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『猫にいいものわるいもの』(造事務所、臼杵新:監修) [読書(教養)]

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わがままで、個体によって性格がまったく異なる猫にも、その性質にはある程度の法則性や方向性があります。それに合わせて、本書では猫の健康のために選んでほしいフードやおやつ、グッズなどを厳選し、選ぶポイントについて紹介しています。
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 キャットフードからペットホテルまで。獣医師が、猫の健康にとって問題ないかどうかという観点から市販品を厳しく評価した一冊。単行本(三才ブックス)出版は2016年4月です。

 ドライフード、缶詰、パウチ、スープ、総合栄養食、一般食、おやつ、それらの組み合わせ。ペットショップに行くと様々な市販のキャットフードが並んでいますが、どれを選べばいいのか迷うところです。あまりに安いものは信用できない気がするし、かといって高ければ健康にいいかというと疑問。せっかく選んだフードも猫が気に入って食べてくれるとは限りませんし、食欲がないとき仕方なく嗜好性の強いフードを与えたら普段の餌には見向きもしなくなったり。一種類のフードだけ与えていると栄養が偏ったりしないのかも不安。

 本書は、悩める飼い主のために、市販されている主な猫用品を獣医師が評価した本です。おもちゃ、トイレ、猫砂、消臭剤、ブラシ、さらには病院やペットホテルまで扱われていますが、メインとなるのはやはりフード。

 販売元、名称、パッケージ写真、総合栄養食(主食)か一般食(副食)か、添加物を含む原材料表示、評価内容が1ページに収められ、パッケージ写真の上には大きく◎○△×が付けられています。

 評価内容はけっこう厳しく、歯に衣着せぬ率直な物言いが印象的です。


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おいしそうな商品名で「愛猫にいいものを食べさせている」という満足感を飼い主に与えているといえます。飼い主の満足より、猫の健康を第一に考えるべきでしょう。
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一見、健康に留意しているように見えますが、不要な着色料が山盛りです。
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突出して悪い成分が含まれているわけではありません。ただし、もっとシンプルで、栄養バランスと材料の品質に注意している製品はほかにたくさんあります。
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調味料、保存料、発色剤、食用色素など、不安のある添加物だらけ。おやつなのか、添加物なのか、わからなくなりそうです。
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 有名ブランドのフードも容赦なく批判されていたりして、かつての『買ってはいけない』論争にならないか心配ですが、“疑わしきは選ばず”の予防原則で猫の健康を守りたい飼い主にとってはありがたい。

 評価内容をじっくり読むと、どの添加物を避けるべきか、「とろみ」は安全なのか、グレインフリー(穀物成分なし)は重要なのか、など様々な知識が得られます。本書に掲載されてない製品についても、成分表を読んである程度まで自分で判断できるようになれそうです。

 これから猫を飼う人には必ず知っておいてほしい知識が満載ですし、すでに猫を飼っている人も自分が与えているフードがどのような評価なのか確かめてみることをお勧めします。



『10の奇妙な話』(ミック・ジャクソン、田内志文:翻訳) [読書(小説・詩)]


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 個人的にこの短編集でもっともぞくりとさせられたのは、日常の中に潜む境界線と接した瞬間の人びとが巧みに描かれている点だ。それは、狂気と正気の境界線であったり、日常と非日常の境界線であったり、服従と蜂起の境界線であったりと十人十色なのだが、この本に登場する主人公たちは誰もが境界線のすぐ手前に立ったところから描かれ、物語は始まる。
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単行本p.175


 手作りトンネルを手作りボートで探検する定年退職者、蝶の修理屋を目指す少年、雇われ隠者として洞窟に住む男、市長に対する宇宙人情報公開要求デモに参加する子供たち。ふとしたきっかけで何かを踏み越えてしまった人びとの奇妙な体験を描く短篇集。単行本(東京創元社)出版は2016年2月、Kindle版配信は2016年2月です。


[収録作品]

『ピアース姉妹』
『眠れる少年』
『地下をゆく舟』
『蝶の修理屋』
『隠者求む』
『宇宙人にさらわれた』
『骨集めの娘』
『もはや跡形もなく』
『川を渡る』
『ボタン泥棒』


『地下をゆく舟』
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 水流は止まるところを知らず、いよいよボートの縁にまで水が上がってきた。懐中電灯が消え、まっ暗闇の中、激流は唸りをあげて猛り狂った。モリス氏はやがて、ついに死を覚悟した。
「まあ、こんな終わり方も悪かないさ」彼は胸の中で言った。「自分の掘ったトンネルで、自分の造ったボートに乗って溺れるんだからな」
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単行本p.40

 定年退職して暇になった男が、地下室でボートを作る。ところが完成したボートは大きすぎて地下室から出すことが出来ない。では、ということで、地下室の壁をぶち抜いて長い長いトンネルを掘ることにしたのだが……。日常的な話がどんどん変な方に転がってゆき、ついに激流とともに「あちら」に飛び出してしまう。ふとしたことから冒険の旅が始まる児童小説の初老版。あこがれ。


『蝶の修理屋』
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誰の人生にも一度や二度、圧倒的な確信に満ちた瞬間が訪れるもの。確固たる、揺るぎない現実と向き合う瞬間とは、そういうものなのです。ゆっくりと暗がりに包まれていく部屋に腰掛けながら、バクスター君は自分に今その瞬間がおとずれているのだと、目の前に延びる一本の道の前に立っているのだと、気付いたのでした。
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単行本p.53

 古道具屋で見つけた「蝶の修理屋」のための手術道具一式。それを手にしたとき、少年は自分の進むべき道を見出した。僕は蝶の修理屋になる。蝶の標本を手術して生き返らせる仕事に人生を捧げるんだ。少年の秘かな冒険を描き、読者をして「自分は職を間違えた」と後悔させる魅力的な一篇。


『宇宙人にさらわれた』
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「なんだね、その宇宙人っていうのは?」市長は、やっとの思いで言った。
 だが、これは激昂した少年たちを単に煽り立てたにすぎなかった。幾人かの子供たちが市長のことを嘘つきだと罵ると、でぶだのはげだの、さらに個人攻撃まで始めてしまったのである。少年たちはそうして騒ぎ続けたが、やがて全員に聞こえるような大声があがり、彼らを黙らせた。
「隠蔽だ!」ひとりの少年が叫んだ。
 選び抜かれたこのひとことは、少年たちの胸のうちをほぼ完全に言い表していた。宇宙人などいないと否定してみせた市長の態度への不満と、きっとこの裏側では何か不吉な企みが進行しているのだという疑念である。
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単行本p.102

 小学校の授業中に回されてきた小さな紙切れ。そこには宇宙人の侵略について断定的に書かれていた。噂は教室中を駆けめぐり、興奮した子供たちは真実を確かめるべく市役所に押しかける。市長の不誠実な対応に怒った未来の納税者たちは断固として情報公開を要求。そのとき、誰かが気付く。そういえば、音楽の先生、今日はお休みしている。きっと宇宙人に誘拐されたんだ! 噂の拡大とパニック、陰謀論の成長過程を楽しく描いたユーモア短篇。


『もはや跡形もなく』
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 少年は、記憶の嵐に取り巻かれるようにして、元来た道を駆け戻った。森で過ごしてきたいくつもの夜よりも、今の夜闇は遥かに荒涼として恐ろしく感じられた。森の端まで駆け戻ると、犬が彼を出迎えに歩み出てきた。そして、いったい彼の中で何が起きているのかを探ろうと、少年をじろじろと眺め回した。
「大丈夫かい?」やがて、犬が口を開いた。
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単行本p.139

 ささいな親子喧嘩で家出した少年は、森の中を歩いてゆくうちに、次第に色々なことを忘れてゆく。それから長い長い歳月が過ぎて、彼はふと思い出す。自分は森に住む前にどこか外から来たような気がする。森から出る道を辿ってゆくと、やがて行く手に見覚えのある家が見えてきて……。不思議で恐ろしい、しかしなぜか心安らぐような気もする、トワイライトゾーン迷い込み系の奇妙な物語。



『たべるのがおそい vol.1』(穂村弘、岸本佐知子、西崎憲:編集) [読書(小説・詩)]

「編集後記」(西崎憲)
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もちろんそれら大小の理想がすべてかなったわけではありません。そういうことは人生には起こりません。しかし驚くべき割合で―おそらく九割近くわたしの希望はかなっています。そして刊行された現在、わたしはそれが読者の理想と重なってくれることを強く望んでいます。
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 小説、翻訳小説、エッセイ、短歌。様々な文芸ジャンルにおける新鮮ですごいとこだけざざっと集めた文学ムック「たべるのがおそい」その創刊号です。とにかく掲載作品すべて傑作というなんじゃこらああの一冊。ムック(書肆侃侃房)出版は2016年4月、Kindle版配信は2016年4月。


[掲載作品]

巻頭エッセイ
  『夢の中の町』(穂村弘)
特集 本がなければ生きていけない
  『虚構こそ、わが人生』(日下三蔵)
  『Dead or alive?』(佐藤弓生)
  『楽園』(瀧井朝世)
  『ただ本がない生活は想像のむこう側にも思い浮かばず』(米光一成)
小説
  『あひる』(今村夏子)
  『バベル・タワー』(円城塔)
  『静かな夜』(藤野可織)
  『日本のランチあるいは田舎の魔女』(西崎憲)
翻訳小説
  『再会』(ケリー・ルース、岸本佐知子:翻訳)
  『コーリング・ユー』(イ・シンジョ、和田景子:翻訳)
短歌
  『はばたく、まばたく』(大森静佳)
  『桃カルピスと砂肝』(木下龍也)
  『ひきのばされた時間の将棋』(堂園昌彦)
  『ルカ』(服部真里子)
  『東京に素直』(平岡直子)



『あひる』(今村夏子)
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ねえねえ、のんちゃんね、一ぴき目が一番好きだったよ。
ここにいないの? ねえどこにいるの。ねえねえねえ。
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 父が知人から譲り受けた一羽のあひる、名前は「のりたま」。のりたまは人気者となり、近所の子どもたちがわが家に集まってくる。だがのりたまはそのストレスで次第に弱ってゆき……。まるでユーモア小説のようなプロットでありながら、あひると語り手の境遇が重なるにつれ切なさに涙が込み上げてくる傑作。


『バベル・タワー』(円城塔)
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縦籠の家は代々、垂直方向のガイドを専らとした家である。恭助は、帝国ホテルのカゴに生まれ、各地のエレベータを転々としながら成長した。エレベータ・ガールたちや整備員たちからひっそりと手渡される古文書を読みふけり、口伝を授けられながら育った。
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 「上へ参ります。ドアが閉まります」vs「次は六条、六条通りで御座います」。
 垂直方向への移動を司る縦籠家、水平方向への移動を司る横箱家。有史以来ずっとこの国を秘かに操ってきた二つの旧家がついに交差したとき、そこに立ち現れるものとは。驚異の座標系伝奇小説。


『桃カルピスと砂肝』(木下龍也)
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キリストの年収額をサブアカで暴露している千手観音
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再加熱されテーブルに舞い降りる唯一無二の天使ムニエル
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胃のなかのことは想像したくない桃カルピスにゆれる砂肝
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青春の管理下にあるぼくだった 明日を平気で殺しまくった
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 もうすぐ出版される第二歌集『きみを嫌いな奴はクズだよ』が楽しみな、注目の若手歌人による新鮮砂肝歌。


『ただ本がない生活は想像のむこう側にも思い浮かばず』(米光一成)
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名著は手に入りやすいが、トンデモな本(中略)は、これを手放したら二度と手に入らないという恐怖のために手放せず、名著と評判の高いものばかり手放してしまう(「バカの棚になる」と呼んでいる法則である)。
(中略)
全部読み返すことはとうてい不可能だ。どうでもよくなる。もはや読むために本があるのではない。
 P・K・ディックも憎い。サンリオ文庫で持っていて、それがハヤカワ文庫か創元文庫で出て、そちらも買ったところで、さらに新訳が出たりする。3種類5冊の『ヴァリス』がある。しかも、最後まで読んでいない。
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 タイトルが短歌になってたりする、読書好きあるある痛エッセイ。「こんなことをしている場合ではなく、部屋を片付けることが急務である」と気づき続けて終わる人生。


『静かな夜』(藤野可織)
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なんてことだろう、ずっと聞こえていたんだ、とちか子は思う。夜だけじゃなかった。昼間もこのたくさんの人々はなにかさかんに話していたのだ。(中略)でももうすぐわかる、絶対私はこれを知っている、とちか子は思う。
文字であれだけの絶望を日々味わっているというのに、ちか子の神経はどうなっているのだろう。ちか子は学ばない。決して学ばない。おれは驚嘆する。ちか子は深々と呼吸する。空気にそれらの声が粒子となって溶け出す。それを吸っていると、きっとその言語がわかるようになる。わけのわからぬ声がちか子の体を満たし、彼女の赤い血をいよいよ赤くする。
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 静かな夜、どこかから聞こえてくるたくさんの人の話し声。誰しも覚えがあるあの不安。研ぎ澄まされた文章技法により読者を予想外のとこに連れてゆく作品。


『コーリング・ユー』(イ・シンジョ、和田景子:翻訳)
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 ミスター・コリアを詩人にするのに役立てようと、私は徹夜で何十カ所かの文学サイトを見てまわった。午前五時が再び到来。水なしでチャンデン半錠を飲み込み、05に電話をかける。05の今朝の声は、きわめて普通。96に電話をかけ、ニルヴァーナの「リチウム」を流す。“きみがいなくて寂しいよ、きみが好きだ、ぼくは壊れかけてなんかいない”というあの曲を。そしてまた05に確認の電話をかける。42にはもう電話しない。とろんとした眠気。全身が熱いコーヒーの中の砂糖になって溶けていく感じ。
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 ソウル、午前5時、番号しか知らない相手と一瞬だけ繋がり、そして切れる。インターネットで申し込みをした顧客にモーニングコールをかける仕事。デジタルな人間関係だけの社会に漂う空虚でかわいた絶望をリアルに描く作品。


『日本のランチあるいは田舎の魔女』(西崎憲)
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 ランチという言葉を頭のなかに浮かべると、くもりはほぼ性的な快感を覚える。身のうちに固く甘い芯が形成され、皮膚の裏側や内臓の内側がそこに向かってきゅーっと引っ張られるような、そんな感覚に捕われる。
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 田舎から出てきた女性が、毎日違う街でランチを食べることにする。複数の魅力的なプロットを巧みにより合わせ魔法の糸を作り出すようなしびれる傑作。



『ウルトラマンデュアル』(三島浩司) [読書(SF)]

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「ウルトラ・オペレーションをうけると、二柳くんもこうなる。我ら飛び地の戦士は皆がウルトラマンだ。キミにとっては目を背けたくなる現実かもしれないが、国籍を捨て、地球を捨て、そしてヒトであることを捨てるとはこういうことだよ」
「覚悟をして、そしてここにきた」
「……そうか。頼もしい目をしてくれる。――では行こう」
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単行本p.14


 侵略宇宙人に制圧された地球。「光の飛び地」に残されたわずかな希望。だがそれも、次々と送り込まれてくる凶悪怪獣によって蹂躙されようとしている。守りきれるのか、命を、希望を、そして正義を。左腕に装着されたチャージャーが閃光を放つとき、二柳日々輝は光の戦士となる。「チェンジ・デュアル!」
 『ダイナミックフィギュア』の著者が放つ、凝りに凝った設定による新たなウルトラマン物語。単行本(早川書房)出版は2016年1月です。


 早川書房と円谷プロダクションとのコラボレーション企画、その初となる長篇作品は完全オリジナル設定による新たなウルトラマン物語です。著者は、『ダイナミックフィギュア』で巨大ロボット兵器が存在する世界を限りなくリアルに設定してみせた三島浩司さんですから、もちろん舞台は政治や外交が錯綜する「大人の事情」に支配された過酷な世界。


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 日常の堅守。それが大人たちが決めた方針。やられても、やり返さない。理性で暴力の報復連鎖を回避する。正義は、命の前では優先されない。優先したい者だけが人類と縁を切って戦う。
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単行本p.264


 「光の国」との激戦の末、ついに地球を支配下においたヴェンダリスタ星人。光の国サイドは唯一の生存者「光の聖女 ティア」を残して全滅したが、ヴェンダリスタ星人サイドもわずか数名と宇宙船一隻が残ったのみ。双方とも故国からの「援軍」を待つという膠着状態に陥った。そこに地球人類の希望(つけいる隙)が残されていた。


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 日本政府はティアと協議のうえ、ここで苦肉の策を実行する。ティアに練馬区の被爆地を支配してもらうのだ。つまりティアを地球の侵略者と位置づけ、ヴェンダリスタ星人に対して体裁を保つ。(中略)エネルギーが枯渇すれば、飢餓して死んでもらう。非常に消極的ながらティアに対する攻撃だ。これでヴェンダリスタ星人を納得させたかった。
 ティアも事情をくみとり、被爆地を光の国の領土として宣言する。こうしてここに宇宙スケールの飛び地が誕生したのだ。
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単行本p.54


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 ヴェンダリスタ星人は怪獣を地上に送りこんで世界を混乱させると脅してきた。それが神出鬼没では絶対に困る。人々は常にビクビクしながら生活をしなくてはならないし、こどもたちを安心して学校に送りだすことなどできなくなる。いったん世界は中立を宣言したのだから、ヴェンダリスタ星人の目標はティアに集中される。怪獣の出現を飛び地という局地に限定させることができる。ティアが侵略者で、ヴェンダリスタ星人に救世主の名誉をあたえることができる。
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単行本p.61


 「光の国」こそ侵略者、ヴェン様は救世主でございます。どうぞ思う存分「飛び地」を叩いてやって下さいませ。地球人類も及ばずながら支援いたしますが、何しろほれ、そこはそれで色々と……、というスタンスを堅持する宇宙規模で厚顔な人類。しかし苦しい台所事情ゆえ、すべて承知の上で空気読んでくる侵略宇宙人。大人の世界。


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我々ヴェンダリスタは感情で行為しない。憎しみで戦わない。侵略を楽しまない。あくまでも事業であり、仕事といったほうがわかりやすいかな。
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単行本p.381


 怪獣vs懐柔。癒着と談合。建前堅固と腹の探り合い。とりあえず獲得した平和と日常。だがしかし、そこに正義はあるのか。反発する若者。飲み込もうとする大人。


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「正義がこの世でもっとも尊いものではないということだ」
「もっとも尊いものってなんですか」
「それは人それぞれだ。しかし少なくとも地球人類70億の命と正義は釣りあわない。手放すに惜しまざるものだ」
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単行本p.229


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 このままでは暴動が起きてしまうと判断した日本政府は“ガス抜き”の方策を打ちだす。国民にティアと共闘する道筋をあたえたのだ。同時に人類が中立であるスタンスは保たなくてはならない。これを満たすために執られた処置が国籍剥奪だ。
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単行本p.62


 「嫌なら日本から出ていけ」というわけで、国籍を剥奪され「飛び地」に渡る人々。そこでヴェンダリスタ星人が送り込んでくる怪獣からティアを守る、正義を守るのだ。内心では応援しつつ、立場上「敵対」している日本政府がくだす無慈悲な「経済制裁」。

 正義、それは想像を絶する苦難の道だった。


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私たちは地球を救いたいという思いでここにやってきたわ。人であることも捨てるという、極めて強い決意をもって。だけどそれでも甘かったのよ。――ビッキー、現実とはこういうものよ。
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単行本p.91


 孤立無援、四面楚歌。そして急激に枯渇しつつある残存エネルギー。ジリ貧のなかで、それでも戦い続ける「飛び地」の人々。決して屈しない者、諦めない者はいる。そして心は受け継がれる。


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「いまできる最善を尽くせ。そうすれば、どん底からそれ以上に悪くはならねえ。なにがベストなのかを考えろ。そして動きだせ。少々おっちょこちょいでもかまわねえ。ミスったら、オレが怪獣やヴェンダリスタを叩いてとり返す。それがヒーローってもんだろ。オレがミスったら、おまえがヒーローになってとり返してくれ」
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単行本p.288


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「チェンジ・デュアル!」
 デュアル・チェンジ・チャージャーが青く爆発する。日々輝は光の渦を巻きこみながら巨大化していった。
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単行本p.206


 双方とも最初からジリ貧状態、ストーリーが進むにつれてどんどん苦しくなってゆき、最終決戦の頃には「ついに送り込む怪獣が尽きたので最後は自分たちで殴り込み」vs「もうバリア張るエネルギーさえ残っていないのでひたすら籠城」という戦いに。


 いわゆるドラマパートには不満も残りますし(登場人物の書き分けが不足しているせいか、みんな微妙に印象が薄いとか)、特撮パートも『ダイナミックフィギュア』同様わざとらしい盛り上げを回避する傾向が強く、何度も登場する怪獣対決シーンがいつもあっさり薄味で終わってしまい残念。

 ただ、読後感としては意外なほど正当的なウルトラマンです。やはり現代を舞台とした大人向けウルトラマンを作るならこのくらい気合を入れて設定してほしいという作品ですし、最後のクライマックスはそれまでの地味さを吹き飛ばす勢いがあって楽しめました。個人的には『ダイナミックフィギュア』より面白いと感じました。



『ミューズ叢書<2> トークイベント記録』(上田早夕里) [読書(随筆)]

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私はこのシリーズで「歴史」を書こうとしているんです。ただし、人間だけの歴史じゃない。生物の歴史だとか、地球そのものの歴史だとか、そういう、科学的な意味での歴史も含んでいます。人間の歴史だけじゃなくて、人間以外の歴史も同時に語っていく……これはSFでないと、なかなかやりにくいことで、こういう中で独特の人間の描き方があるというのが、SFの利点だと思うんですね。
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Kindle版No.148


 「オーシャンクロニクル・シリーズ」および『薫香のカナピウム』について、著者自身が語ったトークイベントの記録。Kindle版配信は2016年4月です。

 『妖怪探偵・百目』シリーズに続く第2弾。今回はSFあるいはSFに近い作品が取り上げられています。それぞれの作品については、以下の紹介を参考にして下さい。


  2015年03月06日の日記
  『薫香のカナピウム』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-03-06

  2014年01月17日の日記
  『深紅の碑文』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-01-17

  2011年12月19日の日記
  『リリエンタールの末裔』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2011-12-19

  2010年12月28日の日記
  『華竜の宮』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2010-12-28

  2010年05月12日の日記
  『魚舟・獣舟』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2010-05-12


 中心となるのは大作「オーシャンクロニクル・シリーズ」の解説で、文字だけで読むと冷やかに感じるほど、極めてロジカルに、定量的に分析してゆきます。


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 小説の構造を分析するときに、まず「数をかぞえる」というのをやると、意外とうまくいきます。総ページ数に対する各章の分量を調べたり、登場回数が一番多いのは誰で、全体の何分の一ぐらいページ数を費やしてあるとか。
 登場人物数のカウントも、そのひとつです。
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Kindle版No.290


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 私は筒井さんのエッセイから、こういう形で小説の読み方・書き方を教えてもらいまして、特に、小説というのは、ロジカルにテクニカルに書くことができるんだ――という、この部分は非常に大きな影響を受けました。つまり、情熱だとか才能だとかインスピレーションだとか……小説というのはそういうものだけで書くんじゃなくて、論理と技術で組み立てることが可能だという――。
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Kindle版No.101


 『華竜の宮』と『深紅の碑文』をデジタルに比較して、後者が書かれた理由を明確にしてゆくところは圧巻です。


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『華竜の宮』と『深紅の碑文』を比較しますと、構造上、エレメントが綺麗に一対一対応になります。それを、登場人物の「対応表」にしてみたのが、こちらです。
(中略)
 何がどう変わっているかというと、『深紅の碑文』のほうが、登場人物の関係性が複雑になっているんです。「構造」は相似形なんですが、細部の複雑さに、大きな段差があります。さきほどのフリドリンのパズルで言えば、組み合わさっている木材と突起の数が違うわけです。仮に『華竜の宮』を10とすると、『深紅の碑文』は30以上です。それぐらい複雑になっています。
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Kindle版No.224


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『華竜の宮』の関係性というのは、わかりやすいけれども、それは細部を削ぎ落として簡略化されたものであって、オーシャンクロニクル・シリーズという広い世界観を描くときに、必ずしもベストなスタイルというわけではない。そのスタイルでは絶対に到達できない世界がある。『華竜の宮』を書いたときにそれがよくわかりましたので、まったく別の書き方が必要だと思いました。その結果出てきたのが、『深紅の碑文』という作品です。
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Kindle版No.234


 あるいは、多くの読者が「誤解」している点の指摘には興味深いものがあります。


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読者の中には、プルームの冬が終わったあと人類が復活してくると思っている方が結構いるんですが、そういうことは一切ありません。人類は、きれいさっぱり滅びております。
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Kindle版No.124


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「娯楽としてのアクション」と「本物の暴力」の描き分けが難しい。作家の側が暴力を書いているつもりでも、読者の側が娯楽として消費してしまう場合がある。これにどういう形で抵抗しようかと、そういうことを、デビュー作のときからずっと考えていました。
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Kindle版No.252


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 私としては、この無名の人たちに、全員、名前をつけたかったんです。でも、名前がつくと、日本の読者の中には、その人が重要人物だと思い込んでしまう方が結構いる。「名前が出ているのに活躍しないのはおかしい」と仰るんですが、このあたりは、何か、呪術的な思想が背景にあるのかもしれませんね。
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Kindle版No.308


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 読者の反応を見ていて面白いなと感じたのは、青澄を、理想に燃える善人だと思っている方が非常に多いことで、私は、全然そういうつもりでは書かなかったので(中略)SFの読者なら、こういうブラックユーモア的な部分を絶対に理解してくれるだろうと思っていたんですが、ほとんどの読者がこれに気づいてくれなくて、青澄の行動を、彼の性格に由来していると思い込んでいる。
 この話は、昔、SFセミナー(東京・2011年)でも話したことがあるんですが、どうも、それでも伝わらなかったみたいで、作者としては、一番、じりじりしている部分なんですね。
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Kindle版No.328


 あー、青澄いいやつ立派な人、とか私も勝手に思い込んでいました。SFの読者としてお恥ずかしい。

 SFといえば、『華竜の宮』と『深紅の碑文』のどこが本質的にSFなのか、つまりSFでしか書けないコアな部分は何なのか、という解説がすごい。全球凍結だからSFだとか、恒星間移民だからSFだとか、そういうわけではありません。


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ザフィールを描くときには、この異質な、よくわからない部分を何よりも大切にしました。そういう意味で、『深紅の碑文』という作品は、この人物を描くためにあったと言っても過言ではありません。
(中略)
『華竜の宮』の中で、ツキソメやマキ絡みで「言語が人間を作る」という言葉が何度も出てきますが、ザフィールは、まさに、その「人間の言語」に縛られることで、魚になり損ねた人なんです。
 これが、SFでしか書けない人物だったという意味です。
 さっき、青澄の性質はSF的な発想と不可分だという話をしましたが、それと同じです。
(中略)
 私は、ある作品が「SFであるか、そうでないか」という基準には、さきほどから話している「思考方法そのものに関係する発想」が関与していると思っています。
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Kindle版No.377、394、415


 後半には『薫香のカナピウム』を題材に、ファンタジーとSFはどう違うのか、という問題が取り上げられます。


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『薫香のカナピウム』の場合、動植物に興味がある読者には、最初から地球上のどこの森なのかわかるような書き方をしました。でも、そういうことに興味がない読者には、完全に架空世界として楽しんでもらっても、まったく差し障りがないような書き方をした。前者の読者にはSF、後者の読者にはファンタジーに見えたはずなんです。そして、物語前半でファンタジーに見えていたものが、後半でSFに見えてきた……という方は、自分が何を基準にSFとファンタジーの間に境界線を引いているのか、このふたつを切り分けている基準は何なのか、一度、考えてみて欲しいんです。それによって、個々の 読み手が無意識のうちに引いている、「SFとファンタジー」の境界線が、はっきりと見えてくるはずなので。
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Kindle版No.502


 というわけで、基本的には「オーシャンクロニクル・シリーズ」および『薫香のカナピウム』の読者のための一冊ですが、小説の分析手法や、「SFとは何か」という問いに関心がある方にも一読をお勧めしたいと思います。


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