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『1分の中の10年』(イム・ジエ:構成・振付、セルジウ・マティス、捩子ぴじん) [ダンス]

 2014年11月16日は、夫婦で東京芸術劇場に行って、フェスティバル/トーキョー14のダンス演目を二本鑑賞しました。

 二本目の演目は、韓国のイム・ジエさんによる『1分の中の10年』。床も天井もすべて白で覆われた、まるで漂白されたような空間で、二名または三名が踊る100分(休憩15分を含む)の抽象ダンス作品です。

 韓国の伝統舞踊、日本の「舞踏」、西洋のバレエ。異なるダンス文化に根ざす断片的な動きが次々と提示され、純白空間に「動きの点描画」が描かれてゆくような、驚くべき作品。凄いです。

 まずは韓国の伝統舞踊音楽と西洋のバレエ音楽が対比されるように流され、イム・ジエさんとセルジウ・マティスさんの二人がそれぞれの文化を象徴する動作や踊りを繰り広げます。二人の動作は無関係なようで、でも、ときどき呼応したり、何らかの関係性が生じてはまた消えてゆくような印象。

 そこに第三ファクターとして日本の「舞踏」の要素が加わりますが、何しろ担当する捩子ぴじんさんの動きに強烈な個性があるため、異なるダンス文化の対比とか交流とかもうどうでもいい感じになってきて。

 休憩の後、最終パートではイム・ジエさんと捩子ぴじんさんの二人が踊ります。ここが素晴らしいというか驚嘆する他なしというか、伝統舞踊もバレエもコンテンポラリーダンスも舞踏もなく、二人とも次から次へと断片的な動きを競うように提示してゆき、まるで純白空間に「時間軸に沿って広がった、動きによる点描画」が描かれてゆく過程を観ているよう。思わず息を飲みます。

 提示される動きのバリエーションの量がそれはもう圧倒的で、同じ動きは(たぶん)二度と繰り返されず、常にその場その場で新しい動きが自然に生じてくるような臨場感。どれだけ動きの引き出しが広いのか。

 やがてそこに発声も加わり、動く壁による出演者の出現消失の効果が使われ、動きが同期したり、見えないやりとりをしているようであったり、それまで環境音が主だった音響と二人の動きが連動して小芝居のようなシーンがちらりと現れては霧散したりと、様々な化学反応を手当たり次第に試しているような目まぐるしさ。それでもバラバラで散漫な印象はありません。

 二人の動きに説得力があるため緊張感が途切れず、その微妙な関係性がドラマを感じさせます。とにかく断片的な動きの点描だけでこれだけの長丁場を押し切ってしまう構成力には脱帽です。個人的には、最終パート40分における捩子ぴじんさんの変幻自在な動きにシビれました。