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『ベスト・ストーリーズⅠ ぴょんぴょんウサギ球』(若島正:編、岸本佐知子、中村和恵、他:翻訳) [読書(小説・詩)]

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70年代はその意味で最も華やかな時代だった。そこを過ぎると、《プレイボーイ》誌の凋落ははなはだしくなり、《エスクァイア》誌も何度か身売りをするたびに小説欄が縮小されていった。しかし《ニューヨーカー》だけは、1925年の創刊から一世紀近くが経過したのに、いまだに健在なのは驚くべきことだ。言い換えれば、《ニューヨーカー》は今なお世界最高の雑誌なのである。
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単行本p.404


 ここ90年間に《ニューヨーカー》誌に掲載された作品から選ばれた傑作を収録する短篇アンソロジーシリーズ。そのうち1920年代から1950年代までをカバーする第1巻です。単行本(早川書房)出版は2015年12月。


[収録作品]

『ぴょんぴょんウサギ球』(リング・ラードナー)
『深夜考』(ドロシー・パーカー)
『ウルグアイの世界制覇』(E・B・ホワイト)
『破風荘の怪事件(手に汗握る懐かしの連載小説、一話完結)』(ジョン・コリア)
『人はなぜ笑うのか――そもそもほんとに笑うのか?(結論出しましょう、ミスタ・イーストマン)』(ロバート・ベンチリー)
『いかにもいかめしく』(ジョン・オハラ)
『雑草』(メアリー・マッカーシー)
『世界が闇に包まれたとき』(シャーリィ・ジャクスン)
『ホームズさん、あれは巨大な犬の足跡でした!』(エドマンド・ウィルソン)
『飲んだくれ』(フランク・オコナー)
『先生のお気に入り』(ジェイムズ・サーバー)
『梯子』(V・S・プリチェット)
『ヘミングウェイの横顔――「さあ、皆さんのご意見はいかがですか?」』(リリアン・ロス)
『この国の六フィート』(ナディン・ゴーディマー)
『救命具』(アーウィン・ショー)
『シェイディ・ヒルのこそこそ泥棒』(ジョン・チーヴァー)
『楢の木と斧』(エリザベス・ハードウィック)
『パルテノペ』(レベッカ・ウェスト)


『世界が闇に包まれたとき』(シャーリィ・ジャクスン)
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「ちょっと待って」ミセス・ホープが机に駆け寄り、ミセス・ガーデンに宛てられた手紙を拾いあげた。そして彼女へ渡した。「いつもそばへ置いておきなさい。そして読むの。世界は闇、と思うようなときに」
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単行本p.115

 悩める女性が、親切な婦人からもらった暖かい手紙を心の頼りに、彼女のもとに相談に訪れるが……。他人に対する信頼が軽ーく裏切られてしまう瞬間の、ささやかで深刻な絶望が見事に書かれており、ほとんどユーモア小説のようなプロットなのに心に重く残ります。


『飲んだくれ』(フランク・オコナー)
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僕にはよくわかっていた。疲れ果てた僕が空きっ腹で啜り泣いていても、父さんはまったく平気で日暮れまでここにいられる人だ。ぐでんぐでんになったところを僕が引きずってブラーニー通りへ帰り、戸口に鈴なりになった女たちが口々に「ミック・ディレイニーがまたやらかしたわよ」と言い合うのもわかっていた。母さんが心配のあまり半狂乱になることも、明日の朝父さんが仕事へ行かないことも、やがて母さんが時計をショールにくるんで質屋に駆け込むことになるのも、みんなわかっていた。時計が消えた侘しい台所は、いつだって不幸の最終段階を意味しているのだ。
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単行本p.138

 酒好きの父親に同行した幼い少年。危惧していた通り、父親は酒場に入ってしまう。このままでは生活が破綻してしまうというのに。でも待てよ、父親が見ていない隙にあの黒ビールとやらをぼくがぜんぶ飲み干してしまえば……。酔っ払いの父とえらい苦労をして介抱する幼い息子、というパターンを引っくり返して笑わせます。どこか落語を連想させるユーモア作品。


『先生のお気に入り』(ジェイムズ・サーバー)
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本人の意志に反して、思いは彼を容赦なく、第一次世界大戦前の、喧嘩を期待して熱心に見入る大勢の子供に囲まれながらジーク・レナードに叩きのめされたおぞましい日に引き戻した。五十になってもまだ、あの日のことを意識の外に追いやっても、またすぐ戻ってきてしまう。その執拗さにケルビーは唖然としていた。
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単行本p.151

 いじめられっ子だった男も今や初老。しかし、子供がいじめられている光景を見たとき、遠い昔の屈辱の体験がフラッシュバックする。男を本当に激昂させたのは、いじめる側の子ではなく、かつての自分そっくりのいじめられっ子だった……。いじめの根深さを鮮烈に描いた作品。米国の小説や映画をみると、将来作家になるような優等生のナードがスポーツマンタイプの人気者に執拗にいじめられる、というのは米国の学校におけるお約束のようです。


『梯子』(V・S・プリチェット)
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そのときある考えが頭に浮かんだ。一晩中頭から離れず、考えまいとしても夢にまででてきた。明かりをつけてみたけれど、やっぱりまた夢に見た。ミス・リチャーズが二階の端から転落する夢。あのひとは私が母さんに似てきたから私のことが嫌いなのだ。やっと朝が来ると私はほっとした。
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単行本p.178

 父親の再婚相手がどうにも気に入らない少女。家は改装中で、階段が取り壊され、二階への出入りは梯子を使わなければならない。継母が二階で休んでいる間に、父親と一緒に買い物に出かけることになった少女は、自分でもなぜか分からないうちに、こっそり梯子を外してから出かけてしまう……。不安定な情緒に振り回される思春期の突発的行動は、はたしてどのような結果を招くのか。多かれ少なかれ誰にでも覚えがある心理描写が巧みで、最後までどきどきさせるサスペンス作品。


『この国の六フィート』(ナディン・ゴーディマー)
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この近辺のあらゆる農場や小規模農家からかき集められたのだろうと思う。僕はそれをほんとうのところ驚嘆というよりはむしろいら立ちを覚えながら受け取った――無駄なことをして、といういら立ちだ、こんなにも貧しい人たちがこうして払う犠牲はなんの役にも立たないのだ。貧しい人々はどこでもそうだ、と僕は思った、まっとうな人生のための出費を切りつめて、まっとうな死のための保険を手に入れようとする。ルリースや僕のような人間にはとうてい理解できない。
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単行本p.255

 アパルトヘイト時代のヨハネスブルグに農場を所有し、使用人たち(事実上の黒人奴隷)を雇って働かせている語り手。あるとき使用人たちが秘かに匿っていた不法移民が死亡し、語り手は農場主として事態に対処しなければならなくなる。家族の遺体を自分たちで葬りたいという切実な願いが官僚的に踏みにじられてゆく過程と、「理解ある」「寛容な」あるいは「進歩的な」人間だと自認している語り手の人種差別意識をリアルに容赦なくえがき、差別というものが人やコミュニティから何を奪うのかを示した重たい作品。本書収録作品中、個人的に最も感銘を受けた作品です。


『救命具』(アーウィン・ショー)
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 その時、彼女とブルーノはこれが彼らの人生で最も重要な夜だと思っていた。人生で最も重要な出来事が劇場で起こる可能性がまだあった時代、彼ら自身の劇団の公演の初日だった。ブルーノと彼女はこの劇団を作るために、一か八か、すべてを投入したのだった――女優としての彼女と舞台監督としての彼の評判と、ありったけの貯金と、若さとエネルギーのすべてを。
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単行本p.273

 公演初日の夜にパトロンから言い寄られ、にべもなく拒絶した女優。だがその結果、資金援助を断られ、彼女と夫はすべてを失ってしまう。それから長い歳月が過ぎ、今や老人となった二人は、あるパーティで再会する。あの夜の出来事をめぐって二人はそれぞれにけりをつけようとするが……。男女の駆け引きや心境変化を巧みに描き出す洒落たメロドラマ。


『パルテノペ』(レベッカ・ウェスト)
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私は古典に出てくる悲劇の女性ではない。イフィゲネイアでも、エレクトラでもアルケスティスでもなく、馬鹿げたパルテノペだから。私の人生に尊厳はない。私の身にあまりに多くのことが起きてきたせいでもある。一つの不幸は同情を呼ぶ。二つの不幸が同じものを求めると、同情を得られはするけれど少なくなる。不幸が三つとなると、多すぎると思われてしまう。四つ、さらには五つと言われると、今度は滑稽になる。神は同じ人間を繰り返し打つだけで、その人を道化にしてしまう。私にまつわることで滑稽でないものはない。
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単行本p.392

 伯父が子供の頃、閉ざされた庭園にいるところをはじめて見た七人の不思議な娘たち。なかでもパルテノペという名の女性に惹かれた伯父は、長い歳月をおいてその後も何度か彼女と出会うことになった。パルテノペたち姉妹の悲劇に関わることが許されず、ただ傍らを通りすぎていく他はなかった伯父の人生。現代とギリシア古典、現実と神話、それらが溶け合ってゆくような幻想的な作品で、『この国の六フィート』(ナディン・ゴーディマー)と並んで、といってもまったく別なタイプの、強い感銘を受けました。



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