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『未確認動物UMAを科学する モンスターはなぜ目撃され続けるのか』(ダニエル・ロクストン、ドナルド・R・プロセロ、松浦俊輔:翻訳) [読書(オカルト)]


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ロクストンとプロセロの二人で、未確認動物学について、狭くは懐疑論の文献、広くは科学の文献の歴史にしかるべき位置を占めるような、これまでで最も重要な成果と言ってもいいものを書いている。本書は現代の未確認動物学に関する決定版となる本である。
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単行本p.9


 イエティとナチス、ネッシーと『キングコング』、シーサーペントの図像学、モケーレ・ムベムベと創造主義など、類書とは一味違った興味深い論点を織り込みながら、未確認動物UMAについて懐疑的に検証してゆく一冊。単行本(化学同人)出版は2016年5月です。


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子どもの頃の私には、答えは明らかに見えた。海の怪獣だ。そして私はそれを捕まえようと思った。
 何年もの間、そのことだけを夢に見ていた。怪獣狩りの道具のカタログをあさった。将来のキャドボロサウルス探索隊のロゴも考えた。地元の図書館で、ネス湖現象調査局へ手紙を書く手伝いもしてもらった。そして今日、奇妙なことに、実際に怪獣を調べる立場の仕事をしている(懐疑的にだが)。
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単行本p.256


 ビッグフットやネッシーなどの未確認動物、いわゆるUMAについての検証本です。対象動物についての伝承史、目撃証言、映像などの証拠について詳しく調べてゆくと共に、未確認動物学そのもの、その支持者、その社会的影響についても論じられます。個人的には、宗教運動、図像学、映画、サブカル社会学など、意外なものがUMAに深い関係を持っているという指摘に感銘を受けました。

 全体は7つの章から構成されています。


「1.未確認動物学 本物の科学か疑似科学か」
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 今なお毎年それほどの動物が発見されているのなら、なぜビッグフットやネッシーの研究が「境界(フリンジ)科学」扱いされるのだろう。科学に新しく知られた動物と未確認動物との間には、伝承的な要素を措いても、重要な違いがある」
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単行本p.42

 最初に、科学とは何か、科学的手法とは何かを概説し、未確認動物学がなぜ「まともな」科学として扱われないのかを説明します。さらに未確認動物学が抱えている一般的な課題(生物学、生態学、地質学、そして古生物学がすでに明らかにしている知見との深刻な矛盾)をまとめます。


「2.ビッグフット あるいは伝説のサスクワッチ」
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 支持派は死骸がないことがこの分野の問題の中心だということを承知している。この問題は日がたつごとに深刻になる。サスクワッチ時代が始まった頃なら、懐疑派にもうちょっと待ってくれと言っても通じた。(中略)しかし何十年も待ったが空しい(また何十万ドルという報奨が求められることもない)となると、ビッグフッターは、アラスカヒグマほどの大きさがあると考えられる種の動物の居場所をまだ特定できていない理由を説明しなければならない。
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単行本p.109、110

 ビッグフット(サスクワッチ)の主要な目撃談をとりあげ、また足跡や毛、写真や動画など、様々な「証拠」について、その信憑性を確かめてゆきます。見間違いや捏造といった未確認動物学につきものの問題についても、ここで詳しく解説されます。


「3.イエティ 「雪男」」
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 ほぼ10年にわたる中国によるチベットの閉鎖のせいで、イエティの証拠探しのためにこの地方へ行くのは難しかった。1960年以前におこなわれた様々な遠征は何も見つけていなかった。チベットの僧院にあった「イエティの頭皮」なるものはシーローの皮だったし、「イエティの手」は人間の手だった。「イエティの糞」や毛は、既知の動物のもので、「イエティの通った跡」はやはり説得力がなかった。
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単行本p.155

 イエティ(雪男)探索の歴史を追い、有名な足跡写真や頭皮などの「証拠」を検証してゆきます。


「4.ネッシー ネス湖の怪獣」
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 80年にわたり、まじめな研究者が資金、評判、長年の労力を、ネス湖の深みに投じてきた。しかしそれがいる徴候はまったくない。この結果はどうしようもない。注入された科学と技術のすべてをもってしても、ネッシーは魔法の産物だ――スコットランドのケルピー伝承とハリウッド映画の魔法による。
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単行本p.251

 目撃談とその姿の変遷、主要な映像証拠、大規模な科学調査プロジェクトの結果など、ネッシー探査の歴史を明らかにしてゆきます。ネッシー伝説は、映画『キングコング』の恐竜登場シーンから直接生まれた可能性が高い、という興味深い指摘も。


「5.シーサーペントの進化 海馬からキャドボロサウルスへ」
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この二つの主なシーサーペントがどれほど劇的に異なっていても、世界中の海と怪獣のいる湖全体で互いに簡単に入れ替わる。目撃者はその場その場で、自由に文化的に使えるひな形を好きなように利用する。その結果、報告と再構成がきりなく入り交じった怪獣をもたらす。(中略)プレシオサウルスが優勢になるニッチもあれば(ネス湖の怪獣の場合のように)、海馬型のサーペントが突出する怪獣として現れることもある(キャディがそう)。しかし真相は、シーサーペントは形を変えるということだ。どうしてそうなれないことがあろうか。シーサーペントは要するに、自然の産物ではなく、文化の産物なのだ。
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単行本p.319、361

 海の怪物はどのように描かれてきたのか、その図像学が詳しく紹介されます。海馬のイメージと古生物学が明らかにしたプレシオサウルス(首長竜)の復元図が、文化的に混淆してシーサーペント(大海蛇)を形作ってきた歴史、そして誤認と捏造といういつもの問題が、詳しく解説されます。


「6.モケーレ・ムベムベ コンゴの恐竜」
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その存在には、思想的あるいは教義的に重要な結果があるということだ。何らかの理由で、創造主義者はアフリカで恐竜が発見されれば、進化論がすべて成り立たなくなると信じている。(中略)つまり、モケーレ・ムベムベ探しはただ未確認動物を探すことではなく、創造主義者が進化論を覆し、科学の教えを可能などんな手段によっても崩そうとする試みの一部である。
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単行本p.408

 アフリカ大陸、コンゴの湖に棲息するというモケーレ・ムベムベ。その探査活動の実態と、背後にある創造主義者による進化論否定の試みについて論じます。


「7.人はなぜモンスターを信じるのか 未確認動物学の複雑さ」
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 本書の著者二人は、未確認動物を信じること、その熱意の正味の影響の評価については立場が分かれている。ダニエル・ロクストンは未確認動物学に対してかなり共感しており、ドナルド・プロセロはそれよりずっと批判的だ。(中略)
 未確認動物学はロクストンが信じるように「ほとんどは無害」だろうか。この点について、プロセロは確信できない。モンスターの謎にどんなロマンチックな魅力があろうと、現実に存在する未確認動物学は、疑問の余地なく疑似科学である。(中略)未確認動物が実在すると広く受け入れるのは、単に時間と資源を無駄にするというより、無知、疑似科学、反科学という一般的な文化の火に油を注ぐことになるかもしれない。
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単行本p.459、463

 未確認動物学の支持者はどのような人々なのか。未確認動物学は社会にどのような影響を与えているか。そして科学者は未確認動物学に対してどのような立場をとるべきなのか。様々な観点から、未確認動物学そのものを評価してゆきます。



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