はあるか?

第6章 そのサイ、絶滅が先か、復活が先か
 「iPS細胞」でクローンをつくれば絶滅は止められるのか?

第7章 リョコウバトの復活は近い?
 「ゲノム編集」で絶滅した生きものを蘇らせることは可能か?

第8章 もう一度“人類の親戚”に会いたくて
 「バイオテクノロジーの発展」がわたしたちに突きつける大きな問い


第1章 カエルの方舟(アーク)の行方
 「飼育下繁殖」された生きものは自然に帰れるのか?
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 危機が次々と浮上して、生物構成バランスを崩しそうな種が増えるにつれ、人間と自然との現代的な関係について回る多数の道徳的な難問が未解決で残ることになる。種の保全を人間の要求よりも優先すべきか。科学者は種の絶滅を防ぐためにどこまでやればいいのか。わたしたちが救ったあとで、種ははたして野生に戻れるのか。
 これらは、キム・ハウエルがタンザニアの熱帯雨林にある滝の底から小さな黄色いカエルを取りだしたときに浮上したジレンマのごく一部にすぎない。
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単行本p.22


 自然環境が失われた後、そこの固有種を「保護」してガラス箱に永遠に閉じ込めて飼うとしたら、それは自然保護といえるのだろうか。自然保護が抱えているジレンマが紹介されます。


第2章 保護区で「キメラ」を追いかけて
 異種交配で遺伝子を「強化」された生きものは元と同じか?
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 おそらく、この類の遺伝的「救済」は今後の保全政策の要素としてますます当たり前になっていくことだろう。生息地は、いっそう細分化されはしても、その逆はない。多くの場合、遺伝物質の流動的な交換を可能にし、近親交配を阻止できる抜け道のある境界や回廊がないので、動物の個体群はいっそう互いに孤立する。
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単行本p.76


 フロリダ州のパンサーを絶滅の危機から救うために、テキサス州からピューマを連れてきて交配させる。人為的な交配による遺伝子「強化」は、果たして種を絶滅から救っているのか、それとも野生種の根絶に手をかしているのか。自然を「保護」するために、保護しやすいように自然に手を入れる、という行為の意味について考えます。


第3章 たった30年で進化した「砂漠の魚」
 「保護」したつもりで絶滅に追いやっているとしたら?
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 人間は、種を絶滅の危機から救うために、種に進んでもらいたいと希望する方向へ急速に進化させるよう舵を切ることができる。もしわたしたちが意図的に、より強い、より回復力のある個体群へとつながる選択圧を導入したら、どうなるだろう。気候変動にもっとうまく適応する特徴を、種に付与することができるのだろうか。
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単行本p.119


 通常考えられているよりもはるかに速いスピードで生物種が進化した実例を通じて、私たちが「よかれと思って」進化の方向性に手を加えることがただの思考実験ではなく現実に可能となっていることが示されます。


第4章 1334号という名のクジラの謎
 「気候変動」はどこまで生きものに影響を与えているのか?
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 タイセイヨウセミクジラについて知識が深まるほど、この種はわたしたちが忘れがちなことを思いださせる効果抜群の存在のように思えてきた。グーグルマップ、マイクロチップ、技術絶対主義のこのご時世に、地球には大きくて複雑なもの――海、気候、クジラ――がまだ残っている。
 これらのものの前では、わたしたちの理解などちっぽけなことだ。ましてや、よくも悪くもそれらをコントロールするわたしたちの力など言うに及ばず、だ。
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単行本p.128


 生物種の進化を誘導する、コントロールする。その倫理的問題より前に、そもそも私たちは生物種についてどのくらい理解しているのか。クジラの謎を通じて、その限界を見つめます。


第5章 聖なるカラスを凍らせて
 「冷凍標本」で遺伝子を保護することに意味はあるか?
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 そして現在、この類の保管施設の数はどんどん増えている。2011年、スミソニアン協会は標本を最大42億件収蔵する施設を着工した。国際バーコードオブライフプロジェクトという遺伝子貯蔵コンソーシアムもある。この組織の目標は、50万種のDNAから500万点のバーコードを作成することだ。
 ゲノム10Kプロジェクトでは、1万7000種のDNAサンプルを採取して、1万件のゲノム配列を解析しようとしている。
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単行本p.175


 生物種の絶滅に備えて、その胚や遺伝情報を冷凍保管するプロジェクトが各地で進められている。しかし、環境から切り離して遺伝子情報だけを保護することにどんな意味があるのだろうか。環境や親、群れとの相互作用ができず行動習性を学習できない個体は、元の種とは別物になってしまうのではないか。第5章以降は、いつの日か種の「復活」を期待して胚や遺伝情報を保存することを「種の保存」と見なせるかどうかという問いが扱われます。


第6章 そのサイ、絶滅が先か、復活が先か
 「iPS細胞」でクローンをつくれば絶滅は止められるのか?
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 冷凍庫に入っているキタシロサイはまったくの別種なのだろうか。実験でリプログラミングによって誕生した細胞から生まれたキタシロサイは、生きているキタシロサイから生まれたものと同じだろうか。(中略)進化は「本物である」属性を有している種の概念を複雑かつ曖昧にしている。これが、科学者や哲学者が20種類以上の種の概念を考案した理由でもある。時間を超えて残るものは何か。正確にはサイとは何なのか。
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単行本p.216、218


 冷凍保管している胚から「復活」させられた生物は、元になったものと同じ生物種だと見なせるだろうか。冷凍庫の中に「種の多様性」を保存するという私たちの努力は、実際のところ何をしていることになるのだろう。


第7章 リョコウバトの復活は近い?
 「ゲノム編集」で絶滅した生きものを蘇らせることは可能か?
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 このプロジェクトの主張は、これらの動物も人間が絶滅に追いやったのだから、環境に対して正義をなす、言いかえれば償いをする責任がある、だった。
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単行本p.268


 乱獲や環境破壊によって滅びた種を「復活」させることは、絶滅させた人類の責務である。テクノロジーの発展によって生物種「復活」プロジェクトが現実になりつつある現在、その意味について考えます。


第8章 もう一度“人類の親戚”に会いたくて
 「バイオテクノロジーの発展」がわたしたちに突きつける大きな問い
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 ネアンデルタール人復活の煽情的な面の裏をつつくと、ほかの種の脱絶滅を検討したときに直面するのとこわいくらい似た問いが浮上した。これは生態系の正義をなすひとつの形態なのだろうか。それとも、自然の法則をわたしたちが支配するための、そして象徴的な意味では、いずれ迎えるわたしたちの死への究極の賭けに過ぎないのだろうか。
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単行本p.301


 生物種「復活」プロジェクトのなかでも、ネアンデルタール人の復活は特に倫理的な問題を引き起こす。知能と意志、そして尊厳と人権を持つ種を勝手に蘇らせたとき、私たちはその運命について責任をとれるだろうか。そもそもその試みは自然保護の一環といえるのだろうか。



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