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『太陽の舟 新世紀青春歌人アンソロジー』 [読書(小説・詩)]

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 ここに二十代、三十代の新鋭歌人によるアンソロジーが完成した。結社や地域を超えてこの世代のアンソロジーがまとまって編まれるのは、初めてのことだろう。(中略)歌壇ヒエラルキーに捉われず、新世紀の青春の生身の声が、短歌として響いてくる一冊といえるだろう。「太陽の舟」にこの世、あの世を超えた共同性の幻像をみたい。
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単行本p.266


 若手歌人から選ばれた42人について、それぞれ「自選六十首」を掲載した短歌アンソロジー。単行本(北溟社)出版は2007年11月です。

 先日読んだ『桜前線開架宣言』(山田航)があまりにも面白かったので、同じく若手歌人の短歌アンソロジーということで本書も読んでみました。ちなみに『桜前線開架宣言』の紹介はこちら。


  2017年03月08日の日記
  『桜前線開架宣言』(山田航)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-08


 おそらく何人も同じ歌人が選ばれているだろうな、と予想していたのですが、何と一人も重複していません。『桜前線開架宣言』の出版は2015年12月、本書は2007年11月ですから、8年の開きがあります。それを考慮しても、「注目すべき若手歌人」の数がこんなに多く、途切れることなく次々とデビューしているという事実には驚かされます。

 というわけで、この二冊に目を通せば、今世紀に入ってから注目された歌人の代表的な作品を一度に読めるわけで、短歌入門としてお勧めです。

 本書に掲載されている歌人は次の通り。あえて「あいうえお」順に掲載することで、結社やグループと無関係だということを強調しているようです。ちなみに、1人につきそれぞれ紹介1ページ(顔写真付き)、自選作品60首(4ページ、1ページあたり15首)、自己紹介エッセイと年譜が1ページ、総計6ページが割り当てられています。


朝倉美樹
天野慶
天野陽子
今村章生
上原康子
内田彩弓
大石聡美
大木恵理子
大隅信勝
大橋麻衣子
小田何歩
神尾風碧
岸野亜沙子
北川色糸
木戸孝宣
栗原寛
小玉春歌
小林幹也
近藤武史
鷺沢朱理
笹岡理絵
佐々木実之
佐藤晶
鹿野氷
清水寿子
高山雪恵
田中美咲希
棚木恒寿
千坂麻緒
月岡道晴
當麻智子
中川佳南
縄田知子
本多忠義
宮坂亭
三宅勇介
矢島るみ子
横尾湖衣
渡邉啓介
渡辺琴永
渡辺理紗
由季調


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『野良猫を尊敬した日』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 自宅のパソコンでインターネットができるようになった。動画を見たり、原稿を送ったり、なんて快適なんだ。みんなはずっと前からこんな便利な暮らしをしてたんだなあ。
 そういう私は今までどうしていたかというと、駅前の漫画喫茶のネットを使っていたのだ。多い日は昼と夜と明け方の三回通ったこともある。傘もさせないような嵐の中をずぶ濡れで辿り着いたこともあった。(中略)

編「そんなに便利だと思うなら、どうして今まで自宅にインターネットを引かなかったんですか?」
ほ「手続きとか、めんどくさくて……」
編「えっ。漫画喫茶に毎日通う方がずっとめんどくさいでしょう?」

 全くその通り。でも、私が云ってるのは、めんどくささの総量ではなくて、目先のちょっとしためんどくささのことなのだ。そのハードルが越せないために、結果的に大きな利子を払い続けることになる。
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単行本p.176、177


 自宅にインターネットを引くのが面倒なので毎日駅前の漫画喫茶まで通う。知人宅に泊まるとき不安でびびり上がり、帰宅した夜に「おねしょ」してしまう。誰もが簡単にやってしまうことが自分には出来ない。なぜなのかを説明しても伝わらない。他人に分かってもらえない臆病さを抱えて生きる歌人による内気エッセイ集。単行本(講談社)出版は2017年1月、Kindle版配信は2017年2月です。


 その独特の感性でもって森羅万象を「想像しただけで怖くてとても自分には手が出せないもの」と「想像しただけで面倒でとても自分には手が出せないもの」の二つに鮮やかに分類してゆくようなエッセイ集です。


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警A「ご自宅はどちらですか」
ほ 「あそこです(指差す)」
警B「まだけっこうありますね」
警A「それに寒いでしょう」
ほ 「平気です」
警B「家に入ってからゆっくり着替えた方がいいのでは?」
ほ 「でも私は自宅にインターネットを引くのに十年もかかってしまったので、その分の時間を少しでも取り戻したいんです」
警Aと警B(顔を見合わせる)
警A「それで歩きながらシャツを脱いでるんですか」
ほ 「ええ」
警B「ちょっと署までご同行願えませんか」

 ああ、嫌だなあ。そんなことになったら。完全な誤解だ。でも、それ以上どうやって説明したらいいんだろう。だって、私の云ったことは、全部本当なんだ。本当に本当のことなんだよ。
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単行本p.182


 自分には何かが出来ない、あるいは自分には奇行癖があるのだがそれには自分の中でちゃんとした理由があって、というエッセイが多いのですが、変な自意識の在り方を訴えるエッセイも印象的です。


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 限定物以外に、生産中止となった商品にも弱い。これもうどこにも売ってないんだ、と思うと体がかーっとなって自分の物にしたくなる。
 最近では感覚の奇妙な逆転現象が起こって、自分のお気に入りのブーツやスニーカーなどが、早く生産中止にならないかな、と思ってしまうことがある。
 理屈で考えると、今のを履き潰したらもう買い替えることができないから、廃番になっては困る筈。でも、それよりも持ち物がレアな存在に「昇格」することに喜びを感じる自分がいる。
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単行本p.52


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「ほむらさんの好きそうな店ですね」
 むっとした。いや、彼の言葉は当たっている。現に私は「感じのいい店だな」と思っていたのだから。でも、それを見抜かれるのは嫌。指摘されるのはもっと嫌。(中略)
 つまり、こういうことだ。私はお洒落なカフェが好き。でも、お洒落なカフェが好きな人と思われるのは嫌。この気持ち、わかって貰えるだろうか。(中略)
私がどんな店を好きだろうが、どんな曲を好きだろうが、他人からすれば全くどうでもいいことだ。頭ではよくわかっている。でも、自意識の暴走が止められない。
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単行本p.130、131、132


 他人の目が気になる系のエッセイといえば、「男の幻滅ポイント」というやつ。


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 カチャカチャと他のキーで入力して、最後に「どうだ」とばかりに「エンタキー」を叩く。やりたくなる気持ちはわかる。だが、その瞬間、小さな「俺様」が顔を出しているのだ。
 女性たちはそれを見逃さない。一秒にも充たない行為によって、ああ、この人って本当は「俺様」に酔うタイプなんだ、と察知されてしまう。おそろしい。
 こういう機会があるたびに、メモメモと思いながら、私は憶えたばかりの幻滅ポイントを自分の手帳に書き込む。人生の参考資料だ。
 そこには他にもこんな項目が並んでいる。

・意味もなく、折りたたみ式の携帯電話をパカパカ開閉している
・携帯電話のメールアドレスがやたら長い
・ペンを廻す
・たくさん服を持っているくせに、組み合わせるボトムスとトップスが毎回一緒

 いずれも中級以上と思える内容で、読んでいるうちに、どんどん不安になってくる。
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単行本p.91


 歌人デビューする前後のことを書いたエッセイも印象的です。


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 でも、待っても待ってもどこからも連絡が来ない。ポストに入ってるのはチラシだけ。電話は鳴らない。おかしい。どこかで誰かが必ず見てる、はずじゃなかったのか。見てる人、僕はここにいるよ、見つけて、早く、早く。でも何も起きない。時間だけがどんどん過ぎてゆく。残業、残業、残業、爆睡。もしかして、本当は、見てる人なんていないんじゃないか。一生このままなんじゃないか。どこかで誰かが必ず見てる、って云ったのは誰だ。どうしてそんなひどい嘘を。
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単行本p.20


 最後に、表題作でもある『野良猫を尊敬した日』から引用しておきます。我に野良猫パワーを与えよ。


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 イヌネコと蔑して言ふがイヌネコは一切無所有の生を完うす    奥村晃作

 人間は犬や猫のことを上から目線で「イヌネコ」などと云うが、その「イヌネコ」は、お金も洋服もスマートフォンも何一つ所有することなく一生を過ごす。実はもの凄い存在なのだ。という意味だろう。
 本当にそうだなあ、と思った。彼らはその日の食べ物すらキープしていない。一瞬一瞬をただ全身で生きている。命の塊なのだ。
 よーし、やってやる。僕にだって、できないことがあるか。そう心を固める。我に野良猫パワーを与えよ。
 でも、眠りに落ちると、また元通り。「うーん、うーん、あついよー、あついよー、あついよー」と、赤ちゃんのようになってしまうのだ。どうして、こんなに弱いんだろう。
 気迫か。やはり気迫が違うのか。
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単行本p.219


タグ:穂村弘
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『たべるのがおそい vol.3』(星野智幸、最果タヒ、山尾悠子、他、西崎憲:編集) [読書(小説・詩)]

 小説、翻訳小説、エッセイ、短歌。様々な文芸ジャンルにおける新鮮ですごいとこだけざざっと集めた文学ムック「たべるのがおそい」その第三号です。掲載作品すべて傑作というなんじゃこらあぁの一冊。号を重ねるごとに次のハードルを目一杯あげてゆくような、スリルに満ちたvol.3。単行本(書肆侃侃房)出版は2017年04月です。


[掲載作品]

巻頭エッセイ 文と場所
  『Mさんの隠れた特技』(小川洋子)

特集 Retold 漱石・鏡花・白秋
  Retold 鏡花『あかるかれエレクトロ』(倉田タカシ)
  Retold 漱石『小詩集 漱石さん』(最果タヒ)
  Retold 白秋『ほぼすべての人の人生に題名をつけるとするなら』(高原英理)

創作
  『白いセーター』(今村夏子)
  『乗り換え』(星野智幸)
  『エスケイプ』(相川英輔)
  『虫歯になった女』(ノリ・ケンゾウ)
  『親水性について』(山尾悠子)
  『一生に二度』(西崎憲)

翻訳
  『ピカソ』(セサル・アイラ、柳原孝敦:翻訳)
  『カピバラを盗む』(黄崇凱、天野健太郎:翻訳)

短歌
  『すべてのひかりのために』(井上法子)
  『黙読』(竹中優子)
  『隣り駅のヤマダ電機』(永井祐)
  『二〇一七年、冬の一月』(花山周子)

エッセイ 本がなければ生きていけない
  『『本がなければ生きてこれません』でした。』(杉本一文)
  『本棚をつくる』(藤原義也)


『白いセーター』(今村夏子)
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 ……離婚しますか、わたしは伸樹さんにきいた。伸樹さんは、結婚しないと離婚できないよ、といった。
 あの晩、伸樹さんの黒いコートにくるまれていたわたしの白いセーターは、汚れからは守られたけど、においからは守られなかった。
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単行本p.33

 婚約者の姉から「クスマスイブの午前中だけ、子どもたちを預かってほしい」と頼まれた語り手。ごく簡単な用事のはずだったが、予想外のトラブルが起きて……。子どもというものの嫌な側面が生々しく心に刺さってくる短編。vol.1に掲載された『あひる』もそうでしたが、やわらかにネグレクトされる弱い立場の人、を表現するのがうまい。こわい。


『乗り換え』(星野智幸)
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いやいやいや、おまえじゃないから。同じ星野智幸だけど、おまえは俺じゃないから。俺にはならなかった俺ってことは、俺じゃないから。同じ星野智幸でも、違う人生送ったら別人だから。共通するところはたくさんあるけど、そんなの双子だって別々の人生送ればまったくの別人だろ。
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単行本p.46

 サッカー観戦から帰宅する途中、ふと立ち寄った店で出会った星野智幸。同じ星野智幸なのに人生どこで分岐したのか、それぞれの記憶を確認してゆく二人。『俺俺』にも似た奇妙なシチュエーションを駆使して語られる「私小説」。自民党公認、保守派の県議候補である星野智幸、というのがすごい。「感銘も受けている。打ちのめされてもいる」(単行本p.48)


『小詩集 漱石さん』(最果タヒ)
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美しいひとが生き抜いていくには、その美しさを許容できるほどの美しい世界が必要で、そんなものはこの世にない。長く伸びた花が、きみどりの細い茎をどうしてか空に向けて張り詰めていて、彼は空に呼ばれているのかな、だから重力に負けないのかなと悲しくなった。詩を書いても、絵を描いても、世界には私が溶け込めない部分があって、私を燃やしても残る骨と髪があって、孤独という言葉は、だからチープだと知っている。
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単行本p.68

 夏目漱石をイメージした四篇『夢の住人』『走馬灯』『先生』『文学』から構成された小詩集。


『ピカソ』(セサル・アイラ、柳原孝敦:翻訳)
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 ある日、魔法の牛乳瓶から現れた精に、ピカソを手に入れるのとピカソになるのとどちらがいいかと訊ねられた、そこからすべてが始まった。どちらでも願いを叶えてあげよう、と精は言った。ただし、どちらか一方だけ。
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単行本p.78

 ピカソの絵か、ピカソになるか、叶う願いはどちらか一つだけ。
 モスラの幼虫が大暴れする『文学会議』や、不良少女二人組〈愛の襲撃部隊〉がスーパーマーケットで殺戮を繰り広げる『試練』で、読者を大いにたじろがせたセサル・アイラのたじろぎ小説。ちなみに『文学会議』の紹介はこちら。

  2016年03月08日の日記
  『文学会議』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-03-08


『カピバラを盗む』(黄崇凱、天野健太郎:翻訳)
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 今ほど、カピバラを盗むのに適した頃合いはあるまい。この島国がまるごと、対岸からのすさまじい口撃にさらされている。頭がいかれた総統が、中国への「反攻」、つまり宣戦布告をしたのだ。その瞬間、オレは、ワンパク・サファリパーク(頑皮世界)に忍び込み、カピバラを盗み出すことに決めた。
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単行本p.106

 「大陸反攻」とか、今さら、マジで宣告。ついに始まった中台戦争。というかそのはずなんだけど、ミサイルが飛んでくるわけでもなく、軍が動くことすらなく、街は人出で賑わっているし、ネットも遮断されずみんな好き勝手につぶやいている。台湾が置かれてきた不安定で先の見えない状況は、戦時中でさえ変わらないのかよ。こうなったら、カピバラを盗むしかない。今がそのときだ。
 現代の台湾社会と政治に対する若者の感覚を鋭くとらえた短編。話はシリアスですが、でもやっぱり台湾料理うまそう、カピバラかわいい。


『親水性について』(山尾悠子)
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 停滞することなくつねに神速で移動せよ。速度のみが我らの在るところ。言の葉は大渦巻きを呼び、ものみなさかしまに攪拌されながら巻き込まれていく――堕ちていく――肺は水で満たされ、密かに鰭脚をそよがせると額に第三の目がひらく。
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単行本p.149

 永遠に漂い続ける巨大船に乗っている姉と妹。神話的イメージを連打してくる高純度山尾悠子。


『一生に二度』(西崎憲)
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 みすずの生活はそういうふうに空想というものに特徴付けられている。
 そして空想のほうがみすずの許にやってきたこともある。大学二年生の時だった。ある男の姿をとって。
 その男のことを思いだすと、いつも全体がひとつの夢であったような錯覚におちいる。
 たしかに期間も長くなく、深くつきあったわけではないので、そう思えてもおかしくはない。
 大学二年の時だった。
 大学は中央線の先にあった。
 オスカー・ワイルドの小説の話。
 つづきを知っているとその人は言った。その先を知っていると。
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単行本p.153

 空想癖のあるみすずが出会った男は、『ドリアン・グレイの肖像』がその後どうなるのか続きを知っているという。それどころか、どんな物語についても彼はその後どうなるかを知っていた。日系人強制収容所における迷信と噂話の流布。フィンランドで起きた奇怪な殺人事件。理由不明なまま繰り返される海難。謎めいた魅力的な物語が、結末を欠いたまま次々と投入され読者を魅了してやまない傑作。素晴らしい。



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『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』(中川毅) [読書(サイエンス)]

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地球の公転軌道と自転軸の関係で、北半球の夏に降り注ぐ太陽エネルギーは増加しつつあった。つまり、氷期は時間の問題で終わろうとしていた。だが気候システムはその外力に対して非線形に応答し、太陽の変化に歩調をあわせてゆるやかに変動する代わりに、ある瞬間に大きな飛躍を見せた。それまで本質的に不安定だった気候は、一転して安定な状態に切り替わり、地球には安定した時代、言い換えるなら「近い未来なら予測可能」な時代がやってきた。予測が成り立つ時代とは、人間の演繹的な知恵が発揮されやすい時代ということでもある。氷期に巨大な古代文明が生まれなかったことと、氷期の気候が安定ではなかったことの間には、おそらく密接な因果関係がある。
 現在の安定な時代がいつまで続くのか、次の相転移がいつ起こるのかは、本質的に予測不可能である可能性が高い。
――――
新書版p.168


 過去7万年分の年縞が連続的に保存されている奇跡の湖、水月湖。世界の地質学的標準時計である水月湖の研究から得られた気候変動の正確な歴史、そしてそこから見えてくる将来の気候変動に関する重大な知見を、一般向けに分かりやすく紹介してくれるサイエンス本。新書版(講談社)出版は2017年2月、Kindle版配信は2017年2月です。


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私たちは無意識のうちに、進んだ科学技術で大きな商品価値を生み出す国を「先進国」と呼ぶことに慣れている。まるで文化も歴史も尊厳もすべて、経済という船に付随する飾り物に過ぎないかのようである。しかし、先進国を生きる私たちが「先を進んで」いるような気分でいられるのは、現代の気候がたまたま私たちのライフスタイルに適合しているという、単なる偶然に支えられてのことに過ぎない。
 人間や社会の価値を、現状における「効用」だけで測ることはきわめて危険である。だが歴史を通じて、人間はそのような過ちを何度も犯してきた。
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新書版p.207


 水月湖が世界の地質学的標準時計として認められるまでの困難な道のりをエキサイティングに描いた『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』。その著者が、水月湖の研究から得られた知見のうち、過去の気候変動に関するものを一般向けに分かりやすくまとめてくれます。ちなみに『時を刻む湖』の紹介はこちら。


  2017年01月11日の日記
  『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(中川毅)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-01-11


 全体は7つの章から構成されています。


「第1章 気候の歴史をさかのぼる」
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 念のため強調するが、私はここで、現在の温暖化予測も70年代の寒冷化予測と同様に信頼できないと主張しているのではない(ただし、信頼できると主張しているのでもない)。
(中略)
 むしろここで強調したかったのは、寒冷化と温暖化という正反対の学説が立て続けに提唱されたにもかかわらず、そのどちらもが同時代の人々の目に「本当らしく」見えたという事実についてである。私たちの直感は、時として驚くほど脆弱な根拠の上に成り立っている。学説の寿命は、データの寿命に比べて一概にひどく短い。それでも私たちは、提示される説に対して自分なりの意見を持ち、どのような「対策」が妥当であるかを考えなくてはならない。
――――
新書版p.41

 過去の気候変動のデータから未来の気候変動を予測することは可能なのだろうか。現在の傾向が今後もそのまま続くという直感、同じパターンが周期的に繰り返されるという直感。70年代の寒冷化予測と現代の温暖化予測を比較することで、直感に頼ることの限界を明らかにします。


「第2章 気候変動に法則性はあるのか」
――――
最近の1万1600年ほどは、一定の細かな変動はあるものの、基本的には安定して温暖な状態を保っている。それに対して氷期は、安定とはほど遠い時代だったことが分かる。基本的に寒冷であることは確かなのだが、その中に急速に温暖化する時代を何度も含んでいる。温暖化の速度はきわめて早く、場所によってはグラフがほとんど垂直の線になっている。変動の振幅もきわめて大きい。氷期の中だというのに、気温が現代の水準に肉薄することすらある。このような激しい温暖化事件は、氷期を通じてくり返し起こっており、その数は大小あわせると、過去6万年だけでも17回、氷期全体では20回を超える。
(中略)
氷期の中で起こっていた気候変動が線形でもなければ周期的でもなかったことだけは、どうやら確かなようだ。線形モデルと周期モデルは、世界観としては直感的にきわめて受け入れやすい。しかしじっさいの氷期は、どちらのモデルも現実には通用しない時代だったのである。
――――
新書版p.47、48

 グリーンランドの氷床研究から分かってきた過去の気候データを詳しく調べると、温暖で安定した温暖期と、寒冷で極めて不安定な氷期があることが分かる。氷期における気候変動は極端な変動と予測不能性を示しており、また氷期と温暖期の切り変わりは驚くほど急激だったということも判明した。カオス的な振る舞いを示す、直感がまったく通用しない気候変動。それを理解するためには、どのような変化が正確にいつ起きたのかを「人間が実感できる」くらいの時間精度で調べる必要があることを示します。そんなことが可能なのでしょうか。


「第3章 気候学のタイムマシンー縞模様の地層「年縞」」
――――
 地質学は数万年や数億年といった、きわめて長い時間をあつかうことを得意としてきた。いっぽう、人間が「実感」できる時間は長くても数十年から100年だろう。人間にとって切実な気候変動の実例を、地質学的な記録の中から見出そうと思えば、かなり特殊な試料を見つけてきて詳細に分析する必要がある。福井県の水月湖から見つかった縞模様の堆積物は、そのような研究をおこなうのに最適な「奇跡の泥」だった。
(中略)
明暗一組の縞模様は、ちょうど1年の時間に対応している。1年に1枚ずつたまるこのような地層は「年縞」と呼ばれる。水月湖には、厚さにして45メートル、時間にして7万年分もの年縞が、乱されることなく静かにたまっているのである。そのような湖は、世界でも水月湖の他に例がない。
――――
新書版p.74

 グリーンランドの氷床研究から先に進むために古気候学者たちが必要としているデータ、それは日本の水月湖に眠っていた。なぜ水月湖は「奇跡」と呼ばれるほど特別なのか。前述した『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(中川毅)の内容のうち、水月湖の特異性を解説した部分を要約します。


「第4章 日本から生まれた世界標準」
――――
2006年の掘削は、それ自体は単なる穴堀りであり、学術的な成果であると見なされることは少ない。成果として脚光を浴びるのは、通常は掘削試料ではなく分析データのほうである。だがひとつだけ自画自賛を許していただけるなら、その後に続いた水月湖研究の栄光のドミノ、その最初の1個を倒したのは、あの熱い夏に「完全連続」を達成するまで決して引き下がらなかった、私たちの愚直な掘削だったと思っている。
――――
新書版p.98

 水月湖の湖底にたまった泥を掘り出し、年縞を数える。言ってみればただそれだけのために、数十年の歳月と超人的な努力が必要だった。世界を驚嘆させた美しいデータの背後にある研究者たちの艱難辛苦。前述した『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(中川毅)の内容のうち、水月湖の掘削から試料分析、ついに世界標準時計として認められるまでの経緯を要約します。


「第5章 15万年前から現代へー解明された太古の景色」
――――
 参考までに、私が1サンプルの花粉分析に要する時間は、前処理まで含めると平均で1時間を超える。水月湖で私がこれまで分析したサンプルの数は、そろそろ1400に届こうとしているので、単純計算でそれだけの時間を投入してきたことになる。最終的に成し遂げたいと思っている数は4500なので、最近ではそろそろ自分に残された時間が気になり始めている。
――――
新書版p.126

 水月湖の堆積物に含まれる花粉を分析することで、過去の気候(植生景観)を再現することが出来る。地道な分析作業を積み重ねることで、地球の公転軌道の周期的変化、地軸の歳差運動、などの天体運動が気候変動にダイレクトに影響していることがはっきりと見えてくることを解説します。


「第6章 過去の気候変動を再現する」
――――
水月湖の堆積環境は、おそらくある1年を境にとつぜん変化した可能性が高い。つまり氷期は、まるでスイッチをパチンと切ったかのように、本当に急激に終わったらしいのである。スイッチが切り替わった後では、水月湖のまわりの気候は温暖になり、しかも数十年スケールで激しく変動することをやめて安定になった。それは、人間にライフスタイルや価値観の変更を迫るほどの本質的で急激な変化だった。(中略)また、水月湖とグリーンランドのそれぞれの年代目盛りを用いて変化のタイミングを推定すると、両者は実質的に同時だったらしい。おそらく氷期の終わりは、一瞬で北半球全体、ひょっとすると全世界をも巻き込む、本当の意味での大事件だったのだろう。
――――
新書版p.167

 これまでの古気候学の成果により明らかになった過去の気候変動を見ると、地球の運動による周期的な変動に加えて、予測不可能な急激な変動があったことが分かる。特に氷期の終わりは極端で、おそらく「1年」で地球全体の気候が相転移する、という劇的な変化が起きている。このような激変が、その当時を生きていた人類の文化と歴史にも後戻りのきかない本質的な変化を与えたと考えられることを示します。


「第7章 激動の気候史を生き抜いた人類」
――――
 気候が安定しているときに、農耕をおこなって生産性を高めるか、あえて狩猟採集段階に留まるかは、人口さえ過剰でないなら、突き詰めれば「哲学の問題」に帰着すると述べた。だが気候が不安定な場合には、事態はそれほど牧歌的ではなくなる。来年が今年と似ていることを無意識のうちに期待する農耕社会は、気候が暴れる時代においては明らかに不合理である。
 言い換えるなら、氷期を生き抜いた私たちの遠い祖先は、知恵が足りないせいで農耕を思いつけなかった哀れな原始人などではなかった。彼らはそれが「賢明なことではない」からこそ、氷期が終わるまでは農業に手を付けなかったのだ。
――――
新書版p.200


 地球の運動から生ずる大きなサイクルに加えて、非線形的でカオス的な振る舞いを見せる気候変動。その本質的な予測不能性に、人類はどのようにして対処してきたのか。そして現代の社会は対処できるのだろうか。気象が極めて安定した時期に発達した人類文明は、予測不能かつ極端な気候変動という試練をどう乗り越えてゆけばいいのかを考えます。


 水月湖の湖底掘削から人類レベルの文明論へと駆け上ってゆくドライブ感。泥に刻まれた年縞を数え上げ、花粉サンプルを一つ一つ分析してゆく地道な努力に対する感動。十万年周期の地球の動きが、気候変動を通じて、過去の植生変化を決めていたという驚き。そして、私たちが生きている時代が例外的な気候安定期であり、しかもそれはどうやら終わりつつある(それこそ1年で相転移するかも知れない)という衝撃。

 様々な観点からエキサイティングなサイエンス本です。古気候学の入門書としても、いわゆる「人類の活動が引き起こしている(最近の「緩やかな」)温暖化」とは別スケールで見た激しい気候変動史の解説としても、天体現象と気象と人類史の関係を包括するサイエンス本としても、また『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(中川毅)の続篇としても非常に面白く、広くお勧めしたいと思います。


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『ドラゴンの塔(下) 森の秘密』(ナオミ・ノヴィク、那波かおり:翻訳) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

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故郷にいないと、自分の中身がからっぽになったような気がした。谷を出て山を越えたときから、毎日、故郷をなつかしんだ。根っこ……そう、わたしの心には根っこがある。その根は、穢れと同じくらいしぶとく、あの谷に根を張っている。(中略)なぜ〈ドラゴン〉があの谷から娘を召し上げるのか――それがふいに、わかったような気がした。なぜ、彼はひとりの娘を召し上げるのか、そして、なぜその娘は、十年の月日がたつと、谷から去っていくのか。
――――
単行本p.96


 邪悪な〈森〉に捕らわれていた親友カシアと王妃を救出したアグニシュカ。だがそれは狡猾な罠だった。人の悪意を操る〈森〉の策略により崩壊してゆく王国。アグニシュカたちが立てこもる〈塔〉は軍に包囲され、ついに武力と武力、魔法と魔法が激突する壮絶な攻城戦が始まる。『テメレア戦記』の著者による冒険ファンタジー長篇、その下巻。単行本(静山社)出版は2016年12月です。


――――
「〈森〉をあやつるやつは、愚かで猛々しいけだものとはちがう。そいつは目的のために思考し、計画し、行動する。そいつには人の心のなかが見えるんだ。そして、心に毒をたらしこむ」
――――
単行本p.120


 いよいよ〈森〉の秘密が明らかになる下巻。ちなみに上巻については昨日の日記を参照してください。


  2017年04月12日の日記
  『ドラゴンの塔(上) 魔女の娘』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-04-12


 〈森〉との闘いで善戦したアグニシュカ。だが、それもすべては〈森〉の策略だった。隣国との緊張関係、王国内部の政治力学、アグニシュカという異物。すべてを利用した狡猾な人心操作により、〈森〉は王国を崩壊へと導いてゆく。


――――
「あんなところに足を踏み入れちゃいけなかったんだ。踏みこんだうえに、兵はさらに進軍をつづけ、領土を広げ、木々を切り倒し、ついには〈森〉をふたたび目覚めさせてしまった。この先どうなるのかは、だれにもわからない」
(中略)
「そうよね、たぶん、あんな土地に住みついちゃいけなかったのよ。でも、もう手遅れだわ。〈森〉はわたしたちを放してくれない。わたしたちを逃がそうとしない。わたしたちを食い尽くし、むさぼり尽くしたいんだわ。だから、〈森〉に呑みこまれたが最後、戻ってはこられない。もう、やめさせなきゃ、そんなこと。逃げるんじゃなくて、やめさせなきゃ」
――――
単行本p.95、97


 アグニシュカと大魔術師〈ドラゴン〉ことサルカンがたてこもる〈塔〉を取り囲む数千の大軍。そして、武力と武力、魔法と魔法が激突する壮絶な攻城戦が始まる。どちらが勝利しても、疲弊した王国を〈森〉が取り込むだけ。分かっていながら、誰にも止められない戦争。

 まさに四面楚歌。ついに塔の大門が打ち破られ、敵兵がなだれ込んでくる。地下に逃げ込んだアグニシュカはサルカンと共に最後の魔法に挑む。奇跡は再び起きるのか。


――――
魔法書はすでに彼の手もとにない。『ルーツの召喚術』は消えてしまった。呪文を終わらせることはできないし、彼の力が尽きてしまったらきっと……。
 わたしは深く息をつき、サルカンの指に自分の指をからめて、呪文に合流した。彼はすぐには受け入れなかった。わたしは声をひそめ、息をはずませながら、自分の感じるままに歌った。もう地図はない。言葉も憶えていない。でも、わたしたちは、これをやり遂げたことがある。どこに向かうのか、なにを立ちあげるのか、それを憶えている。
――――
単行本p.257


 姿をあらわす〈森〉の正体。力でも魔法でも滅ぼすことの出来ない敵。その圧倒的なまでの悲しみと憎しみの理由を知ったアグニシュカには、はたして何が出来るのだろうか。


――――
 わたしは土山からおりて、池の底に広がる石を踏みながら〈森〉の女王に近づいた。女王が怒りをたぎらせてわたしに向かってくる。「アグニシュカ!」サルカンがしわがれた声で叫び、這いあがる樹皮と戦いながら、わたしのほうに片腕を伸ばした。わたしに近づいてくる〈森〉の女王の動きがしだいにゆっくりになり、止まった。召喚術の光が彼女を背後から照らし出す。女王のなかのすさまじい穢れが、長い歳月をかけて絶望がつくった苦渋の黒い雲が、召喚術の光に浮かびあがった。でも、光は彼女だけでなく、わたしの体も照らし、そして透過した。〈森〉の女王には、わたしの顔の奥に、彼女を見つけ返すほかのだれかが見えていたはずだ。
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単行本p.322


 理解と共感はヘイトを乗り越え共存への道を見つけることが出来るのか。西洋ファンタジーとして始まった物語は、現代の世界が抱えている課題へとストレートにつながり、やがて東欧民話の世界へと静かに回帰してゆきます。

 というわけで、魔法、東欧民話、師弟ドラマ、ロマンス、宮廷政治、戦争、さまざまな要素が絶妙なバランスで配置された、誰もがわくわくしながら読めるファンタジー長篇です。『テメレア戦記』が好きな方にはもちろん、物語の魅力でぐいぐい引っ張ってゆくファンタジー作品が好きな方に広くお勧めします。



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