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『東京 しるしのある風景』(松田青子) [読書(随筆)]

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 風景印って不思議な存在だよなとしみじみ思う。
 なぜあんなに小さくてかわいく、デザインも一つ一つ違って面白いものが、ひっそりと郵便局にあるのか。
 そして、なぜ小さな頃からそれこそもう数えきれないほど郵便局を利用して来たのに、何かのタイミングで教えてもらわない限り、その存在を知らないままなのか。普段使っている郵便局に風景印があっても、ほとんどの人は知らないままだろう。
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単行本p.90


 郵便局で押してもらえる、その地域縁の名所旧跡などを絵柄にした印、それが風景印。東京23区(+番外編)の郵便局を歩き回って風景印を収集、その体験を描いた連作エッセイ集です。単行本(河出書房新社)出版は2017年11月。


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以前、収集をはじめたばかりの頃のOさんに、「生きる張り合いができました」と、風景印が押されたモレスキンのポケットサイズのノートを、打ち合わせの最中に突然見せられたことがある。本当に幸せそうで、そんなに良いものなのか、と感心した覚えがある。
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単行本p.10


 東京23区を歩き回って風景印を集め、それぞれの郵便局を舞台にしたショートストーリーを書く。そういう目論見で取材をはじめた作家ですが、早々に風景印収集そのものを主題とした体験エッセイに路線変更することに。


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 このあたりでもう、ショートストーリーにするのは、おそらく無理っぽいなと判断。それぞれの目的で郵便局に訪れた人々が、ふと風景印に出会う物語をなんとなくイメージして、いい感じだな! と悦に入っていたのだが、実のところ、風景印はそもそも「ふと」出会えるようなものじゃなかった。ほとんどの場合、郵便局には「風景印あります」などと、「冷やし中華はじめました」のごとくわかりやすい貼り紙が出ているわけでもないし、はっきりとした意志を持って、「風景印お願いします」と言わないと、風景印には出会えない。
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単行本p.16


 こうして、東京23区うろつきエッセイ、コミックでいえば衿沢世衣子さんの『ちづかマップ』みたいな雰囲気の連載になるわけです。最初は半信半疑だった著者も、次第に風景印収集の楽しさに目覚めてゆきます。


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 これまで毎月違う区を回っていて気がついたのだが、風景印が多い区と、風景印が少ない区がある。
 風景印を区内のほとんどの郵便局に置いている、風景印に対して意識的な区もあるし、反対に、あんまり置いていない区もある。
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単行本p.97


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 風景印を集めていると、風景印が置いてある郵便局を素通りするということができなくなる。さっと飛ばしていけばいいじゃないかと思うかもしれないが、どうしてもできない。またすぐ同じ街に来る用事があるかどうかもわからないし、風景印のある郵便局の前を素通りするとかもったいなくて、つらくなる。
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単行本p.62


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風景印収集は地味な趣味かもしれませんが、確実に喜びのひとつのかたちです。
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単行本p.3


 何かの収集に熱中したことのある読者なら、よく分かるこの気持ち。ハマるにつれて、自分なりの創意工夫も加えてきます。例えば、方向音痴の郵便局巡りという難関に、最新テクノロジーを駆使して対処するとか。


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 グーグルマップとポケモンマップを両方開いて歩いていたのだが、途中からグーグルマップの音声ガイドを俄然無視しはじめ、もうポケモン世界の地図しか見なくなった。それでも問題なかった。なぜなら公園や神社や様々な場所のほか、郵便局の多くがポケストップに登録されているため、ゲーム上のポケストップをたどっていくと、目的地に着けるのである。風景印ゲットとポケモンゲットの親和性の高さよ。
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単行本p.140


 さらに、風景印だけでなく、それを押してもらう切手にもコリはじめて。


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 何より私の背中を押したのは、羽田空港には、風景印を置いている郵便局がある、という事実だ。
 確実に飛行機の図案なのだから、ここは飛行機の切手を使うべきタイミングだ。でも、私が持っている飛行機切手は、1978年発行の新東京国際空港開港記念切手だけだ。この切手は50円切手なので、さらに2円を足さないといけないのだが、そうなるとうさぎ切手を貼ることになり、そうするとムードがぶちこわしになる。あと、この新東京国際空港開港記念切手のデザインをすごく気に入っているので、あんまり使いたくない。
 そういうわけで、切手の通販サイトであるスタマガネットからわざわざ飛行機の切手を取り寄せました。
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単行本p.77


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六月発売の特殊切手を紹介するチラシを見て、思わず「はっ!」と声を上げてしまう。夏のグリーティング切手が貝殻の図案なのである。常々この世界にもっと貝殻柄のものを増やして欲しい、貝殻最高! と思っているので、非常にうれしい。この切手を買うために生まれてきたんじゃないかと一瞬本気で考えたくらいうれしい。ダース買いしたい。
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単行本p.40


 ただ集めるだけでは物足りず、些細な違いにやたらと敏感になって調べてゆくあたりも、分かる分かる。


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 ほとんど池袋前郵便局と一緒だが、よく見ると微妙に違い、中でも最大の違いといえば、ツツジの位置が左右逆というところである。
 何の間違い探しなのか。もちろん風景印がたくさんある区は素晴らしいのだが、行く郵便局行く郵便局でこれをやられると、並行世界みたいで結構恐ろしかった。
 あまりにも不思議だったので、後で調べてみると、それなりに離れている場所にある郵便局でも、並行世界がさらにいくつか発生していた。
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単行本p.132


 そして、理解者との出会い。


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 風景印を渡してくれながら、
「寒い中ありがとうございます。この辺の郵便局、結構風景印あるんですよ」
 と、局員さんが笑顔で言うので、
「今から回ろうと思っていて」
 と答えると、
「ありがとうございます」
 と敬礼してくれた。風景印に対して、こんな当事者意識のある局員さんははじめてだ。最終回にこの人に出会えて良かった。
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単行本p.182


 というわけで連載は終わりますが、たぶんそうなるだろうなと読者が予想した通り、東京23区以外の郵便局(吉祥寺、姫路、富岡)めぐりが番外編として収録されています。おそらくその後も続いているのではないでしょうか。風景印収集。



タグ:松田青子
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