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『セント・イージス号の武勲』(上田早夕里) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

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「こういう時代はもう終わるんだ」リュシアンは薄く笑った。「上官が部下を思いやったり勇ましく闘ったりーー。こんなのは、木造帆船時代でおしまいだよ。鉄鋼船の時代が来れば、戦争の方法は大きく変わる。大砲や新しい道具がどんどん発達し、これまで以上に、人を人とも思わない潰し合いが始まるだろう。産業の発展は戦争の形まで変える。だから僕は、人間としての誇りを保てるうちに、最後の闘いを済ませておきたいのさ」
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単行本p.240


 19世紀初頭、後世に名高い「トラファルガーの海戦」に参加した戦艦のなかに、最新技術である「蒸気機関によるスクリュー式推進システム」を装備した極秘実験船があった。やがて訪れる蒸気船の時代を先取りするその戦艦の名は、セント・イージス号。
 ホーンブロワー風のプロットをなぞりながら、技術の発展が人と社会にとってどのような意味を持つのかを問い直す、『リリエンタールの末裔』の著者による海洋冒険小説。単行本(講談社)出版は、2015年9月です。


 貧困の底であえいでいた幼い少年が、遭難中に英国戦艦に拾われたことをきっかけに乗組員となり、数々の海戦で武勲をたてて立身出世の道を歩んでゆく……。英国の海洋冒険小説の典型的プロットをなぞるふりをしながら、技術の発展をめぐる思考実験を行うという、一筋縄ではいかない長編です。

 船体に搭載された蒸気エンジンによるスクリュー推進で航行する最新テクノロジーを搭載したセント・イージス号。木造帆船の時代に、未来のテクノロジーを検証するために極秘運用されている実験船に救助された少年は、蒸気機関のパワーに感銘を受け、技術者への道を進むことを決意します。


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「この艦では好きなように学べる。ただし、自分から『これをやりたい』と言い出さなければ、誰もおまえの相手をしてくれない。他の軍艦のように、命令が、おまえの人生を決めるわけではないのだ」
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単行本p.87


 新しい技術。それは、戦争や貧困から人間を解放するパワーなのか、それとも戦争を熾烈化させ命や誇りを奪うものなのか。問いかけ続けながらも、しかし、誰にも止めようがなく進んでゆく技術革新。


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「1800年にワット型蒸気機関の特許が切れました。イギリス本国では、次世代型蒸気機関の検討に入っているはずです。この型は、もう時代遅れなのです。次は、高圧蒸気機関の時代がやってきます」
「なるほど。この型が、もう時代遅れなのかーー」
ブライトウェルは微笑した。「技術開発の世界は、とどまるところを知りません。どれほど新しいものを作っても、それを追い抜く技術が現れる」
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単行本p.228


 木造帆船から鉄鋼蒸気船へ。やがて来る新しい時代を目指して航行を続けるセント・イージス号が挑んだ最後の任務。彼らは蒸気機関の機動力だけを頼りに「トラルファルガーの海戦」の只中に飛び込んでゆく。祖国とも、栄誉とも関係なく、ただ一人の少女を救うためだけに。


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「大砲を撃つだけが軍艦の武勲ではありませんよね。戦が終われば、敵味方の区別なく怪我人を救出するーーそれが海軍の流儀だと僕は聞いています」
「……確かにその通りだ」とソリスは答えた。「どれほど自分の身が危険に曝されても、おまえは、国の違いに拘らず人間を救いたいのだな?」
「はい。それは、科学や技術によって人を救うことと、同じ意味を持つと思うのです」
「よかろう。では配置につくように。これは戦とは違うが、戦以上に厳しい闘いになるだろう。命を無駄にせず、無事に生き延びてくれ」
「アイ・アイ・サー」
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単行本p.287


 ネルソン提督率いる英国艦隊がフランス・スペイン連合艦隊の隊列中央に切り込んでゆく。やがて始まる海戦史上に名高い大乱戦。砲弾にマストをへし折られながらも、速度を落とすことなく疾走するセント・イージス号。はたして、科学や技術は、人を救うのだろうか。


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科学や技術というものは、人間にとって、とても相性がいい分野だと僕は思っている。なぜなら科学は、疑ったり間違ったりすることを恐れない学問だから。技術も同じだ。たくさんの失敗や試行錯誤を経て、じわじわと先へ進んでいく。人間という存在が、どうしようもなく愚かに失敗し続け、間違い続ける生き物である以上ーー科学と技術の思考方法ほど、僕らに相応しいものはない。
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単行本p.313


 というわけで、架空生物(大海蛇)まわりを除けばSF的な要素はほとんど登場しませんが、技術と社会の関わりについて思索する海洋冒険小説という点で、ヴェルヌ風というか、SFの原点を感じさせる長編です。短篇集『リリエンタールの末裔』に近い雰囲気です。英国の海洋冒険小説の愛読者はもちろんですが、SF読者にもお勧めします。



タグ:上田早夕里
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