『関東戎夷焼煮袋』(町田康) [読書(小説・詩)]
――――
関東に四十年住むうち、私は現地人化してしまった。知らず知らずのうちに大阪人ではなくなっていたのである。
後醍醐帝は、関東者戎夷也天下管領不可然、と言った。
この、戎夷、という言葉が私の心に重くのしかかった。
勿論、天下を管領しようなどと大それたことを考えている訳ではない。ただ、戎夷、という激しい言葉によって故郷喪失の悲しみが実体化したのである。
それがわかって私は荒れた。自暴自棄になってサイダーの一気のみをしたり、もうこうなったら裏庭でハーブとか育ててやろうか。そして赤福餅を喉に詰まらせて死んでやろうかとも思った。
しかし、やがてそれは退嬰的な考えだ、と思うようになった。そして、もう一度、本然の自分というものを回復してみよう、と決意した。
そのために私は、うどん、からやり直した。大阪人のソウルフードとも言うべき、うどん、を自ら拵え、食すことによって大阪の魂を回復しようと試みたのだ。
――――
単行本p.62
シリーズ“町田康を読む!”第57回。
町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、関東戎夷に成り果てた我が身を嘆き、大阪魂を回復すべく粉もんを拵えてはわやになる連作短篇集です。単行本(幻戯書房)出版は2017年3月。
後醍醐天皇いわく
「關東は戎夷なり。天下の管領然るべからず」
(関東の幕府など蛮族である。天下を管領する資格はない)
『花園天皇宸記』より
歴史もない、文化もない、おもろない、蛮族同然。そのような関東戎夷になり果ててしまったことを恥じる作家が、己の魂を取り戻すべく、うどん、ホルモン焼、お好み焼、土手焼、イカ焼など、大阪こってこてソールフードを拵えては食すという修行に挑む連作短篇集です。
[収録作品]
『うどん』
『ホルモン』
『お好み焼』
『土手焼』
『イカ焼』
『うどん』
――――
それでも所用があって大阪表に参るたんびに、大阪の通常のうどんを食し、これこそが本来のうどん、通称・本来うどんである、と確認するようにしていた。しかし、それも次第にやらなくなり、関東滞在二十年を過ぐる頃より、うどんに東西なし、という思想を抱くようになっていた。
しかし、自分は自分を大阪におった頃の自分と変わらぬ自分と信じ、豚キムチチャーハンを食べたり、浜崎あゆみの楽曲を聴くなどして楽しく生きていた。喋ろうと思えばいつでも大阪弁を喋ることができたし、富岡多恵子さんと対談したし、河内家菊水丸師の番組にも呼ばれたし、上方落語を聴いて笑うこともできたし、っていうか、六代目笑福亭松鶴の物真似すらできた。関東になって自分の上方性はより純化されているとすら思っていた。
ところが先日、自分はもはや大阪人ではないということを思い知った。
――――
単行本p.9
とっさに「そんなバカな、俺は紛れもない上方者なのに!」という言葉が出たとき、作家は自分がもはや大阪人ではないことを悟った。故郷と魂の喪失。もはや自決あるのみ。いや、まだ手はある。うどん、である。そこらの黒い汁につかった偽物ではない、本物の、うどん、を食しさえすれば、きっと……。こうして大阪ソウルフードへの挑戦が始まった。
『ホルモン』
――――
はっきり申上げる。やはり時間がなくなってホルモンをこの場では焼けなかった。でも俺、焼きましたよ。結果はいまは言いません。まだ結果が出たとは思ってないから。俺らは永遠に途上で、死んでなお振り返る背中を持っているから。それが文学ということとちゃいますか? 俺にこの原稿を頼んでくれた人よ。
――――
単行本p.55
「本然の自分のためにホルモンを焼きてほんねんホルモンほんねん」(単行本p.45)
とりあえず、うどん、に続いて、ホルモン、も駄目だったが、大阪を、故郷を、取り戻すための魂の遍歴は始まったばかりだ。
『お好み焼』
――――
あはは。なんという皮肉だろう。あほほ。なんという茶番だろう。なによりも関東戎夷に成り果てたことを悔い、涙を流して更正を誓った私がこんなことになるなんて。ラララ、楽しいわ。ラララララ、美しいわ。私は一匹の馬鹿豚として関東でもっともポピュラーなお好み焼きを食べて、それこそ豚のようにブクブク肥えて死ぬるのよ。美しいわ。美しきことだわ。そのお好みには豚肉が入っているのよ。キャー、夢のような共食いよ。
と、私は半ば錯乱状態に陥っていた。そして、こうなってしまっては、こんな身分になってしまえばそれより他に頼るものがない、それに縋って生きていくしかない、というのはつまりそうお好み焼きミックスの袋の裏の解説書が自分にとってますます重要なものになっていた。
――――
単行本p.123
お好み焼きを食すことで魂を回復させようとする作家は、ついつい「お好み焼きミックス」なるインスタントでお手軽なものを買ってしまう。裏面に書いてある説明通りにやれば誰でも本格お好み焼きが出来るという。しかし、そんなことで魂が回復するのか。大阪の魂はそんな安っぽいものなのか。苦悩する作家は、とりあえず説明通りに焼いてみるが……。
『土手焼』
――――
私は土手焼に向けて気持ちを高めていった。ただでさえ高まる気持ちを意図的に高めるのだから、気持ちがムチャクチャに高まり、気持ちが天窓を突き破って頭と言わず顔と言わず血まみれになった。その血まみれの顔のまま、自ら考案した、すじ肉踊り、という踊りをぶっ倒れるまで踊った。そして気がつくと真夜中で、土砂降りの雨の中、号泣しながら見知らぬ土手をよじ登っていた。土手下には汚らしいバラックが土手にへばりつくように建ち並び、養豚の匂いが立ちこめていた。ぶひいいいいいいっ、きいいいいいいいいいいっ。という豚の絶叫が聞こえていた。その音が頭のなかに入ってきて藤の花になった。頭が藤の花で一杯になり、ふわふわしてものが考えられなくなった。耳や鼻から藤の花が湧き出てきて、顔全体が花になり、目も見えず耳も聞こえなくなった。手もなくなった。足ももげた。気がつくと濁流に流されていた。
――――
単行本p.155
「頭のなかではつねに、土手が紅蓮の炎に包まれて燃えている。焼きたくってたまらない。(中略)よし、作ろう。土手焼きを作ろう。作ろう。作ろう。ああああああああああああああっ」(単行本p.154、156)
土手焼きへの気持ちが高じて半狂乱になった作家は、ついに味噌をどばどば投入するのだが……。
『イカ焼』
――――
いまの若い人は五十年前からいまにいたるまで、イカ焼がずっと隆盛を誇っていたように思うだろうが、私の経験上、四十年くらい前にいったん廃ったことは間違いがないし、それに隆盛など言って威張っているが、いまでもタコ焼に比べればぜんぜん大したことないっていうか、知らない人も多く、隆盛とか言いたいのであれば、タコ焼とは言わないが、好み焼とすら言わぬが、せめて文字焼くらいな知名度を得てからにして貰いたいと苦言を呈したくなる。
それに、もっと考えてみれば私はもう五十を過ぎた立派なおっさんだ。人間五十年、といった昔であれば死ぬ歳だ。そのおっさんが、まるで女学生のように、恥ずかしい思いをして心が乱れた、自尊心が傷ついて動揺した、なんていっているのはどうなのだろうか。
(中略)
という風な論理で私は乱れた魂を整理して、真っ直ぐに整った状態にしたうえで、さあ、記憶の味、郷愁の味、イカ焼きを再現し、これを食することによって、その効果を十分知って自らの感情を刺激して涙を垂れ流して、いやさ、もっと感情を解放して、小便も垂れ流しながらオイオイ泣き、床を転げ回って、よい気分に浸ろうかな、と思うのだけれども、何度も言うように、私はイカ焼の作り方がわからない。
――――
単行本p.213、214
子供の頃に食べた思い出の味、イカ焼。通販で取り寄せたイカ焼セットに飽き足らず、ついに新幹線のグリーン車に乗って大阪へと旅立つ作家。イカ焼との出会いは待っているのか。イカ焼の煙のなかに真言をつかもうとする最終話。
関東に四十年住むうち、私は現地人化してしまった。知らず知らずのうちに大阪人ではなくなっていたのである。
後醍醐帝は、関東者戎夷也天下管領不可然、と言った。
この、戎夷、という言葉が私の心に重くのしかかった。
勿論、天下を管領しようなどと大それたことを考えている訳ではない。ただ、戎夷、という激しい言葉によって故郷喪失の悲しみが実体化したのである。
それがわかって私は荒れた。自暴自棄になってサイダーの一気のみをしたり、もうこうなったら裏庭でハーブとか育ててやろうか。そして赤福餅を喉に詰まらせて死んでやろうかとも思った。
しかし、やがてそれは退嬰的な考えだ、と思うようになった。そして、もう一度、本然の自分というものを回復してみよう、と決意した。
そのために私は、うどん、からやり直した。大阪人のソウルフードとも言うべき、うどん、を自ら拵え、食すことによって大阪の魂を回復しようと試みたのだ。
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単行本p.62
シリーズ“町田康を読む!”第57回。
町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、関東戎夷に成り果てた我が身を嘆き、大阪魂を回復すべく粉もんを拵えてはわやになる連作短篇集です。単行本(幻戯書房)出版は2017年3月。
後醍醐天皇いわく
「關東は戎夷なり。天下の管領然るべからず」
(関東の幕府など蛮族である。天下を管領する資格はない)
『花園天皇宸記』より
歴史もない、文化もない、おもろない、蛮族同然。そのような関東戎夷になり果ててしまったことを恥じる作家が、己の魂を取り戻すべく、うどん、ホルモン焼、お好み焼、土手焼、イカ焼など、大阪こってこてソールフードを拵えては食すという修行に挑む連作短篇集です。
[収録作品]
『うどん』
『ホルモン』
『お好み焼』
『土手焼』
『イカ焼』
『うどん』
――――
それでも所用があって大阪表に参るたんびに、大阪の通常のうどんを食し、これこそが本来のうどん、通称・本来うどんである、と確認するようにしていた。しかし、それも次第にやらなくなり、関東滞在二十年を過ぐる頃より、うどんに東西なし、という思想を抱くようになっていた。
しかし、自分は自分を大阪におった頃の自分と変わらぬ自分と信じ、豚キムチチャーハンを食べたり、浜崎あゆみの楽曲を聴くなどして楽しく生きていた。喋ろうと思えばいつでも大阪弁を喋ることができたし、富岡多恵子さんと対談したし、河内家菊水丸師の番組にも呼ばれたし、上方落語を聴いて笑うこともできたし、っていうか、六代目笑福亭松鶴の物真似すらできた。関東になって自分の上方性はより純化されているとすら思っていた。
ところが先日、自分はもはや大阪人ではないということを思い知った。
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単行本p.9
とっさに「そんなバカな、俺は紛れもない上方者なのに!」という言葉が出たとき、作家は自分がもはや大阪人ではないことを悟った。故郷と魂の喪失。もはや自決あるのみ。いや、まだ手はある。うどん、である。そこらの黒い汁につかった偽物ではない、本物の、うどん、を食しさえすれば、きっと……。こうして大阪ソウルフードへの挑戦が始まった。
『ホルモン』
――――
はっきり申上げる。やはり時間がなくなってホルモンをこの場では焼けなかった。でも俺、焼きましたよ。結果はいまは言いません。まだ結果が出たとは思ってないから。俺らは永遠に途上で、死んでなお振り返る背中を持っているから。それが文学ということとちゃいますか? 俺にこの原稿を頼んでくれた人よ。
――――
単行本p.55
「本然の自分のためにホルモンを焼きてほんねんホルモンほんねん」(単行本p.45)
とりあえず、うどん、に続いて、ホルモン、も駄目だったが、大阪を、故郷を、取り戻すための魂の遍歴は始まったばかりだ。
『お好み焼』
――――
あはは。なんという皮肉だろう。あほほ。なんという茶番だろう。なによりも関東戎夷に成り果てたことを悔い、涙を流して更正を誓った私がこんなことになるなんて。ラララ、楽しいわ。ラララララ、美しいわ。私は一匹の馬鹿豚として関東でもっともポピュラーなお好み焼きを食べて、それこそ豚のようにブクブク肥えて死ぬるのよ。美しいわ。美しきことだわ。そのお好みには豚肉が入っているのよ。キャー、夢のような共食いよ。
と、私は半ば錯乱状態に陥っていた。そして、こうなってしまっては、こんな身分になってしまえばそれより他に頼るものがない、それに縋って生きていくしかない、というのはつまりそうお好み焼きミックスの袋の裏の解説書が自分にとってますます重要なものになっていた。
――――
単行本p.123
お好み焼きを食すことで魂を回復させようとする作家は、ついつい「お好み焼きミックス」なるインスタントでお手軽なものを買ってしまう。裏面に書いてある説明通りにやれば誰でも本格お好み焼きが出来るという。しかし、そんなことで魂が回復するのか。大阪の魂はそんな安っぽいものなのか。苦悩する作家は、とりあえず説明通りに焼いてみるが……。
『土手焼』
――――
私は土手焼に向けて気持ちを高めていった。ただでさえ高まる気持ちを意図的に高めるのだから、気持ちがムチャクチャに高まり、気持ちが天窓を突き破って頭と言わず顔と言わず血まみれになった。その血まみれの顔のまま、自ら考案した、すじ肉踊り、という踊りをぶっ倒れるまで踊った。そして気がつくと真夜中で、土砂降りの雨の中、号泣しながら見知らぬ土手をよじ登っていた。土手下には汚らしいバラックが土手にへばりつくように建ち並び、養豚の匂いが立ちこめていた。ぶひいいいいいいっ、きいいいいいいいいいいっ。という豚の絶叫が聞こえていた。その音が頭のなかに入ってきて藤の花になった。頭が藤の花で一杯になり、ふわふわしてものが考えられなくなった。耳や鼻から藤の花が湧き出てきて、顔全体が花になり、目も見えず耳も聞こえなくなった。手もなくなった。足ももげた。気がつくと濁流に流されていた。
――――
単行本p.155
「頭のなかではつねに、土手が紅蓮の炎に包まれて燃えている。焼きたくってたまらない。(中略)よし、作ろう。土手焼きを作ろう。作ろう。作ろう。ああああああああああああああっ」(単行本p.154、156)
土手焼きへの気持ちが高じて半狂乱になった作家は、ついに味噌をどばどば投入するのだが……。
『イカ焼』
――――
いまの若い人は五十年前からいまにいたるまで、イカ焼がずっと隆盛を誇っていたように思うだろうが、私の経験上、四十年くらい前にいったん廃ったことは間違いがないし、それに隆盛など言って威張っているが、いまでもタコ焼に比べればぜんぜん大したことないっていうか、知らない人も多く、隆盛とか言いたいのであれば、タコ焼とは言わないが、好み焼とすら言わぬが、せめて文字焼くらいな知名度を得てからにして貰いたいと苦言を呈したくなる。
それに、もっと考えてみれば私はもう五十を過ぎた立派なおっさんだ。人間五十年、といった昔であれば死ぬ歳だ。そのおっさんが、まるで女学生のように、恥ずかしい思いをして心が乱れた、自尊心が傷ついて動揺した、なんていっているのはどうなのだろうか。
(中略)
という風な論理で私は乱れた魂を整理して、真っ直ぐに整った状態にしたうえで、さあ、記憶の味、郷愁の味、イカ焼きを再現し、これを食することによって、その効果を十分知って自らの感情を刺激して涙を垂れ流して、いやさ、もっと感情を解放して、小便も垂れ流しながらオイオイ泣き、床を転げ回って、よい気分に浸ろうかな、と思うのだけれども、何度も言うように、私はイカ焼の作り方がわからない。
――――
単行本p.213、214
子供の頃に食べた思い出の味、イカ焼。通販で取り寄せたイカ焼セットに飽き足らず、ついに新幹線のグリーン車に乗って大阪へと旅立つ作家。イカ焼との出会いは待っているのか。イカ焼の煙のなかに真言をつかもうとする最終話。
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