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『ぶたぶたのおかわり!』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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 山崎ぶたぶたは、右京徹也が経営する珈琲専門店三号店の店長をやっているぶたのぬいぐるみだ。
 大きさはバレーボールくらい。桜色の身体に、手足の先には濃いピンク色の布が張られている。大きな耳の右側はそっくりかえり、目は黒ビーズ、突き出た鼻。しかしその実体は(というか中身は)、魅力的な声を持つ器用で働き者の中年男性だ。
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文庫版p.53

 大人気「ぶたぶた」シリーズ最新作。今回の山崎ぶたぶた氏は飲食店で働く料理人ですよ。おいしそうな料理やスイーツの描写が読者の胸に、いやむしろその下あたりに響く、素敵な食いしん坊小説集。文庫版(光文社)出版は2014年12月です。

 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。

 山崎さんの職業は作品ごとに異なりますが、今回は料理人。全四話を収録した短篇集となっています。大半が以前に登場したのと同じ店が舞台となるスピンオフ作品ですが、特に気にしなくても大丈夫。


『魔女の目覚まし』
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 おつりをもらう時、ちょっと握手みたいになって、ドキドキした。
 店を出てからもそのドキドキは続いて、結果的に目が覚めた。
 あのぬいぐるみに対する驚きは、持続性があるのかもしれない?
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文庫版p.32

 朝、どうしてもすっきり起きられないことで悩んでいる主人公は、近所のカフェで働く山崎ぶたぶた氏に驚いて目が覚める。これは便利、とばかりに(いつまでも驚いてドキドキできる人なのだ)何度か通っているうちに悩みを相談したところ、お勧めされたのは「魔女の目覚まし」なる謎の覚醒ドリンク。その正体は?


『言えない秘密』
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 普通に会話してるな……。違和感とかないのか? あるだろう、あの後ろを向いた時のちょろっとしたしっぽとか、濃いピンク色の布張ったどう見てもぬいぐるみの手とか。どこから手に入れたのか、指サックのおばけみたいなのをつけて器用に作業してるけど?(中略)どうやってやかんをつかんでいるのか、とか、その繊細なお湯の入れ方はどうなんだ、とか心の中で思っているだろうか、
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文庫版p.59、67

 珈琲専門店の経営者が、研修生の女性を店長に紹介する。そーら、驚くぞ、驚け、という期待に反して彼女はごく普通に対応。ちっとも驚くそぶりを見せない。なぜだ、だってぶたのぬいぐるみが店長なんだぞ、それなのにコーヒーを器用に入れちゃうんだぞ、なぜそこで驚いてくれないんだあぁ(うろたえるおっさん)。


『「おいしい」の経験値』
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 味わって食べる……。そんなことした憶えはなかった。お腹がすいたから食べる。それだけだ。味もほとんど感じないから、ゆっくり食べることもしなかった。ちょっと嚙んだら、すぐ飲み込む。
  (中略)
 あたしも、「おいしい」って言いたい。感じたい。子供たちの幸せそうな顔を見ていると、そう思う。
 おいしいものを食べていると、ご飯の時はいつもあんな顔をして、幸せな気分になるんだ。
  (中略)
 ちゃんとご飯を食べたい。そして、作りたい。心からそう思った。
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文庫版p.135、138

 食事のおいしさを感じられない女性が、ぶたぶたの料理教室に迷い込んでしまう。味わって食べることの基本にふれた彼女は、やがて料理の味を感じられない精神的な原因に気づき、立ち直りのきっかけをつかむのだった。

 別シリーズもそうですが、著者の食いしん坊小説は、ただ料理やお菓子の描写が美味しそうというだけでなく、食べることの喜び、味わうことの幸せを、誰もが共感できるような形でストレートに書いてくれるところが素敵だと思います。辛いことがあっても、苦しい状況にあっても、楽しくおいしく食べられるなら、幸福はそこにあるのではないか。そんなことを思わせる作品です。


『ひな祭りの前夜』
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 仕事帰りに、夫の平がぬいぐるみを拾ってきた。
 色がわからないくらい、汚れてボロボロだった。
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文庫版p.149

 行き倒れのぬいぐるみを拾ってきて看病する夫。事情を問い詰める妻と夫との会話がまるで漫才みたいで楽しい。

 「どうしてうちに連れて来たの?」
 「声かけても目を覚まさないし----」
 「ちょっと待って。目はビーズだったよね?」
 「まあ、目を開けて寝るみたいではあったよね」

 「で、俺は考えた」
 「何を?」
 「公園のベンチに座って、ぐったりしたぬいぐるみに向かって『大丈夫ですか!? しっかりしてください!』と言い続ける自分がどんなふうに見えているかなあって」
 「……人通りあったの」
 「けっこう」

 酒場で飲み過ぎて、公園のベンチでうたた寝をしているうちに置き引き被害にあい、しかも風邪をひいて具合が悪くなり、気を失って水溜まりに落ち、ボロボロになった山崎ぶたぶた氏という衝撃的な状況から始まる作品。

 困っている動物/妖精を助けたら恩返ししてくれた、という昔話のパターンなのですが、どっちかというと「泥酔した会社の同僚を家まで連れて帰ってきて奥さん大迷惑」「でも意外に律儀な人で助かったわ」という話になってしまうところが山崎ぶたぶた氏。


タグ:矢崎存美
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