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『鳥肌が』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 これまでの自分の人生に本当の苦しみはなかったと思う。ただ、幻に怯えていただけだ。私の人生を四文字で表すならびくびくだ。最後の日に叫びそうだ。いったい何をびびってたんだ。今まで何をやってたんだ。どうせ死ぬのに。今日死ぬのに。なんなんだ。と。おそろしい。本書には、そんなびくびくのあれこれを書いてみた。
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単行本p.247


 ほのぼのした光景を見ると悪いことの前兆ではと怯え、母の愛情を知るとその執着心に鳥肌を立てる。暴走気味の想像力もてあまし、ちょっと他人に伝わりにくい怯えを世界と短歌から受けとってやまない歌人によるびくびくエッセイ集。単行本(PHP研究所)出版は2016年7月、Kindle版配信は2017年3月です。


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 苦しみとおそれは違う、と思う。苦しみには実体があるがおそれにはない。おそれは幻。ならば、おそれる必要などないではないか。おそれてもおそれなくても、苦しむ時はどうせ苦しむんだから、その時に初めて苦しめばいい。(中略)と思うけど、できない。どうしても、その手前でびびって消耗してしまう。
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単行本p.247


 「昔からこわがりだった」という歌人がどのように自分が怯えているかを語るエッセイ集です。そんなに何が怖いのかというと。


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 例えば、私は小さな子供と大きな犬が遊んでいるのをみるのがこわい。これはTさんにも通じなかった。和気藹々とした光景のどこがこわいの、と怪訝そうだ。
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単行本p.10


 Tさんというのは「駅のホームでは絶対に最前列に立たない」「先頭車両は危険なので乗らない」といった具合に常に危険を先回りして想像しては怯えている人なのですが、その人をして怪訝そうな顔をされるほどの、こわがり。ほのぼのした光景は、その直後に迫る惨劇を暗示しているようで怖い、というのです。

 あるいは、知人の女性が何気なく話してくれた母親のちょっと面白い発言。


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 彼女が五十代になった或る日のこと。何かの拍子に、八十代のお母さんが独り言のようにこう呟いたという。

  「Fちゃんが死ぬのを見届けてからじゃないと、私も死ねない」

 鳥肌が立った。Fさん本人はどう思ったのだろう。そんなの可笑しいよねえ、と笑っていたけれど。
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単行本p.16


 本人が明るく笑っているエピソードに、鳥肌を立てる著者。「常識を超越する発言」「究極の母性愛が生んだ言葉がこれか」などとすくみ上がるのです。どんどん自分を追い込んで怯え増量してゆくタイプ。


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特定の局面で、何かをする自由を与えられた時、その可能性に対してどんな反応をするのか、自分でも確信がもてないのだ。表現ジャンルとしての演劇や生物としての赤ん坊があまりにも無防備であることが、不安に拍車をかける。
 その瞬間、今までに一度も現れたことのない未知の自分が出現しないとは限らない。自分の中に「赤ちゃんを手渡されると窓からぽいっと捨てちゃうフラグ」が立っていたことを、その場で知るのはあまりにもおそろしい。
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単行本p.21


 舞台を観ると「自分が何かやらかして劇を台無しにしてしまうのではないか」と想像し、赤ちゃんを手渡されそうになると「自分はいきなり窓から放り投げてしまうのではないか」と不安になる。自分の中に眠っている未知のフラグが作動する可能性が怖い。

 「今、自分は何か運命の分岐点にいるんじゃないか」と思う瞬間が怖い。黙っている他人が何を考えているのか分からないのが怖い。親しい人が突如として未知の側面をさらけ出すことを想像すると怖い。自分以外の全員が実は自分とは異なる別の何かだったと気づくことを想像すると怖い。食品の原材料表示が怖い。親心が、ロマンスが、人の思いを込めたものが、どれも現実の姿をさらけ出す瞬間が怖い。

 というか、怖くないものがあるのかそもそも。

 そのうち想像力の暴走による怖さだけでなく、知人から聞いた体験が語られるようになると、共感できる怖さが増えてゆきます。


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女性の友人からきいた話によると、或る日、彼女が目を覚ましたら、部屋の中にふわふわとシャボン玉が浮かんでいたそうだ。空っぽだった筈の金魚の餌がいつのまにか増えていたこともあるという。ちなみに彼女は独り暮らしである。
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単行本p.150


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友人(女)の話

 弟の部屋で大量のエロ本とエロDVDを発見してしまった。最初は、しょうがないなあ、と思っただけだったが、よく見たら、その全てが「姉弟モノ」で鳥肌が立った。
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単行本p.155


 そして、ご本人の体験談へと。


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鹿? 迷い出て轢かれてしまったのか。でも、ここはそんな場所ではない。都内の大きな道なのだ。それには脚がなかった。だから下半分が路面に埋まっているように見えた。
 一体何だったんだろう。気になって、もやもやする。でも、友達は前を向いたまま何も云わない。なんとなく口を開くのがためらわれた。そのまま、十分ほど走った時、不意に彼が云った。

  「さっき、変なものが落ちてなかった?」

 さり気ない口調。でも、私にはわかった。彼も同じものを見たのだ。角の生えた動物の上半分。(中略)

  「うん。鹿みたいなものが半分くらい、落ちてたね」

 私はそう答えた。それきり、二人とも黙った。あれは何だったのか。下半分はどこにいったんだろう。今考えても不思議だ。
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単行本p.92


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 そういえば、道の上に自転車のベルが幾つも落ちていたこともある。点々と十個くらい散らばっていた。最初は何かわからず、覗き込んでしまった。ベル、ベル、ベル、ベルだ。どうしてそんなことが起こるのだろう。
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単行本p.104


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「住んでいた順番に、それぞれの部屋の間取り図を書いて下さい」と云われて、思い出しながら書いてみた。
 その結果、奇妙なことがわかった。高校生くらいまでに住んだ家の間取り図に、ことごとく風呂がなかったのだ。もちろん、実際にはどの家にも風呂はあった。だが、その場所を思い出すことができない。何故か風呂の位置だけがすっぽりと記憶から抜け落ちている。
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単行本p.175


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 数日間、異音に悩まされていたことがあった。がさがさがさがさ、変な音が右の耳から聞こえてくる。いくら耳かきをしても治らない。覗いてもらったけど、特に異常は見当たらないようだ。でも、音は止まない。やはり耳自体の問題か。病院に行くしかないか。と思いつつ、ぐずぐずしていた。
 そんな或る日、なんとなく耳に指を入れたら、するすると髪の毛が出てきた。しかも長い。えっ、と思う。私のよりも妻のよりも、ずっと長いのだ。
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単行本p.204


 というわけで、著者の「こわがり」の極端さにちょっと呆れながら読んでいるうちに、次第に想像力が生み出す怖さを同じように体験させられてしまう。微妙な怖さを含む短歌の鑑賞ガイドとして、著者お得意の「だめ自分エッセイ」として、じわじわくる実話系怪談集として、様々に楽しめる一冊です。



タグ:穂村弘
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