『お金がない! 暮らしの文藝』(雨宮まみ、蛭子能収、夢野久作、中島らも、宮澤章夫、高野秀行、坂口安吾、水木しげる、寺山修司、赤瀬川源平、赤塚不二夫、太宰治、伊丹十三、星新一、他) [読書(随筆)]
――――
本書には古今の書き手によるエッセイ・小説など選りすぐりの29篇を収録しています。ボーナス、散財、貸し借り、吝嗇からギャンブルに年金まで、時代も金銭感覚も様々ですが、本音と建前、他人にはなかなか見せられない、多様な思いが詰まっています。勢いをつけてお金の姿が変わりゆく、この世界を映し出す鏡になるかもしれません。
――――
単行本p.3
様々な著者によるエッセイや小説から、お金に関する文章を選んで収録した金銭テーマ文芸アンソロジー。単行本(河出書房新社)出版は2018年12月です。
お金をテーマにしたエッセイといっても様々です。まずは「金銭感覚」について書いたもの。
――――
その悲痛な叫びは滑稽ではあるが何かすがすがしいものを私に感じさせた。世間はバブルまっただ中である。節約が悪徳、浪費が美徳とされていた時代だ。しかも、守銭奴はケチである。ふつうのケチは自分の金は惜しむが他人のおごりならいくらでも平気で受け取るものである。しかるに、この人は自分と他人の区別を越えて、すべてを惜しんでいるのだ。あらゆるものにケチなのだ。
――――
『ドケチ男「守銭奴」の叫び』(高野秀行)より
――――
大学生ぐらいに見える若いカップルの男のほうが、マクドナルドでクーポンを出して、チキンナゲットが割引になるか訊いている。ならないと知ると、彼はナゲットを注文するのをやめた。彼女の腕には、ルイ・ヴィトンのヴェルニの新色のバッグが提がっている。
貧乏くさい、と内心ばからしく思いながら、好きなだけマクドナルドで食べたいものを食べる私は、ルイ・ヴィトンの商品などひとつも持っていない。
切り詰めてほしいものを手に入れている人間と、切り詰めず欲しいものを手に入れることのできない人間と、どちらが貧乏くさく、どちらが豊かなのだろうか。
私には、切り詰めず、欲しいものを手に入れる」生活への憧れしか見えていない。
まだ、その程度には若いのかもしれない。幼いのかもしれない。何かが少し狂っているのかもしれない。
――――
『お金』(雨宮まみ)より
そして「貧乏」や「金の貸し借り」についての文章。
――――
私は決して今を楽しむタイプの人を援助するために必死に稼ごうとしているのではない。自分のために、自分が楽で自由な生活ができるために稼ごうとしているのである。
だから私は友達が嫌いになる。そしてもうほとんど友達らしき人はいなくなってしまった。それでいい。仲間というのは信用できないのだ。これは金で友達を失ったことになるのだろう。金、金、金、私はお金が大好き。金さえあれば外国でも自由に行ける。友達よりお金が信用できる。くやしいのは世田谷に住んでる一戸建ての人達である。あの人達は一体どうやってお金を稼いだんだ? 誰か教えてくれ。
――――
『お金について教えてほしいこと』(蛭子能収)より
――――
私は貧乏した。然し私は泥棒をしようと思ったことは一度もない。その代り、借金というよりもむしろ強奪してくるのである。竹村書房と大観堂を最も脅かし、最も強奪した。あるとき酒を飲む金に窮して大観堂へ電話をかけると、ただ今父が死んで取りこんでいますからと言うので私は怒り心頭に発して、あなたの父親が死んだことと私が金が必要のことと関係がありますかと怒って、私は死んだ人の枕元へ乗込んで何百円だか強奪に及んだことがあった。
――――
『ヒンセザレバドンス』(坂口安吾)より
――――
そのすぐ後へ、税務署員がやって来た。何事かと思えば、申告所得があまりにも少ないが、ごまかしがあるのではないか、というわけ。
「だって、現に、所得がないんです」
「ないんですといったって、生きている以上は食べてるでしょう。これじゃ、食べてられる所得じゃありませんが」
と、食いさがる。
「我々の生活がキサマらにわかるかい!」
僕が、怒りと絶望とでかなり迫力のある声をあげると、その後、税務署からは何もいってこなくなった。
――――
『貧困の中で結婚する』(水木しげる)より
さらには、お金にまつわる奇妙な出来事を書いた随筆や小説など。
――――
と、そのときだ。男が四つ折りの新聞を開いた瞬間、バネ仕掛けの人形のように全身がぴょんっと浮いたのである。
おどろいて横目をやると、男は板のように背を硬直させ、息を詰めて中身を凝視している。つられて首を伸ばし、わたしも思わず「あっ」と声を洩らしそうになった。競馬新聞のうちがわにむきだしの札束が挟まれて手いるのである。
競馬新聞。札束。沿線の競馬場。(中略)落とし主は地団駄踏んでいるにちがいない。いや、すぐ気づいていまにも駆け戻ってくるだろうか。想像をたくましくしていると、男が顔を上げてこちらへ振りむいた。
(おまえ一部始終を見たな)
びくついた顔にそう書いてあった。
――――
『競馬新聞の中身』(平松洋子)より
――――
生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある一本の釘
子供の頃、じぶんの生命線がみじかいと人に言われて、釘で傷つけて掌を血まみれにしたことがあった。
しかし、ほんの少しばかりの釘で彫った肉の溝も、傷が癒えると共に消えてしまい、私の生命線は、やはり短いままであった。
生命線ばかりではなく、知能線も短かったし、運命線に到っては、あるかなきかのごとくであった。
私は、自分の掌を見つめるたびに、将来を怖れたものだ。その頃、私の村と山一つへだてた隣の村に『手相直し』のおじさんがいるということをきいた。
――――
『手相直し』(寺山修司)より
――――
ひと安心とはいうものの、青年は妙な気分だった。まだ事態が信じられない。
「本当に、これでこの件は終りなんですか」
「そういうわけだ」
「ありがたいことですが、まだ、なっとくできません。あんな大金をなくしたというのに。もし、これがよその会社だったら……」
「よその会社だったら、まあ、重大問題になるだろうな。しかし、よその会社では、こういう事件は起らないのだ」
――――
『消えた大金』(星新一)より
本書には古今の書き手によるエッセイ・小説など選りすぐりの29篇を収録しています。ボーナス、散財、貸し借り、吝嗇からギャンブルに年金まで、時代も金銭感覚も様々ですが、本音と建前、他人にはなかなか見せられない、多様な思いが詰まっています。勢いをつけてお金の姿が変わりゆく、この世界を映し出す鏡になるかもしれません。
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単行本p.3
様々な著者によるエッセイや小説から、お金に関する文章を選んで収録した金銭テーマ文芸アンソロジー。単行本(河出書房新社)出版は2018年12月です。
お金をテーマにしたエッセイといっても様々です。まずは「金銭感覚」について書いたもの。
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その悲痛な叫びは滑稽ではあるが何かすがすがしいものを私に感じさせた。世間はバブルまっただ中である。節約が悪徳、浪費が美徳とされていた時代だ。しかも、守銭奴はケチである。ふつうのケチは自分の金は惜しむが他人のおごりならいくらでも平気で受け取るものである。しかるに、この人は自分と他人の区別を越えて、すべてを惜しんでいるのだ。あらゆるものにケチなのだ。
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『ドケチ男「守銭奴」の叫び』(高野秀行)より
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大学生ぐらいに見える若いカップルの男のほうが、マクドナルドでクーポンを出して、チキンナゲットが割引になるか訊いている。ならないと知ると、彼はナゲットを注文するのをやめた。彼女の腕には、ルイ・ヴィトンのヴェルニの新色のバッグが提がっている。
貧乏くさい、と内心ばからしく思いながら、好きなだけマクドナルドで食べたいものを食べる私は、ルイ・ヴィトンの商品などひとつも持っていない。
切り詰めてほしいものを手に入れている人間と、切り詰めず欲しいものを手に入れることのできない人間と、どちらが貧乏くさく、どちらが豊かなのだろうか。
私には、切り詰めず、欲しいものを手に入れる」生活への憧れしか見えていない。
まだ、その程度には若いのかもしれない。幼いのかもしれない。何かが少し狂っているのかもしれない。
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『お金』(雨宮まみ)より
そして「貧乏」や「金の貸し借り」についての文章。
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私は決して今を楽しむタイプの人を援助するために必死に稼ごうとしているのではない。自分のために、自分が楽で自由な生活ができるために稼ごうとしているのである。
だから私は友達が嫌いになる。そしてもうほとんど友達らしき人はいなくなってしまった。それでいい。仲間というのは信用できないのだ。これは金で友達を失ったことになるのだろう。金、金、金、私はお金が大好き。金さえあれば外国でも自由に行ける。友達よりお金が信用できる。くやしいのは世田谷に住んでる一戸建ての人達である。あの人達は一体どうやってお金を稼いだんだ? 誰か教えてくれ。
――――
『お金について教えてほしいこと』(蛭子能収)より
――――
私は貧乏した。然し私は泥棒をしようと思ったことは一度もない。その代り、借金というよりもむしろ強奪してくるのである。竹村書房と大観堂を最も脅かし、最も強奪した。あるとき酒を飲む金に窮して大観堂へ電話をかけると、ただ今父が死んで取りこんでいますからと言うので私は怒り心頭に発して、あなたの父親が死んだことと私が金が必要のことと関係がありますかと怒って、私は死んだ人の枕元へ乗込んで何百円だか強奪に及んだことがあった。
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『ヒンセザレバドンス』(坂口安吾)より
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そのすぐ後へ、税務署員がやって来た。何事かと思えば、申告所得があまりにも少ないが、ごまかしがあるのではないか、というわけ。
「だって、現に、所得がないんです」
「ないんですといったって、生きている以上は食べてるでしょう。これじゃ、食べてられる所得じゃありませんが」
と、食いさがる。
「我々の生活がキサマらにわかるかい!」
僕が、怒りと絶望とでかなり迫力のある声をあげると、その後、税務署からは何もいってこなくなった。
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『貧困の中で結婚する』(水木しげる)より
さらには、お金にまつわる奇妙な出来事を書いた随筆や小説など。
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と、そのときだ。男が四つ折りの新聞を開いた瞬間、バネ仕掛けの人形のように全身がぴょんっと浮いたのである。
おどろいて横目をやると、男は板のように背を硬直させ、息を詰めて中身を凝視している。つられて首を伸ばし、わたしも思わず「あっ」と声を洩らしそうになった。競馬新聞のうちがわにむきだしの札束が挟まれて手いるのである。
競馬新聞。札束。沿線の競馬場。(中略)落とし主は地団駄踏んでいるにちがいない。いや、すぐ気づいていまにも駆け戻ってくるだろうか。想像をたくましくしていると、男が顔を上げてこちらへ振りむいた。
(おまえ一部始終を見たな)
びくついた顔にそう書いてあった。
――――
『競馬新聞の中身』(平松洋子)より
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生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある一本の釘
子供の頃、じぶんの生命線がみじかいと人に言われて、釘で傷つけて掌を血まみれにしたことがあった。
しかし、ほんの少しばかりの釘で彫った肉の溝も、傷が癒えると共に消えてしまい、私の生命線は、やはり短いままであった。
生命線ばかりではなく、知能線も短かったし、運命線に到っては、あるかなきかのごとくであった。
私は、自分の掌を見つめるたびに、将来を怖れたものだ。その頃、私の村と山一つへだてた隣の村に『手相直し』のおじさんがいるということをきいた。
――――
『手相直し』(寺山修司)より
――――
ひと安心とはいうものの、青年は妙な気分だった。まだ事態が信じられない。
「本当に、これでこの件は終りなんですか」
「そういうわけだ」
「ありがたいことですが、まだ、なっとくできません。あんな大金をなくしたというのに。もし、これがよその会社だったら……」
「よその会社だったら、まあ、重大問題になるだろうな。しかし、よその会社では、こういう事件は起らないのだ」
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『消えた大金』(星新一)より
タグ:高野秀行
『組合せ数学』(ロビン・ウィルソン、川辺治之:翻訳) [読書(サイエンス)]
――――
この分野は深く多岐にわたって発展し,数学の主流を構成する一部になりつつある.フィールズ賞やアーベル賞のような権威ある数学賞がこの分野への画期的な寄与をした研究者に与えられ,その一方で,国内外のメディアでいくつもの注目に値する組合せ論の進展が取り上げられている.
近年この分野が重要になってきている理由の一つが,計算機科学の発展と,実世界の実用的な問題を解くためにアルゴリズム的手法の使用が増えていることであるのは間違いない.このことによって,ネットワーク解析,符号理論,確率論,ウイルス学,実験計画法,時間割編成,オペレーションズ・リサーチなど,数学の内外における幅広い分野での組合せ論の適用につながっている.
――――
単行本p.6
ある条件を満たす解が存在するか、何通りあるか、どれが最適か。敷き詰め、一筆書き、地図の塗り分け、順列組合せ、経路最適化など、様々な問題を扱う離散数学の分野、組合せ論に関する興味深いトピックを集めた一冊。単行本(岩波書店)出版は2018年12月です。
――――
これらの問題は広範囲に及び無関係なようにも見えるかもしれないが,主として,さまざまな種類の対象を選んだり,並べたり,数えたりすることに関係している.とくに,これらの問題はすべて,次のように表現することができる.
しかじかのものが存在するか.もしそれが存在するなら,どのようにして構成することができるか.また,それは何通りあるか.そして,そのうちのどれが「もっともよい」か.
組合せ解析,あるいは,組合せ論では,このような問いに関心がある.大雑把には,組合せ論は,ものごとを選んだり,並べたり,構成したり,分類したり,数えたり,列挙したりすることに関する数学の分野といってもよいだろう.
――――
単行本p.2
全体は9つの章から構成されており、古典的パズルから現代の未解決問題まで様々な話題が取り上げられます。順列組合せ、並べ方、分割、割り当て方、敷き詰め、巡歴問題、一筆書き、魔方陣、交差しないように線を引く問題、地図の塗り分け、迷路、ハノイの塔、フィボナッチ数、パスカルの三角形、最小全域木問題、巡回セールスマン問題など。
文章も構成も教科書のようにそっけないのですが、数学的内容そのものに興味がある読者なら、問題なく楽しめると思います。
この分野は深く多岐にわたって発展し,数学の主流を構成する一部になりつつある.フィールズ賞やアーベル賞のような権威ある数学賞がこの分野への画期的な寄与をした研究者に与えられ,その一方で,国内外のメディアでいくつもの注目に値する組合せ論の進展が取り上げられている.
近年この分野が重要になってきている理由の一つが,計算機科学の発展と,実世界の実用的な問題を解くためにアルゴリズム的手法の使用が増えていることであるのは間違いない.このことによって,ネットワーク解析,符号理論,確率論,ウイルス学,実験計画法,時間割編成,オペレーションズ・リサーチなど,数学の内外における幅広い分野での組合せ論の適用につながっている.
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単行本p.6
ある条件を満たす解が存在するか、何通りあるか、どれが最適か。敷き詰め、一筆書き、地図の塗り分け、順列組合せ、経路最適化など、様々な問題を扱う離散数学の分野、組合せ論に関する興味深いトピックを集めた一冊。単行本(岩波書店)出版は2018年12月です。
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これらの問題は広範囲に及び無関係なようにも見えるかもしれないが,主として,さまざまな種類の対象を選んだり,並べたり,数えたりすることに関係している.とくに,これらの問題はすべて,次のように表現することができる.
しかじかのものが存在するか.もしそれが存在するなら,どのようにして構成することができるか.また,それは何通りあるか.そして,そのうちのどれが「もっともよい」か.
組合せ解析,あるいは,組合せ論では,このような問いに関心がある.大雑把には,組合せ論は,ものごとを選んだり,並べたり,構成したり,分類したり,数えたり,列挙したりすることに関する数学の分野といってもよいだろう.
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単行本p.2
全体は9つの章から構成されており、古典的パズルから現代の未解決問題まで様々な話題が取り上げられます。順列組合せ、並べ方、分割、割り当て方、敷き詰め、巡歴問題、一筆書き、魔方陣、交差しないように線を引く問題、地図の塗り分け、迷路、ハノイの塔、フィボナッチ数、パスカルの三角形、最小全域木問題、巡回セールスマン問題など。
文章も構成も教科書のようにそっけないのですが、数学的内容そのものに興味がある読者なら、問題なく楽しめると思います。
タグ:その他(サイエンス)
『七人のイヴ (1)』(ニール・スティーヴンスン、日暮雅通:翻訳) [読書(SF)]
――――
これは人類が直面した最大の試練だ。しかし、われわれは生き残る。宇宙にあるものを利用して、“われわれの遺産”を保存しておくための場所をつくったり、地球から運んだものを改良したりする。最後にはきっと、われわれが帰れる日がやってくる。〈ハード・レイン〉は永遠には続かない。
――――
新書版p.260
あるとき月が砕け、巨大な破片の集団と化した。それぞれの破片は衝突を繰り返しながらさらに細かく砕けてゆき、やがて軌道上から次々と落下してゆく。わずか二年後には地表は巨大隕石の連続爆撃により灼熱の炎に覆われ、あらゆる生物は死滅するだろう。だが、人類はあきらめなかった。軌道上へ、宇宙へ、その先へ。わずかな人数であっても生き延び、人類の遺産を未来へとつなぐのだ。ニール・スティーヴンスンのハードSF大作、その第1巻です。新書版(早川書房)出版は2018年6月、Kindle版配信は2018年6月。
――――
「それは太陽系が形成された原始時代以降に地球が経験したことのない、無数の隕石による爆撃です。隕石が落ちてきて、その燃えさかる尾が見えたことがありますね? ああいうものが無数にあり、合体して火の玉になっては、ほかのものすべてを燃やしていくのです。地球上のすべてが不毛の地となります。氷河も煮え立つでしょう。生き残る唯一の方法は、大気圏から逃げ出すしかありません」
――――
新書版p.44
連続的な巨大隕石落下〈ハード・レイン〉による人類滅亡まで、残された時間はわずか二年。だが人類はあきらめなかった。少しでも多くの人間を救うために〈クラウド・アーク〉計画がスタートする。既に軌道上にある国際宇宙ステーションを足掛かりに、宇宙に居住環境を作り上げるという巨大プロジェクトだ。
しかし、わずか二年で何が出来るだろう。地上からの支援なしに大人数を恒久的に活かし続けることなど、現在の技術ではとうてい不可能ではないだろうか。本当に〈クラウド・アーク〉計画は実現可能なのか。
――――
彼らが宇宙でやっていることはすべて、地上にいる70億人への子守歌にしかすぎない。実際には機能しない仕事の、準備を整えているというふり。〈クラウド・アーク〉の人々は、地上に残された人々よりも、わずか二、三週間長く生きるだけだということ。
――――
新書版p.157
地上にいる指導者たちの本音は、大衆がパニックを起こさないように、何か希望があるふりをすること。実際には期待していないのだった。〈クラウド・アーク〉計画は絶望に対する鎮痛剤に過ぎないのだ。
だが、それがどうした。国際宇宙ステーションにいる人々はすでに決意を固めていた。生き延びる。それも長期的に。何千年先の未来に、人類を送り届けるためにあらゆる手段を尽くす。宇宙を克服するのだ。
古き良きSFを現代に蘇らせた、オールドSFファン感涙の物語。現在よりわずか先の近未来、今より少しだけ進んだテクノロジー。それで地表からの支援なしに宇宙空間に「千人を超す人数が恒久的に活きてゆける居住環境」を作り出すことなど可能なのか。まず無理と思う反面、絶対不可能とも言い切れない。このぎりぎりの状況設定が魅力的です。一冊の原書を三分割したとのことで、2巻と3巻も楽しみ。
これは人類が直面した最大の試練だ。しかし、われわれは生き残る。宇宙にあるものを利用して、“われわれの遺産”を保存しておくための場所をつくったり、地球から運んだものを改良したりする。最後にはきっと、われわれが帰れる日がやってくる。〈ハード・レイン〉は永遠には続かない。
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新書版p.260
あるとき月が砕け、巨大な破片の集団と化した。それぞれの破片は衝突を繰り返しながらさらに細かく砕けてゆき、やがて軌道上から次々と落下してゆく。わずか二年後には地表は巨大隕石の連続爆撃により灼熱の炎に覆われ、あらゆる生物は死滅するだろう。だが、人類はあきらめなかった。軌道上へ、宇宙へ、その先へ。わずかな人数であっても生き延び、人類の遺産を未来へとつなぐのだ。ニール・スティーヴンスンのハードSF大作、その第1巻です。新書版(早川書房)出版は2018年6月、Kindle版配信は2018年6月。
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「それは太陽系が形成された原始時代以降に地球が経験したことのない、無数の隕石による爆撃です。隕石が落ちてきて、その燃えさかる尾が見えたことがありますね? ああいうものが無数にあり、合体して火の玉になっては、ほかのものすべてを燃やしていくのです。地球上のすべてが不毛の地となります。氷河も煮え立つでしょう。生き残る唯一の方法は、大気圏から逃げ出すしかありません」
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新書版p.44
連続的な巨大隕石落下〈ハード・レイン〉による人類滅亡まで、残された時間はわずか二年。だが人類はあきらめなかった。少しでも多くの人間を救うために〈クラウド・アーク〉計画がスタートする。既に軌道上にある国際宇宙ステーションを足掛かりに、宇宙に居住環境を作り上げるという巨大プロジェクトだ。
しかし、わずか二年で何が出来るだろう。地上からの支援なしに大人数を恒久的に活かし続けることなど、現在の技術ではとうてい不可能ではないだろうか。本当に〈クラウド・アーク〉計画は実現可能なのか。
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彼らが宇宙でやっていることはすべて、地上にいる70億人への子守歌にしかすぎない。実際には機能しない仕事の、準備を整えているというふり。〈クラウド・アーク〉の人々は、地上に残された人々よりも、わずか二、三週間長く生きるだけだということ。
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新書版p.157
地上にいる指導者たちの本音は、大衆がパニックを起こさないように、何か希望があるふりをすること。実際には期待していないのだった。〈クラウド・アーク〉計画は絶望に対する鎮痛剤に過ぎないのだ。
だが、それがどうした。国際宇宙ステーションにいる人々はすでに決意を固めていた。生き延びる。それも長期的に。何千年先の未来に、人類を送り届けるためにあらゆる手段を尽くす。宇宙を克服するのだ。
古き良きSFを現代に蘇らせた、オールドSFファン感涙の物語。現在よりわずか先の近未来、今より少しだけ進んだテクノロジー。それで地表からの支援なしに宇宙空間に「千人を超す人数が恒久的に活きてゆける居住環境」を作り出すことなど可能なのか。まず無理と思う反面、絶対不可能とも言い切れない。このぎりぎりの状況設定が魅力的です。一冊の原書を三分割したとのことで、2巻と3巻も楽しみ。
タグ:その他(SF)
『絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ』(M・R・オコナー、大下英津子:翻訳) [読書(サイエンス)]
――――
環境保護がいいことなのは当たり前というわたしの信念は、実は社会的、文化的なバイアスだったのだ。キハンシヒキガエルが繁殖していたタンザニア奥地の熱帯雨林にたどりついたときには、昔なら野蛮と思ったに違いない考えを抱いていた。
「人間はこのカエルを絶滅するに任せるべきだったのではないか」
――――
単行本p.iii
環境から切り離されガラス箱の中だけで繁殖しているカエル。絶滅を避けるため遺伝子を強化すべく人為的交配で生まれたパンサー。ゲノム編集とクローニングによる「復活の日」を期待して冷凍保存されている様々な遺伝子。保護するために自然に手を加えて別物にする行為は、はたして自然保護活動といえるのだろうか。絶滅種の「復活」テクノロジーを中心に、自然保護活動が抱えるジレンマをあぶり出す一冊。単行本(ダイヤモンド社)出版は2018年9月、Kindle版配信は2018年9月です。
――――
わたしたちの上に大きくのしかかっている倫理上の問題は、人間は、自分たちが種に及ぼしている進化の影響を認識したうえで、そうなってほしいと望む方向に意識的に進化を誘導したり、操作したりすべきか否かだ。
ときに「規範的進化」や「指向性進化」とも呼ばれるこうした進化は、今後、環境の影響を生きのびていくうえで助けとなる特徴を、種に植えつけるかたちをとる可能性がある。もしくは、動物を別の場所に移したり、回復力の高い新しい交配種をつくりだしたりする可能性もある。このように生物学的プロセスを操作するのは、自然保護主義者にとっては悪魔と取り引きするようなものだ。
――――
単行本p.x
飼育下繁殖され一度も「自然な」環境にいたことのない個体を育てることが自然保護といえるだろうか。環境変化への適応を促進するために人為的に遺伝子操作を加える行為は、種の保護ではなく、自然種をあえて絶滅させて新種を創り出しているだけではないのか。棲息環境が失われたのに冷凍庫の中で遺伝子を保存し続けることにどれほどの意味があるのか。そしてリョコウバトからネアンデルタール人まで、ゲノム編集とクローニングによる「復活」は倫理的に問題ないのか。
投入できる資源に厳しい制限があるなかで、何をどのように「保護」すればよいのか。様々な実例を紹介しつつ、現実の自然保護活動が抱えている深刻なジレンマを解説する衝撃的な本です。
[目次]
第1章 カエルの方舟(アーク)の行方
「飼育下繁殖」された生きものは自然に帰れるのか?
第2章 保護区で「キメラ」を追いかけて
異種交配で遺伝子を「強化」された生きものは元と同じか?
第3章 たった30年で進化した「砂漠の魚」
「保護」したつもりで絶滅に追いやっているとしたら?
第4章 1334号という名のクジラの謎
「気候変動」はどこまで生きものに影響を与えているのか?
第5章 聖なるカラスを凍らせて
「冷凍標本」で遺伝子を保護することに意味はあるか?
第6章 そのサイ、絶滅が先か、復活が先か
「iPS細胞」でクローンをつくれば絶滅は止められるのか?
第7章 リョコウバトの復活は近い?
「ゲノム編集」で絶滅した生きものを蘇らせることは可能か?
第8章 もう一度“人類の親戚”に会いたくて
「バイオテクノロジーの発展」がわたしたちに突きつける大きな問い
第1章 カエルの方舟(アーク)の行方
「飼育下繁殖」された生きものは自然に帰れるのか?
――――
危機が次々と浮上して、生物構成バランスを崩しそうな種が増えるにつれ、人間と自然との現代的な関係について回る多数の道徳的な難問が未解決で残ることになる。種の保全を人間の要求よりも優先すべきか。科学者は種の絶滅を防ぐためにどこまでやればいいのか。わたしたちが救ったあとで、種ははたして野生に戻れるのか。
これらは、キム・ハウエルがタンザニアの熱帯雨林にある滝の底から小さな黄色いカエルを取りだしたときに浮上したジレンマのごく一部にすぎない。
――――
単行本p.22
自然環境が失われた後、そこの固有種を「保護」してガラス箱に永遠に閉じ込めて飼うとしたら、それは自然保護といえるのだろうか。自然保護が抱えているジレンマが紹介されます。
第2章 保護区で「キメラ」を追いかけて
異種交配で遺伝子を「強化」された生きものは元と同じか?
――――
おそらく、この類の遺伝的「救済」は今後の保全政策の要素としてますます当たり前になっていくことだろう。生息地は、いっそう細分化されはしても、その逆はない。多くの場合、遺伝物質の流動的な交換を可能にし、近親交配を阻止できる抜け道のある境界や回廊がないので、動物の個体群はいっそう互いに孤立する。
――――
単行本p.76
フロリダ州のパンサーを絶滅の危機から救うために、テキサス州からピューマを連れてきて交配させる。人為的な交配による遺伝子「強化」は、果たして種を絶滅から救っているのか、それとも野生種の根絶に手をかしているのか。自然を「保護」するために、保護しやすいように自然に手を入れる、という行為の意味について考えます。
第3章 たった30年で進化した「砂漠の魚」
「保護」したつもりで絶滅に追いやっているとしたら?
――――
人間は、種を絶滅の危機から救うために、種に進んでもらいたいと希望する方向へ急速に進化させるよう舵を切ることができる。もしわたしたちが意図的に、より強い、より回復力のある個体群へとつながる選択圧を導入したら、どうなるだろう。気候変動にもっとうまく適応する特徴を、種に付与することができるのだろうか。
――――
単行本p.119
通常考えられているよりもはるかに速いスピードで生物種が進化した実例を通じて、私たちが「よかれと思って」進化の方向性に手を加えることがただの思考実験ではなく現実に可能となっていることが示されます。
第4章 1334号という名のクジラの謎
「気候変動」はどこまで生きものに影響を与えているのか?
――――
タイセイヨウセミクジラについて知識が深まるほど、この種はわたしたちが忘れがちなことを思いださせる効果抜群の存在のように思えてきた。グーグルマップ、マイクロチップ、技術絶対主義のこのご時世に、地球には大きくて複雑なもの――海、気候、クジラ――がまだ残っている。
これらのものの前では、わたしたちの理解などちっぽけなことだ。ましてや、よくも悪くもそれらをコントロールするわたしたちの力など言うに及ばず、だ。
――――
単行本p.128
生物種の進化を誘導する、コントロールする。その倫理的問題より前に、そもそも私たちは生物種についてどのくらい理解しているのか。クジラの謎を通じて、その限界を見つめます。
第5章 聖なるカラスを凍らせて
「冷凍標本」で遺伝子を保護することに意味はあるか?
――――
そして現在、この類の保管施設の数はどんどん増えている。2011年、スミソニアン協会は標本を最大42億件収蔵する施設を着工した。国際バーコードオブライフプロジェクトという遺伝子貯蔵コンソーシアムもある。この組織の目標は、50万種のDNAから500万点のバーコードを作成することだ。
ゲノム10Kプロジェクトでは、1万7000種のDNAサンプルを採取して、1万件のゲノム配列を解析しようとしている。
――――
単行本p.175
生物種の絶滅に備えて、その胚や遺伝情報を冷凍保管するプロジェクトが各地で進められている。しかし、環境から切り離して遺伝子情報だけを保護することにどんな意味があるのだろうか。環境や親、群れとの相互作用ができず行動習性を学習できない個体は、元の種とは別物になってしまうのではないか。第5章以降は、いつの日か種の「復活」を期待して胚や遺伝情報を保存することを「種の保存」と見なせるかどうかという問いが扱われます。
第6章 そのサイ、絶滅が先か、復活が先か
「iPS細胞」でクローンをつくれば絶滅は止められるのか?
――――
冷凍庫に入っているキタシロサイはまったくの別種なのだろうか。実験でリプログラミングによって誕生した細胞から生まれたキタシロサイは、生きているキタシロサイから生まれたものと同じだろうか。(中略)進化は「本物である」属性を有している種の概念を複雑かつ曖昧にしている。これが、科学者や哲学者が20種類以上の種の概念を考案した理由でもある。時間を超えて残るものは何か。正確にはサイとは何なのか。
――――
単行本p.216、218
冷凍保管している胚から「復活」させられた生物は、元になったものと同じ生物種だと見なせるだろうか。冷凍庫の中に「種の多様性」を保存するという私たちの努力は、実際のところ何をしていることになるのだろう。
第7章 リョコウバトの復活は近い?
「ゲノム編集」で絶滅した生きものを蘇らせることは可能か?
――――
このプロジェクトの主張は、これらの動物も人間が絶滅に追いやったのだから、環境に対して正義をなす、言いかえれば償いをする責任がある、だった。
――――
単行本p.268
乱獲や環境破壊によって滅びた種を「復活」させることは、絶滅させた人類の責務である。テクノロジーの発展によって生物種「復活」プロジェクトが現実になりつつある現在、その意味について考えます。
第8章 もう一度“人類の親戚”に会いたくて
「バイオテクノロジーの発展」がわたしたちに突きつける大きな問い
――――
ネアンデルタール人復活の煽情的な面の裏をつつくと、ほかの種の脱絶滅を検討したときに直面するのとこわいくらい似た問いが浮上した。これは生態系の正義をなすひとつの形態なのだろうか。それとも、自然の法則をわたしたちが支配するための、そして象徴的な意味では、いずれ迎えるわたしたちの死への究極の賭けに過ぎないのだろうか。
――――
単行本p.301
生物種「復活」プロジェクトのなかでも、ネアンデルタール人の復活は特に倫理的な問題を引き起こす。知能と意志、そして尊厳と人権を持つ種を勝手に蘇らせたとき、私たちはその運命について責任をとれるだろうか。そもそもその試みは自然保護の一環といえるのだろうか。
環境保護がいいことなのは当たり前というわたしの信念は、実は社会的、文化的なバイアスだったのだ。キハンシヒキガエルが繁殖していたタンザニア奥地の熱帯雨林にたどりついたときには、昔なら野蛮と思ったに違いない考えを抱いていた。
「人間はこのカエルを絶滅するに任せるべきだったのではないか」
――――
単行本p.iii
環境から切り離されガラス箱の中だけで繁殖しているカエル。絶滅を避けるため遺伝子を強化すべく人為的交配で生まれたパンサー。ゲノム編集とクローニングによる「復活の日」を期待して冷凍保存されている様々な遺伝子。保護するために自然に手を加えて別物にする行為は、はたして自然保護活動といえるのだろうか。絶滅種の「復活」テクノロジーを中心に、自然保護活動が抱えるジレンマをあぶり出す一冊。単行本(ダイヤモンド社)出版は2018年9月、Kindle版配信は2018年9月です。
――――
わたしたちの上に大きくのしかかっている倫理上の問題は、人間は、自分たちが種に及ぼしている進化の影響を認識したうえで、そうなってほしいと望む方向に意識的に進化を誘導したり、操作したりすべきか否かだ。
ときに「規範的進化」や「指向性進化」とも呼ばれるこうした進化は、今後、環境の影響を生きのびていくうえで助けとなる特徴を、種に植えつけるかたちをとる可能性がある。もしくは、動物を別の場所に移したり、回復力の高い新しい交配種をつくりだしたりする可能性もある。このように生物学的プロセスを操作するのは、自然保護主義者にとっては悪魔と取り引きするようなものだ。
――――
単行本p.x
飼育下繁殖され一度も「自然な」環境にいたことのない個体を育てることが自然保護といえるだろうか。環境変化への適応を促進するために人為的に遺伝子操作を加える行為は、種の保護ではなく、自然種をあえて絶滅させて新種を創り出しているだけではないのか。棲息環境が失われたのに冷凍庫の中で遺伝子を保存し続けることにどれほどの意味があるのか。そしてリョコウバトからネアンデルタール人まで、ゲノム編集とクローニングによる「復活」は倫理的に問題ないのか。
投入できる資源に厳しい制限があるなかで、何をどのように「保護」すればよいのか。様々な実例を紹介しつつ、現実の自然保護活動が抱えている深刻なジレンマを解説する衝撃的な本です。
[目次]
第1章 カエルの方舟(アーク)の行方
「飼育下繁殖」された生きものは自然に帰れるのか?
第2章 保護区で「キメラ」を追いかけて
異種交配で遺伝子を「強化」された生きものは元と同じか?
第3章 たった30年で進化した「砂漠の魚」
「保護」したつもりで絶滅に追いやっているとしたら?
第4章 1334号という名のクジラの謎
「気候変動」はどこまで生きものに影響を与えているのか?
第5章 聖なるカラスを凍らせて
「冷凍標本」で遺伝子を保護することに意味はあるか?
第6章 そのサイ、絶滅が先か、復活が先か
「iPS細胞」でクローンをつくれば絶滅は止められるのか?
第7章 リョコウバトの復活は近い?
「ゲノム編集」で絶滅した生きものを蘇らせることは可能か?
第8章 もう一度“人類の親戚”に会いたくて
「バイオテクノロジーの発展」がわたしたちに突きつける大きな問い
第1章 カエルの方舟(アーク)の行方
「飼育下繁殖」された生きものは自然に帰れるのか?
――――
危機が次々と浮上して、生物構成バランスを崩しそうな種が増えるにつれ、人間と自然との現代的な関係について回る多数の道徳的な難問が未解決で残ることになる。種の保全を人間の要求よりも優先すべきか。科学者は種の絶滅を防ぐためにどこまでやればいいのか。わたしたちが救ったあとで、種ははたして野生に戻れるのか。
これらは、キム・ハウエルがタンザニアの熱帯雨林にある滝の底から小さな黄色いカエルを取りだしたときに浮上したジレンマのごく一部にすぎない。
――――
単行本p.22
自然環境が失われた後、そこの固有種を「保護」してガラス箱に永遠に閉じ込めて飼うとしたら、それは自然保護といえるのだろうか。自然保護が抱えているジレンマが紹介されます。
第2章 保護区で「キメラ」を追いかけて
異種交配で遺伝子を「強化」された生きものは元と同じか?
――――
おそらく、この類の遺伝的「救済」は今後の保全政策の要素としてますます当たり前になっていくことだろう。生息地は、いっそう細分化されはしても、その逆はない。多くの場合、遺伝物質の流動的な交換を可能にし、近親交配を阻止できる抜け道のある境界や回廊がないので、動物の個体群はいっそう互いに孤立する。
――――
単行本p.76
フロリダ州のパンサーを絶滅の危機から救うために、テキサス州からピューマを連れてきて交配させる。人為的な交配による遺伝子「強化」は、果たして種を絶滅から救っているのか、それとも野生種の根絶に手をかしているのか。自然を「保護」するために、保護しやすいように自然に手を入れる、という行為の意味について考えます。
第3章 たった30年で進化した「砂漠の魚」
「保護」したつもりで絶滅に追いやっているとしたら?
――――
人間は、種を絶滅の危機から救うために、種に進んでもらいたいと希望する方向へ急速に進化させるよう舵を切ることができる。もしわたしたちが意図的に、より強い、より回復力のある個体群へとつながる選択圧を導入したら、どうなるだろう。気候変動にもっとうまく適応する特徴を、種に付与することができるのだろうか。
――――
単行本p.119
通常考えられているよりもはるかに速いスピードで生物種が進化した実例を通じて、私たちが「よかれと思って」進化の方向性に手を加えることがただの思考実験ではなく現実に可能となっていることが示されます。
第4章 1334号という名のクジラの謎
「気候変動」はどこまで生きものに影響を与えているのか?
――――
タイセイヨウセミクジラについて知識が深まるほど、この種はわたしたちが忘れがちなことを思いださせる効果抜群の存在のように思えてきた。グーグルマップ、マイクロチップ、技術絶対主義のこのご時世に、地球には大きくて複雑なもの――海、気候、クジラ――がまだ残っている。
これらのものの前では、わたしたちの理解などちっぽけなことだ。ましてや、よくも悪くもそれらをコントロールするわたしたちの力など言うに及ばず、だ。
――――
単行本p.128
生物種の進化を誘導する、コントロールする。その倫理的問題より前に、そもそも私たちは生物種についてどのくらい理解しているのか。クジラの謎を通じて、その限界を見つめます。
第5章 聖なるカラスを凍らせて
「冷凍標本」で遺伝子を保護することに意味はあるか?
――――
そして現在、この類の保管施設の数はどんどん増えている。2011年、スミソニアン協会は標本を最大42億件収蔵する施設を着工した。国際バーコードオブライフプロジェクトという遺伝子貯蔵コンソーシアムもある。この組織の目標は、50万種のDNAから500万点のバーコードを作成することだ。
ゲノム10Kプロジェクトでは、1万7000種のDNAサンプルを採取して、1万件のゲノム配列を解析しようとしている。
――――
単行本p.175
生物種の絶滅に備えて、その胚や遺伝情報を冷凍保管するプロジェクトが各地で進められている。しかし、環境から切り離して遺伝子情報だけを保護することにどんな意味があるのだろうか。環境や親、群れとの相互作用ができず行動習性を学習できない個体は、元の種とは別物になってしまうのではないか。第5章以降は、いつの日か種の「復活」を期待して胚や遺伝情報を保存することを「種の保存」と見なせるかどうかという問いが扱われます。
第6章 そのサイ、絶滅が先か、復活が先か
「iPS細胞」でクローンをつくれば絶滅は止められるのか?
――――
冷凍庫に入っているキタシロサイはまったくの別種なのだろうか。実験でリプログラミングによって誕生した細胞から生まれたキタシロサイは、生きているキタシロサイから生まれたものと同じだろうか。(中略)進化は「本物である」属性を有している種の概念を複雑かつ曖昧にしている。これが、科学者や哲学者が20種類以上の種の概念を考案した理由でもある。時間を超えて残るものは何か。正確にはサイとは何なのか。
――――
単行本p.216、218
冷凍保管している胚から「復活」させられた生物は、元になったものと同じ生物種だと見なせるだろうか。冷凍庫の中に「種の多様性」を保存するという私たちの努力は、実際のところ何をしていることになるのだろう。
第7章 リョコウバトの復活は近い?
「ゲノム編集」で絶滅した生きものを蘇らせることは可能か?
――――
このプロジェクトの主張は、これらの動物も人間が絶滅に追いやったのだから、環境に対して正義をなす、言いかえれば償いをする責任がある、だった。
――――
単行本p.268
乱獲や環境破壊によって滅びた種を「復活」させることは、絶滅させた人類の責務である。テクノロジーの発展によって生物種「復活」プロジェクトが現実になりつつある現在、その意味について考えます。
第8章 もう一度“人類の親戚”に会いたくて
「バイオテクノロジーの発展」がわたしたちに突きつける大きな問い
――――
ネアンデルタール人復活の煽情的な面の裏をつつくと、ほかの種の脱絶滅を検討したときに直面するのとこわいくらい似た問いが浮上した。これは生態系の正義をなすひとつの形態なのだろうか。それとも、自然の法則をわたしたちが支配するための、そして象徴的な意味では、いずれ迎えるわたしたちの死への究極の賭けに過ぎないのだろうか。
――――
単行本p.301
生物種「復活」プロジェクトのなかでも、ネアンデルタール人の復活は特に倫理的な問題を引き起こす。知能と意志、そして尊厳と人権を持つ種を勝手に蘇らせたとき、私たちはその運命について責任をとれるだろうか。そもそもその試みは自然保護の一環といえるのだろうか。
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『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』(ドニー・アイカー、安原和見:翻訳) [読書(オカルト)]
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そうして著者はついに、ロシアへと旅立ってゆく。ネットの情報(ノイズ)で汚染された泥の山をかきわけ、60年前に学生たちがみたままの純白の雪原を掘り起こすために。それは真冬のウラル山脈という到達不能な「未踏」を巡る過酷な探検であると同時に、ネット社会の「圏外」へと旅する、知の探検でもあったのだ。そして現代もなお検索不能な「未踏」は、暴風吹き荒れる白い雪原の向こう側に、確かに存在していたのである。
――――
単行本p.351
1959年、ウラル山脈で起きた奇怪な遭難事故。通称「ディアトロフ峠事件」。経験豊富な登山パーティの若者たちが、全員、テントを内側から切り裂いて極寒の雪原に飛び出し、確実な凍死に向かってためらうことなく走り続けた。いったい彼らは何から逃げていたのか。そして遺体の異常としかいいようのない状態を、どう解釈すればいいのか。この謎にとりつかれた米国人ドキュメンタリー映像制作者が真相を追ってロシアに飛び、ついに現場に立つ。零下30度、極寒の冬山、そこで著者が見たものとは。
単行本(河出書房新社)出版は2018年8月、Kindle版配信は2019年1月です。
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その異様な死に様はこの事件が今なお未解決事件とされ、人々の興味を惹きつける最大の理由でもある。この事件のように、一次情報が少なく、しかもセンセーショナルな出来事の場合、報道や記事そのものが、都市伝説の温床となる。(中略)そこで著者は当時の記録を綿密に調べ上げて、事件担当者の変遷から調査方法、その発見の様子まであぶりだし、曖昧な情報を排除している。つまりこの記録を読めば、ディアトロフ峠事件における基本的な事実、少なくとも「公開されている事実」のほとんどは俯瞰できると言っていいだろう。
――――
単行本p.350
ディアトロフ峠事件を真正面から扱ったノンフィクションです。1959年にウラル山脈に向かった若者たちの旅程、遭難現場を調査した捜索隊の体験、そして著者自ら現場に向かうまでの道のりが、さすがドキュメンタリー映像制作者が書いただけあって、まるで再現ドラマのように展開してゆき、最後まで読者を飽きさせません。翻訳も手堅く、というかまずタイトルが素晴らしい。直訳すれば「死の山」となるところを、一文字変えるだけで不穏さが段増しに。
噂や憶測を取り除いた事実関係が詳細に記されていますが、最大の読み所は著者のほとんど狂気に駆り立てられたような旅。現場を自分の目で見る、そのためだけに貯金を使い果たしてロシアに飛び、極寒の冬山に命がけで立ち向かうのです。
――――
2010年11月、初めてユーリ・クンツェヴィッチと電話で話してから三か月、ディアトロフの悲劇について知ってから九か月で、私は初めてロシアの土を踏むことになった。理想的なタイミングとは言えなかった。恋人のジュリアが妊娠七か月で、私たちは親になることの喜びと興奮を一から味わっているところだったのだ。しかし、子供が生まれたあとでは、この事件に割く時間はほとんどなくなるのもわかっていた。
――――
単行本p.57
――――
気温は零下30度近い。膝まで積もる雪を踏みしだいて、ディアトロフ峠に向かう。この真冬のさなか、ロシア人の仲間たちとともに、8時間にわたってウラル山脈北部をトレッキングしてきた。目的地に到達したいのは山々なのだが、足を前に出すのがいよいよむずかしくなってくる。視界は悪く、地平線も見えない。空も地面も乳白色のベールに覆われているようだ。(中略)ブーツのなかで右足の指が凍ってくっつきあっている。早くも切断の悪夢が目の前にちらつきはじめる。
――――
単行本p.19
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二度にわたってロシアに長期の旅行をし、2万4000キロ以上も踏破してきた。幼い息子とその母親のもとを離れ、貯金も残らず使い果たしたのは、すべてここへ来るためだった。そしていま、旅の最終目的地にあと1、2キロのところまで迫っている。その目的地こそホラチャフリ、この地に昔から住むマンシ族の言葉で「死の山」だった。ホラチャフリの東斜面で起こった1959年の悲劇はあまりに有名で、全滅したトレッキング隊のリーダーの名をとって、その一帯はいまでは公式にディアトロフ峠と呼ばれている。
――――
単行本p.20
いわゆる謎解き本ではないのですが、最後の方でこれまでにいくつも提唱された説について検証してゆきます。
――――
この事件の謎は煎じ詰めればこの一点だ――雪崩のせいでないとしたら、いったいなにがあって、九人は安全なテントを棄てる気になったのだろうか。
(中略)
これまでのところ、私の戦略はただひたすら消去法だった。しばしば引用されるシャーロック・ホームズの原則――「不可能を消去していけば、どんなに突拍子もなく見えたとしても、あとに残った可能性が真実のはずだ」――に似ていないこともない。
(中略)
不可能をすべて消去していったら、あとになにも残らなかったときはどうしたらいいのだろう。私の憶えているかぎりでは、シャーロック・ホームズはそれについてはなにも言っていなかったと思う。
――――
単行本p.265、277、286
こうして既存の説をすべて「相応の確信を持って」否定した著者は、自らの体験を元に新しい仮説を立てることになります。それは読んでのお楽しみ。
そうして著者はついに、ロシアへと旅立ってゆく。ネットの情報(ノイズ)で汚染された泥の山をかきわけ、60年前に学生たちがみたままの純白の雪原を掘り起こすために。それは真冬のウラル山脈という到達不能な「未踏」を巡る過酷な探検であると同時に、ネット社会の「圏外」へと旅する、知の探検でもあったのだ。そして現代もなお検索不能な「未踏」は、暴風吹き荒れる白い雪原の向こう側に、確かに存在していたのである。
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単行本p.351
1959年、ウラル山脈で起きた奇怪な遭難事故。通称「ディアトロフ峠事件」。経験豊富な登山パーティの若者たちが、全員、テントを内側から切り裂いて極寒の雪原に飛び出し、確実な凍死に向かってためらうことなく走り続けた。いったい彼らは何から逃げていたのか。そして遺体の異常としかいいようのない状態を、どう解釈すればいいのか。この謎にとりつかれた米国人ドキュメンタリー映像制作者が真相を追ってロシアに飛び、ついに現場に立つ。零下30度、極寒の冬山、そこで著者が見たものとは。
単行本(河出書房新社)出版は2018年8月、Kindle版配信は2019年1月です。
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その異様な死に様はこの事件が今なお未解決事件とされ、人々の興味を惹きつける最大の理由でもある。この事件のように、一次情報が少なく、しかもセンセーショナルな出来事の場合、報道や記事そのものが、都市伝説の温床となる。(中略)そこで著者は当時の記録を綿密に調べ上げて、事件担当者の変遷から調査方法、その発見の様子まであぶりだし、曖昧な情報を排除している。つまりこの記録を読めば、ディアトロフ峠事件における基本的な事実、少なくとも「公開されている事実」のほとんどは俯瞰できると言っていいだろう。
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単行本p.350
ディアトロフ峠事件を真正面から扱ったノンフィクションです。1959年にウラル山脈に向かった若者たちの旅程、遭難現場を調査した捜索隊の体験、そして著者自ら現場に向かうまでの道のりが、さすがドキュメンタリー映像制作者が書いただけあって、まるで再現ドラマのように展開してゆき、最後まで読者を飽きさせません。翻訳も手堅く、というかまずタイトルが素晴らしい。直訳すれば「死の山」となるところを、一文字変えるだけで不穏さが段増しに。
噂や憶測を取り除いた事実関係が詳細に記されていますが、最大の読み所は著者のほとんど狂気に駆り立てられたような旅。現場を自分の目で見る、そのためだけに貯金を使い果たしてロシアに飛び、極寒の冬山に命がけで立ち向かうのです。
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2010年11月、初めてユーリ・クンツェヴィッチと電話で話してから三か月、ディアトロフの悲劇について知ってから九か月で、私は初めてロシアの土を踏むことになった。理想的なタイミングとは言えなかった。恋人のジュリアが妊娠七か月で、私たちは親になることの喜びと興奮を一から味わっているところだったのだ。しかし、子供が生まれたあとでは、この事件に割く時間はほとんどなくなるのもわかっていた。
――――
単行本p.57
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気温は零下30度近い。膝まで積もる雪を踏みしだいて、ディアトロフ峠に向かう。この真冬のさなか、ロシア人の仲間たちとともに、8時間にわたってウラル山脈北部をトレッキングしてきた。目的地に到達したいのは山々なのだが、足を前に出すのがいよいよむずかしくなってくる。視界は悪く、地平線も見えない。空も地面も乳白色のベールに覆われているようだ。(中略)ブーツのなかで右足の指が凍ってくっつきあっている。早くも切断の悪夢が目の前にちらつきはじめる。
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単行本p.19
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二度にわたってロシアに長期の旅行をし、2万4000キロ以上も踏破してきた。幼い息子とその母親のもとを離れ、貯金も残らず使い果たしたのは、すべてここへ来るためだった。そしていま、旅の最終目的地にあと1、2キロのところまで迫っている。その目的地こそホラチャフリ、この地に昔から住むマンシ族の言葉で「死の山」だった。ホラチャフリの東斜面で起こった1959年の悲劇はあまりに有名で、全滅したトレッキング隊のリーダーの名をとって、その一帯はいまでは公式にディアトロフ峠と呼ばれている。
――――
単行本p.20
いわゆる謎解き本ではないのですが、最後の方でこれまでにいくつも提唱された説について検証してゆきます。
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この事件の謎は煎じ詰めればこの一点だ――雪崩のせいでないとしたら、いったいなにがあって、九人は安全なテントを棄てる気になったのだろうか。
(中略)
これまでのところ、私の戦略はただひたすら消去法だった。しばしば引用されるシャーロック・ホームズの原則――「不可能を消去していけば、どんなに突拍子もなく見えたとしても、あとに残った可能性が真実のはずだ」――に似ていないこともない。
(中略)
不可能をすべて消去していったら、あとになにも残らなかったときはどうしたらいいのだろう。私の憶えているかぎりでは、シャーロック・ホームズはそれについてはなにも言っていなかったと思う。
――――
単行本p.265、277、286
こうして既存の説をすべて「相応の確信を持って」否定した著者は、自らの体験を元に新しい仮説を立てることになります。それは読んでのお楽しみ。
タグ:その他(オカルト)