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『失われた夜の歴史』(ロジャー・イーカーチ、樋口幸子・片柳佐智子・三宅真砂子:翻訳) [読書(教養)]

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電灯やガス灯が普及する以前、人々はまだ弱々しい明かり(蝋燭やランプなど)を手にするだけだった。夜の闇は深く、広大で、そこは昼とはまったく異なる「もう一つの王国」だったのだ。本書は膨大な一次資料を駆使することで、こうした夜の相貌を初めて一貫して浮かび上がらせることに成功した。(中略)読者は本書の数々のエピソードを読み進めるうちに、まるで自身が時空を超えて、近世の闇のただなかに佇んでいるかのような感覚を覚えるに違いない。(中略)そして、私たちの生きているこの眩い光の時代が、どれほどの闇夜の蠢き、畏怖や幻影などを封じ込めてこそ成り立ってきたのかも実感されるに違いない。
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単行本p.510、511

 産業革命前の西ヨーロッパ。人々にとって夜は、昼間とは異なる別世界だった。これまで歴史家にも軽視されがちだった近世の「夜」の生活と文化を活き活きと描き出した労作。単行本(インターシフト)出版は2015年1月です。


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本書は、長年にわたって夜間の活動が過小評価されてきたことに異議を申し立てるだけでなく、あるイギリス詩人が「もう一つの王国」と呼んでいるように、昼間の現実とは大きく異なる、豊かで活気あふれる文化を掘り起こすことを目指している。(中略)本来的に解放と復活の時である夜は、善良な者にも邪悪な者にも、つまり通常の生活における有益な力にも有害な力にも、自由を与えたのだ。
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単行本p.11


 電灯どころかガス灯すらない時代、人々にとって夜はどのような時間だったのか。本書はありとあらゆる膨大な資料をもとに、その具体的な様子を詳細に描き出してゆきます。手紙、回顧録、旅行記、日記、裁判記録、新聞、雑誌、ことわざ辞典、詩、戯曲、小説、バラッド、寓話、説教パンフレット。それらの行間から浮かび上がってくる、近世の「夜」という私たちの想像を絶する異世界。

 全体は四部構成となっています。


「第I部 死の影」
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産業革命前の時代には、夕暮れは危険に満ちているように思われたのだ。近世の世界では、暗闇は、人間や自然、宇宙の最も悪い要素を呼び起こすものだった。(中略)有害な霧が付きまとう不気味な空間、邪悪な霊、自然災害、そして人間の悪行。これらは夜の黙示録に登場する四騎士だった。
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単行本p.24、95

 夜と暗闇に対する恐怖が最初のテーマとなります。第1章では、疫病を運んでくる有害な霧、跳梁跋扈する悪魔や魔女たち、そして事故の危険性について語られます。第2章では、略奪や暴行、そして火事といった、より世俗的な脅威が扱われています。


「第II部 自然界の法則」
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布告や法令は死文化したも同然になっていた。実際、産業革命の到来まで、都市部でも農村地帯でも、夜の時間帯は法の監視を免れていた。カルボニエの優雅な言い回しによれば、「法の空白」である。法は弱く、夜の危険はあまりに大きかったので、当局は地域社会への責任を放棄したのだ。(中略)
結局、夜は当局の管理が及ばない領域であり、法廷も治安官も変えることのできない自然界の法則が支配する世界だったのだ。
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単行本p.134、140

 悪魔や邪悪な霊はともかくとして、少なくとも暴力と犯罪については当局が取り締まるべきではないでしょうか。ところが、実際には、夜は事実上の無法地帯となっており(第3章)、人々は家に閉じ籠もって命と財産を自力で守らなければならず(第4章)、弱々しい蝋燭の明かりだけを頼りに外出することには大きな危険が伴ったのです(第5章)。


「第III部 闇に包まれた領域」
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夜は、さまざまな危険があったにもかかわらず、産業革命前の生活のいかなる時間帯よりも多くの自由を、多くの人々に約束していたのだ。光は純粋な幸福ではなく、暗闇も必ずしも不幸の源ではなかった。(中略)
日が暮れると、日中は禁じられている行動の機会が広がり、条件が整った。夜だけが、人に心の内なる本当の自分を表現することを許した。
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単行本p.231

 これまで説明されてきた危険や恐怖にも関わらず、人々は夜間にも様々な活動を行っていました。多種多様な労働に従事する者もいます(第6章)。酒場での乱痴気騒ぎ、ロマンスや不義密通、結婚前に男女が(親の監視のもとで)肉体関係を持つことなく同じベッドで寝る「バンドリング」の風習、そして読書や瞑想などの自己探求。様々な「夜の活動」について、第7章で詳しく解説されます。

 しきたりや礼儀作法から解放される夜に、王侯貴族たちは何を仕出かしていたか(第8章)。虐げられている下層階級は「見張られていない」夜に何をしていたか(第9章)。

 歴史書では無視されがちな「夜の文化」の幅広さと自由さ(何でもあり感)に圧倒されます。性的逸脱、窃盗、密輸、密猟、売春、暴動、ギャング団の乱暴狼藉、といった刺激的な話題がぎっしり詰まっているこのパートは、本書最大の読み所といって良いでしょう。


「第IV部 私的な世界」
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近世の終わりまでは、西ヨーロッパ人はたいてい毎晩、一時間あまり覚醒したまま静かに過ごす合間をはさんで、まとまった時間の睡眠を二回取っていたのだ。(中略)男も女も、起きようと思わなくても夜中に目覚めることが、誰でもしている当たり前のこととして二回の睡眠に言及していた。(中略)現存する大量の証拠から、睡眠の途中で自然に目が覚めるのは、邪魔が入った結果や睡眠の異常ではなく、いつものことだったのが分かる。
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単行本p.432、433、434

 このパートでは、最も一般的な夜の活動である「睡眠」がテーマとなります。まず睡眠時間や睡眠環境、そして身分を越えてベッドを共有する「ベッド仲間」について(第10章)、続いて近世の眠りが決して安らかではなかった理由として、うつ、悪夢、騒音、寒さ、害虫(ダニやノミ)、寝床の不快さ、といったことが解説されます(第11章)。

 第12章では、産業革命以前は普通のことだったという「分割睡眠」について解説されます。睡眠時間が分割されることでどのような影響があったのか、というより人工照明の登場により睡眠時間が分割されなくなったことでどのようなことが失われたのか、という興味深い話題が語られます。


 通読しているうちに、どんどん近世の「夜」に取り込まれてゆく心地がします。人々が脅え、暴力をふるい、酒を飲んで騒ぎ、乏しい明かりの下で性交や祈祷や読書や労働に勤しんでいる夜。次々と登場する興味深い話題を追っているだけで、実際にその暗闇に包まれているような気持ちになるのです。

 というわけで、歴史書としても非常に興味深い本ですが、何より「夜」の文化を愛する人々にお勧めします。誰もが24時間煌々と照らされた不夜城に住むこの時代に、私たちは何から解放され、同時に何を失ったのかを、省みることが出来る優れた一冊です。


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我々の夢が生み出す想像力に富む世界は、分割睡眠が失われたことでいっそう遠ざかり、それと共に、我々の内面的自己を理解する力も衰えてしまった。(中略)闇がなくなれば、プライバシーや親密さや内省の機会がいっそう少なくなるだろう。そのような明るく照らされた時代になったら、我々は人間にとって不可欠な要素を失うことになるのではないだろうか----永遠と同じくらい貴重なものを。
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単行本p.485


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