『あなたとわたしと無数の人々』(川上亜紀) [読書(小説・詩)]
――――
そのときクマのようなネコのような
わたしに似た何者かが背後から近づいてきて
「あたらしい詩を書くんだ」と言って
それきり雑踏にまぎれてしまった
あたらしい詩、そんなの書けそうもないよ
神にも詩人にもなれそうもないわたしには
――――
『水道橋の水難』より
のどかな情景、不穏な予感、そして力強いユーモア。まっすぐな言葉と覚悟が読者の胸をうつ詩集。単行本(七月堂)出版は2018年4月です。
酷薄な現実、強い覚悟、それらを童話のようなほんわりした情景にくるんで読者の中に落としこんでくる作品が好きです。あらゆるものに負けない言葉が、とても好きです。
――――
八重桜の枝が風に揺れ
消防車のサイレンが響き
明るい四月の光のなかを
バスは窓を開けたまま行く
――――
『四月のバスで荻窪駅まで』より
――――
水は膝の上までせりあがってきたから
水の中でクマのようなネコのような
クマ泳ぎネコ泳ぎしながら
憂き世の浮き輪を探したのだが
四○一教室の前もいつのまにか通り過ぎてしまって
こうなったらもう赤い靴にも未練はないから
クマ泳ぎネコ泳ぎしてずっと遠くまで行くだけさ
――――
『水道橋の水難』より
――――
体毛に覆われたものたちはここにはいないんだな
そう思っていたら
交差点の向こうから羊たちがやってきたのだ
羊の群れは無言でもくもくとおしよせてきて吉祥寺の街も駅も覆いつくし
てしまった
太陽は静かに中空に輝いて空には雲ひとつなかった
わたしは〈ポメラ〉で詩を書こうと思った
ふさふさとした毛の長い詩を書こうと思った
――――
『誕生日に』より
――――
それでもオガワのトラさんは雲の上で第九を歌っていて
いまでは父もそこに加わって夢のオーケストラを指揮していて
さきにいっていたSさんは雄猫のルリを撫でてくれているのだ
そんなふうに雲の上には知っているひとも知らないひともいる
もうひとりのSさんの葬儀から帰ってきたとき
「あーあ、みんなシンジャッタ」
と父は言ったものだけど
過去は未来にまわっていって
みんないつかは雲の上なのだけど
(もうひとりのSさんはやっぱり沖縄の雲の上だろうか)
未来について語るべきことなんかないとしても
空から訪れる太陽の光のなかでは懐かしい記憶だけでなく
わたしの知らない過去のすべてまでがちりちりと燃えているから
このさきにはもうほんとうに恐ろしいことなどありはしないと思う
――――
『あなたとわたしと無数の人々』より
――――
細かい傷のついた古いプラスチックケースから
CDを一枚取り出してミニコンポにセットして
スタートボタンを押してみる
ピアノ、ヴィオラ、クラリネットの音が沸きあがる
(夏の雲のように響いて)
(感電する 背中の翼に)
どうしてもたどりつきたかった
そこへ その場所へ 高い空の彼方
その夏に飛んだ高度はいまも計測不可能だ
――――
『夏の姉のための三重奏』より
そのときクマのようなネコのような
わたしに似た何者かが背後から近づいてきて
「あたらしい詩を書くんだ」と言って
それきり雑踏にまぎれてしまった
あたらしい詩、そんなの書けそうもないよ
神にも詩人にもなれそうもないわたしには
――――
『水道橋の水難』より
のどかな情景、不穏な予感、そして力強いユーモア。まっすぐな言葉と覚悟が読者の胸をうつ詩集。単行本(七月堂)出版は2018年4月です。
酷薄な現実、強い覚悟、それらを童話のようなほんわりした情景にくるんで読者の中に落としこんでくる作品が好きです。あらゆるものに負けない言葉が、とても好きです。
――――
八重桜の枝が風に揺れ
消防車のサイレンが響き
明るい四月の光のなかを
バスは窓を開けたまま行く
――――
『四月のバスで荻窪駅まで』より
――――
水は膝の上までせりあがってきたから
水の中でクマのようなネコのような
クマ泳ぎネコ泳ぎしながら
憂き世の浮き輪を探したのだが
四○一教室の前もいつのまにか通り過ぎてしまって
こうなったらもう赤い靴にも未練はないから
クマ泳ぎネコ泳ぎしてずっと遠くまで行くだけさ
――――
『水道橋の水難』より
――――
体毛に覆われたものたちはここにはいないんだな
そう思っていたら
交差点の向こうから羊たちがやってきたのだ
羊の群れは無言でもくもくとおしよせてきて吉祥寺の街も駅も覆いつくし
てしまった
太陽は静かに中空に輝いて空には雲ひとつなかった
わたしは〈ポメラ〉で詩を書こうと思った
ふさふさとした毛の長い詩を書こうと思った
――――
『誕生日に』より
――――
それでもオガワのトラさんは雲の上で第九を歌っていて
いまでは父もそこに加わって夢のオーケストラを指揮していて
さきにいっていたSさんは雄猫のルリを撫でてくれているのだ
そんなふうに雲の上には知っているひとも知らないひともいる
もうひとりのSさんの葬儀から帰ってきたとき
「あーあ、みんなシンジャッタ」
と父は言ったものだけど
過去は未来にまわっていって
みんないつかは雲の上なのだけど
(もうひとりのSさんはやっぱり沖縄の雲の上だろうか)
未来について語るべきことなんかないとしても
空から訪れる太陽の光のなかでは懐かしい記憶だけでなく
わたしの知らない過去のすべてまでがちりちりと燃えているから
このさきにはもうほんとうに恐ろしいことなどありはしないと思う
――――
『あなたとわたしと無数の人々』より
――――
細かい傷のついた古いプラスチックケースから
CDを一枚取り出してミニコンポにセットして
スタートボタンを押してみる
ピアノ、ヴィオラ、クラリネットの音が沸きあがる
(夏の雲のように響いて)
(感電する 背中の翼に)
どうしてもたどりつきたかった
そこへ その場所へ 高い空の彼方
その夏に飛んだ高度はいまも計測不可能だ
――――
『夏の姉のための三重奏』より
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