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『馬引く男』(カニエ・ナハ) [読書(小説・詩)]


――――
最も古い地獄へと
加害の歴史について
耳があっても、
話に行くために
目が見えても、
誰かに聞くために
今から、そこへ向かう
――――


 読者を迷わせ、彷徨わせる構成の妙。繰り返される悲劇のイメージ。座間、波照間。そして馬。戦争をはじめとする悲劇を前に、言葉の覚悟を言葉にしたような詩集。単行本出版は2016年10月です。


――――
人類の歴史は
言葉だけ常に価値がない
あまりにも多く
それは裂け、失った
投影された、貧しいコンクリートが
受け入れることはない
ここを、
ここだけを通って、
遭遇する、ほんとうの現実
これが初めての
――――


 構成が特殊というか、読者を迷わせる工夫があちこちに仕掛けられている詩集です。

 まず詩集としての表題ページがない、目次がない、各作品の冒頭にタイトルがない、二部構成なのに第二部が欠落している、などなど。しかも各作品のあちこちに似た表現やモチーフが頻出し、読んでいて既視感に襲われまくる。もしや自分は、同じ一つの詩のなかをうろうろしているのではないか。何というか、彷徨っている、という強い感覚を覚えるようになっています。

 実のところ表題ページは途中にありますし、目次は最後に置かれているのですが、だからと言って安堵できません。詩の内容が不穏だからです。


――――
(私は一つだけ、とにかく、
 子供たちを、見つける。)
7月には橋の下で、
明け方、
夢を見て笑っていた。
家に触れた。その日、
下流で、
衣服の一部を
みつけた。
地面に抱かれて。
(私はここに滞在して、願っていたよ。
あなたが良かったという気持ちになることを、
待っていたよ。)
――――


 それから、馬のイメージ。それも痛めつけられ殺され焼かれたものたちのイメージが何度も重ねられ、どうしても戦争、迫害、抑圧の長い長い歴史が脳裏をかすめることに。


――――
百頭の馬が一万五千年
照らされるのを待って、淡々と
沈黙の中で、火と呼ばれるものを知らず
時間を持っていなかった
夜に
何も知らず
失った森で、異なる時間を開いて、
呼ばれている物語で
浄化する、たくさんの
祈りを食べて
残り一日泣いて
遠い火を聴いて
呼ばれている、同じ夢を見て
病んで
焼失する月に、あまねく
耳と目を失った
――――


――――
馬は
起きようとするたびに、
頭を打って
ほとんど死んで
死ぬことによって
否定する
否定することで告白する、
紛れもない歴史の途方もない巨大な消失点があって
それを通じて、初めて、見て、結果として、知る
あるひとつの単純な事実
それはあの5月の長いシーン、
内側から到来した言葉が
大量の血を連想させる
その外側から、断続的に征服されている
首を絞め、引き上げ、少しでも血を、架空の赤い、あの5月における、あまりにも
逆さまの私であることを、証して、明らかに断って、馬は、なにを意味するではなく、何か、ただ、
現実を保っている、
――――


 なにを意味するではなく、何か、ただ、現実を保っている、そんな馬とともに、静かな覚悟のようなもの立ち現れてきます。


――――
私の前にまるで物語として
人の山が
国の叙事詩の「その後」に積み上げられ、
そのようにして世界を去った、
その意志を話す、
話すために、
話しつづける
――――


――――
馬には、生の不安が
覚えていた、
植物としての恐れが
記憶が、徐々に
同じことを繰り返しながら
もう十分な長さ
彼は時々、話していたことを
覚えておくようになって

(あなた いつも遅いのね――)

私はそんな植物の図鑑を
この生を賭けて想像する。
――――


 そして「第二部 植物図鑑」へと続くのですが、前述したように、それは欠落しています。空白。そのまま「目次」にたどり着き、そこで「島」「馬」といった言葉の間に、「座間」や「波照間」といった地名を見出し、そして、米軍基地やいわゆる戦争マラリアのことを思い出すのです。



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