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『コドモノセカイ』(岸本佐知子:翻訳) [読書(小説・詩)]



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 町で子供を見かけると、私はいつも少し緊張する。たとえその子が笑ったり元気に走りまわったりしていても、それはうわべだけのことなのではないか、この小さい体の中では本当はいま嵐が吹き荒れているのではないかと想像してしまう。それは兵士をまぢかに見るのに近い感覚だ。このお方はいま戦っておられるのだ。この人間界に登場してまだ日が浅く、右も左もわからぬまま、降りかかるさまざまな理不尽や難儀と格闘しておられるのだ。そう思うと、私はほとんど畏怖の念さえ感じてしまう。
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単行本p.208


 この理不尽な世界で懸命に生き延びようとしている子供たち。大人たちが忘れてしまった過酷な精神生活を描いた12篇を収録した、子供テーマの短篇小説アンソロジー。単行本(河出書房新社)出版は、2015年10月です。

 宇宙人や怪物との戦いに明け暮れる。大人の魔手から何かを守り抜く。犯罪、事故、そしていじめがはびこる戦場を命がけで駆け抜ける。子供たちの激しく苛烈な精神世界を見事に描いた作品が集まっています。

 いずれも「少し変」なところが共通していますが、何しろ癖になる独特の味わいの「変な話キュレーター」として信頼の厚い、「大人になってからより子供時代のほうがずっと難儀だった。ことに幼稚園はまじり気なしの暗黒時代だった」(単行本p.208)と語る岸本佐知子さんが選んだ話ですから。


[収録作品]

『まじない』(リッキー・デュコーネイ)
『王様ネズミ』(カレン・ジョイ・ファウラー)
『子供』(アリ・スミス)
『ブタを割る』(エトガル・ケレット)
『ポノたち』(ピーター・マインキー)
『弟』(ステイシー・レヴィーン)
『最終果実』(レイ・ヴクサヴィッチ)
『トンネル』(ベン・ルーリー)
『追跡』(ジョイス・キャロル・オーツ)
『靴』(エトガル・ケレット)
『薬の用法』(ジョー・メノ)
『七人の司書の館』(エレン・クレイジャズ)


『まじない』(リッキー・デュコーネイ)
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宇宙人は平行線を好んだので、階段は特に気に入りの場所だった。大きな階段に、奴らが大勢かたまって隠れていることもあった。階段、それから舗道のひびわれ。ラジエーターの下、本のページとページのあいだにも。だが敵は数字の3が嫌いだった。なぜかというと3たす3は6で、彼の歳は7だったからだ。
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単行本p.9

 鏡の中からこちらを見張っている宇宙人の存在に気づいてしまった彼は、宇宙人に身体を乗っ取られないようにあらゆる手を尽くして戦い続けることになった。謎設定と謎ルールにしばられて悪戦苦闘する子供の精神世界を見事に描いた作品。


『子供』(アリ・スミス)
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 耳、聞こえないの? 難聴か何か? と子供は言った。真のテロリストは正規のイギリス人じゃない人たちだよ。そういう連中がサッカー場に忍びこんで、善良なキリスト教徒のサポーターや、罪もないイギリスのチームを爆弾でふっとばすんだ。
 小さな言葉たちはルビー色の口から転がり出た。私は子供の生えそめた小さな歯のきらめきに、ただ見とれていた。
 子供は言った。ポンドはわれわれの正当な遺産さ。イギリス人はこの遺産を守る権利がある。女は子供を産むつもりなら仕事をするべきじゃないね。そもそも女が仕事をもつのがまちがいだ。自然の摂理に反してる。それになに、同性婚だって? 笑わせてくれるよね。
 そして子供は本当に笑った。きらきらと、愛らしく、まるで私のためにだけ特別に聞かせてくれているように。大きな青い瞳はいっぱいに見開かれ、この世でいちばん素晴らしいものを見るように私を見あげていた。
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単行本p.41

 スーパーマーケットで誰かが置き忘れていったらしい赤ん坊を拾った女性。いくら「私の子じゃないんです」と主張しても周囲の人に信じてもらえないので、やむなく自分の車に積んで別の場所に捨てようとするが……。見た目は天使のように清らかな赤ん坊、内面はただの保守オヤジ。子育てって、何て報われないものだろう。収録作品中ほぼ唯一の、大人目線で子供を見た作品。


『ブタを割る』(エトガル・ケレット)
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 毎朝、ぼくは大きらいなココアを飲まされる。膜がはったココアを飲めば1シェケル、膜なしだと半シェケル。すぐに吐き出してしまったら何もなしだ。もらったコインをブタの背中に入れて振ると、ガラガラ音がする。ブタがいっぱいになって振っても音がしなくなったら、スケボーに乗ったバート・シンプソンの人形を買っていい、そう父さんが約束したのだ。これならお前のためにもなるからな。
 よく見るとブタはかわいかった。鼻をさわるとひんやりしていて、1シェケルを背中に入れるとにっこり笑い、半シェケルを入れてもにっこり笑う。でもなんといっても一番すてきなのは、何も入れないときでもにっこりしてくれることだ。
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単行本p.51

 父親から「克己心を養うため」という謎理由で与えられたブタさん貯金箱。よく分からない規則やルールをおしつけてくる大人と違って、ただ自分に微笑んでくれるブタさんを子供は愛するようになる。ブタさん大切な友だち。だがコインがいっぱいになったとき、父親が金槌を持ってきて、さあ貯金箱を壊してお金を出せと命じるのだった……。子供の目からみた大人の理不尽さをしみじみと描いた作品。


『靴』(エトガル・ケレット)
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自分はぜったいにやつらを許さないし、きみたちもけっしてドイツには行かないでほしい。(中略)人はみんな忘れたがるが、きみたちはけっして忘れてはいかん。ドイツ人を見たら、いま話したことをきっと思い出してほしい。そしてテレビだろうと何だろうと、ドイツ製品を見たら、いいか忘れるな、どんなに外側はきれいに見えても、中の部品や管のひとつひとつは、殺されたユダヤ人の骨と皮と肉でできているのだ。
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単行本p.132

 ホロコーストで殺された祖父を持つユダヤ人の少年。生き残りの老人から、ドイツ人がやったことを決して忘れるな、ドイツ製品を絶対に使うな、と教えられる。だが後に、両親が買ってくれた素敵なアディダスのスニーカーが、ドイツ製だということを知ってしまう。僕はどうすればいいんだろう……。結末がはらむ二重性によって、地味ながら忘れがたい印象を残す作品。


『薬の用法』(ジョー・メノ)
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母を苦しめているのは、電気椅子にかけられたような極度のショック症状だ。地下室で首を吊っていた父さんを最初に見つけたのは母で、しかもその日は自分の誕生日だったのだから。科学的に考えれば、それと同じくらい大きいショックを逆方向に与えれば、母はきっと治るはずだった。それには盛装した動物たちのパレードがきっと有効だ。そう僕らの科学は結論づけた。
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単行本p.144

 夫の自殺によるショックで寝込んでしまった母親を慰めようと、姉と弟は動物実験を繰り返す。何匹も、何頭も、犠牲にした上で、とうとう準備が整ったのだが……。子供の無垢な残酷さをテーマにした話ですが、その余韻が消えません。


『七人の司書の館』(エレン・クレイジャズ)
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 そうして一年が過ぎ、二年が過ぎ、ひょっとしたらさらに何年もの時が過ぎていった。図書館の内側では、時間はもはや意味をもたなくなっていた。自然石の正面階段のまわりには雑草やイバラが丈たかく生い茂った。木々は屋根に覆いかぶさり、森は外套のように図書館をすっぽり包みこんだ。
 その中で、七人の司書たちは静かに満ち足りて暮らしていた。
 ある日、赤ん坊を見つけるまでは。
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単行本p.151

 忘れられた古い図書館に閉じこもり、外の世界から切り離された時間の中を生きている七人の司書たち。そこにやってきた一人の女の子は、図書館から一歩も外に出ないまま、山ほどの本に囲まれてすくすくと成長してゆく。

 世の中の面倒なことから切り離され、ひたすら本を読み、本を愛する人々に囲まれて育つ子供。哲学分野で有名な思考実験「マリーの部屋」をそのまま書いたような寓話ですが、何しろ一日中ひたすら本を読んでいるだけでよいという、夢の生活が魅力的。

 なお、この話は以前読んだことがあるなと思って調べてみたら、SFマガジン2009年12月号に『図書館と七人の司書』(エレン・クレイギス、井上知:翻訳)として掲載されていました。



タグ:岸本佐知子
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