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『植民人喰い条約 ひょうすべの国』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 でも実際、それが、それがひょうすべなんだよ、それこそ、ひょうすべだ、そういう人はもう、ひょうすべに取りつかれているってこと、な。あなたは、ひょうすべです。
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単行本p.20


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ひとつの怒りがあれば、太陽は昇ります、米は育ちます、言語は永遠です。
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単行本p.182


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第108回。

 人喰い妖怪ひょうすべにひょうすべられる国にっほん、今やもう、だいにっほん。TPPを活用しまくるグローバル企業、媚びへつらい率先して民を喰わせる売国政権。きったない構造に飲み込まれ、命も、魂も、将来も、すべてを毟られ喰い殺されてゆくこの国で生きるしかない埴輪詩歌とその家族の命運は。『だいにっほん三部作』の前日譚にしてTPP批准後の惨状を描く渾身の力作、書店デモ。単行本(河出書房新社)出版は2016年11月です。


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 今度という今度は、どのメディアであっても、新刊の取材に来てくださる事はきっと難しいでしょう。宣伝がかけられない、ただ本がここにある。本の中でしか批判出来ない?
 書店の皆様、そう、稀にこの本を置いてくださる書店の皆様、たとえ一冊しか取り寄せなかったとしても、せめて、その一冊を書店の台に、立てて置いてください。プラカと思って……。
 TPPが国民皆保険を潰す危険性さえ、中央の大きいメディアでは堂々と言えない。言えるのはただ、本の中だけ、故に帯がプラカードと思ってデザインしています。
 これは書店デモ、です。そしてもし私が笑われる程このTPPが実はなんでもなかったとしたら、その方がむしろ私は幸福、安心です。それと同時に。
 これはこれで私の文学の危機感の行き着くところ、ここには、人類の未来にまで渡る問題点が小説という、自由な分野の必死さやフィクションの有利さで(当然デフォルメされて)綴られているのですから。
 どうぞよろしく、お願い申し上げます。
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単行本p.12


 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)および、それを生み出した、それが生み出す、社会構造を徹底的に批判した一冊です。TPPの背後にいるグローバル企業、その正体は人喰い妖怪「ひょうすべ」。


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 ひょうすべ、ひょうすべ?
 ねえ、ひょうすべの国になると、そこはどうなるの?
 うん、生命体がすべて、資源になる。誰も彼もがそこでは、人間も動物も男も女も……。
 地球レベルの巨大な脱水機にかけられ、血を絞られ死んでいく。それが地球九十九パーセントの運命になる。にっほんはいわばその先駆け、医療の壊滅に農業の崩壊、本土よりもっと、きついのは島部、いくつもが無人島になってしまう。むろん、全国どこだって身の回りのことも、全てひどくなる。水道の水は「飲みにくくなる」、学校給食には「何か入ってる」、国民の体格も平均寿命も「古き良き時代に」戻っていくんだよ。うちらはもう小作人でさえなくなってしまい、世界企業のための食材にされるんだ。機械に放り込まれ、ミイラになっていく。
 救急車を呼ぶだけで給料は吹っ飛ぶ。子供を産みたければローンを組むしかない。白内障の手術が受けられない老人の社会。どこの家でも目の見えない年寄りが泣いている。また車椅子を買うのに補助金を出せば「投資家との世界裁判」が「怖い怖い」、ほら「IMFガー」とお役所は言うだけで。たとえ老人でなくっても動けない人は、倒れ伏してしまう。動ける人さえも、ローン払えなくって道で寝ているから……賃金も待遇も坂を転げ落ちる。だってこれからは、……。
 水も食べ物も服もない国との競争になるからね。幼児まで働かされる世界と職の奪い合い。だけど世界的に行われる自由競争ってもの、それは搾取する側のひとり勝ちでしかない。
 要するにひょうすべはにっほん人の、よそより長い平均寿命を切り取って喰いたい。全部の子供の顔に涙の跡がなければ、気に入らない妖怪で。
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単行本p.96


 命がけの言葉が胸にささってくる強烈な作品です。命がけ、というのは誇張ではなく、実際にTPP批准後には著者のような難病患者は「自己責任」と言われながら殺される恐れがあるから。


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 人喰い条約TPPに調印した人殺し政府の責任において、薬を奪われ、あるいは適正価格の薬を買うことが出来ず、ついにこの島国の薬価を掌で転がす事が出来るようになった世界企業のえらいさんたちの笑い転げる天が下で患者達は。
(中略)
最後には理性も意識も言葉も感覚も熱と痛みに奪われて彼らは殺されて行った。もとい、彼らというか、殆ど彼女ら、である。膠原病は女性に多い病気だった。ただ薬さえ飲んでいれば、専門職でも開業医でも看護師でも、純文学作家でもなんでもできる人々が、或いはたとえ社会的な労働をしていなくても、家事や介護や子育てという労働に一家を支えていた人々が、或いはもし両親の世話になっていたとしても愛されて愛されて一家の中心であった人々が、ていうか嫌われてても百まででも、生きたいだろ! 当然じゃないか! それが大馬鹿の読まず判で殺されていった。人喰い条約が喰っていったのだ。
(中略)
「当時からツイッターはあったんだよ、あの時TPP難病で検索してみたら、小さい小さい泣き声の『滝』が出来ていた。ぽつぽつといつまでも涙が垂れていた。言いたくても言えないよ体力も声も。クーデターするだけの体力が欲しいよ!(中略)だって国が終るだけじゃない。生活、ていうか、にんげん、ぜんぶ喰われるんだから。ていうか経済までが、このざまだよう」。
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単行本p.84、90


 でも米国の新大統領がTPPからの離脱を宣言したというし大丈夫じゃないの?
 いえいえ、1対1の自由貿易協定でTPPよりもっとえげつないことされるかも知れませんし、そもそもTPPは総仕上げというか今までやってきたこと今やっていることを効率的にやるための道具みたいなもので、そういう構造は誰にも逆らうことの出来ない勢いでだだーっと地球を飲み込んでゆくので。また権力はそういうのに調子こいて乗っかっちゃうので。


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 売りやすく一律ですぐ「壊れてくれる」、残った部品も使いまわしのできない大量販売のもの、それをまた価格競争し、値段をきりつめる、先のないレースを人類は生きていた。
 外国の酷使される安い労働力、それも時には児童労働をさらに値切って使う。為替相場をゼロコンマの単位で切り詰めながら、世界各地から材料を集めるしかないため、商売は世界規模のチェーン店しか残れなくなっていく。そこに雇われた人々は生涯の過労、安時給に苦しみ、フランチャイズをとっても、経営を始めても、厳しすぎる条件にすぐ破産する、県の市役所のどこに行っても、世界企業のロゴとコラボが躍っていた、萌エロ商法のために地元の嫌がる女子高生をモデルに差し出し、あるいは巨乳二次元で煽って痴漢に襲わせ、女性が怒れば経済効果を謳って開き直る。しかし、収益はよその企業がすべて外国へ持ち去るのである。とどめ、それに味方する政治家もタレントも、口では何を言っていても、反社会勢力から家を買っていたりして、恐れられていた。国中の景気が悪化するような体制を国がむしろ、支えていた、ひょうすべに民を喰わせる約束を守って……。
 にっほんは既に痩せこけた労働力の、世界、その一部分でしかなかった。
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単行本p.111


 でもでも、そういう「権力の暴走」を防ぐために民主主義が、立憲主義が、人権思想が、存在するんだよね。確かに、でも、この国における政治と統治の実態ときたら。


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「民主主義ってなんだ? それは決して本当の権力や責任者を責めないこと、そして弱くて普通の十人の中の九人がだまって一番弱いひとりを喰うことなんだねえ、またたまに少数派の自由という言葉がマスコミに乗っていたら、その少数派とはただ単に金持ちの事で、それは金をばらまくから多数を黙らせて味方に付けている」。
「何があってもにこにこして行列に並ぶ十人から一番弱いものが前に押し出されぱたっと倒れる、人喰いはそれを喰って帰る。立派な多数決だ。その九人の中からまた弱いものをうまく押し出したやつは褒美が貰える。ほら本土は沖縄を喰ってきた。大家族は嫁を喰ってきた。金持ちから税金を取らないで一番弱いやつが誰かを必死で探すんだよ。
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単行本p.85


 じゃあ何でマスコミはそういうことを報道しないの? やあやあ、そのへんのご事情については、みなさんよくご存じじゃあありませんか。


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 さあ、この国において? 表現の自由って何の事だろうね?
 高い大きい広告を出してそこで好きなだけちかんごうかんの推奨やレイシズムをやって、ポンスはその広告料でマスコミを買い取って、正しい情報を絶対に流させずに嘘をまき散らす、それが自由なのか? 芸術は「売れない」と追い詰めておいて反論出来ないように弾圧して行く、大声の自由かね? 同じことを蒸し返し低劣な嘘を吐きネットに沸いてたかり、デマの画像を作り、マイノリティを中傷して虐殺幇助を企む。
 ひょうすべは表現をする時にまず、相手に口輪をはめてから言いたい放題、すると本当の事や肝心の事は、すべて、マスコミの闇に消える。それは内部事情、それは世界企業の悪。「内部事情は下品だから禁止します」、「中立の意見だけ書いてください」、「具体名禁止」、「必ず両論並立」。
 こうして足元を照らしてはならぬという規則の中、我々は崖っぷちの夜道を歩かされる。一方だけの自由に支配されて。そこに報道はない、言論もない、芸術も真実も告発も表には出られない。いるのはただ、ひょうすべ、ひょうすべ。
 弱者を虐殺してアートと称する自由、金の集まるところにある差別を固定化するための自由、だんまりを維持するためだけそこにある自由。
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単行本p.98


 人が貶められ権利を奪われ殺されることに抵抗する力は、芸術、文学、表現の自由は、どうなったのでしょうか。


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 いつのまにかそれらは全部カギカッコを付けられ、すべて「二次元」と呼ばれるようになった。
 人間が殺され苛められているのに「またアニメたたきかよ、でも表現の自由だろ」とひょうすべはうそぶいた。
 逼迫した地方自治体は特区に遊廓を作り、そこで「二次元」をやった。そこの少女さんをかばうものたちは「もっと現実の実存女性の不幸に目を向けたら」などと言われてせせら笑われた。経済効率でスーツの「改良」競争が起こり、多くの少女さんがQOLの低下に大変苦しんだ。
 は? そんなもん弁護士が見たら絶対不当だと判る代物? だがそもそも政府が約束を破る事を、通常業務にしている国なのである。ていうか馬鹿丸出しの黒塗り条約にハンコついてそればっかりはくそ守る……世、界、最、低、国、で。
(中略)
 どんなひどい事でも「アート」ですむ、そんな世界の「秩序」が、守られていった。「表現がすべて」のひょうすべクオリティでは、痛いのも痒いのも腹減るのも全部、二次元だそうで、不眠労働も二次元、過労死も二次元。しかも遊廓の中ならつまり行われる仕事はすべて芸能・アート活動とされた。
(中略)
 女に仕事はなく、介護も家事も保育もただ働き、「少女をばんばん消費」するのだけが許された贅沢であり正義である国、百万家族に一家族位しか認められない程に少ない生活保護家庭が、外で十年振りに牛丼を食べていても殴り掛かるという、何もかもが「アート」な、にっほんであった。
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単行本p.122、153


 というような「架空の」国、にっほん。そこに生きる埴輪詩歌とその家族をめぐる小説です。設定としては「だいにっほん三部作」の前日譚に相当しますが、むしろ今の日本を反映させてニリューアルした「だいにっほん」という印象を受けます。

 全体は『ひょうすべの約束』『おばあちゃんのシラバス』『人喰いの国』という中短編三部作を中心に、それ以前に発表された『ひょうすべの菓子』『ひょうすべの嫁』を作中作のように位置付け、両者を『埴輪家の遺産』でつなぐ、という構造になっています。

 さらに前書き、導入として『ご挨拶』『こんにちは、これが、ひょうすべ、です』を配置、『後書き』を経て、2004年に発表された反戦デモ参加小説『姫と戦争と「庭の雀」』を収録するという、贅沢な一冊となっています。


目次
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『ご挨拶』

『1 こんにちは、これが、ひょうすべ、です
――TPP批准後、その施政方針のための記者会見』

『2 ひょうすべの約束』

『3 おばあちゃんのシラバス』

『4 人喰いの国』

『5 埴輪家の遺産』

『6 ひょうすべの菓子』

『7 ひょうすべの嫁』

『後書き
――どうせ私ら皆殺しにされるんですよ? でもね、なんとかして、避けられませんそれ? 無理?』

『姫と戦争と「庭の雀」』
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『ご挨拶』
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 IMFのお使い様、その名はTPP、開いて書けば環太平洋パートナーシップ協定、名分は一応、「自由貿易協定」。しかしその実体は、亡国人喰い条約。
 なぜかこの恐ろしいものを誰も報道しません、少ししか書きません、というよりも、どう考えても、……。
 メディアを上げて隠している。国民に何も、教えない? それは未来永劫の国あげての、国際的に逃げられぬ奴隷契約、内実までも黒塗りという悪魔の契約、どうしてマスコミは沈黙していたのだろう? どうして? どうして?
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単行本p.11

 「これは、書店デモ、です」「私の文学の危機感の行き着くところ」「人類の未来にまで渡る問題点が綴られている」。文学と、大手資本から独立した書店と、そしてもちろん読者に対する、力強い宣言と懸命のお願いが掲げられます。


『1 こんにちは、これが、ひょうすべ、です
――TPP批准後、その施政方針のための記者会見』
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「おおこれは素晴らしい、あなた方日本人これで十分本当に好きなだけ、未来永劫食べられるようになりましたよ、ではこれから起こる事をただ、黙っていてくださいねえ、そして、なんでもないと、民草に思い込ませれば、それでいいんです、未来永劫」。
(中略)
 一生口の中に血の味がします。それであなたたちの年収に五百万円がプラスされます。ね、おいしいでしょ。そのミックスジュース。
 それは、……開いた格差で生まれなくなった赤子の泣き声、沖縄百四十万人の七十年積もった汗と涙、農業二百万人の飢餓と漂流、日本語で報道や文学をやって、告発に努力した人々の舌、今から干物にされる難病患者の痛みとうめき声、膠原病だけでも七十万人以上はいる、またその他の無論、ガンでも白内障でも糖尿病でも、医療が受けられなくて苦しむ人々のあがきと消えた寿命。
 企業のロゴが入った紙コップの中で、火が燃えていた、悲鳴が上がっていた。またその一番底の方から小さく、こんな声がした「本土では、こんなことまで、していたんですねえ」
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単行本p.31、40

 不景気でこれでは食べていけないと嘆いていたそこそこ裕福な方々が「未来永劫、食べられるようにしますよ」という甘言に乗ってサインした、ひょうすべとの契約。さあ、国民がどんどん食べられちゃう。まあ、そうなったら、騙された、知らなかった、最初から私は反対していた、などと被害者面で言いながら、ひょうすべのおこぼれにあずかったり、ついでに弱いやつらを踏みつけたり出来るだろうし、どう転んでも損はないじょー。そんなこんなで条約批准。


『2 ひょうすべの約束』
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 このひょうすべ、本人たちは表現の自由をすべて守ると言っていますが、守るのはただひとごろし(ヘイトスピーチ)の自由とちかんごうかん(少女虐待や女性差別賞賛)の自由だけでした。そしてそれ以外については一切、何もしませんでした。だって、政府は人間が自由に口をきく権利を、もうすべて奪っていましたから。
(中略)
 昔日本という国があった時は、つまり国は、「オレの勝手だろ」と言って「家の中の事を好きに出来た」ものです。なのにひょうすべは今や要するに、「ハンコついただろうが? 勝手に出来ねえよ約束約束!」って怒ってくるのです。じゃ、自国を自国の勝手にする事が出来ない国? それ植民地かも? ていうかハンコついたの誰? と私は思いました。するとそれは、選挙の約束を破った当時の総理でした。よその国の人民も必死で反対していたのに、そんな契約を、我がにっほんは調整に回ってまでやってのけたのです。
 まあそこから批准というものをしなければ良かったのですが、とどめに彼らは国を、民を、少女を売りました。
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単行本p.47、50

 「このにっほんでは上は下との約束ならば破ってよい、事になっている。だって批准直前のここにおいて、首相は公約を約束と呼び、それを「新たな価値判断」で破ったと称していたではないか?」(単行本p.110)。国民との約束はいくらでも破るくせに、ひょうすべとの約束は嬉々として(ときに被害者面で)守り、国民が困窮して死んで行くのを黙殺する政権。要するにここは植民地。人喰い条約で植民地を売っただけ。

 そんな国に生きる埴輪詩歌は、女人国ウラミズモに移民するチャンスを手にしながら、それを諦めることに。


『3 おばあちゃんのシラバス』
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 詩歌が行けなくなってしまった大学の授業を、かわりに自分が出来るだけ教えようと豊子は言いはじめた。「でも最初の一年はまあ、それ自体がシラバスみたいなものってことさね、つまり何を習うのかを教えるのさ」、でもそう言ったころの彼女はもう、減薬を自己流でするという自殺行為を、余儀なくされていた。
(中略)
医師達も追い詰められながらぎりぎりまでは、薬価の安い間に処方箋を加減し、渡せるだけ患者に薬を渡そうとした。しかしそうすれば逮捕される世の中になった。誰もその事を報道しなかった。そう、すべては人喰いのえじきである。
 だって、……こども、たべもの、くすり、ことば、そう、ことばまでもなのだよ。世界企業が、マスコミを完全に掌握してしまったからね。元々世界最低な腑抜けのマスコミはむしろ、安心しきって被害者面で統制されていた。にっほん政府は大喜びでIMFガー、を繰り返し、悪逆非道の限りを尽くしていた。
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単行本p.79

 生活困窮で大学に行けなくなってしまった詩歌に、祖母の埴輪豊子は「どうしてこんな時代になったかを自分の体験からせめて理解しようよ」(単行本p.81)と言って大学レベルの教育をしてくれる。だがそれは、わずか一年しか続かなかった。難病を抱えた豊子は、詩歌にとって最も大切な人は、ひょうすべに喰われてしまったのだ。薬さえ手に入れば生きられたのに。高い教養も、深い知恵も、輝くような気高さも、経済効率に貢献しない、数字に換算されないものはすべて無価値とされる国で、ただ消費されてしまったのだ。


『4 人喰いの国』
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 かつて難民を助けようともしなかったこの国家から、政府と大企業だけが外国に移転され、生き延びるでしょう。彼らは安全な先進国に暫定政府を置き、そこからだいにっほんの生きた少女を売りつづけ国を売りつづけます。そしてあなたの国土とだいにっほん政府は昔と変わらず、実に何の関係もないまま、売られ、売り飛ばされるだけの時間軸を辿るのです。
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単行本p.181

 経済的に破綻してゆくだいにっほん。父も家も商売も何もかも失い、収入の途絶えた埴輪家。追い詰められた詩歌は、やむなくヤリテ見習いとして火星人少女遊廓に勤めることに。そこで出会った火星人落語の名手、木綿造。やがて結婚した二人の間には、木綿助といぶきという二人の子供が生まれる。

 こうして、埴輪家の物語は「だいにっほん三部作」へと続いてゆく。ただし、埴輪木綿助も、埴輪いぶきも、「だいにっほん三部作」に登場した時点ですでに死者。埴輪家の人々はすべて喰われ尽くされたのです。そして全てが手遅れになってから届いた一通の手紙。


『5 埴輪家の遺産』
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 女人国にさえ行けば、確実に開花したであろうこの天才少女を、「沼際の噛みつき亀」と呼ばれる高齢の女性作家は、可愛がりつつ細かく、欠点も指摘、たびたび彼女の人生の聞き役ともなった。
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単行本p.187

 『ひょうすべの約束』に始まる三部作より前に文芸誌に掲載された二篇のひょうすべ短編を、いわば作中作としてとりこみます。『ひょうすべの菓子』の作者は埴輪詩歌、『ひょうすべの嫁』の作者は詩歌と親交のあった作家、ということに。

 「だいにっほん三部作」の読者は、この作家の名前が「笙野頼子」であること、後に埴輪いぶきが彼女の講義を聞きにゆく、つまり「笙野頼子」は親子二代に渡って指導することになる、ということを思い出して、胸に迫るものが。


『6 ひょうすべの菓子』
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 四年からひょうすべが怖くなって六年で二万人に五人ひょうすべの子を産む、この国の女の子の普通の生活です。私は火星人なので完全に平均的とは言えないけどほぼこんなものです。ひょうすべの嫁にならないだけでもありがたい、と親は言いますが、その一方産んでしまうことは地球人より確率低くても起こり得るのです。
 しりながら、ひょうすべのかし、やかされて、わがみひとりが、わがみひとりで。
 ぞーん、ぞーん、ぞーん。
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単行本p.223

 TPP批准後、子供たちが食べるお菓子にはひみつの粉が入っていて、二万人に五人が十二歳でひょうすべを産んで殺される。でも大人たちはみんな何も教えてくれない。子供の視点から語られる、原発事故(の被害隠し)のイメージ濃厚なひょうすべ怪談。ぞーん。


『7 ひょうすべの嫁』
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ひょうすべの嫁は、そうならなかった女を全部、出来るだけ残忍な方法で殺すしかなくなる。(中略)どんなに権勢を揮い、次々と虫ケラのように殺し尽くしても、ひょうすべの嫁の心はけして安らがない。恐怖の中にいる。また絶望もしている。
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単行本p.228

 ひょうすべの嫁になるしかない女、ひょうすべの嫁に殺される女、ひょうすべの嫁の骨の粉を混ぜた菓子を食べひょうすべの子を産む女。社会的に囲い込まれ共食いさせられるような女の絶望と怒りから生じたような妖怪「ひょうすべ」が初登場する、怖い怖ーい短編。


『後書き
――どうせ私ら皆殺しにされるんですよ? でもね、なんとかして、避けられませんそれ? 無理?』
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 堤未果氏、中野剛志氏、山田正彦氏、お三方の新書とネットにある内田聖子氏の情報(=ツイート)だけで、私は十分にこれを書けた。だって私ったら「社会性のない」「豊かなおとなの文学ではない」「ちまちました」私小説・SF作家だもの、だいにっほんシリーズの作者だもの。幻視し続けた何十年目の先に、まさにこの人喰い条約があったわけで。けーっ、いやな、こったっ! けどあまりに「自然過ぎ」、たちまち納得した。
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単行本p.250

 TPPについてより詳しく知りたい方、ここに参考文献が挙げられています。


『姫と戦争と「庭の雀」』
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 宮沢賢治的に「どってこどってこ」と行進するかと思ったらそうでもなかった。藤枝静男的に「でんでこでんでこ」になるかというとやはり人間とは違う。なんだか淡々と行進した。短い距離なので楽であった。姫ノ宮で集会をしてから夜なので花火をやった。姫は内気そうだが割りときれいな人で、そんなに若くはなかったが子供のようだった。沢山いた子供は「殺された」と言った。
 ふん、結局それじゃ「庭の雀」は書けなかったのかだって・違う・だから・これが。
 モマエラに読ませる「庭の雀」なのダ。
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単行本p.273

 S倉在住作家のところに、派兵反対集会のビラが届く。「へ、純文学ですか。社会や政治とは無縁の、それこそ庭の雀とか、瑣末な私事を書いて悦に入ってる」と揶揄される純文学は、はたして反戦デモをどのように書くのか。

 初出は「新潮」2004年6月号。その後2005年5月出版の『文学2005』(講談社)にも収録され、さらに集英社刊「コレクション 戦争×文学」の第四巻『9・11 変容する戦争』にも収録されたにも関わらず、「自分の本に入れそびっていた」「今やっと、自分でもその「値打ち」が判った」この作品を「ぶれない追加として収録する」(すべて単行本p.251)とのこと。

 「書店デモ」としてデザインされた本書の末尾を飾るにふさわしい短編。


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