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『ザ・万遊記』(万城目学) [読書(随筆)]

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 職を辞し、小説家になるべく東京に引っ越しても、この「2、4、6、8、10、12」の呪縛からなかなか逃れられなかった。つまり、東京のチャンネル配置をさっぱり覚えられなかった。たとえば、NHK教育テレビといったらこれはどうしようもなく「12」であり、
「こちらで教育は3です」
 などとすまし顔で言われても困るのである。「3」といったらサンテレビ。阪神戦が早く終わりすぎたときの、モンスターカー・レースを流すチャンネルでしかないのである。
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単行本p.137


 『プリンセス・トヨトミ』の取材で国会へ。北京オリンピック、バルセロナでサッカー観戦、そして、湯治とスポーツ観戦の旅をエッセイシリーズに書くはずがまさかのアキレス腱断裂。人気作家が様々な話題を繰り出すエッセイ集。単行本(集英社)出版は2010年4月です。


第1章
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 生まれてはじめての松葉杖を脇に差しこみ、歩く練習をしていると携帯電話が鳴った。
「あの……編集長が、できたらアキレス腱を切った話で一本書けませんか、と言っているのですがーーいかがでしょう」
 とたいへん控えめな口調でお願いされた。
 万太朗は「ああ、プロってたいへん」と心で涙しつつ、
「わっかりましたー。それで許してください」
 と空元気を振り絞り、快諾の意をお伝えした。
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単行本p.32

 第1章は、あちこちの温泉地を回ってさらにスポーツ観戦もという「万太朗がゆく、湯治と観戦」というのんびりエッセイシリーズーーの予定だったのですが、いきなりアキレス腱断裂という顛末が中心となります。気の毒ながら、湯治に行くために必死にリハビリに励む、というのがどこか本末転倒めいていて可笑しい。


第2章
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 そもそも私は、小説のほんの一部分に、建築物としての国会議事堂を登場させたいと思っているだけで、それ以外の創作上の目的は持ち合わせていない。だが、作家が国会に取材に来ると聞けば、普通は政治を扱った小説を思い浮かべるのだろう。ゆえに秘書は気を利かせて、
「委員会を見に行きましょう」
 とただ建物を回るのではなく、政治の生の現場を知るための提案をしてくれた。私も今さら、それは小説とはもう何の関係もないのです、とは言えず、秘書氏について衆議院分館で行われる委員会をのぞきにいくことになった。
(中略)
 あれだけ何時間もかけて、あちこち案内してくれたにもかかわらず、私の書いた国会登場シーンがたったの原稿用紙一枚分で済んでしまったことは、秘書氏には決して言えぬ、私とみなさんだけの固い秘密である。
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単行本p.113、118

第2章は、本やアニメといった創作物がテーマとなります。司馬遼太郎、井上靖、など読んだ本に関する話題が中心ですが、個人的には、自作(『プリンセス・トヨトミ』など)に関する裏話が面白かった。


第3章
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 すべてを了解して唸る私に、「それを見たらわかるだろう」と係長はニヤリと笑みを送った。私はさすが係長と感心しながら、データを拾うべく、席に戻ったーー。
 この一連の夢を思い返すたび驚くのは、何といっても、この係長も私の脳の一部が演じているということである。夢の中で、私の知能レベルを客観的に把握しながら、夢全体を構成するさらに上位の意識が明らかに存在しているという不思議。
(中略)
 疑いなく、奥にいるそいつは私より数段頭がいい。できたら、もう少し普段から助力してくれるとありがたいのだが、残念ながら、室伏の話をしたきり二度と現れてくれない。
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単行本p.152

 第3章は、大阪、静岡といった、かつて著者が暮らした土地の思い出が中心となります。特に大阪ネタは尽きない感じですが、
「このバウムクーヘン、ドイツんだ?」
「オラんだ」
「こんなところに置いたらジャーマ(ン)やがな」
という会話を、間違いなく世界レベルのプレーと絶賛し、十年たった今も色あせない偉業と讃える、その、土地に根づいた感覚が印象的。


第4章
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「大阪の人口ってどのくらいなんだい?」
 と訪ねられ、「ミリオン」は「一万」のことだと思っていた高校二年生の私は、
「二百万人だから、200ミリオン!」
 と明答した。すなわちそれは、二億人という意味なのだが、ホームステイ先のホストファミリーのお父さんは、
「へえ、大阪はスゴい街だなあ!」
 と素直に感心していた。
 今でもこのお父さんの頭の中で、世界の人口の三十人に一人は、大阪に住んでいることになっていると思う。
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単行本p.184

 第4章のテーマは、北京オリンピック、イングランドやバルセロナでのサッカー観戦など、世界が舞台となります。


 他に、「渡辺篤史の建もの探訪」というテレビ番組をひたすら愛でる「今月の渡辺篤史」というエッセイシリーズも収録されています。

 雑多なテーマが詰め込まれた幕の内弁当的なエッセイ集ですが、個人的に最も気に入ったのは、津村記久子さんとの出会いのシーン。これは本当に素晴らしい。津村さんの愛読者は必読だと思います。


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 式のあとの懇親会では、昨年度の「文芸その他部門」を受賞された、芥川賞作家の津村記久子さんにお会いした。立食パーティー形式のなか、出席された歴代の受賞者の方々が、前に出て短いスピーチをするなか、津村さんは皿を手に熱心にスパゲティを食されている。
あまりに泰然としたその様子に、
「津村さんにも、順番が回ってくるんじゃないですか?」
 と訪ねると、
「いえ、私には回ってきません。そんな話は市の方からのメールに、いっさいありませんでしたから」
 ときっぱり言いきり、ふたたびスパゲティに戻られた。私を含め、周囲の誰もが、「そんなわけがない」と思ったはずだが、ご本人が自信満々なので言い返すわけにいかない。仕方なく黙って進行を見守っていると、案の定「昨年度の受賞者、津村記久子さん、どうぞこちらへ」とコールがかかった。
 途端、
「のうぇ」
 と妙な声が後ろから聞こえてきた。津村さんだった。
 何事かうめきながら、津村さんは前方のマイクスタンドへふらふらと向かった。マイク前に立っての第一声は、
「ホンマに呼ばれるなんて、思ってませんでした」
 だった。
 しばらく間があき、ふたたび口を開いたかと思うと、やはり、
「ホンマに呼ばれるなんて、思ってませんでした」
 だった。
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単行本p.164



タグ:万城目学
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