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『地球の中心までトンネルを掘る』(ケヴィン・ウィルソン、芹澤恵:翻訳) [読書(小説・詩)]

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「大丈夫だよ、アレックス。きっとうまくいくからね。何もかも順調だからね、きっとうまくいくって」そのことばを打ち消す筋書きはいくらでも思いつく。そうはならない可能性がいくらでもあることは、ぼく自身がいちばんよく知っている。それでも、今この子に言ったことは本当のことだ。ぼくはそう信じることにする。
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Kindle版No.4748

 レンタル祖母、スクラブルの「Q」の駒だけを集める担当、洗練されたゴミ屋敷の管理人、プロの悲観主義者、そして拳銃で自分の頭を撃ち抜くだけの簡単なお仕事。ありそうでなさそうな職に就き、他人と分かり合えない深い孤独を抱えて生きる人々。現代人の哀しみ、諦念、そしてささやかな希望を描き、心を震わせる11篇。単行本(東京創元社)出版は2015年8月、Kindle版配信は2015年8月です。


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 本作『地球の中心までトンネルを掘る』は、サスペンス、ホラー、ダークファンタジー等の要素を持つ優れた作品に贈られるシャーリイ・ジャクスン賞と共に、ヤングアダルト読者に読ませたい一般向けの作品を対象とする全米図書館協会アレックス賞を受賞した短編集だ。どの作品も、コミカルで現代的な空気を軽やかにすくいとりながら、ビターで複雑な味わいと普遍的な真理を穿つだけの強度を併せ持つ。
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Kindle版No.4778


 他人に理解されない孤独や空しさとどのように向き合ってゆくか。現代を生きる私たちが抱えているどうしようもない哀しみを描いた傑作揃い。個人的に、今年のベスト短篇集に決まりです。熱烈推薦。


[収録作品]

『替え玉』
『発火点』
『今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き』
『ツルの舞う家』
『モータルコンバット』
『地球の中心までトンネルを掘る』
『弾丸マクシミリアン』
『女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の)』
『ゴー・ファイト・ウィン』
『あれやこれや博物館』
『ワースト・ケース・シナリオ株式会社』


『替え玉』
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今の人生に満足している人でも、まるで別の人生にもそうした人生なりの良さがあることは理解できるものだ。だからこそ、実に自然なことに思えたのだ。新聞の求人欄にこんな広告を見つけたときには――祖母募集します:経験不問。
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Kindle版No.51

 亡くなった祖母の代役を提供するレンタル祖母派遣業。多くの家庭で活躍しているベテラン「祖母」である主人公は、まだ生きている(老人ホームに入った)祖母の代役という仕事に取り組んでいるうちに、それまでのように、家族とは何なのかという問題から目を背けていられなくなる。


『発火点』
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工場に着くと、建物のまえに並ぶ人の列に加わり、まえの人に続いて仕分け室に入り、それから八時間、アルファベットの雨が降り注ぐなかで過ごす。
 ぼくは《スクラブル》の工場でコマを文字ごとに選り分ける仕事をしてる。
(中略)
二十歳のときからこの仕事をしているから、Qのコマを集めだして、そろそろ三年になる。それなりにコツはつかんだけど、コマの山に手を突っ込んだとき、指先に触れる文字がEやNやAだったりすると、その文字の担当だったらいいのに、と思わずにいられない。
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Kindle版No.660、677

 人体自然発火現象で両親を同時に失った主人公は、文字並べゲーム「スクラブル」の工場に勤め、生産ラインから降り注いでくる大量の駒から「Q」だけを集めるという仕事をしている。あまりにも報われない生活、自分も自然発火して無意味に死ぬのではないかという不安。工場まで往復する歩数をひたすら数えることで毎日をやり過ごす。そんなとき、転機となる事件が起きたのだった。


『今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き』
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シナモン・トーストは真っ黒焦げだ。キッチンの戸口のところからそれを眺めていると、姉が気づいて、にっと笑い、トーストをひとかじりして、半ば無理やり嚥みくだす。姉はそこでまた、にっと笑う。口元からのぞく歯に、パンとパンの焦げたところの黒いかすが付着している。結局はこれが姉に関するほぼ最後の記憶となる。
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Kindle版No.1064

 自傷的な姉とシスコンの弟。その姉を突然の事故で失ったとき、弟である繊細な少年はどのように感じ、どのようにふるまえばいいのか。この大問題をかつてない規模で実用的かつ学術的に探求した権威あるハンドブック。その第五巻から一部の項目を抜粋。


『ツルの舞う家』
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折りヅルが着地するまでのほんの一瞬、父さんや叔父さんたちが互いを押しのけ、手を伸ばすまでのほんの一瞬、ぼくは祖母ちゃんのノブヨ・コリアーのことを考え、祖母ちゃんがどこか遠いところに、折りヅルたちさえたどり着けないほど遠いところにいることを願う。そして、その場所で幸せになれたことを願う。
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Kindle版No.1623

 いがみ合ってばかりの息子たちに和解の機会を与えようと、日系人である祖母が残した遺言。それは全員で分担して千羽鶴を折るというものだった。だが、ろくでなし揃いの兄弟はいさかいを止めようとしない。その見苦しい様を見せつけられることになった孫は、天に舞い上がる折り紙のツルを見ながら、幸薄い祖母の冥福を祈ることしか出来なかった。


『モータルコンバット』
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スコッティに握られ、あいつの手のなかで噴射したことを思い出す。それからスコッティを殴ったことを思い出す。そして深く恥じ入る。どちらのことについても。できるものなら、以前の状態に戻りたいと思う。ふたりとも幸せではなく、人気者でもなく、そこから脱却することも変わることもできずにいたあの状態に、戻れるものなら戻りたいと思う。
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Kindle版No.1924

 他に友達がおらず、昼休みは図書室の視聴覚室に閉じ籠もってひたすらトリビアクイズの応酬をしていた二人のナード少年。それなりに安定していた二人の関係が、しかし突然に性的なものに変容してしまう。

 そもそも自分たちはゲイなのか、それとも一時的に気が変になっただけなのか。このまま関係を続けるか、それとも互いに唯一の友達を失うか。深刻に悩み混乱する二人。いかにもナードらしく、対戦型格闘ゲーム『モータルコンバット』で決着をつけるというなりゆきに。


『地球の中心までトンネルを掘る』
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そう、三人とも気づいていなかったのだ。大学生活というのは、その先の人生に乗り出していくための準備期間だということに。卒業した暁には、実社会できちんと定職に就き、自分の身は自分で養い、一般家庭向きの実用的な車を買ったり雑誌の定期購読を申し込んだりというようなその他もろもろの事柄を、なんなくこなせるようになっているべきなのだ、ということに。そんなふうに世間から期待されている行動との距離感のようなものが、ぼくたち三人にシャベルを持ち出させたんじゃないだろうか。ぼくには、それ以外に、理由らしきものは思いつかない。
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Kindle版No.2092

 大学を卒業した後も何となくぶらぶらしていた三人が、自分たちにもよく分からないままに地面を掘り始める。ひたすら掘り続け、トンネルはどんどん伸びてゆき、やがて三人は地上に戻らなくなる。地下深くで、これ以上に満足すべき幸福な生活はないとさえ感じる三人。だが、もちろん、いつまでもモラトリアムが続くはずはないのであった。


『弾丸マクシミリアン』
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最近ではショウを見ること以外はほとんど何もしてない。バスに揺られてるあいだは、窓のそとをぼんやりと眺めながら、スービーのことを考えてる。あの大きくて、澄んでいて、吸い込まれそうなブルーの眼のことを考え、嬉しいときにはどんな眼をして、哀しいときにはどんな眼をしてたかを思い出してみる。そして、スービーのとこに帰りたくなる。
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Kindle版No.2662

 下世話な出し物を売りにしている見せ物一座の看板演目は、拳銃で自分の頭を撃ち抜く驚異の男マクシミリアンだった。その噂を聞いてからというもの、見たくて仕方ない主人公は、何とか恋人のスービーを説き伏せて一緒に見に行くことにしたが……。


『女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の)』
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 確かに赤ん坊は登場するし、それから、そう、歯のことにも触れる。だけど、そのふたつはあくまでも添え物だ。そっちにばかり気を取られないでほしい。特別なことでもなんでもない。その赤ん坊には歯が生えているというだけのことだ。
(中略)
 いずれにしても、この話はその赤ん坊のことではなく、その赤ん坊の父親のことだ。赤ん坊の父親は、とある私立学校で生物の教師をしていて、その学校の女子合唱部の指揮者と情事を重ねている。というわけで、罪悪感あり、不埒な欲望あり、裏切りと欺瞞あり、この手の話にはつきもののあれやこれやがあって、要するにわれわれの日常生活が赤裸々に語られることになるわけなんだが、そうか、それでもやっぱり、赤ん坊のことが気になるわけだな。
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Kindle版No.2680

 ある男の不倫、その発覚、お決まりの修羅場、という物語を通じて人の執着について語る作品。であるはずなのに、聞き手であるあなたは、生まれたときから歯が生え揃っている赤ん坊のことで頭がいっぱいだ。何とかしてあなたの注意を人の執着心についての物語に引き戻そうとするが、どうしてもあなたは歯が生え揃っている赤ん坊のことが気になってしまう。


『ゴー・ファイト・ウィン』
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やりはじめると不安になる。途中で急に、あれ、あたし、もしかしてショーツを穿いてないんじゃない? という実に筋の通らない、根拠もへったくれもない恐怖に襲われるのだ。チアリーダーとして体育館の硬材張りのフロアに飛び出していく瞬間から、演技を終えて更衣室に引きあげるまで、ペニーは息をころし、自分の存在が誰の注目も集めないことを祈るような気持ちでいる。それでも、観客席に眼を向けたととき、そこにクラスメートがぎっしり坐っていることに気づくと、あの子たちと一緒にあそこに坐っていなくていいのはありがたいことだとも思う。ごくわずかとは言え、とりあえずそんなふうにほかのみんなから距離を置けるのは、ほっとできることだった。
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Kindle版No.2957

 母親の強引な勧めでチアリーダーチームに参加した主人公は、その優れた運動能力と顔だちの良さで、仲間からも一目置かれる。だが、本当はギークな彼女が心からやりたいことは、自室に閉じ籠もってプラモデルを作ること。

 どうしてもチーム仲間に馴染めず、他人との会話が苦手な彼女だったが、あるとき、同時に二つの事態が進展する。一つは、自分と同じような変わり者タイプの年下ギーク男子に出合って衝動的にキスしてしまう。もう一つは、ふとした事件がきっかけとなってチームの人気者となり、みんなからパーティに誘われたり、イケメンのスポーツマンに口説かれたりする。

 二つの人生の間で悩めるヒロイン。というのは嘘で、彼女は少しも悩まない。本書収録作品中で個人的に最も気に入ったラブストーリー。


『あれやこれや博物館』
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当博物館では、コレクションに対する思い入れという面にもかなりの重きを置いている。蒐集されてきたものが、それを集めていた人物の日々の暮らしのなかでどのような位置を占めていたのか、集めたコレクションが当人にとってどのぐらい心の支えとなっていたのか、そうしたことがコレクションを評価する際の加点ポイントとなる。そんなわけで、文字を切り抜いて蒐集していた少年が、自分のコレクションの一部を使って遺書をしたため――この世界にぼくの居場所はない――その後自殺を遂げた時点で、当博物館は新たな展示品を手に入れたとも言える。
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Kindle版No.3997

 他人から見るとただのゴミにしか見えないものに執着し、ひたすら集める人々。彼らの収集品を集めて展示する、いわば洗練されたゴミ屋敷ともいうべき博物館。そこを独りで管理している主人公は、徹底したミニマリスト。ものを持たない、ものに縛られない生活をしている彼女には、ものに執着する人々のことが理解できない。

 友達も恋人も持たないシンプルな人生にそれなりに満足していた主人公だが、博物館に定期的にやってくる客に淡い恋心を抱くようになる。彼は自分の母親よりも年上の高齢者だが、執着心さえあれば歳の差なんて。でも、問題は、彼女には他人に対する執着心が欠けていることだった。


『ワースト・ケース・シナリオ株式会社』
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ぼくはそうやって客先の企業に、起こりうる最悪の筋書きを残らず提示し、それに対して客先の企業はけっこうな額を支払う。ぼくを送り出すときには、先方はおしなべて不安を募らせ、いわゆる深い憂慮の表情というやつを浮かべていることが多い。けれども、それに対して力になれることは何もない。ぼくが提示できるのは、起こりうる事態であって、それをどうやって防ぐかではない。
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Kindle版No.4419

 顧客に対して、起こりうる最悪の事態を、裏付けとなる統計データやシミュレーション画像と共に提供するワースト・ケース・シナリオ株式会社に勤めるコンサルタント。悪い事態を想定することに関して徹底した訓練と経験を積んだ、いわばプロの悲観主義者だ。

 何もかもが悪くなるという確信と共に生きている彼は、そのせいで顧客からは殴られ、恋人にはふられ、おまけに若年性の脱毛が進行してゆく。そして今や、仕事のトラブルで解雇されようとしている。人生は予想通りだ。

 しかし、そんな彼も、生まれたばかりの赤ん坊の運命を悲嘆する母親を前にして、ついに苦い楽観主義に屈する。きっとうまくゆく、大丈夫だ、もちろん嘘だけど、そう信じることにする。


『Bootleg』(土岐友浩) [読書(小説・詩)]

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しょこたんをたまに応援したくなるひとり暮らしのおしろいの花
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よく冷えた缶コーヒーを飲みながら違いがわかることのかなしさ
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できるならこうしてずっとプリンタを買わずに済ませたい雨上がり
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 街を歩いていて、旅に出ていて、ふと気になったちょっと変なあれこれ。見逃してしまいそうなささやかな違和感を丹念に書き留めたような、気になる歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は2015年6月です。


 変というほどでもない、でも少し心が動いた、そんな瞬間を逃さず、僕はシャッターを切った。そんな感じの作品が魅力的です。ところでシャッターを「切る」というのは何か変ではないですか。シャッターなんだから「閉じる」ではないのでしょうか。どうしても切るといいたいのなら、むしろカッターと名のるべきではないでしょうか。気になる。


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そのひとは五月生まれで「了解」を「りょ」と略したメールをくれる
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できるならこうしてずっとプリンタを買わずに済ませたい雨上がり
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よく冷えた缶コーヒーを飲みながら違いがわかることのかなしさ
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しょこたんをたまに応援したくなるひとり暮らしのおしろいの花
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 旅に出ても、旅情より、抒情より、何か変なことが気になって仕方ないことがあります。


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なんとかという大統領を勝手に応援するなんとかという町に来ました
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入れておいたバケツのなかをゆっくりとゆっくりとウニはのぼって逃げた
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鳴き声を設定したらよさそうな亀のかたちの飛び石を踏む
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 「気になる人」は、どこで何が気になるか分かりません。


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苔に苔が生しているのか狛犬がますますでこぼこになっている
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まるでそこから浮かび上がっているようなお菓子のそれでこそビスケット
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あきらかにちょっとおかしい看板を広い通りに出しているカフェ
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 「あきらかにちょっとおかしい看板」というのは、あきらかにおかしいのか、ちょっとおかしいのか、どちらなんでしょうか。ではここで、内容を見てみましょう。


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ハワイアン・バーガーただ今の時間も販売中(大量仕入れにより)
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冬季オリンピック放映中!学生さんは、ライス大盛りが無料です
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京大ではスポーツで勝てない。そう思っていた時期が僕にもありました
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清明神社近くの新築オール電化マンションの登場です
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ハワイアン・バーガーただ今の時間も販売中(原材料の緊急入荷により)
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 「あるとき街を歩いて見つけた看板や広告、注意書きなどの内容を、そのまま書き留めて並べたものです」(単行本p.103)という作者注がつけられた連作。おそらく本当にこういうことが「気になる人」なんだろうな、と思います。

 というわけで、気になる人のためのちょっと気になる歌集です。そもそもタイトルが気になるという方にお勧めします。



『艸の、息』(松岡政則) [読書(小説・詩)]

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たびさきではいやなことはしないですむ
めしは姿勢をただしてだまって喰う
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『遊動するもの』より


 食べること、生きること、出合うこと。詩、聲、台湾。『口福台灣食堂紀行』に続く最新詩集。単行本(思潮社)出版は2015年9月です。

 松岡政則さんの詩集というと、とにかく『口福台灣食堂紀行』が素晴らしくて、個人的に「この人は台湾紀行詩を書く人」という印象がどうしても拭えません。ちなみに単行本読了時の紹介はこちら。

  2012年09月19日の日記
  『口福台灣食堂紀行』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19


 本書にもいくつか台湾紀行詩は収録されていますが、まずは世相や詩作そのものを扱った作品が中心となります。


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じぶんでは考えない
群れたがるからどんどん弱くなる
たった二年やそこらでなにもなかったことにする
あれが、ふつうのひとびとだよ
ふつうのひとびとはおそろしいよ
いつの時代もそうだった
「賎民廃止令」反対一揆も
「非国民」をつるしあげたのも
ふつうのひとびとのやったことだった
ごくふつうの家のお父さんお母さんで
勤勉で実直で礼儀ただしい
あれが、おそろしい
ただしい聲はおそろしい
めいめいがめいめいの聲に戻れなくなるおそろしい
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『逃散する』より


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わかっている祖さまらの列には加われない
いまさらあやまりようがないのだ
因は、じぶんにある
からだのどこかすーすーする
ぱなるじん。
ばいあすぴりん。
もうなにが痛いのかもわからない街だ
やかましく差別をたのしんでいるのもいる
ひとはあんなふうにも振る舞える、げにおぞましき生きものだ
聲こそが本性だろう
文体とは態度のことだろう
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『三段峡行』より


 世相に詩の言葉はどう向き合ってゆくべきなのか、そもそも詩とは何なのか。自分にとってのその答えを探してゆきます。


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会ったことはないのだけれど
もう会ったようなものだ
詩集『キルギスの帽子』に
「村の一角」
という詩があって
くさのさなえを知った
いいやその孤独にじかにさわった、といっていい
一篇の詩とは
そういうものだ
(中略)
そうやって詩のつづきにいると
もうどんな自分でもかまわない、と思えてくる
くさのさなえの幼きものや
しどけないまで混じりこんできて
そのままバスのなかに住みつきたくなる
家庭がなんだ
一篇の詩とはそういうものだ
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『詩のつづきにいると』より


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夜の公園で
軋り音がする
ギーギー、ギーギー
だれかがブランコを漕いでいる
まぢかでみると中年の地味なおんなだった
こどもみたいに
ぐいぐい漕いでいる
ぐいぐいぐいぐい漕いで
しずかに怒っている
(中略)
ギーギー、ギーギー
おんながブランコを漕いでいる
いのちのかたまり漕いでいる
詩で、汚れるのもいる
土には還れないのもいる
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『漕ぐひと』より


 そして、心が向かう先は、台湾。


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地図をひろげる
新竹縣尖石鄉玉峰村司馬庫斯
玄武岩をつかった石版屋根の聚落
あわの畑、ももの林
異土のひかりにつつまれる
あこがれのスマグス
その奥深い杣道で
じげのものとすれ違う
かるく会釈をすると無骨な笑顔が返ってくる
そういう出会いをしてみたい
ことばを交わさない出会い
その一度きりを歩くのだ
地べたから伝わってくるもの
台灣はなんでだろう姿勢がよくなる
だれでもない雑じりっけなしの独りになる
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『異土のひかり』より


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嫌われないように傷つけないように誰もが器用に過剰に生きている、その不潔。名づけようのないものを哀しみといってみる、その不潔。見すぎた気がする、いいやまだなにほどのものも見ていない気がするその不潔。だまっている不潔。ちかくの建物に若いひとがつどっているようだ。「島嶼天光(この島の夜明け)」の大合唱が聞こえる。
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『南澳火車站』より


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台灣のどこでだったか庭の椅子にあんきに坐っておられた嫗。
なにも訊いていないのに(郵便屋さんをまっています。
かえりにもみた笑っておられたあれは永遠です。

たまかな暮らしにもどこかしら祝福があった。
こどもらの聲はそのままひかりのつぶつぶになった。
にがよもぎ。土徳の地にも命がけでついた嘘があっただろう。

川原にはがんらい名前がない道がない。
川に足を浸けてみるそうやって聲を清潔にする。
水のなかの足とひかり足とひかり鮴がちょこっと動いた今今。
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『たまもの』より


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しらない土地でバスをおり、
しらない者どうし互いのまなうらをとり換えてすれ違う、
それが旅にくらすということだ
うしろで苛ついていた大型トラックが
いまバスの横っ腹をぬいていく
三人乗りのバイクもうれしげにぬいていく
「我怎麼會這麼的開心(ぼくはなんでこんなに楽しいのだろう)」
クラウド・ルーの「歐拉拉呼呼」がかかっている
しらない川、しらない震え
もうからだのどこにも散文はない
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『民族街3巷』より


 こうして台湾を通じて詩と聲を取り戻してゆく様は感動的で、泣けてきます。他の国を扱った紀行詩も収録されていますが、個人的に、どうしても台湾を推したくなるのです。



『この世にたやすい仕事はない』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

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それは、自分があるいっとき、これに人生の長い時間を費やすのだ、と決めた仕事から、自ら手を引いて、目を背けようとしていたのに、同じ場所で今も仕事をしている人と出くわしたことの気まずさと、裏腹のうらやましさを含んでいた。
(中略)
 それでええんやと思う、と箱田さんは付け加えたらしい。前におった人も、前の前におった人も、本筋の仕事でなんかあって公園に来た人みたいやったけど、この仕事で、まあ働けんねやな、と思って、そんでまた自分の仕事に戻ってったらええやん、と。
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単行本p.337、341

 ひどいパワハラで仕事を辞めた36歳の女性が、ハローワークで紹介された短期仕事を転々とする。それぞれに奇妙な、5つの職場、5つの仕事。働くことを通じて、彼女の心は次第に回復してゆく。職場小説の名人による五篇を含む連作短篇集。


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退職届だって、すべて『一身上の都合』で片付く。三十分に一度上司に嫌味を言われるだとか、指示書に間違って記された存在しない書類の紛失を自分のせいにされただとか、同僚に悪辣な噂を流されただとか、取引先のおやじと飲みに行かなかった後に仕事の内容を見直すことになってその責任を押し付けられたとか、どんな複雑な事情があっても、『一身上の都合』で丸めてしまう。
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単行本p.58


 過去の作品にも書かれていたような苛烈なパワハラを受けて、燃え尽きた女性が語り手となります。退職して引きこもり状態になっていた彼女が、紹介される短期仕事を次々と受けて働くうちに次第に回復してゆく、という連作短篇集です。

 ありそうでなさそうな奇妙な仕事。よく分からない不可思議な状況。とぼけたユーモラスな味わいのなかに、人が尊厳と生活を保つには色々あっても仕事に誠実に向き合ってゆくしかない、という覚悟をにじませる、心に響く作品です。そしていつもの通り、本筋とはあまり関係ない職場生活の細部や心理の描写が、圧倒的な共感を呼ぶのです。


『第1話 みはりのしごと』
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一日スキンケア用品のコラーゲンの抽出を見守るような仕事はありますかね? と相談員さんに条件を出してみた。だめもとだった。(中略)怒られるだろう、と思った。しかし、初老の相談員の女性は、「あなたにぴったりな仕事があります」と、その柔和な物腰にそぐわない感じで、キラリとメガネを光らせたのだった。
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単行本p.11

 最初に紹介されたのは、犯罪者でもスパイでも何でもない一般人の生活を、自宅に仕掛けられた監視カメラでずっと見張るというお仕事。録画した他人の生活をひたすら見るだけ、という普通なら耐えられそうにない退屈な仕事を淡々とこなす語り手。自分が買えなかったスーパーの特売ソーセージを監視対象者が食べているのを見て、ショックのあまりがっくりきたり。

 やがて、監視対象者が頻繁に背後を振り返って監視カメラに視線をやるようになったのだが……。


『第2話 バスのアナウンスのしごと』
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「だから一度、ないと思っていたのに現れた店の音声を、しばらく経ってから消してみて、それを送信したことがあるんだよ、江里口君にはもちろん内緒で」風谷課長は、本当に悪いことをしたとでも言いたげな、苦い顔付きで続ける。「その後、その店のあったところを見に行ったら、閉店していたんだ。看板も取り外されていて、よほど注意深く見て回らないとわからなかった。消えるように、なくなってしまったんだ」
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単行本p.85

 次に紹介されたのは、地域巡回バスの車内アナウンスに路線上の様々な店や施設の宣伝文句を入れて編集するというお仕事。先輩について作業を進めてゆくうちに、やがて語り手は奇妙なことに気づく。先輩の江里口さんが車内アナウンスに新しい店の宣伝文句を入れると、それまでなかった場所にいきなり店が出来るような気がしてならない。いや、まさかそんな馬鹿な。

 やがて上司が声をひそめて言い出す。実は自分も不思議に思って、江里口さんが入れた宣伝文句をこっそり削ってみたことがある。そしたら、新規開店したばかりのその店は、最初から存在しなかったように消えてしまったんだ……。


『第3話 おかきの袋のしごと』
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 なんでしょう。十歳から九十歳までを意識した上で、無難さは排除して、ニッチに徹するべきなんでしょうか、たとえばですけど、有名な心理実験について書くとか、と言うと、社長は、そういうのもありだね、とやや腰を浮かせ気味にしたので、私はあわてて首を振って、極端な一例ですが、と付け加えた。社長は、我に返ったように、そうだね、確かに極端だ、と椅子に坐りなおしたものの、なんだか残念そうではあった。
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単行本p.141

 次に紹介されたのは、お菓子の袋の裏に入れる「豆ちしき」を書くお仕事。見せてもらったサンプルがいきなり「世界の謎(17):ヴォイニッチ手稿」というものだったので戸惑う語り手。何でおかきの袋にヴォイニッチ手稿やジャージーデビルの話が。

 お菓子の購買者である十歳から九十歳まで誰もが興味を持つ話題で、もちろん問題になったりしない無難な内容で、しかし製品を強く印象づける尖った豆知識。そういうのをどしどし書いてほしいんだ。はあ。


『第4話 路地を訪ねるしごと』
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 でも、後に退くことはできなかった。私もまあ、『孤独に死ね』とか言われたらそりゃ怒るよってことだったのかもしれない。(中略)
 靴に足を入れて、塗料の缶を拾い上げ、私はカニ歩きで、どこへ続くともしれぬ暗い建物の隙間を進んだ。何をばかなことをしているのか、と自分でもわかっていた。しかし、それを上回って、こうしてやる、と思った。そっちが『孤独に死ね』って言うんなら、このぐらいのことはしてやる。
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単行本p.240、248

 次に紹介されたのは、地域を回ってポスターを貼り替えるというお仕事。最初は地味で単純な仕事と思えたが、実は、ポスターを貼るということが、ある宗教団体との陣取り合戦になっていることが判明。いわば、アナログIngress。

 頑張って敵の勢力範囲を狭めているうちに、事務所のシャッターにスプレーで『孤独に死ね』という陰湿な落書きをされる。それが「毎日つつがなく暮らしたい、これ以上、働くことから余計な感情を押し付けられたくない」(単行本p.72)と思っていた語り手の何かを突き刺し、怒りを引き出した。こうなったら退かない、やってやる。


『第5話 大きな森の小屋での簡単なしごと』
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「森閑」という言葉があるけれども、木々に囲まれてまさしくその通りの状況の中、ひたすら『大スカンジナビア展』のチケットにミシン目を入れていると、どこか心地好い気分にすらなってくる。無心という状態である。まだこの仕事を始めて数時間だが、軽率で調子がいいと思いつつも、自分はこの仕事に向いているんじゃないかという気がしてくる。前任者はなぜ、こんな心静かでらくな仕事を辞めてしまったんだろうか?
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単行本p.277

 携帯電話すら繋がらない静まりかえった無人の森の奥にある小屋。そこで一日中チケットにミシン目を入れるという簡単なお仕事。前任者は心を病んで辞めてしまったという。語り手は不思議に思うが(不思議ですか?)、やがて、薄々気づいてゆく。自分以外の誰か、あるいは何かが、この森にいることに。



タグ:津村記久子

『十三夜(DVD版)』(Co.山田うん) [ダンス]

 昨年の11月にシアタートラムで観て、「今年の個人的お気に入りダンス公演ナンバーワンはこれで決まり」とか騒いだ公演がDVD化されたので、購入して鑑賞しました。収録時間は42分です。特典映像やボーナストラックの類はありません。

 『十三夜』の公演鑑賞時の紹介はこちら。

  2014年11月25日の日記
  『ワン◆ピース 2014』『十三夜』(Co.山田うん)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-11-25

 DVDで改めて見ても、やっぱりかっこいい。公演時は最前列で観たのですが、特に目の前でダンサーが踊っているときなど舞台全体を広く見渡すことが難しく、今になって初めて「あっ、あのシーン、後ろの方でこんなことやっていたのか!」と驚くことも。

 中央客席後ろから俯瞰した映像がメインで、ときどき舞台左右手前床から見あげた映像に切り替わり(特に多いのは右手前から)、ソロの見せ場などでは舞台上ダンサーのズームアップ映像が入ります。

 ヲノサトルさんの音楽はクリアに入っており、特に前半のピアノなど画像と関係なく何度も聞いてしまうほど魅力的。全体に録音は良好です。

 ラスト6分の盛り上がりは凄くて、公演を観ているときは心臓がばくばくするほど興奮したのに終わったらほとんど覚えてなくて悔しかったのですが、今回、落ち着いて鑑賞できたのが嬉しい。


タグ:山田うん