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『サボり上手な動物たち』(佐藤克文、森阪匡通) [読書(サイエンス)]

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少しずつ見えてきた野生動物の本当の姿は、私たちが抱いている「常に全力投球、ど根性」というイメージに比べると明らかに「サボって」いる。手は抜くし、利用できるものはとことん利用する。そして当然、休むし、寝る。でもそれは効率を上げ、または死ぬ確率を下げるための、やむにやまれぬ選択である。
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単行本p.117


 動物に小型カメラや行動記録計を取りつけて、野生環境における行動を観測するバイオロギング。音響解析によるクジラ類の行動研究。それらが明らかにしたのは、野生動物が周囲の環境を利用して労力を節約する、つまり巧みに「サボる」姿だった。様々な野生動物の生態イメージを刷新するサイエンス本。単行本(岩波書店)出版は2013年2月、Kindle版配信は2017年8月です。


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 動物を調べるための基本的手段は観察だ。一見、観察可能に思える海の中は、実はほとんど見えていなかった。そんな海で暮らしている動物を調べる場合、バイオロギングや音響という特殊なやり方がとても役に立つ。海の動物の暮らしぶりや、驚くべき能力が判明する一方で、「野生動物はいつでも一生懸命」といった、人間の一方的な期待を裏切る結果がいくつも得られた。常に最大能力を発揮しないどころか、同種他個体や他種、あるいは人間に大きく依存して暮らしていたのである。
 そんな野生動物たちの姿は、サボっているようにも見える。しかし、よくよく考えてみれば、このやり方こそ厳しい自然環境で生き抜いていく動物たちの本気の姿なのだ。
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単行本p.109


 バイオロギングとクジラ類の音響分析、それぞれの専門家が一般向けに研究成果を紹介してくれる本。様々な野生動物たちの生態が取り上げられていますが、特に「手を抜くことで効率を上げる」という行動パターンに注目するところが特徴です。全体は5つの章から構成されています。


「1 実は見えない海の中」
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 バイオロギングや音響という新たな手段を得て、これまで「チラ見」しかできなかった海の大型動物を研究対象にできるようになった。そして、バイオロギングや音響という手段は、観察に準ずる隔靴掻痒な手段ではなく、観察を主たる方法として進める研究とは異なる視点をもたらしてくれることもまたわかってきた。
 例えば、バイオロギングによって得られるパラメータとして、加速度がある。観察できない動物の動きを、加速度センサーによって捉え、一秒間に数十データという細かさで記録する。これによって、例えば、泳いでいるときのペンギンやアザラシが、どれだけ一生懸命に翼やひれを動かしているのかがわかる。しかし「動かしていない」こともまたわかるのは「想定外」だった。
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単行本p.17

 通常の方法では観察できない野生動物の海中における行動。それを研究するために開発されてきた技術とその歴史を概説します。そして「観察しようと思っていなかったこともひっくるめて記録してしまう」というバイオロギングの特性から、思わぬ発見が得られることを示します。


「2 他者に依存する海鳥――動物カメラで調べる」
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不思議なのは、深いところに生息している魚種も頻繁に胃の内容物に見つかる点だ。マユグロアホウドリは、その他のアホウドリと同様に細長い翼を持ち、長距離飛翔に特化した形態を持っている。そのため、水中に潜るのはあまり得意ではない。(中略)アホウドリが、どうやって深いところに生息する餌を食べているのかという疑問に対し、得られた映像データから「シャチのおこぼれを頂戴する」のがわかった。
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単行本p.29

 アザラシ、ペンギン、海鳥など様々な動物に対するバイオロギングから分かってきた、彼らの潜水行動、採餌行動、子育て行動などを解説します。


「3 盗み聞きするイルカ――音で調べる」
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ある一頭のイルカに、見ることはできないが音は通過するスクリーンの向こう側に物体を提示し、それをエコーロケーションで調べさせた。別のイルカがすぐ横で頭部を水上に出させた状態(=自分ではエコーロケーションできない)でスクリーンの向こうにある物体が何であったかを報告させるという実験を行った。その結果、自分ではエコーロケーションできないイルカも物体をきちんと当てることができたので、他のイルカのクリックスを聞いて、前方の情報を知る能力を持っていることがわかった。
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単行本p.54

 イルカは、自分は手を抜いて音を出さず、他の個体が出した探査音の反響を聞いてエコーロケーションすることが出来る。また天敵であるシャチに探査音を盗み聞きされ居場所を特定されないよう周波数をずらすなどの工夫をしている。視覚より聴覚が大切な海中環境における音響探知の駆け引きを解説します。


「4 らせん状に沈むアザラシ――加速度で調べる」
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意外なことに、ドリフト中のアザラシは腹を上に向け、足ひれを動かさずに、まるで木の葉が落ちるように、くるくると旋回しながらゆっくりと沈んでいた。キタゾウアザラシが二か月半の採餌旅行中に延々と潜水を繰り返すという発見がなされて以来、彼らはいつ休み、いつ寝るのかという疑問を皆が抱いていた。くるくると旋回しながらドリフトするアザラシの動きは、この間に休息ないし睡眠していることを示唆している。アザラシのなかには、ドリフトした後、そのままコツンと海底にぶつかり、そのまま五分間仰向けになってじっとしている者もいるそうで、その情景を思い浮かべるとなんだか笑えてくる。
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単行本p.76

 翼を動かさずに浮上してくるペンギン、らせん状に潜水しながら寝るアザラシ、垂直に立った姿勢で眠るクジラ。動物に取りつけた加速度センサーから得られるデータが明らかにした彼らの意外な行動を紹介します。


「5 野生動物はサボりの達人だった!」
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 魚類から哺乳類に至る水生動物に、共通の装置を取り付けてその動きを調べてみると、本当はもっと深く長く潜ることができるのに、浅く短い潜水が主であったり、最大速度よりもずっと遅い速度を通常の移動に用いているといった日々の暮らしぶりが見えてきた。
(中略)
 我々人間は、ついつい動物の最大能力に目を奪われがちだが、動物の真の能力は最大値ではなく平均値にこそ現れる。ごくまれにしか行われない最大限の動きより、日々の暮らしぶりに着目することで、彼らの生き様を正しく理解できる。
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単行本p.109

 深く長く潜ったりしないペンギン、なるべくゆっくり泳ぐアザラシやウミガメ、消費エネルギーを節約して飛ぶオオミズナギドリ。動物たちの「最大能力」に注目しがちな癖を改め、普段の「手抜き節約モード」で発揮している能力に注目することで彼らの姿が見えてくる。バイオロギングや音響解析によって次第に分かってきた動物の生態について解説します。



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『風とマルス』(花山周子) [読書(小説・詩)]

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相聞歌、われを想いて詠いいる君のぶんまでわれがつくりぬ
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ミッキーマウスの顔の不気味な構造に描こうとしつつ驚いている
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「ありえない日本語力」という在り得ない日本語の帯を巻く『金閣寺』
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さすが神が集まっていないだけのことはある水無月出雲大社閑散
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鈴虫の半数ほどは死にたりしが鳴き声の量に変遷はなき
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 家族のこと、絵のこと、恋人のこと。歌人である母とはまた違った感性で生活の細部を見つめる若々しい歌集。単行本(青磁社)出版は2014年11月です。

 先日、花山多佳子さんの歌集『胡瓜草』を読んで感銘を受けたのですが、そこに登場する「娘」さんも歌人になったと知って、あわてて本書に目を通してみました。


  2017年08月21日の日記
  『胡瓜草』(花山多佳子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-08-21


 この『胡瓜草』に登場する「娘」、花山周子さんの第二歌集が本書です。

 家族を題材にした作品を見るとついつい『胡瓜草』収録作と読み比べ、その呼応っぷりに微笑んでしまいます。


母、花山多佳子さんの作品
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やうやくに起きし娘と諍へば戻りゆくなり昼の臥床へ
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娘、花山周子さんの作品
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母にとっては私が家に居ないほど私はいちにちよく眠りたり
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母、花山多佳子さんの作品
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抱かれて少しもうれしくないウサギ抱かれてまなこ迫り出してくる
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娘、花山周子さんの作品
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うさぎの目冬の日射しを吸いながら曇りガラスのようなる空ろ
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母、花山多佳子さんの作品
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就活をしてゐる息子 就活をせざりし娘に寛大ならず
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娘、花山周子さんの作品
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まだ朝は前髪のよう弟の起き来る気配して私は眠る
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母、花山多佳子さんの作品
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メンドクセエのレンゾクセイと唄ひつつまたも息子は着替へしてゐる
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娘、花山周子さんの作品
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ご機嫌な弟のハミング、スピッツから美空ひばりになりゆくあわれ
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母、花山多佳子さんの作品
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春になれば出てゆくならんこの家がアレルギー源と信じる息子
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娘、花山周子さんの作品
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弟が発ちたる朝に鼻紙の溢れて白い屑かご残る
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 姉弟の関係が見えるというか、そもそも母と姉がそろって歌人になりいいようにネタにされるという弟クン気の毒。

 どうやら姉さんは美大に通っていたようです。


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柏美術研究所とう予備校らしからぬ名の建物に二年通いき
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思い出の屋上は風あふれつつあふれつつあらん閉鎖の日まで
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石膏像マルスを奪え 思い出が消え去る前に抱えて走れ
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ミッキーマウスの顔の不気味な構造に描こうとしつつ驚いている
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 日々の生活で見かけたことを辛辣なユーモアを込めて描く作風は、母のそれにも似ているように感じられます。


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「ありえない日本語力」という在り得ない日本語の帯を巻く『金閣寺』
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さすが神が集まっていないだけのことはある水無月出雲大社閑散
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さくらんぼの原価についてあらゆる知識を動員して語りくれしタクシー運転手
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鈴虫の半数ほどは死にたりしが鳴き声の量に変遷はなき
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全体が傾いている家なりしが写真に写せば傾いていず
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伐採さるるときに最後の花粉をば吐きて倒るる杉を思えり
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 そして恋や歌を詠んだ作品の力強さには驚かされます。


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相聞歌、われを想いて詠いいる君のぶんまでわれがつくりぬ
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どうしても君に会いたい昼下がりしゃがんでわれの影ぶっ叩く
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ルパン三世はわれの恋人わがために歌人に今日は変装しおり
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「幌」という冊子をわれはつくるから歌を出したい人は集まれ
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 というわけで、単独で読んでむろん面白いのですが、母である花山多佳子さんの歌集と比べてみるとまた違った楽しみが見つかる歌集です。


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『胡瓜草』(花山多佳子) [読書(小説・詩)]

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「軽井沢に跳梁跋扈する悪質な猿の特定が急がれます」とぞ
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初めて見たアメリカン・チェリーの色のごと
思ひ出してゐる鳥山明を
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抱かれて少しもうれしくないウサギ抱かれてまなこ迫り出してくる
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メンドクセエのレンゾクセイと唄ひつつまたも息子は着替へしてゐる
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やうやくに起きし娘と諍へば戻りゆくなり昼の臥床へ
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 家族や動物や生活の細部を、ユーモアをこめて活写する歌集。単行本(砂子屋書房)出版は2011年4月です。

 日々の生活のなかで、ふと気になったことを書き留めたような作品が印象に残ります。それも、辛辣なユーモアというか、ツッコミが素晴らしい。


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姿煮と表示され居るゐる真空パックの小さな魚
これは姿か
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「軽井沢に跳梁跋扈する悪質な猿の特定が急がれます」とぞ
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高熱にとつぜん襲ひかかられて「これから心入れ替へるよ」と言ふ
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眉間に蜂迫りきて背ける目は見たり「蜂に注意」といふ看板を
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孤高の人を容れざる世なればすべからく孤低の人の増えゆくばかり
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 特にツッコミがなくても、淡々とした描写のなかに巧みにユーモアが織り込まれていたり。


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ケータイをひらけば数字またたきてけふがきのふになつてしまへり
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サイレント・モードで呻きケータイが机の端よりころげ落ちたり
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初めて見たアメリカン・チェリーの色のごと
思ひ出してゐる鳥山明を
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上滑りする感じが嫌 フライパンに半透明のたまごの白身
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 動物を詠んだ作品からは観察眼の鋭さが感じ取れます。


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植立てのパンジーを抜く楽しみを鴉はいかに鴉に伝ふ
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いつせいに鳴くことあらばおそろしき上野公園に群がれる鳩
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はじめから思ひ出のやうに鳴いてゐるこの年の蝉 梅雨長かりき
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抱かれて少しもうれしくないウサギ抱かれてまなこ迫り出してくる
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一丁前にのけぞつてゐる小さきものロボロフスキーは尻尾みじかし
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 しかし、何といっても多いのは、息子と娘を題材にした作品。どれも若者あるあるという臨場感にあふれています。


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ダ・サーイと伸ばして言ふは女の子 ダセエとつぶやくやうに男の子は
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就活をしてゐる息子 就活をせざりし娘に寛大ならず
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ストーヴの三メートル以内に三人がゐてそれぞれに没頭しをり
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 「就活をしてゐる息子」の様子はこうです。


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相手の言ふ「ふつう」を互ひに罵りて息子とわれの夜が更けゆく
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ごはんつくるおかあさんのために一曲とギターはげしく鳴らして唄ふ
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メンドクセエのレンゾクセイと唄ひつつまたも息子は着替へしてゐる
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就活の日々の間にすこしづつ息子は太つていくやうに見ゆ
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履歴書にかならず不備ある迂闊さを言ひ出でて息子は怯ゆるごとし
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新卒者内定二人で上司らは四十代とぞ息子危ふし
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春になれば出てゆくならんこの家がアレルギー源と信じる息子
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この家にゐるとだめになる、と言つてアパートに帰つてゆきたり
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 息子さんは何とか就職して家を出て行ったようです。一方、「就活をせざりし娘」との生活は、こうです。


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やうやくに起きし娘と諍へば戻りゆくなり昼の臥床へ
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歌つくるわれの背後に他人の歌読み上げてゐる娘なりけり
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描いた絵を見せむと寄りくる表情にすでに不機嫌のいろが濃厚
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 そういうわけで、娘さんは母親と同居したまま絵を描いたりしているようです。読了後に調べて驚いたのですが、この娘さんは歌人の花山周子さんなんですね。そういうわけで、続いて娘さんの歌集も読んでみることにします。


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『絶望名人カフカの人生論』(フランツ・カフカ、頭木弘樹:編集、翻訳) [読書(教養)]

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ぼくは時代を代表する権利を持っている。
ポジティブなものは、ほんのわずかでさえ身につけなかった。
ネガティブなものも、ポジティブと紙一重の、底の浅いものは身につけなかった。
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文庫版p.14


 誰よりも絶望し、挫折し、弱音を吐きまくり、自殺する実行力すら持てなかった偉大な作家、フランツ・カフカ。そのネガティブ精神あふれる言葉(というか愚痴)を集めた、読むだけでうっかり謎の勇気が出てしまう名言集。単行本(飛鳥新社)出版は2011年11月、文庫版(新潮社)出版は2014年11月、Kindle版配信は2015年2月です。


 世に溢れる前向きでポジティブな言葉に背を向け、ひたすらネガティブに語る箴言集としては、『心にトゲ刺す200の花束 究極のペシミズム箴言集』(エリック・マーカス)が印象的でした。ちなみに紹介はこちら。


  2012年09月21日の日記
  『心にトゲ刺す200の花束  究極のペシミズム箴言集』(エリック・マーカス)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-09-21


 しかし、ペシミズム箴言集でさえ、その多くからは「ネガティブこそ真実」という自信と、「真実だから正直に語るのだ」というポジティブな気持ちが感じられるものです。その点、カフカはすごい。真実とか正直とか関係なく、ひたすらネガティブな弱音を吐き続けるのですから。


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カフカは偉人です。普通の人たちより上という意味での偉人ではなく、普通の人たちよりずっと下という意味での偉人なのです。
 その言葉のネガティブさは、人並み外れています。
(中略)
 カフカほど絶望できる人は、まずいないのではないかと思います。カフカは絶望の名人なのです。誰よりも落ち込み、誰よりも弱音をはき、誰よりも前に進もうとしません。
――――
文庫版p.11、12


 あまりにネガティブなので、カフカの言葉の多くがポジティブに聞こえるよう勝手に「編集」「修正」を加えて広まっている、というのですから、むしろそのネガティブ言霊パワーに驚きます。


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 書籍やネットの名言集で、ときどきカフカの言葉をみかけることがありますが、それらはポジティブな発言ばかりです。
 でも、それらは、そうなるように前後をカットしているからなのです。
 たとえば、よくみかける言葉に、こういうのがあります。

  すべてお終いのように見えるときでも
  まだまだ新しい力が湧き出てくる。
  それこそ、おまえが生きている証なのだ。

 前向きで明るいですね。まさにポジティブです。
 でも、じつはこれには続きがあるのです。

  もし、そういう力が湧いてこないなら、
  そのときは、すべてお終いだ。
  もうこれまで。

 この後半こそが、カフカの味です。
――――
文庫版p.15


 というわけで、カフカが残した言葉と、その背景を解説した一冊です。目次を見ると「将来に絶望した!」「世の中に絶望した!」「自分の心の弱さに絶望した!」「親に絶望した!」「仕事に絶望した!」「夢に絶望した!」「結婚に絶望した!」「真実に絶望した!」という具合に何もかもに絶望しまくっており、さよなら絶望先生、という感じです。

 ちょっとだけ引用してみます。


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ぼくの杖には、「あらゆる困難がぼくを打ち砕く」とある。
――――
文庫版p.36

――――
ぼくはいつだって、決してなまけ者ではなかったと思うのですが、
何かしようにも、これまではやることがなかったのです。
――――
文庫版p.40

――――
今ぼくがしようと思っていることを、
少し後には、
ぼくはもうしようとは思わなくなっているのです。
――――
文庫版p.80

――――
おそらく、ぼくはこの勤めでダメになっていくでしょう。
それも急速にダメになっていくでしょう。
――――
文庫版p.138

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いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
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文庫版p.34

――――
床の上に寝ていればベッドから落ちることがないように、
ひとりでいれば何事も起こらない。
――――
文庫版p.52

――――
誰かと二人でいると、相手が彼につかみかかり、彼はなすすべもない。
一人でいると、全人類が彼につかみかかりはするが、
その無数の腕がからまって、誰の手も彼に届かない。
――――
文庫版p.188

――――
それでも孤独さが足りない。
それでもさびしさが足りない。
――――
文庫版p.56

――――
この人生は耐えがたく、
別の人生は手が届かないようにみえる。
――――
文庫版p.58

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ぼくの罪の意識は充分に強い。
だから、外からさらに注ぎ足してもらう必要はない。
――――
文庫版p.112

――――
ぼくは毎朝、絶望に襲われました。
ぼくより強い、徹底した人間なら、喜んで自殺していたでしょう。
――――
文庫版p.126


 当時、ツィッターがあったら、カフカは一日中こんなことをつぶやき続けていたに違いありません。

 カフカが残した言葉の数々や、彼の人生の様子を知ると、おそらくは「こいつよりはマシ」という小市民的性根ゆえでしょうが、謎の勇気と自信が湧いてきます。名言集の類を読んでも生きる力が得られないという方に、ぜひ一読をお勧めします。



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『読書で離婚を考えた。』(円城塔、田辺青蛙) [読書(随筆)]

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妹から、お義兄ちゃんとお姉ちゃんって、電波女とクズ男みたいな関係だよねと言われました。
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単行本p.130


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 先日お会いした某SF作家さんからハラハラしながら連載を見守っています。夫婦仲は大丈夫なんですか? という質問を受けました。大丈夫ですよね? 違いますか? 違うんですか? どうなんですか? 山は死にますか? 海はどうですか?
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単行本p.102


 円城塔と田辺青蛙の作家夫婦。読書傾向がまったく異なる二人は、夫婦間の相互理解を促進するために、交互に一冊ずつ課題図書を指定しては感想文を書きあうというリレーエッセイ企画に取り組む。ところが連載が進むにつれて険悪になってゆく夫婦仲。イヤミと苦言の応酬のはてに待ち受けているものは……。プロの作家によるブックガイドであると同時に実録夫婦喧嘩という奇妙な一冊。単行本(幻冬舎)出版は2017年6月、Kindle版配信は2017年6月です。


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 本棚を見るとお互いの人柄が分かるなんて話がありますが、うちは壁の前に本棚がバーンとあって、右と左の半分半分で分けているんですよ。私の方は妖怪とか呪いの本だとか、怪談やルポルタージュ作品、実際の事件を基にして書かれた『黒い報告書』のようなフィクション小説や幻想怪奇作品が多くて、夫の方はPC関連の専門書や物理、数学の本、料理や手芸本、漢文や歴史書に洋書と、なんか見ると胃の辺りがシクシクと痛くなってくるようなもんばっかり並んでいるわけですよ。
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単行本p.14


 作家同士で結婚した二人が、相互理解を促進するために、交替で課題図書を指定しては感想文を書く、というリレーエッセイ企画を始めます。著者たちはお互いことがよく分かり夫婦円満、読者はプロの作家によるブックガイドとして重宝する、そんな素晴らしい本が出来上がる予定だったのですが……。


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 夫は何故、不器用な人生に馴染めない男が主人公の作品ばかりを選ぶのだろう。
 これを私に読ませることによって、何か気が付いて欲しいことがあるのだろうか?
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単行本p.44


――――
妻がどうして、「相互理解」のために「動物に襲われる」話を勧めてくるのか今のところ謎です。
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単行本p.52


 互いに「なぜこんな本を勧めるのか?」という相手の意図が理解できず、疑心暗鬼にかられてゆくことに。まあ、この辺までは「夫婦仲が微妙にこじれる、という演出で読者を面白がらせよう」というサービス精神とも思えるのですが、次第に……。


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 ただ、僕の中でこの連載が、「続けるごとにどんどん夫婦仲が悪くなっていく連載」と位置づけられつつあることは確かです。僕の分のエッセイが掲載された日は、明らかに妻の機嫌が悪い。
「読んだよ」と一文だけメッセージがきて、そのあと沈黙が続くとかですね。
 どうせ自分は○○だから……と言いはじめるとかですね。
 あんなことを書かれると、誰々から何かを言われるから困る、とかですね。
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単行本p.96


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自分は夫のことをどれだけ知っているのか自信がなくなってきました。
 そういう関係だと思っていたのは、こちらだけですか?
(中略)
 この連載で夫婦仲が悪くなっていたことにも気が付いてませんでしたよ。
 時々夫は黙って機嫌が悪くなっていることがあるんですが、それもきっと原因があるんですよね?
 もう、なるべく早いうちに謝っておくことにします。「ごめんなさい」。
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単行本p.103


 うわあ、これはヤバい。

 連載いったん中断して夫婦で話し合った方が……、などと読者がハラハラしているうちに、とうとう読書感想文のなかに相手に対するイヤミが混じるようになってゆきます。


――――
 この連載をはじめてだんだんわかってきたのですが、どうも妻には、強固な自己像があるようです。
 どうもその人は、「おしゃれでかわいい、気のつく奥さん」というような姿をしているらしい。
 だから僕が、妻は脱いだ服をそのへんに置いておく、というようなことを書くと、ちょっと機嫌が悪くなったりします。「もう、みんなにだらしない奥さんだって勘違いされたらどうするの! ぷんぷん」みたいな生き物です。
――――
単行本p.63


――――
 僕から眺めている妻は、日頃からつかなくてもいいようなちっちゃな嘘をこまめに振りまいては片っ端から忘れていく生き物で、設定に一貫性がありません。勢い重視。締め切りに追われる週刊連載を見ているような感動があります。その場だけの辻褄が回転していることもあります。
――――
単行本p.257


 それに対して妻はこんなことを書いてきます。


――――
夢の中でPCを立ち上げここの連載のサイトを更新すると『離婚届けの書き方』という本が夫からの課題図書として掲載されており、本文には一言「察して」……と書かれているだけでした。(中略)正夢にならないといいですね!
――――
単行本p.200


 これはけっこう深刻なメッセージだと思うのですが、何と夫は、夢の件を完全にスルーして、文中に書かれていた「3メートルの宇宙人のオブジェを部屋に置いている」という部分に、こんな風にかみつくのです。


――――
3メートルの「宇宙人のオブジェ」ではない。「3メートルの宇宙人」のオブジェ。
――――
単行本p.201


 いかんなー。典型的なこじれパターンだなー。

 「二人が付き合って初めてデートしたとき」といった話題で何とか修復を試みるも、行き違いが発覚してさらにこじれてゆく夫婦仲……。


――――
夫の認識ではこの時はまだ私とは付き合っていないつもりだったらしい
――――
単行本p.253


――――
今更ですが、妻がこの連載のコンセプトを理解しているのか、たまにわからなくなりますね。
――――
単行本p.269


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相互理解を目的としているのではなく、自分がレビューを書きやすい本を選んでいるのではないかと疑っています。
――――
単行本p.234


 こ、これはアカン。非難の応酬はじまった。もうブックレビューどころじゃないのでは。

 最終回となった課題図書。夫が『ソラリス』(スタニスワフ・レム)を指定すると、妻は『バトル・ロワイアル』(高見広春)で返すという、最後まで続く何かの応酬。

 というとまるで最初から最後まで殺伐とした諍いが続くような印象になりますが、もちろんそんなことはなく、微笑ましい話題も数多く含まれています。例えば、理系マンガの傑作『決してマネしないでください。』(蛇蔵)の連載最終回の読者アンケートはがきに円城塔が熱烈推薦文を書いてきて、それが単行本の帯に掲載された、という有名なエピソードの背後で誰が暗躍していたのか、とか。


――――
 数ヶ月前の話なんですが、『決してマネしないでください。』という「モーニング」で連載していた漫画をこっそり仕込んでおいたら見事嵌ってくれました。いやあ嬉しいですね。
 もう気分は若紫を仕込む光源氏ですよ。
――――
単行本p.209


 というわけで、夫婦仲こじれ具合があまりにリアルで、そこばかり気になって、紹介されている本のことが頭に入ってこないという不思議なブックガイド。それぞれの愛読者はハラハラしながら見守るとよいと思います。



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