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『数学者たちの楽園 「ザ・シンプソンズ」を作った天才たち』(サイモン・シン、青木薫:翻訳) [読書(サイエンス)]


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 われわれの社会は、偉大な音楽家や小説家に対しては称賛を惜しまないし、それはそれで正しいことではある。だが、地味な数学者たちは、世間の話題にはまずのぼらない。数学が、文化の一部とみなされていないのは明らかだ。実際、数学は多くの人にとって恐怖の的であり、数学者はしばしばからかいの対象である。それにもかかわらず『ザ・シンプソンズ』と『フューチュラマ』の脚本家たちは、もう四半世紀にわたり、プライムタイムのテレビシリーズに複雑な数学のアイディアをもぐり込ませてきたのである。
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単行本p.373


 米国における国民的人気アニメ『ザ・シンプソンズ』。そのあちこちに、実はかなり高度な数学ネタが仕掛けられている。仕掛け人は、高学歴ナード(数学オタク)たちの集団だった。人気TVアニメに隠された数学ネタをとりあげて解説しつつ、それらを仕込んだ脚本家グループに取材した一冊です。単行本(新潮社)出版は2016年5月。


 フェルマーの最終定理、ビッグバン宇宙論、暗号、代替医療。魔法のような手際で読者の知的興奮をかき立てるサイエンス本を書いてきたサイモン・シン。その待望の最新刊は、何とアニメのネタ研究本というから驚きです。研究対象となるのは、主に『ザ・シンプソンズ』。アメリカの大衆文化に多大なる影響を与えた国民的TVアニメシリーズです。


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『ザ・シンプソンズ』もまた、32個のエミー賞を受賞し、台本のある作品としては史上もっとも長続きしているTVシリーズとなっている。『タイム』が発表した、20世紀を振り返る一連のレビューでは、『ザ・シンプソンズ』は最高のTVシリーズ、バート・シンプソンは世界でもっとも重要な100人のひとりに選ばれた。架空の人物でこのリストに上がったのは、バートただひとりである。2009年には、まだ放映中であるにもかかわらず、シンプソン家の面々が、TVキャラクターとしては初めて、アメリカの郵便切手に採用されるというかたちで歴史に名を残した。
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単行本p.372


 そんな人気TVアニメに、実はたくさんの数学ネタが仕込まれている、というのはびっくり。数学ネタといっても、ピタゴラスイッチとか、0655/2355とか、そういうレベルではありません。


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「今夜のシンプソンズは、記号ウムラウトと数eの提供でお送りいたしました。文字のeではなく、数のeです。これを底とする指数関数の微分は、それ自身になります」
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単行本p.250


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ゲスト出演する数として、メルセンヌ素数、完全数、ナルシシスト数が選ばれたのは、単に現実的な観客の数に近かったためだという。また、まず最初に頭に浮かんだのが、たまたまこれらの数だったという事情もある。
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単行本p.180


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「というわけで、y=r**3/3 だから、この曲線の変化率を正しく求めることができたら、みなさんはきっと笑うでしょう」
 すぐに、生徒全員が――ひとりを除いて――正解を得て笑い出した。先生は、ひとりだけ笑えずにいるバートに助け船を出そうと、黒板にいくつかヒントを書く。(中略)
「わからないの、バート? 微分係数 dy は、3r**2dr/3、つまり r**2drだから、rdrrってわけ」
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単行本p.33


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ベンダーが友人たちと図書室に座っていると、0101100101という血塗られた文字が壁に現れる。それを見たベンダーは、怖がるというよりもむしろ、意味がわからずに首をかしげる。ところがその数字の並びが鏡に映ったところを見ると――1010011010――になっているではないか。それを見たとたん、ベンダーは恐怖におののく。
 ベンダーが怖がった理由については何の説明もないが、二進記数法を知っている視聴者なら、このシーンの意味がわかっただろう。
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単行本p.300


 ちなみに個人的に最も気に入ったネタは、次の数式です。引用文中「x**12」は「xの12乗」を意味する表記だと見なして下さい。


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ホーマーの黒板に書かれた式の中で、数学的に一番面白いのは二つ目のものだ。

  3987**12 + 4365**12 = 4472**12

 一見したところでは、とくに問題があるようには思えない。しかし数学史を多少とも知っていれば、これは途方もない式だとわかるだろう。
(中略)
 この回が放映されてまもなく、コーエンはいたずらに気づいた視聴者はいないかと、ウェブ上の掲示板をパトロールしてみた。するとこんな書き込みがあった。「この式はフェルマーの最終定理を破っているようだ。電卓に入れてみたら、たしかに等式が成り立っている。どうなってるんだ?」
 世界のあちこちで数学者の卵たちが彼の作った数学のパラドックスに心を惹かれたかもしれないと思うと、コーエンはうれしかった。
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単行本p.74、84


 実際に電卓で検算して、衝撃を受けてみて下さい。脚本を担当したデーヴィッド・S・コーエンもすごいと思いますが、解説しているのが他ならぬ『フェルマーの最終定理』の著者サイモン・シンその人だというのもまたたまりません。

 こんなネタを仕込む脚本家たちは、いったいどういう連中なのか。サイモン・シンは彼らに密着取材してその姿を明らかにしてゆきます。


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『ザ・シンプソンズ』の第一シーズンを舞台裏で支えたのは、ロサンゼルスでもっとも頭の切れるコメディー脚本家8人からなるチームだった。彼らはこの作品の脚本に、ありとあらゆる知の領域から、洗練された概念を取り入れたいと考えていた。なかでも微分には、とくに高い優先度が与えられていた。というのも、8人のうち2人は、ナード(数学オタク)だったからだ。rdrrのジョークを考えたのはその2人なのだが、それだけでなく、『ザ・シンプソンズ』という作品そのものを、数学的なお笑いを視聴者に届ける手段に仕立て上げた立役者は、主としてこの2人なのである。
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単行本p.36


 脚本家の一人一人に焦点が当てられますが、例えば前述の『フェルマーの最終定理』破りのデーヴィッド・S・コーエンはこう語ります。

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「わたしはパンケーキ数に関するこの論文を、指導教授で著名なコンピュータ科学者であるマヌエル・ブルムの指導のもとで書き、『離散応用数学』という専門誌に投稿した。(中略)論文が世に出たときには、わたしはもうずいぶん長いこと『ザ・シンプソンズ』の仕事をしていたし、ケン・キーラーもこのチームに雇われていた。そんなわけで研究論文がついに出たときには、抜き刷りを手にわたしはこう言った。“見てくれ、『離散応用数学』に論文が載ったよ”。みんなずいぶんビックリしてくれたが、ケン・キーラーは別だった。彼はこう言ったんだ。“そうかい、わたしは二カ月ほど前に、その雑誌に論文が載ったよ”」
 コーエンは苦笑いをしながら、嘆くように言った。
「『ザ・シンプソンズ』の脚本を書くようになってみたら、『離散応用数学』に論文が載った唯一の脚本家にもなれないとはね」
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単行本p.208


 一方、そのケン・キーラーの言葉。


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「大学院で過ごした期間は、自分がより良い脚本家になるために役立っていると思うんだ。まったく後悔はしていないね。ベンダーのシリアルナンバーを、数学史上の重要な数である1729にできただけでも、博士号を取った甲斐はあると思えるんだ。博士論文の指導教官がどう思うかは知らないけどね」
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単行本p.375


 なぜ、数学者がアニメ制作に入れ込むのか。別の脚本家は、その理由をこんな風に語っています。


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「実写ドラマは実験科学に似ている。役者たちは、それぞれの考えに沿って演技する。そうやって撮影されたシーンをつなげて、どうにか作品にするしかないんだ。一方、アニメは純粋数学に似ている。あるセリフにどんなニュアンスを含めるか、セリフ回しをどうするかまで、徹底的にコントロールできる。あらゆることがコントロール可能だ。アニメは数学者の宇宙なんだ」
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単行本p.100


 というわけで、日本ではいまひとつ知名度が低い『ザ・シンプソンズ』『フューチュラマ』の数学的側面に光を当てた異色のアニメ分析本。数学の面白ネタや、ギーク文化に興味がある方にお勧めします。



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