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『いつかモンゴリと眠る』(東京ELECTROCK STAIRS、KENTARO!!、高橋萌登) [ダンス]

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「全員帰るまでやってやる」(KENTARO!!)
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 2017年2月19日は夫婦で駒場アゴラ劇場に行ってKENTARO!!率いる東京ELECTROCK STAIRSの公演を鑑賞しました。KENTARO!!を含む三名で踊る70分の舞台です。

[キャスト他]

振付・音楽: KENTARO!!
出演: 横山彰乃、高橋萌登、KENTARO!!

 はじめて観た東京ELECTROCK STAIRSの公演は、2012年05月に駒場アゴラ劇場で観た『最後にあう、ブルー』でした。それから5年近くたって、ついに再びここで彼らのダンスを観ることが出来て感無量です。

 三名で踊る公演ですが、全員オーバーオールに前髪ぱっつん。揃えてきたのに驚きました。気合はいってるなあ。個人的には、高橋萌登さんのショートヘアが印象的でした。

 全員でがんがん踊ったり、誰かがソロでひゅぱひゅぱ踊ったり、二人で踊っている間に残り一名が所在なさげに座っていたりと、とにかく常に誰かが踊っている状態。まず体力的に大変だろうと、思わず同情してしまいます。

 個々人の断片的な動きが徐々につながって、次第にダンスめいてくる振付は素敵。随所で使われる言葉(発話)も効果的で、全力で踊るシーンは文句なしにカッコイイ。横山彰乃さんも高橋萌登さんもきっちり踊ってくれましたが、何といっても驚かされたのはKENTARO!!さんのダンス。

 何しろ動きが読めない。力が入ってないように見える身体が柔軟にふらふらと動くのですが、動きがいつも観客の予想をこまめに裏切るというか、目の前で踊っているのに全体像がつかめないというか、何だこれ状態。それでいて無性に気持ちいいという。ヒップホップとかストリートとかもうそんなの関係なく、これは狐狸妖怪の幻惑舞踊ではないか。

 それを横山彰乃さんの迫力あるパワフルなダンスと、高橋萌登さんの素早い切れ味のダンスが支えるという、絶妙なバランス感が巧み。5年前と比べると、各人のダンスも、作品としての構成も、段違いに良くなっているように感じました。これからの公演にも期待したい。



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『七月のひと房』(井坂洋子) [読書(小説・詩)]

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露草の青い花冠にスズメ蜂が一匹
日課のように渡ってくるが
あの針ほどの空間に 圧縮されて
原宇宙は入っている
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『わたしに祝福を』より


 無からやってきた億万の/偶発の色/たくらみの色。輝きと激しさをはらむあらゆる色彩が紙面に浮かび上がる生彩詩集。単行本(栗売社)出版は2017年1月です。


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花は長い間忘れていたことをふと思いだして咲く
忘れてしまうと咲かないという
それが何であったか
花の色は告げているかもしれないが
解読できない
さまざまな色合いをただうつくしい調和と思うだけだ
無からやってきた億万の
偶発の色
たくらみの色か
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『未遂産』より


 読んでいて、紙面から浮き上がってくるようなその色彩に圧倒されます。文字の連なりから様々な色がそれぞれのちからを持って立ち上がる。刹那の赤、永遠の青。


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壮大な夕日が
巨人がゆっくり倒れていくように沈む
それから
巨人が目を開き
あたりが赤く染まる
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『空の鏡』より


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遠い島影があおくかすみ
海鳥が灰色の羽をたたんで
透明な入り江に浮かぶ
束の間の午睡
水平線が子どものかいた絵のように一本空色だ
こんなところにいられない、と娘は
きりきりと出ていった
それをぼんやり見ているのは
木立に囲まれた丘の上の
くずれかけた墓石
走り続けた時間の 四角い顔
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『意地悪な春』より


 そして黄や緑のイメージが、活き活きと広がってゆきます。


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クリーム色のつる薔薇の上に黄蝶がとび
一瞬ごと忘れ果てる 空の頭を
うれしそうにはためかせている
放縦というものは
罪がない
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『誕生は偶会』より


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いつも思うことだが
バスに揺られるいくつかの頭と
里芋の葉は 音符のようだ
根と切り離されて
リズムをとっている
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『七月のひと房』より


 黄は一文字だけ、緑にいたってはまったく明示されていないのに、それぞれの色が鮮やかに「見える」のは、いったいどういうことなのでしょうか。そして、無彩色のちから。


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オレンジや巨峰やリンゴ、銀河系の惑星同士の軌道のサイクルか
ら、はぐれた星々が落下し、素焼きの皿に積まれている。それら
を描いた静物画を、隅々まですべて白く塗りつぶす無名の女性画
家のその作品は、ありふれた海岸の白浜から水が引いて、二度と
打ち寄せることなく、浜のみが白濁している。
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『やわらかな手』より


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黒いマドンナ像
と癌
老いたからだの中に
育つ
ふたつの黒への信仰

黒こそ ゆきつく色であり
闇にまぎれぬ黒が点在している
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『薄は光らない』より


 様々な色が虹のスペクトルとなって、ふたたび刹那と永遠を彩ります。


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向こうの杉の木から
蜘蛛のながい糸が渡される
雨にもめげず 虹色に光る 一撃を溜めている
エモノを狙う罠は美しい
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『シー ウォズ ベルベット』より


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丸い橋の上の街灯のつらなり
背後の森が黄緑の手を伸ばす
ほんとうの
彼ら自身は色をもたない
橋にたたずむ黒猫の
長い毛足にも光があたり
闇の奥にたくさんの小さな虹ができる
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『旅だてば』より


 色の美しさ激しさ、それを短い文字だけで喚起させる言葉の力。まるで絵画を見るような色彩感あふれる詩集です。



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『造りの強い傘』(奥村晃作) [読書(小説・詩)]


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些事詠んで確かなワザが伴えばそれでいいんだ短歌と言うは
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ホームランそれも場外ホームランのようなドデカイ歌が詠みたい
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万葉の蟹が哀しくうたう歌 万葉人も蟹を食ってた
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所得税累進課税の最高が七〇%の時代があった
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正面から見るとやっぱし違うわな一味違うシェパードの顔
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 特に何ということもない当たり前のことをあえて詠む「ただごと歌」の第一人者による、ただごと歌集。単行本(青磁社)出版は2014年9月です。


『桜前線開架宣言』(山田航)より
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 現代短歌の中には「ただごと歌」と称されるジャンルがあって、特に何ということもない当たり前のことを短歌にしてしまうというものである。奥村晃作という1936年生まれの歌人が主な標榜者で、橘曙覧など江戸時代に生きた歌人たちの伝統を受け継いだものと主張している。
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単行本p.10


 だから何? という反応を気にするそぶりも見せず、あえて詠む。「ただごと歌」の妙味を味わうことが出来る歌集です。

 わざわざ五七五七七で表現するまでもなく、日記かブログに書いときゃいいじゃん、というような「ただごと」をあえて短歌にする、その「あえて短歌にした」というところに、その心意気のようなものに、何だかメタな抒情を感じます。


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所得税累進課税の最高が七〇%の時代があった
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信号の〈緑の人〉は自らは歩かず人を歩き出させる
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放置せしわが自転車を請け出しぬ四千円を区に支払って
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参加した皆が失格するなんて それってないよね今年のSASUKE
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 「ただごと」のなかには、ふと気づいた「発見」というべきものも。


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綱引きの綱作る人居るわけで年間なん本作るのだろう
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屋根の上のテレビアンテナ眺めつつ大変だなあ電気屋さんも
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万葉の蟹が哀しくうたう歌 万葉人も蟹を食ってた
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正面から見るとやっぱし違うわな一味違うシェパードの顔
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 「いいね」狙いでツィートすりゃいいじゃん、というような発見が多いのですが、それでも「万葉人も蟹を食ってた」とか「正面から見るとやっぱし違うわな一味違う」とか、不思議と心に残ります。

 個人的に気に入ったのは、夏を詠んだ作品。


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局地的豪雨頻発、激烈な竜巻二回、猛暑日続く
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リモコンのボッチを指で押すだけで部屋はたちまち涼しくなりぬ
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クーラーがサーモスタットが働いて夜通し二十七度を保つ
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熱帯夜なれども器機が作動して朝まで眠る 器機よありがとう
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近頃のキュウリ形は良いけれど切ってるときの匂いが薄い
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 やたら「クーラーって涼しくていいよね」と感動しているのが妙に可笑しい。他に、「食べる」という行為を身も蓋もなく表現した作品にも心惹かれます。


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竹串を尾から突き刺しまだ動く海老に塩振りバーナーで焼く
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トゲいまだ動くウニの身スプーンですくい食うなり、五〇〇円なり
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生卵肉に掻き混ぜ紅ショウガ添えて吉野屋の牛丼を食う
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 そして、歌人としての素直なつぶやきを「ただごと」として提示する作品。


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帯・カバー外し〈新刊歌集〉読む二度目はうしろの頁から読む
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ホームランそれも場外ホームランのようなドデカイ歌が詠みたい
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些事詠んで確かなワザが伴えばそれでいいんだ短歌と言うは
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 「些事や日常生活のなかに見つける非日常的な瞬間」を見つけるのも詩歌なら、そんなもの見つけないぞ吉野屋の牛丼くうぞ卵もかけるぞというかたくなさもまた詩歌に成り得る。詩歌の広がりと可能性を感じさせる「ただごと」歌集です。



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『SFが読みたい! 2017年版』 [読書(SF)]

 今年もやってきました、昨年のベストSF発表。今回も、自分がどれだけ読んでいたか確認してみました。2016年におけるSF読書の結果です。ちなみに、今回から国内篇、海外篇とも上位30冊がリスト化されています。

 国内篇ベスト30のうち読んでいたのは6冊、海外篇ベスト30のうち読んでいたのは8冊。総計して、2016年のベストSF60冊のうち14冊しか読んでいませんでした。ヒット率23パーセント。これは過去最低の成果なので、今年はもう少し真面目にSFしたいと思います。いや、まじでやばい。

 ベストSFまわりの記事以外では、「上田早夕里全作品解題」(渡邉利道)が凄かった。文字通り上田早夕里さんの全作品についての紹介で、これから読もうと思っている方のための読書ガイドとして最適。他に、宮内悠介さんや伊藤典夫さんへのインタビュー記事など。

 恒例のサブジャンル別ベスト10&総括では「クラシックSF」が新設されており、昨年に出版された古典SFの新訳版などの総括が行われています。何しろ、昨年の新刊というのが、エリスン、ティプトリー、ヴァンス、スラデック、バラード、ケイト・ウィルヘルム、ヴァーリィ、コードウェイナー・スミス、ベイリー、ハーバート。『人類補完機構』に『デューン』ですからね。「今は一体何年だよって話ですね」(「SFが読みたい!の早川さん」より)

 あと、表紙の「好きなものに順位をつけるなんてくだらんと思います」にはインパクトがありました。SFマガジン2016年12月号表紙の「それを12月に教えられても!!」に続く自分ツッコミのネタですが、この路線はここまでにしておいた方がいいのではないか。

 参考までに、ベストSF2016のうち私が読んでいた作品について、読了後に書いた紹介をリストアップしておきます。これから読もうかと思っている方に参考になれば幸いです。


2016年10月06日の日記
『夢みる葦笛』(上田早夕里)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-10-06


2016年09月27日の日記
『スペース金融道』(宮内悠介)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-09-27


2016年06月13日の日記
『彼女がエスパーだったころ』(宮内悠介)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-06-13


2016年07月12日の日記
『アステロイド・ツリーの彼方へ 年刊日本SF傑作選』(大森望、日下三蔵:編集)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-07-12


2016年03月31日の日記
『アメリカ最後の実験』(宮内悠介)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-03-31


2017年01月23日の日記
『ヴィジョンズ』(大森望:編集)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-01-23


2016年12月05日の日記
『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』(ピーター・トライアス)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-12-05


2016年02月25日の日記
『叛逆航路』(アン・レッキー)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-02-25


2016年05月17日の日記
『あまたの星、宝冠のごとく』(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-05-17


2016年02月10日の日記
『ガンメタル・ゴースト』(ガレス・L・パウエル)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-02-10


2016年09月08日の日記
『蒲公英王朝記 巻ノ一 諸王の誉れ』(ケン・リュウ)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-09-08


2016年09月12日の日記
『蒲公英王朝記 巻ノ二 囚われの王狼』(ケン・リュウ)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-09-12


2016年04月21日の日記
『ラグランジュ・ミッション』(ジェイムズ・L・キャンビアス)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-04-21


2016年04月26日の日記
『ロックイン -統合捜査-』(ジョン・スコルジー)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-04-26


2015年12月11日の日記
『世界の誕生日』(アーシュラ・K・ル=グィン)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-12-11



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『人間性剥奪』(両角長彦) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]


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「私も職業柄、人間と呼ぶには首をかしげざるを得ないような人たちを大勢この目で見てきました。しかしその誰も、あなたには及ばない。まるで人間性をそっくり誰かの手で剥ぎ取られたかのようだ」
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単行本p.257


 中学校の教室内で起きた凄惨な無差別毒殺事件。だが事件が起きる前から、その教室では何かが進行していた。やがて皮肉にも「人間性」を名乗る犯人が、大規模テロの犯行予告を送りつけてくる。テロを防ぐためなら、未成年者をマスコミの餌食にするような非道も許されるのだろうか。『ラガド 煉獄の教室』でデビューした著者が、ポスト真実の時代に合わせ再び煉獄の教室に挑むサスペンスミステリ。単行本(光文社)出版は2016年6月です。


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「破壊願望、テロ願望は、程度の差こそあれ、誰でも持っているものさ。人間であればな。そう、人間だけが、いま自分の住んでいる世界を破壊したいという願望を持っているんだ。これは他のどの動物にも見られない、人間だけの特性だ」
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単行本p.138


 中学校で発生した無差別毒殺事件。給食に毒物が投入されたのは教室内の可能性が高い。捜査を開始した警察は、その教室では事件前から何か異常な事態が進行していたことに気づく。生徒も、教師も、それぞれ何かを隠している。だが、その実態を解明することは極めて困難だった。


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 学校の教室の実態というものを知ることはきわめてむずかしい。過去、日本各地の学校で事件が起きるたびに、警察は生徒や教師に対して聴取をおこなってきたが、成功した例は皆無と言ってよい。それほど教室というのは閉鎖的であり、外部からはうかがい知ることのできない空間なのだ。
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単行本p.77


 やがて「人間性」を名乗る犯人から、大規模テロと思われる「最終行動」の犯行予告が送りつけられてくる。「最終行動」を中止してほしければ、教室内で行われていたことの首謀者をマスコミの前で公開謝罪させろ、というのだ。


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〈人間性〉は逮捕されない。『最終行動』は予告通り実行される。これが、かなりの確率で現実になるであろうシナリオです。すでに、都内から地方へ脱出する人が続出してるんですよ。『最終行動』が起こるのが都内だと決まったわけじゃないのに。
 みんな不安なんです。〈人間性〉がどこにいるのか、何をしようとしているのか、わからないからです。『わからない』ほどこわいものはありません。
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単行本p.162


 しかし、仮にその子が例えば「いじめ」の首謀者だったとしても、未成年者をテレビ出演させ公衆の面前で謝罪させる、などといった非道が許されるだろうか。逆に、もしも謝罪しないまま実際に「最終行動」が起きて犠牲者が多数でたとしたら、生徒や学校にどれほどの非難が集中することか。

 迫るタイムリミットのなか、必死で「人間性」を探す警察。「人間性」はどこにいるのか。いや、そもそも「人間性」など本当にあるのだろうか。私たちに。


 というわけで、中学校の教室内における「支配構造」のようなものが、社会全体にパニックを引き起こすサスペンスミステリです。事件の舞台、展開、登場人物の配置など、明らかにデビュー作『ラガド 煉獄の教室』を意識した作りになっており、真相や犯人の最後のセリフも含め「ポスト真実」時代に合わせてリニューアルした『ラガド』という印象を受けます。



タグ:両角長彦
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