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『見てしまう人びと 幻覚の脳科学』(オリヴァー・サックス、大田直子:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 幻覚にパターンはない。ほかの人たちと忙しくしているときであれ、独りでいるときであれ、いつなんどきでも現れる可能性がある。その場の出来事とも、彼女の感情や考えや気分とも、薬の時間とも、関係がないようだ。自分の意思で生み出すことも消すこともできない。実際に見ているものの上に重なり、目を閉じると実際の視知覚とともに消える。
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Kindle版No.1317

 視力を失った患者にも「見える」幻覚、シャルル・ボネ症候群。視覚のみならず五感すべてで感じられ、現実と区別がつかないほどはっきりとした幻覚。様々な幻覚症状の実例を通じて、脳が「現実」を作り出す機能の深淵に迫るオリヴァー・サックスの最新作。単行本(早川書房)出版は2014年10月、Kindle版配信は2014年11月です。


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診療所の待合室で彼女は「毛皮のコートを試着している----五人の----女性」を見たことがある。女性たちの大きさも、色も、確かさも、動きも、完璧に自然に見えて、絶対に現実だと思われた。それが幻覚だとわかる理由は、ただ場違いだからというだけである。
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Kindle版No.1305


 幻覚というと意識が朦朧とした状態で見るぼんやりとした夢のような幻のようなイメージがありますが、現実と区別が出来ないほどはっきりとした幻覚を見ることは決して珍しいことではないのだそうです。本書にはそのような驚くべき幻覚の実例が次々と登場します。

 最初の話題は、シャルル・ボネ症候群(CBS)。失明した患者が見る幻覚です。


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最近の研究はCBSが実はかなりよくあることを裏づけている。オランダで視覚障害のある高齢者600人近くを研究しているロベルト・テウニッセらが、人、動物、光景のような複雑な幻覚を見ている人が15パーセントいて、像や光景にはなっていないが形、色、たまに模様が見える単純な幻覚を経験する人は80パーセントもいることを発見している。
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Kindle版No.216


 視覚障害者の何と15パーセントもの人が「人、動物、光景のような複雑な幻覚」を見ているのなら、おそらく視覚に障害がない人だってかなりの割合で幻覚を見ているのでしょう。ただ、他人には黙っているのです。実際どのような幻覚を見ているのかを教えてもらうと、なるほど、主治医以外には黙っている理由がしみじみと納得できます。


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美容院から車で帰る途中、車のボンネットの上にティーンエージャーの男の子のようなものが見えたんです。腹ばいで肘をつき、両足を上に突き出してその子はそこに5分ほどいました。車が向きを変えても、ボンネットの上にいるんです。レストランの駐車場に入ったとき、彼は空中に上がって、建物の前に立ちはだかり、私が車から出るまでそこにいました。
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Kindle版No.301

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ストライプのシャツを着た男性が会計で支払っているのに気づいた。彼女が見ていると、彼にそっくりの分身が六人か七人現われ、全員がストライプのシャツを着て、全員が同じ仕草をしている。そのあと折りたたまれて、また一人になった。
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Kindle版No.322

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ボウルに入っているサクランボを食べると、代わりに幻覚のサクランボが入るので、サクランボが無限にあるように思えるのだが、最終的に突然ボウルは空っぽになるというのだ。
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Kindle版No.582

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幕が上がって『パフォーマー』が舞台の上で踊り出します----でも、人はいません。黒いヘブライ文字が白いバレエの衣装を着ているのが見えます。そして美しい音楽に合わせて踊るのですが、どこから来たのかはわかりません。文字の上のほうを腕のように動かして、下のほうでとても優雅に踊るんです。
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Kindle版No.342


 幻覚は、視覚にだけ起きるのではありません。嗅覚幻覚、聴覚幻覚、触覚幻覚も当然のように起こります。それらが組み合わさって、まったく正気のまま、異なる「現実」を生きる患者もいるのです。


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ダンサーの肌が顔までタトゥーで覆われているように見えたのだ。最初は本物だと思ったが、やがてタトゥーが光を発し始め、そのあと脈打ち、のたうち回り始めたので、その時点で幻覚に違いないと気付いた。(中略)
コンピュータのモニターにタージマハールの写真が見えて驚いた。彼が見詰めていると、写真は色が多彩になっていき、三次元になり、生き生きとリアルになっていった。そしてインドの寺院と関連がありそうなお経の声がぼんやりと聞こえてきた。
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Kindle版No.1292

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幻聴を止めることはできません。だから、クローゼットのなかの「ピアノ」も、居間の天井の「クラリネット」も、たえまない「ゴッド・ブレス・アメリカ」も、目覚ましのような「グッド・ナイト・アイリーン」も、止めることはできません。
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Kindle版No.1167

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幻の針と糸で「縫い物」をした。あるとき彼女は「今日あなたのために刺繍したすてきなベッドカバーを見て!」と言った。「美しいドラゴン、それに放牧場にいるユニコーンよ」。彼女は目に見えない輪郭を空中でなぞる。そして「さあ、どうぞ」と、その幻を私に手渡した。
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Kindle版No.1242

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椅子にかけてあった私の青いセーターが、ゾウに似た顔で長い青い歯と翼のようなものを持つ、すさまじい怪物のような動物になった。テーブル上の麺が入った丼は「人間の脳」になった(ただし、それが彼の食欲には影響しなかった)。私の唇の上に「テレタイプのように文字」が見える。「単語」になっているが、読むことはできない。私が話している言葉が出てくるわけではないのだ。
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Kindle版No.1263


 このようにして、シャルル・ボネ症候群、感覚遮断、パーキンソン症候群、薬物摂取、偏頭痛、てんかん、半視野、譫妄状態、入眠時、強いストレス、といった具合に様々な状況下における幻覚症状が紹介されます。

 薬物の章では、著者自身のドラッグ体験(大麻、LSD、アサガオの種、アンフェタミンなど)が赤裸々に語られるところが印象的。60年代の西海岸って、すごいな。


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 ジムとキャシーの声が、彼らの「存在」が、現実ではなく幻覚だとは一瞬たりとも思わなかった。いつものように親しげにふつうの会話をしていた。二人の声はいつもと同じで、私がスウィングドアを開いて居間が空っぽだと気づくまで、会話のすべてが、少なくとも彼らの側は、完全に私の脳がつくり出したものだという兆しなど、まったくなかったのだ。(中略)
上のほうでブンブンいう音がしているのに気づいた。一瞬とまどったが、ヘリコプターが降下の準備をしているのだとわかった。(中略)エンジン音が耳をつんざくほど大きくなったので、ヘリコプターがうちの横の平らな岩の上に着陸したにちがいないと思った。私はワクワクしながら両親を迎えに飛び出した。ところが岩の上には何もない。(中略)
 私は家に戻り、もう一杯お茶をいれるためにやかんを火にかけると、キッチンの壁のクモに目が留まった。よく見るために近づくと、クモが声を上げた。「やあ!」
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Kindle版No.1692

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コーヒーをかき回していると、突然それが緑色になり、さらに紫になった。びっくりして目を上げると、レジで会計をしている客がゾウアザラシのような鼻の長い巨大な頭をしているのが見えた。私はパニックに襲われた。5ドル札をテーブルにたたきつけ、道路を横断して反対側にいたバスに走った。しかしバスの乗客全員が、巨大な玉のようなツルツルの白い頭で、昆虫の複眼のような大きな目が光っているように見える。
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Kindle版No.1820


 ディックの小説を思わせる現実崩壊感がすごい。

 他にも、ドッペルゲンガー、幽体離脱、天使や悪魔、夢魔、金縛り、サードマン現象、影人間など、様々な特異体験と幻覚との関係が考察されます。ドッペルゲンガー(自己像幻視)のなかでもさらに特異な症状ホートスコピーとか、驚愕です。


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奇妙で複雑な自己幻覚が「ホートスコピー(heautoscopy)」である。これは極端にまれなかたちの自己像幻視で、本人とその分身のあいだに相互交流がある。相互交流は友好的な場合もあるが、敵対的なことのほうが多い。さらに、どちらが「オリジナル」でどちらが「分身」なのかに関して、ひどい混乱が起こる場合もある。というのも、自己意識が一方から他方へ移る傾向があるのだ。
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Kindle版No.4132


 本書で語られているような幻覚症状について知ると、本人がどれほど正直で誠実であろうと、いわゆる超常現象の「目撃証言」はまったくあてにならないことが、もうよーく分かります。どんなことだって、現実と見分けがつかないほどリアルに見えたり聞こえたりするものなのです。


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出眠時幻影が、戸惑いや恐怖をもたらすだけでなく、そういうものが物理的に実在するという確信を人に抱かせるのは、まったく無理からぬことだ。それどころか、ほかならぬ怪物や幽霊、あるいはお化けという概念はかなりの程度そういう幻覚に由来しているのではないかとまで考えざるをえない。(中略)
 悪魔、魔女、鬼婆などの従来の存在が信じられなくなると、エイリアンや「前世」からの霊といった新しいものが後釜にすわる。
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Kindle版No.3351、3565


 もちろん幻覚が生じているとき脳内でどんなことが起きているのかといった医学的な解説も書かれていますが、分量も少なく、あまり印象に残りません。副題には「幻覚の脳科学」とありますが、人間の知覚や意識というものの不思議さを教えてくれる読み物として楽しんだ方がいいと思います。


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人間がものを見たり、聞いたり、さわったり、味わったり、かいだりして、周囲の世界のことをきちんと理解できるのは、じつは奇跡的なことだと言えるのではないか。それは体の各部位と脳との複雑で精緻なネットワークのうえに成り立っている。そこに少しでも不具合が生じると、たとえ目や耳に異常がなくても、見たり聞いたりすることができなくなり、「現実」が崩壊してしまう。けれどもそのような試練に直面したとき、脳はすばらしい適応力を発揮して、崩壊した現実を立て直そうと懸命に働く。サックス医師が著書に記す数多くの症例から、そんな知覚と脳の関係のあやうさ、不可思議さ、そして強さをかいま見ることができる。
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Kindle版No.4668


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