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『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(與那覇潤) [読書(教養)]

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 当初は知識人の好機ともみられていた、世界秩序の転換点でもある平成という時代に、どうして「知性」は社会を変えられず、むしろないがしろにされ敗北していったのか。
 精神病という、まさに知性そのものをむしばむ病気とつきあいながら、私なりにその理由を、かつての自分自身にたいする批判もふくめて探った記録が、本書になります。
(中略)
 読んでくださるみなさんにお願いしたいのは、本書を感情的に没入するための書物に、してほしくないということ。むしろ、ご自身がお持ちの知性を「再起動」するためのきっかけにしてほしいと、つよく願っています。
 なぜなら、知性はうつろうかもしれないけれども、病によってすら殺すことはできない。知性は死なないのだから。
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単行本p.14


 知性はどうして社会を変えられなかったのか。話題作『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』などの著者が、重度の双極性障害(躁うつ病)による知性喪失という試練を乗りこえ、知性主義の限界を分析した一冊。単行本(文藝春秋)出版は2018年4月、Kindle版配信は2018年4月です。


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 「平成時代」とは、どんな時代としてふり返られるのでしょうか。
 ひとことでいえば、「戦後日本の長い黄昏」ということになるのではないかと、私は思います。
 この30年間に、戦後日本の個性とされたあらゆる特徴が、限界を露呈し、あるいは批判にさらされ、自明のものではなくなりました。(中略)すくなくとも平成という時代が、戦後日本にたいする再検討とともにあり、最後の総仕上げとしての改憲問題を積みのこしつつ、閉じられようとしていることについては、多くの読者の同意を得られるものと思います。

 自明とされてきた秩序がゆらぐ時代とは、ほんらい知性への欲求がたかまるときでもあります。じっさいに平成には、大学教員をはじめとする多くの知識人が、「なぜ戦後日本がいきづまったのか」を分析し、その少なくない部分が、みずからの望む方向に現実を変えようと、具体的な行動にでました。
 しかしその結果は、死屍累々です。(中略)ほとんどの学者のとなえてきたことは、たんに実現しないか、実現した結果まちがいがわかってしまった。そうしたさびしい状況で、「活動する知識人」の時代でもあった平成は、終焉をむかえようとしています。
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単行本p.8、10


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 なぜ、知識人とよばれる人びとは、社会を変えられなかったのか。どうして、変革の時代であったはずの平成が、このような形でおわろうとしているのか。
 それはけっして、日本の一般国民の「民度が低い」からではありません。ましてや、あまり知的でない一連の書籍に書かれているような「外国の陰謀」によるものでもありません。
 病気を体験する前の私自身をふくめて、知識人であるか否かをとわず、多くの人々が考える「知性」のイメージや、それを動かす「能力」を把握する方法自体に、大きな見落としがあったのではないか。逆にいえば、知性というもののとらえかた、能力のあつかいかたを更新することで、私たちはもう一度、達成しそこねた変革をやりなおせるのではないか――。
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単行本p.17


 全体は6つの章から構成されています。

「第1章 わたしが病気になるまで」
「第2章 「うつ」に関する10の誤解」
「第3章 躁うつ病とはどんな病気か」
「第4章 反知性主義とのつきあいかた」
「第5章 知性が崩れゆく世界で」
「第6章 病気からみつけた生きかた」


「第1章 わたしが病気になるまで」
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 こうして私は精神病の患者となりましたが、それを皇太子来学騒動で惨状を呈した進歩的な大学人たちの「被害者」だというふうにとられるのは、本意ではありません。くりかえし書いてきたように、「だれが被害者なのか」というのは、しばしば容易にひっくり返るのです。
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単行本p.51

 発症前の自身の経歴について大雑把に紹介しつつ、大学における知識人たちの振る舞いに批判を加えてゆきます。


「第2章 「うつ」に関する10の誤解」
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 この章では、なかでも多くの人がおちいりがちだと思われる、10種類の「うつに関して広く流布しているが、正しくない理解」をとりあげ、精神科医を中心とした専門家による文献を典拠として注記しながら、ひとつひとつ、どこがまちがいかをあきらかにしていきたいと思います。
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単行本p.54

 「過労やストレスが原因」「なりやすい性格がある」「遺伝する」「認知療法が効く」など、うつ病に関する様々な俗説や思い込みを取り上げ、専門家の知見を紹介してゆきます。


「第3章 躁うつ病とはどんな病気か」
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 問題はたんに「感情的な身体が、理性的な言語をしたがえてしまう」点にあるのでも、ないことがわかります。むしろ私たちにはしばしば、「感情的な言語が暴走して、身体をひきずっていってしまう」ことすら起きる。
 だとすれば言語か身体かのどちらかを悪者にしたてても、問題は解決しない。むしろ言語も身体も、どもに狂ってしまう可能性があることをみとめ、両者の関係が機能不全におちいるメカニズムを探求することでしか、私は私自身の病を理解できないのではないか。
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単行本p.116

 自身の病について考え、その「意味」について考えるなかで、言語と身体の相剋というテーマが浮かび上がってきます。


「第4章 反知性主義とのつきあいかた」
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 より深いところで私は、この反知性主義というものをとらえそこなっていたと思います。それは、橋下氏や安倍氏の存在にあらわれているものが、基本的には「日本固有の問題」だと考えていたことです。
(中略)
 かりに、日本にハーバードやオクスフォード級の大学があったところで、問題はなにも解決しない。というか、大学なり知識人なりといった存在そのものに、社会的な意義なんて、そもそもあったのか。
 そういう、日本固有ではなく「世界共通の問題」を前にして、私たちは平成という時代を終えようとしています。
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単行本p.138、139

 「反知性主義の台頭」という先進国に共通する問題を、どのように理解すればいいのか。大学の機能不全と合わせて、知性主義の敗北について考えます。


「第5章 知性が崩れゆく世界で」
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 ソ連の社会主義であれアメリカの自由主義であれ、超大国のインテリたちがグランドデザインを描こうとしてきた、言語によって普遍性が語られる世界秩序にたいする、身体的な――4章のことばでいえば、反正統主義ないし反知性主義的な反発。
 その力は最初に、ソビエト帝国としての社会主義圏を崩壊させ、およそ30年後にいま、アメリカ合衆国の帝国版たるパクス・アメリカーナを、瓦解させようとしている。
 そういう目でみることで、はじめて目下の世界で起きていることが理解できるのだと、私は感じています。
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単行本p.195

 言語と身体の相剋、帝国と民族の相剋。反知性主義の台頭を「帝国」の終焉過程という大きな歴史的文脈のなかに位置づけるという、いかにも『中国化する日本』の著者らしい論が展開されます。


「第6章 病気からみつけた生きかた」
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 大学の学者がいかに「反知性主義」をなげこうとも、世論の流れを変えられないように、人びとのあいだに「能力の差」はつねにあるのです。
 その差異が破局につながらず、むしろたがいに心地よさを共有できるような空間をデザインする知恵こそが、いまもとめられています。
(中略)
 冷戦下では両極端にあるとされてきた、コミュニズムとネオリベラリズムの統一戦線――いわば「赤い新自由主義」だけが、真に冷戦が終わったあと、きたるべき時代における保守政治への対抗軸たりうると、私は信じています。
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単行本p.252、275

 帝国の終焉、冷戦の終わり。来るべき時代に、知性はどのように使われるべきなのか。自らの治療体験にもとづいて、知性というもののとらえかた、能力のあつかいかたを更新する道を探ります。



タグ:與那覇潤
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『あなたとわたしと無数の人々』(川上亜紀) [読書(小説・詩)]

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そのときクマのようなネコのような
わたしに似た何者かが背後から近づいてきて
「あたらしい詩を書くんだ」と言って
それきり雑踏にまぎれてしまった

あたらしい詩、そんなの書けそうもないよ
神にも詩人にもなれそうもないわたしには
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『水道橋の水難』より


 のどかな情景、不穏な予感、そして力強いユーモア。まっすぐな言葉と覚悟が読者の胸をうつ詩集。単行本(七月堂)出版は2018年4月です。

 酷薄な現実、強い覚悟、それらを童話のようなほんわりした情景にくるんで読者の中に落としこんでくる作品が好きです。あらゆるものに負けない言葉が、とても好きです。


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八重桜の枝が風に揺れ
消防車のサイレンが響き
明るい四月の光のなかを
バスは窓を開けたまま行く
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『四月のバスで荻窪駅まで』より


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水は膝の上までせりあがってきたから
水の中でクマのようなネコのような
クマ泳ぎネコ泳ぎしながら
憂き世の浮き輪を探したのだが
四○一教室の前もいつのまにか通り過ぎてしまって
こうなったらもう赤い靴にも未練はないから
クマ泳ぎネコ泳ぎしてずっと遠くまで行くだけさ
――――
『水道橋の水難』より


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体毛に覆われたものたちはここにはいないんだな
そう思っていたら
交差点の向こうから羊たちがやってきたのだ
羊の群れは無言でもくもくとおしよせてきて吉祥寺の街も駅も覆いつくし
 てしまった
太陽は静かに中空に輝いて空には雲ひとつなかった
わたしは〈ポメラ〉で詩を書こうと思った
ふさふさとした毛の長い詩を書こうと思った
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『誕生日に』より


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それでもオガワのトラさんは雲の上で第九を歌っていて
いまでは父もそこに加わって夢のオーケストラを指揮していて
さきにいっていたSさんは雄猫のルリを撫でてくれているのだ
そんなふうに雲の上には知っているひとも知らないひともいる

もうひとりのSさんの葬儀から帰ってきたとき
「あーあ、みんなシンジャッタ」
と父は言ったものだけど

過去は未来にまわっていって
みんないつかは雲の上なのだけど
(もうひとりのSさんはやっぱり沖縄の雲の上だろうか)

未来について語るべきことなんかないとしても
空から訪れる太陽の光のなかでは懐かしい記憶だけでなく
わたしの知らない過去のすべてまでがちりちりと燃えているから
このさきにはもうほんとうに恐ろしいことなどありはしないと思う
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『あなたとわたしと無数の人々』より


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細かい傷のついた古いプラスチックケースから
CDを一枚取り出してミニコンポにセットして
スタートボタンを押してみる

ピアノ、ヴィオラ、クラリネットの音が沸きあがる
(夏の雲のように響いて)
(感電する 背中の翼に)

どうしてもたどりつきたかった
そこへ その場所へ 高い空の彼方
その夏に飛んだ高度はいまも計測不可能だ
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『夏の姉のための三重奏』より



タグ:川上亜紀
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『白痴』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2018年6月15日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんの公演を鑑賞しました。ドストエフスキー原作『白痴』の再再演、これからフランスを皮切りに世界中で上演される予定の最新バージョン、上演時間60分の舞台です。


[キャスト他]

演出・照明: 勅使川原三郎
出演: 勅使川原三郎、佐東利穂子


 2016年12月18日にシアターχで観た公演のアップデイト版。ムイシュキン公爵を勅使川原三郎さんが、ナスターシャを佐東利穂子さんが踊ります。佐東利穂子さんの優雅ではかないダンス、勅使川原三郎さんのどこか心ここにあらずな浮遊感のある不思議なダンス。ランプの灯のようにちらつく照明のせいで、二人とも輪郭がはっきり定まらず、夢を見ている気配がずっと漂います。

 最も強烈なのはてんかん発作を表現したシーンでしょう。音楽に混ざる不快なノイズ、人々の嘲笑、激しく痙攣する四肢など、迫力ありすぎて個人的につらいものがありました。

 シアターχで観た版との違いはよく分かりませんが、個人的な印象として佐東利穂子さんが踊るシーンが増えていたように思います。いずれにせよ、この版が世界各地で上演されるそうで、反響が楽しみです。



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『水中翼船炎上中』(穂村弘) [読書(小説・詩)]

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 人間の心は時間を超える。けれど、現実の時は戻らない。目の前にはいつも触れることのできない今があるだけだ。時間ってなんなんだろう。言葉を持たない獣や鳥や魚や虫も老いて死ぬことが不思議に思える。猫も寝言を云うらしい。私の言葉はまっすぐな時の流れに抗おうとする。自分の中の永遠が壊れてしまった今も、水中で、陸上で、空中で、間違った夢が燃えつづけている。
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 当代きっての人気歌人が17年ぶりに出した最新歌集。単行本(講談社)出版は2018年5月です。


 巧みな構成により、子どもの頃の思い出から現在の感覚までを時間を超えてつなげてみせる歌集です。まずは子ども時代の思い出、というか、その頃の世界観が印象的な作品。


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宇宙船のマザーコンピュータが告げるごきぶりホイホイの最適配置
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贋物の鉄人28号を千切れ鉄人28号
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応答せよ、シラサキ、シラサキ応答せよ、お鍋の底のお箸ぐるぐる
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「中一コース」年間講読予約して万年筆をもらえる春よ
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 その頃の感覚でとらえた夏の一日がリアルに甦ってきます。


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灼けているプールサイドにぴゅるるるるあれは目玉をあらう噴水
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手の甲に蟻のせたまま積乱雲製造装置の暴走をみる
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うすくうすく波のびてくるこの場所が海の端っこってことでいいですか
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魚肉ソーセージを包むビニールの端の金具を吐き捨てる夏
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楽しい一日だったね、と涙ぐむ人生はまだこれからなのに
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 そういえば、あの頃と今では、食べ物に対する感覚も違うよなあ。


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オール5の転校生がやってきて弁当がサンドイッチで噂
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鮮やかなサンドイッチの断面に目を泳がせておにぎりを取る
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熱い犬という不思議な食べ物から赤と黄色があふれだす夏
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ナタデココ対タピオカの戦いを止めようとして死んだ蒟蒻
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 そんな感覚を思い出しながら、実のところ今もそれほど成長したわけじゃないことに気づく真夜中のコンビニ。


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カゴをとれ水を買うんだ真夜中のローソンに降る眩しい指令
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金ならもってるんだ金なら真夜中に裸で入るセブンイレブン
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口内炎大きくなって増えている繰り返すこれは訓練ではない
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助けてと星に囁く最悪のトイレットペーパーと出会った夜に
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もう一度チャンスをくれと云いながら鹿せんべいを買いに走った
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僕のムーミンを「私のムーミンじゃありません」というトーベ・ヤンソン
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ひとつとしておなじかたちはないという結晶たちに襲われる夜
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白い息吐いて坂道さくさくとしもばしらしもばしらすきです
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 そして猫を詠んだ作品はいつも素敵。


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猫はなぜ巣をつくらないこんなにも凍りついてる道をとことこ
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かたつむりの殻砕かれているようなしょりしょりしょりしょり猫の口より
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「この猫は毒があるから気をつけて」と猫は喋った自分のことを
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 そして今を生きる。


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リニアモーターカーの飛び込み第一号狙ってその朝までは生きろ
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なにひとつ変わっていない別世界 あなたにもチェルシーあげたい
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タグ:穂村弘
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『湖畔の愛』(町田康) [読書(小説・詩)]

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 いま女が運んできた花も安っぽかった。配色もどことなく田舎くさく野暮で、壺の大きさに比べて分量が少なく、花を飾ることによって余計に貧寒とした感じになったような、そんな観があった。女はそのことを悲しんでいるのか。答えておくれ。湖の上空を飛ぶ小鳥よ。
 という前に問うことがいくらもある。
 そもそもここはホテルらしいが、どこにあるなんというホテルなのか。この女はだれなのか。るほほほいっ。そんなことは小鳥に聞かなくたってわかりそうなもの、っていうか、わかる。わかることは記すし、言う。
 ここは俗化した湖からやや登ったところに建つ九界湖ホテル。物語化された屁のような神秘を追い求める人々の求めに応じて変化していった他の施設とは一線を画す、典雅で優美な、独自路線を行くホテルだった。そして女は……。
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単行本p.130


 シリーズ“町田康を読む!”第63回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、湖畔に建つ古風なホテルを舞台とした愛の物語。単行本(新潮社)出版は2018年3月です。

 龍神が棲むともいわれる山中の湖。その湖畔に建つ古風なホテルが舞台となります。謎の異言ジジイ、地球気候変動レベルの雨女、大量殺傷兵器クラスのお笑い対決。愛とあんまり関係ないような気もする三話を収録した、定型とクリシェを駆使しつつ細かく細かくひっくり返し続ける文芸奥義を堪能する連作形式の長編です。


『湖畔』
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 両親が高速道路から墜落してきた牛に押しつぶされて死んでからこっち、事情があって十六歳まで吉林省で育ち、東京都港区にある建築設計事務所で働いていたオーナーが、弟の陰謀によってホテルをやらされることになって、その矢先にこんなことになり、日々の仕入れ、毎月の支払いに苦しみ抜いているのだ。私の冗談に付き合っている暇などないに決まってる。
 いまもおそらくは資金繰りの相談に行ってきた帰りなのだろう。
 うまくいかなかったに違いないのがその表情から知れた。
 苦しみと悲しみの色が瞳に現れていた。
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単行本p.8

 経営危機に直面している九界湖ホテル。そこの支配人と従業員は、先行きを悲観しつつも、目の前の仕事に忙殺されていた。そんなところにやってきた、まったく意味不明の言語を話す謎のジジイ。もりげんじゃあ、べるしんぼうにくんげ、べるしんぼうにくんげ。ホテルは深い霧に包まれ、いよいよ先は見通せない。


『雨女』
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 となれば。やはり、船越恵子を虐め抜いて苦しめるしかないのか。と、大馬と吉良以外の全員が思った。
 そして自分が助かるために罪のないものを犠牲にしてよいのか、とも思った。その思いは大馬と恵子を除く全員の心に重くのしかかっていた。
 それは夫夫にとってそして夫夫と夫夫の関係にとって重苦しく、嫌な匂いのする問いだった。
 しかしそれを問わないわけにはいかなかった。このまま豪雨が続けばもっと大規模な土砂崩れ、地滑り、山体崩落という事態にまで発展する可能性があった。
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単行本p.84

 ぼくを愛しているのなら湖畔のホテルに来て下さい。愛の力で必ず呪いを解いてみせます。という感じで待ち続ける男のもとにやってきた美女。たちまち豪雨降り注ぎ、土砂崩れで道路は封鎖、湖はあふれ、山体崩落の危機が迫る。彼女はかつて喜びのあまりアメリカの一州を壊滅させたこともある地球気候変動レベルの雨女だったのだ。雨を止ませるには彼女を落ち込ませる他はない。いや、暴力はいかんよ暴力は。嵐の山荘状態になった九界湖ホテルを救うために、彼女を苦しめ落ち込ませなければならないという訳の分からない極限状況に陥った人々の決断は。


『湖畔の愛』
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「おまえに取られるくらいやったら」
「どないするっちゅうねん」
「俺がやったるわ」
「儂と勝負するっちゅうんかい」
「おお、そうじゃ。いまから宴会場行って漫談やって、よりおもろかった方が気島と結婚するっちゅうわけや」
「おもろいやないかい。受けたろやないかい。けど、おまえ、儂に笑いで勝てると思とんのか」
 言われて大野は俯いて唇を噛んだが、すぐに顔を上げて言った。
「勝つ」
 ほおっ、と新町が感嘆の声を挙げた。圧岡は胸のあたりで小さく手を叩いた。
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単行本p.235

 才能のある男には無条件で惚れる美女。彼女のハートを射止めるべく、男たちの戦いはヒートアップする。こうなったらお笑いで勝負。というわけで、奥義炸裂必殺技直撃。たまたま会場にいて巻き込まれた人々は胸部痙攣呼吸困難半死半生阿鼻叫喚。大量殺傷兵器のような話芸の応酬の果て、最後に立っているのは誰か。湖畔に建つ古風なホテルを舞台にした愛の物語がこういう展開でいいのか。それは湖だけが知っている秘密。



タグ:町田康
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