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『白痴』(勅使川原三郎、佐東利穂子、鰐川枝里) [ダンス]

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なんと豊かな仕事をしているのだろうと私は驚きました。
私たちにしか実現できない作品、ここにしか存在しないダンスを作ることが、
私がやりたい仕事でありますが、本作は正にそれだという実感がありました。
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公演パンフレットより(文:勅使川原三郎)


 2016年12月18日は夫婦でシアターχに行って勅使川原三郎さんの新作公演を鑑賞しました。ドストエフスキーの長篇小説にもとづく1時間の舞台です。

 原作のストーリーを追うわけではなく、ムイシュキン公爵やナスターシャの人物像と、その運命をダンスで表現してゆきます。佐東利穂子さんの優雅ではかないダンス、勅使川原三郎さんのどこか心ここにあらずな浮遊感のある不思議なダンス、どちらも強い印象を残します。ただ「てんかん発作」のダンスは、うちの猫がてんかんの持病を持っていることもあって、個人的に辛いものがありましたが。

 舞台装置はなく、魔法のような照明効果だけで夢幻がそこに立ち現れてくる様は衝撃的。ちらちらと炎のようにゆらぐ照明効果のせいで人物の輪郭をうまく見定めることができず、まるでぼんやりと滲む幻のように見えるのです。

 1時間の公演ですが、勅使川原三郎さんはほとんど出ずっぱりという印象。ずっと踊っていて、ときどき佐東利穂子さんが現れてはしばらく踊って消える、するとまた勅使川原三郎さんが踊りだす。凄いダンスをたっぷり観ることが出来て観客としては嬉しい反面、ご本人の体力が心配になってくるほど。

 鰐川枝里さんのソロダンス公演を見逃してしまったもので、ここで彼女のダンスが観られるかと期待していたのですが、登場シーンはごくわずか。ネズミの格好で暗闇から暗闇へとちょろちょろ走るだけの役だったので、そこはちょっと残念です。



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『ノイズの海』(南村千里) [ダンス]


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きこえない人が、どのように世界を認識しているのか、きこえる側は考えて想像するしかない。同様にきこえない人も、音とは何か、音楽とは何かを考え、想像している。
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南村千里さんインタビューより(文:乗越たかお)


 2016年12月17日は、夫婦であうるすぽっとに行って南村千里の新作公演を鑑賞しました。六名の出演者とテクノロジーの協業により、聴覚と視覚の境界を、耳の聞こえない人とそうでない人の境界を、それぞれ破ってゆく80分の舞台です。


[キャスト他]

振付: 南村千里
出演: 紅日毬子、菊沢将憲、酒井郁、田上和佳奈、南雲麻衣、望月崇博


 「音(ノイズ)を聞く」という体験を、耳の聞こえない人に振動や視覚効果を使って疑似体験させる、と同時に、耳の聞こえる人にはその疑似体験を想像させる、そんな作品です。

 基本となるのは音の視覚化。例えば舞台背景に投影されている幾何学模様は、舞台上で発生する音や振動とシンクロしてゆがみ(リアルタイム処理かどうかはよく分かりませんでした)、ノイズに合わせてさざ波のようなグリッチが走ったりします。

 スピーカーから大音量で流れる心臓の鼓動音は、振動となって客席を駆け抜け、同時に舞台上に吊るされた赤い提灯(じゃなくてたぶん心臓)が同期してちらちら明るさを変えます。

 ときに出演者が手にする2メートルくらいの長い蛍光管は、動きと振動に反応する仕掛けになっているようで、床を突くと光ったり、ネオンサインのように光点が流れたり、スターウォーズごっこのように光の軌跡を残して動いたり。

 耳の聞こえない出演者と耳の聞こえる出演者の対話がはさみこまれ、後者が前者に「ドップラー効果の体験」を伝えようと苦心したり、逆に前者が後者に「明るい光は大音量ノイズと同じ」苦痛に感じられるということを伝えようと苦心するなど、両者の相互理解の試みを見せます。

 ダンスも「どんっ」と音を立てて床を踏む動作が多く、出演者の間で動き出しのタイミングをとると共に、観客に振動を感じ取らせて、耳の聞こえない人が「どのように舞台を観ているか/体験しているか」を想像させます。聴覚ノイズと視覚ノイズに包み込まれるような共通体験をさせるクライマックスには鳥肌が立ちました。

 ただ、身体の動きそのものからはあまりときめきが感じられず、そこは残念でした。共感覚的に音が聞こえてくるダンスだったら凄いだろうなーと思いました。



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『うみのはなし』(橘上) [読書(小説・詩)]


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ひろこちゃんは帰り道の路地裏で
よく死んでいた
死んでいるひろこちゃんはとても
あざやかないろだった

ひろこちゃん
ひろこちゃん
ひろこちゃんはきれいだな
ばくはつしてもきっときれいだよ
だからべつにばくししてくれてもいいよ
ひろこちゃん
ばくししてもたえずひろこちゃんだよ
ばくはつしたひろこちゃんのばくはつを
ぼくはきれいだとおもうから
あんしんして
ばくはつしてくれひろこちゃん
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『ひろこちゃん』より


 思いがけない言葉の並びがこじれたユーモアをかもしつつ青春の気恥ずかしさをりろーどしてしまう照れくさ詩集。単行本出版は2016年11月です。


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春で、その日はどうしようもなく春で
その日が春であるということに対しての自分の無力が嬉しい
僕の読んだ本の量が本棚の積載量を超えたとき
もう僕には失うものがなかった
人生とは一生をかけて失うものを手に入れて命と共に失うことだ
そう言わなかった彼は、結局僕の親友にはならなかった
僕のしらない所で、そう言ったのかもしれないが
僕は人生を語れるほど、ブタの一生に精通していない。
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『シャチの右目』より


 定型的文章や、類型的な表現を、少しずらしてみる。そこから生ずるひねくれた笑いがむっちゃ印象的な作品が並んでいます。


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椿のおいしい季節になってきました。先生お元気ですか?
僕は右肩の脇腹化が進んで少し苦しいです。
(中略)
あれからもう二年と三か月経つんですね。
今でこそ生まれたてのぼくですが、当時僕は一番搾りと呼ばれるほどの甲斐性なしのうら若き乙女でした。
先生は道に迷っていた僕に、優しく縄文時代の生活について教えてくれました。左利きを装って。
あの時の思い出のボールは今でも大切にとってあります。
先生知ってますか? 事務員って殴ると怒るんですよ。
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『さよならニセ中野先生』より


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先生は不潔です。
でも不潔なところがいいと思います。
不潔じゃなければもっといいと思います。
不潔な先生がニセモノで本当によかったと思います。
でも不潔じゃない先生もニセモノなので、それはとても残念です。
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『さよならニセ中野先生』より


 全体的に、青春の淡い思い出というか、異性を意識しはじめた頃の気恥ずかしさを思い出させる感じが、ちょっとくすぐったい。


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真田さんは気持ちの悪い人だ
一言で言えば、ぐちゃぐちゃしている
それも2Bの鉛筆で描かれたぐちゃぐちゃだ
ひどくゴミっぽい
実際僕は真田さんをゴミに間違えて捨てたことがある
一度だけでなく、二度も三度も
一、二度目は「あ、ごめん」と言ったら
「慣れているから平気よ」と言ってくれたが
三度目はごめんだけでは済まされず
「三度も同じ人に捨てられたのは初めてよ」
と食って掛かられ、いろいろと弁解しているうちに、真田さんと話すようになった
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『2B』より


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桜沢さんは顔に大きな穴が開いていた
目や口や鼻があるはずのところに
風通しのいい穴が広がっているのだ
(中略)
いつものように
桜沢さんとシャープペンシルをそばつゆで洗う遊びをしていると
桜沢さんは不意に僕の手を握り
こう言ってきた
「どうして私の目を見て話してくれないの?」
僕は何を言うべきかわからず
黙りこくってしまった
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『目』より


 「同じ人に捨てられたのは初めてよ」とか「どうして私の目を見て話してくれないの?」とか、いかにもありがちなセリフでおちゃらけてるようでいて、何だか妙にドキドキしてしまうこの胸のときめきは何。


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かなえないで、かなえないで、かなうから
ほしをみて、ぼくをみて、ぼくをみて、ほしをみて
ぼくをみないで、ほしをみて、ほしをみないで、ぼくをみて、
ほしをみないで、ぼくをみないで、みてよ ほしを
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『DREAMS COME TRUE』より


 『YES(or YES)』でも印象的だった、ひらがなの氾濫。要所要所で活躍。意外に叙情的な気分にひたって、うっかりすると涙ぐんでしまったり。最後までどこか照れくささが胸に染みる詩集です。



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『珍妙な峠』(町田康) [読書(小説・詩)]


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 世の中の人はいけてる感じの仕事で何億も稼ぎ、十代の娘が歌い踊ってそれを盛り上げている。みんな軽い鞄を持って軽やかに飛翔している。
 なのに俺だけが不当に重い、手首がもげそうな、肩から腕が抜けそうな鞄を持って重苦しく地べたを這いずり回っている。奈落にめり込んでいっているような気すらする。こんなだったらいっそのこと腕が抜けてしまえば良いのに、と思っている。そしたら片目を潰して白い着物着て、「姓は丹下、名は左膳」と絶叫しながら太刀を振りかざし、総理官邸に突入して射殺されたるのに、なんて思う。というのは、こんなことならいっそうのこと戦争でも始まればよいのに、と思うのと同じ気持ちである。
 しかし、戦争もおこらなければ腕ももげず、俺はずっと重い荷物を持ち続けて頭脳が痺れていて、なんだかもう、自棄、みたいな感じで、「俺の文学になんぼの価値があるかは知らん。ただ、もうこれ以上、重い思いをするのは嫌だ。人並みに大手を振って歩きたい」そんなことが切れ切れに頭に浮かんで、それで気がつくと、カートに追加、と書いてあるボタンをクリック押ししてしまっていたのである。
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単行本p.8


 シリーズ“町田康を読む!”第55回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、消費社会における正気の渡世の難しさを語りつつバイ貝から宿屋めぐりをへてリフォームの爆発にまで至ってしまう長篇小説。単行本(双葉社)出版は2016年11月です。


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俺の小説は、特定の感受性の持ち主にしか受けぬ、という困った性質があり、そう売れるものではなく、時給に換算すると最低賃金にも満たぬ銭しか貰えぬのである。
 そんなだったら苦労して小説を書くより、もっと爽快な仕事がありそうなもので、にもかかわらず、なぜ小説を書く、みたいな陰気な仕事に従事しているのか、そのこと自体が自分にとってのけっして越えることができない珍妙な峠で、まるで理解できない。
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単行本p.18


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 俺はこれまでなにをしてきたのだろうか。ただただ、珍妙な峠道を歩いてきた。
 俺はこれからどこにいくのだろうか。
 そりゃあ、ずっとここに寝っ転がっている訳にもいかない。傷が治ったらここを出てまた峠道を歩くことになるのだろう。でもさあ、俺はいつまで峠道を歩いているのだろうか。いつか峠を越えて里に町にいたることができるのだろうか。
 どうもできる気がしない。ずっと峠道を歩いているような気がする。そして、峠道で血を吐いて倒れて死ぬるような気がする。
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単行本p.98


 生きていくだけで勝手に溜まりゆく鬱。それを晴らそうとして買い物をすれば、蓄えが乏しくなり、したらば生きてゆくために仕事をしなければならず、そしたら勝手に溜まりゆく鬱。この罠からいったいどうやって抜け出すか。『バイ貝』でもついに結論が出なかったこの現代消費社会が抱える大問題に、新たな視点から取り組む語り手。


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 そこで俺はいろんなことを検討したが、最優先したのは高いのがよいか安いのがよいか、という点である。
 高いものと安いものにはそれぞれの長所と短所があった。高いものは価格が高いという難点があり、安いものには価格が安いという利点があるが、視点を変えると高いものには価格が高いという利点があり、安いものには、それが安物であるという難点があったのである。
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単行本p.29


 ここまで深く考察したにも関わらず、結局は買い物に失敗してしまう語り手。絶望のあまり、とうとうJ-POPを歌う心境に。


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ありのままの自分を認めてあげよう。つまりはJ-POPの精神だ、と悟ったのである。
 自分を信じる、自分を愛する、そして、人と繋がる。信じ合う。助け合う。
 そのうえで、普通に楽天ショップとかでギターを買う。それが、そんななにげない日常が、実は自分にとってもっとも必要なことだったのだ。
(中略)
 ああ、ギターを弾きながら歌ったら自他ともによい気分になると思っていたのに。夢が壊れました。
 悲しい出来事が起きてしまいました。なっじみー、ないまあちー、さすらああってー、みようか。っていうか、いま現在、さすらっている。
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単行本p.39、48


 どこをさすらっているのか。それが珍妙な峠。理も法もなくただひたすらお金とモノに振り回される、そんな渡世の浅ましきバイ貝。

 珍妙な峠を越えて「普通の世界」に帰還し、まっとうに生きる。そのためにあがく語り手は、峠道で暴漢に襲われて怪我をし、宿屋に逗留して傷を癒しつつ、気がつけば宿屋めぐり。

 その後も賃貸部屋で炊飯器を購入して飯を炊いたりホームベーカリーなど購入してパンを焼いたり豪邸に美人嫁と住んでむっさ年収の高い感じの友人たちを招いてホームパーティーを開いたらええよなあと夢想したりしているうちに、何だか人を殺めてしまったりして、ついには四千万円の現金を手に自宅を購入し、リフォームの爆発に至るわけです。そんな渡世の先にあるものとは。


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 この峠を越せば、この峠を越えれば、きっとその先には明るくて自由な世界が開けているに違いない。
 俺はそう信じて苦しい峠道を歩き続ける。というか、俺にはそれしか選択肢がない。なぜなら道は一本道で、そして後戻りしてルート変更するのは絶対に不可能だし、もし可能だったとしてもあの激流を生きて渡れたのはよほどの僥倖であり、もう一度、渡ろうとすれば、流されて溺死するのは確実であったからである。
(中略)
 そう思ったとき、俺の頭のなかにある恐ろしい考えが浮かんだ。それは考えるだに恐ろしいことだった。俺は次のように思ったのだ。
 理と法のある世界など元々なかったのではないか。俺は非道いところから非道いところへ移動しているに過ぎないのではないか。峠道とはその境界の道に過ぎず、この田舎の国道も、あの場末も紛れもない、俺が前に居て、そしていまも居る世界ではないのか。つまり俺が峠より急流に居たり、理と法のある世界に帰還するというのは夢と同じようなものではないのか。
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単行本p.4、208


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五分走ると風景が変わった。それまでは、寂れた観光地、歳をとって爺になってしまった妖精が途中で宅急便が来たため煮込み過ぎてべらべらになったマルチャン正麺を泣きながら食べている、みたいな町だったのが、ぼんやり覇気のない青年とリスカ癖のある暗い目をした少女が、就職もしないまま四十五になって出会い、お互いの考えていることがまったくわからないまま、なぜか男女の関係になって、話すこともないまま、ただ歩き回っている。なにが楽しいのかときどき写真とか撮ってる。みたいなことが似つかわしい町並みに変わった。
(中略)
 道はそして急であった。そして曲がりくねっていた。あの珍妙な峠を車で通ったらこんな感じなのかな、と思い、それからすぐに、いやさ、と思った。
 いやさ、俺は別に珍妙な峠を抜け出した訳じゃない。つまりそう、前の世界に戻った訳じゃない。というか、前の世界なぞ、ははは、ない。
 何度もかみしめた思いがまた頭に浮かんだ。
 いまこそ俺は珍妙な峠にいる。こここそが珍妙な峠なんだ。
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単行本p.233、235


 というわけで、途中ちょっとぐだぐだで疲れるのですが、自宅を購入しようとするあたりから激烈に面白くなってゆき、最後は文章のちからでねじ伏せられる心地好さ。珍妙な峠道を歩くすべての人に。



タグ:町田康
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『居酒屋ぶたぶた』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]


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 みんな、なんてことのない愚痴から、「それをここで言う?」というような悩みまでぶたぶたに話しかける。
 彼はみんなの悩みをまさに「受け流す」という感じで聞いている。そして、「これを食べなさい」とおでん種をおすすめしてくれる。話し終えてそれを食べると、みんななぜか満足そうに帰っていく。
 ぶたぶたは、その人の悩みを解消することはできないけれど、身体と心をおでんであっためる術なら持っているのだ。
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文庫版p.134


 居酒屋店主、バーテンダー、おでん屋のおやじ、ソムリエ。様々な職業に就いている山崎ぶたぶた氏と楽しく食べ、飲み、身も心も暖かく。酒場にまつわる五つの物語を収録した短篇集。文庫版(光文社)出版は2016年12月です。


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 しかし、六花の期待を裏切り、ぬいぐるみはその樽のようなシェーカーを両手(?)で持ち上げ、リズミカルに振り始めた。全身で。
 なんだろうか、この――おもちゃ屋の店先でワンワン震えながら動く犬のおもちゃを見ているような気分は。微笑ましいけれど、どことなく哀愁が漂うような。
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文庫版p.62


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 ワイングラスをのぞきこむような体勢でグラスをつかんだぶたぶたは、そのままワインをぐるぐると揺らし始めた。身体全体を使って。グラスがなかったら、手を前に突き出して腰を回しているようにしか見えない。ちょっと危なっかしくもある。グラスがけっこう動くので、つるっと滑らないか不安だ。
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文庫版p.174


 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。

 今回はお酒を出す店にまつわる話を五篇収録した短篇集です。カクテルを抱えて全身シェイク、グラスに抱きついて腰を振るテイスティング、作中作としてぶたぶたが語る実話系怪談と、見せ場もたっぷり。


[収録作品]

『居酒屋やまざき』
『忘れたい夜』
『悩み事の聞き方』
『珊瑚色の思い出』
『僕の友だち』


『居酒屋やまざき』
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 カウンターから大将の耳が見える。ひらひらしたその耳は右側がそっくり返っていた。たまに鼻の先がもくもく動いているのが見える。
 少しずつ姿を現してはいるが、全貌はまだ未見だ。しかし、やはり公園で見たあのぬいぐるみなんだと思う。
 どうして全貌を明らかにしてくれないのかな? ここにいる客は、みんな知ってるんだろうか。
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文庫版p.26

 近所にある居酒屋「やまざき」はつまみのうまさが絶品。しかも、店主はどうやらぬいぐるみらしい。料理のうまさに何度も通うことになる主人公だが、あるとき子育てに疲弊した妻が発作的に家出してしまう……。料理のうまさの描写が印象的な導入篇。


『忘れたい夜』
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「ぬいぐるみが動いてるみたいに見えるんだけど――」
 あ、気づいてたんだ。なーんだ、残念、と話を続けようとした時、ちょっといたずら心が芽生えた。
 と言っても、
「ぬいぐるみってなんですか?」
 と言っただけなのだが。
 市野は六花の答えに真っ青になった。
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文庫版p.60

 嫌な上司の誘いを断りきれず、銀座のバーに連れてこられた若い娘。明らかに酔い潰してお持ち帰りしようという魂胆見え見えの相手の毒牙から、どうやって逃れるか。しかし、バーテンダーがピンク色のぶたのぬいぐるみだったことから、事態は思わぬ方向に。


『悩み事の聞き方』
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 実は、家にあるぬいぐるみにちょっと話しかけてみたりしたのだ。ぶたぶたに愚痴を言えたら楽になるかしら、と思って。
 でも実際は、全然楽にならなかった。そりゃそうだ。うちにあるぬいぐるみは熊だし、しゃべったりしないし、おでんをよそってもくれない。
――――
文庫版p.121

 失業してうつ状態になった主人公は、気分転換に立ち寄った先でぶたぶたの立ち食いおでん屋を見つける。みんなが酒を飲みながらぶたぶたに悩みや愚痴をこぼし、おいしいおでんを食べて、身も心もあったかくなって帰ってゆく。誰にも悩みを相談できずにいた主人公は、ぬいぐるみになら愚痴を言えるのではないかと期待するが、なかなか勇気が出ない……。


『珊瑚色の思い出』
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 だが、今日あのぬいぐるみの講座を聞いて、奈保子はとてもショックを受けた。なぜ今まではショックを受けなかったんだろう。他の講師も、みんなあんなふうに含蓄があり、多様な内容を話してくれた。
 それは、彼らが人間だったからだ。みんな自分よりも優れている人だから、ああいうふうに立派な話もできて、仕事もたくさんできるのだろう、と納得していた。
 でも、今日の講師はぬいぐるみだった。
 ぬいぐるみが働いているのに、あたしはいったい何をしているんだろう、と思ったのだ。自分はぬいぐるみ以下なのか。ぬいぐるみよりも働けない、役立たずなのか。
 人間なのに――。
――――
文庫版p.156

 一度も就職することなく専業主婦になった主人公は、友人の仕事に感銘を受け、自分も働いてみようと決意する。だがソムリエとして活躍しているぶたぶたと出会って、いきなり落ち込んでしまう。ぶたぶたと出会った反応が「落ち込む」という珍しいパターン。


『僕の友だち』
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 じゃあ、なんでホラーの担当になったのか……やはり容姿か。容姿のせいか!? しゃべるぬいぐるみ自体がホラーだからか!?
(中略)
 なんだかとにかく、ぶたぶたが怖かった。まばたきのない点目で一点をじっと見つめ、ひたすらしゃべり続ける姿が。この狭い飲み屋の照明が薄暗く、時折ゆらつくのがまたいやな感じだった。
――――
文庫版p.196、220

 飲み屋のイベントで、臨場感たっぷりに実話系怪談を語るぶたぶた。どんな話なのか、ぜひお確かめください。ぶたぶたと出会った反応が「怖い」という珍しいパターン。



タグ:矢崎存美
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