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『怪奇事件の謎』(小池壮彦) [読書(オカルト)]

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 謎だと思われている事件の多くは、些細な事情で便宜的に中身を伏せているだけということもある。だが、近代法感覚に慣らされた現代人は、なんでも白黒をつけたがる癖がある。古来の共同体の知恵に従えば、物語を使った朦朧法が得策なのに、である。
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単行本p.308

 なぜか物証が出てこない酒鬼薔薇事件、後続車の目の前で消滅した乗用車、クリネックスの「呪われたCM」、羽田空港の「祟りの大鳥居」、高松塚古墳発掘関係者の連続怪死事件。怪しい事件や伝説の背後には何が隠されているのか。丹念な取材により怪奇事件の真相に迫る一冊。単行本(学研パブリッシング)出版は2014年7月です。


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「酒鬼薔薇事件……あれは笑い話、やり過ぎだよ。でも兵庫県警ならやるだろ」(公安関係者)
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単行本p.27


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元陸軍少佐・松本重夫氏は、1994年6月27日に長野県で松本サリン事件が起きたとき、こんな言葉をもらした。
「あれは予行演習だよ。次は地下鉄だ」
当時情報誌記者だった尾崎浩一氏は、この発言を聞いたとき、はじめは何のことかわからなかったという。
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単行本p.55


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 なぜか“この時間帯だけ”映像が乱れる放送事故が起きたのである。そして、この事故と中森明菜の発言が、実はハプニングを超えた“怪奇現象”だったことを後に視聴者は知って戦慄することになる。
(中略)
まだ容疑者の名を誰も知らない2カ月前に“ミヤザキツトム”の名は放送事故とともに全国に発信されていた。
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単行本p.169


 世の中で起きる様々な事件の背後には、一般大衆には決して知らされることのない裏事情があるのではないか。そんな疑問を執拗に追求してゆくルポです。

 いくつかオカルト事件や心霊事件も含まれていますが、基本的には「警察、政府、マスコミが、都合の悪い情報を伏せたために、不可解さが残る刑事事件」がテーマとなっています。

第一章 戦慄の事件

 神戸児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)、連続幼女誘拐殺人事件、足利事件、「死体から血液を完全に抜き取る」という猟奇的手口が一致する複数事件の奇妙なつながり、等。

第二章 不可解な出来事

 幽霊ホテル、幽霊屋敷、藤代バイパス乗用車消滅事件、羽田空港の「祟りの大鳥居」、首相公邸に出没する怨霊、異星人「アレシェンカ」の正体、等。

第三章 芸能界“オカルト”事件

 テレビに映った岡田有希子の霊、同姓同名の殺人事件が相次ぐ怪、中森明菜がオンエア中に発した殺人鬼の名前、松坂慶子が出演した「呪われたCM」の裏事情、等。

第四章 奇妙な事件

 水元公園ロープ殺人事件と首なしライダー伝説、ホテルニュージャパン火災の裏に隠されている事情、大阪・熊取町で起きた不可解な連鎖怪死事件、等。

第五章 日本という国家の正体

 「天皇晴れ」の伝説、原爆投下を察知していながら軍部が何もしなかった事情、高松塚古墳の発掘関係者が次々と怪死したのはなぜか、日本の核兵器開発、等。

 個人的に面白いと思ったのは、藤代バイパスを走っていた乗用車が、後続車の複数の銀行員が見ている前で消えたという怪事件。1963年の事件なので随分と古い話なのですが、オカルト本や小説で繰り返し取り上げられたため、記憶に刻み込まれています。(例えば、小松左京さんのいくつかのSF小説でこのエピソードが印象的に使われています)

 この事件について、消滅の8時間前に起きていた奇妙な事件との関連が指摘されます。同じ車種が使われており、背後には暴力団(愚連隊)がいる。目撃者である銀行員たちは「超自然的な消滅を目撃した」のではなく、何かが暴力団に「“消される”現場を見てしまった」のではないか。で、銀行と暴力団と警察の間で色々あって、マスコミには「怪談」を流してうやむやに……。半世紀を経てようやく知った真相は、どうやら異次元ともUFOとも関係なさそう、もっと殺伐としたものでした。

 扱われている事件の大半が昭和モノなので、若い読者にはぴんと来ないかも知れません。また、オカルトや心霊を期待する読者も肩すかしを食らうことでしょう。謎や怪奇に「ロマン」を求める方にも向いていません。むしろ、犯罪と報道との関わり、冤罪が作られるプロセス、歴史の暗部、といった話題に興味がある好奇心旺盛な読者にお勧め。

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 民俗の事象は多かれ少なかれ記録の過程で物語となる。人はその物語から“なまなましい現実”を読み取ろうとするのだが、なまの現実には往々にして即物的な残酷さしかないものである。また、ことの真相は関係者の間でのみ意味を持つ内輪の事情にすぎないこともある。
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単行本p.307


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『食堂つばめ4 冷めない味噌汁』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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「ものを食べないと生き返れないんですか?」
「そういうわけではないのよ。ただ食べようと思う気持ちは、生きようとする気持ちと同じなの。ここに来る人は、その気持ち自体をなくしている人が多いから」
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文庫版p.125

 生と死の境界にある不思議な街。そこにある「食堂つばめ」では、誰もが自分だけの思い出の料理を食べられるという。シリーズ第4弾、今作は5篇を収録した短篇集です。文庫版(角川書店)出版は2014年11月。

 収録されているのは、いずれも食堂つばめの来訪者の視点から書かれた臨死体験という形式の短篇作品。レギュラーキャラクターたちは端役あつかい、特に男性二人の存在感の薄さは気の毒なほど。

 これまでの話を知らなくても全く問題なく読めるわけで、初めてシリーズを読む方は、最新刊である本書から味見をしてはいかがでしょうか。今回のメニューは、ミルク、ご飯と味噌汁、ピザ、サンマの塩焼き、フルーツサラダ、という具合になっています。


『帰らなきゃ』
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「あ、いえ、あのー……普段わたし、あんまりミルク----牛乳って飲まないんですけど……なのになぜ頼んだのか、不思議でたまらないんです」
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文庫版p.22

 記憶がないのに、なぜか「急いで帰らなきゃ」という気持ちだけがある語り手。食堂つばめで「ミルクをください」と言ったものの、なぜ自分がそう言ったのか分からない。語り手が現世に何を残してきたのか、というささやかな謎を扱った小編。


『冷めない味噌汁』
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 はっきり言って、この状況は異様だった。歩道に敷かれたふとん、道路の真ん中にあるテーブル、メイドさんのように静かに給仕をする美女----いや、これは夢だ。だって……味噌汁がまったく冷めていないではないか。
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文庫版p.48

 いわゆるブラック企業で過労死寸前まで追いつめられて、この街にやって来た青年。「ほかほかと湯気のたった白飯、アジの開き、だし巻き玉子、納豆、海苔、青菜のおひたし、そして味噌汁」(文庫版p.47)という定番の和朝食を食べたことで、彼は生きるための力を取り戻してゆく。

 食堂つばめのスタンダードといってよい話ですが、理不尽な会社のために命をすり減らしてゆくところが切実で、身につまされる若い読者も多いのではないでしょうか。


『昨日も今日も明日も幸せ』
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 ああ、そうだ。あたしの本当の願いはそれだった。おいしいものを思いっきり食べても大丈夫な身体が欲しかった。だって、太りたくないんだもの! それがついに手に入ったんでしょう?
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文庫版p.94

 念願のピザを山ほど食べて、食堂つばめの面々をどん引きさせた若い女性。「昨日も幸せで、今も幸せで、明日からも幸せだと思ったのに……」(文庫版p.95)と泣く彼女は、食堂つばめの料理で自らの病を克服することが出来るだろうか。過労死の次は摂食障害という重たい話題を扱った短篇ですが、どちらも心温まるハッピーエンドとなっていますのでご安心ください。


『スピリチュアルな人』
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忘れたら困る。ていうか、いやだ! せっかく----せっかくの臨死体験なのにー!
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文庫版p.130

 スピリテュアルな体験にあこがれる語り手は、ついに念願かなって臨死体験ということで大喜び。しかし、生き返ったらこの街のことを覚えているかどうか分からないと言われて大ショック。そんなら記憶力を増大させるというDHAとやらが含まれている料理をいっぱい食べて……、というような臨死体験を誰が信じてくれるだろうか。重い話が続いた後には、明るいユーモア短篇で口直し。


『フルーツとミントのサラダ』
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 フルーツとミントのサラダを人に作ってもらうことより、自分の手で作ってもおいしいと思える方が、幸せにずっと近い。
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文庫版p.189

 婚活パーティのさなかに事故死しかけた語り手。食堂つばめの料理を食べて生還してから、幸せとは何だろうと考える。恋愛や結婚が本当に自分の望んでいる幸せなのだろうか。重い話、明るい話のあと、最後に置かれた短篇は、しみじみとした感動作です。


タグ:矢崎存美
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『1分の中の10年』(イム・ジエ:構成・振付、セルジウ・マティス、捩子ぴじん) [ダンス]

 2014年11月16日は、夫婦で東京芸術劇場に行って、フェスティバル/トーキョー14のダンス演目を二本鑑賞しました。

 二本目の演目は、韓国のイム・ジエさんによる『1分の中の10年』。床も天井もすべて白で覆われた、まるで漂白されたような空間で、二名または三名が踊る100分(休憩15分を含む)の抽象ダンス作品です。

 韓国の伝統舞踊、日本の「舞踏」、西洋のバレエ。異なるダンス文化に根ざす断片的な動きが次々と提示され、純白空間に「動きの点描画」が描かれてゆくような、驚くべき作品。凄いです。

 まずは韓国の伝統舞踊音楽と西洋のバレエ音楽が対比されるように流され、イム・ジエさんとセルジウ・マティスさんの二人がそれぞれの文化を象徴する動作や踊りを繰り広げます。二人の動作は無関係なようで、でも、ときどき呼応したり、何らかの関係性が生じてはまた消えてゆくような印象。

 そこに第三ファクターとして日本の「舞踏」の要素が加わりますが、何しろ担当する捩子ぴじんさんの動きに強烈な個性があるため、異なるダンス文化の対比とか交流とかもうどうでもいい感じになってきて。

 休憩の後、最終パートではイム・ジエさんと捩子ぴじんさんの二人が踊ります。ここが素晴らしいというか驚嘆する他なしというか、伝統舞踊もバレエもコンテンポラリーダンスも舞踏もなく、二人とも次から次へと断片的な動きを競うように提示してゆき、まるで純白空間に「時間軸に沿って広がった、動きによる点描画」が描かれてゆく過程を観ているよう。思わず息を飲みます。

 提示される動きのバリエーションの量がそれはもう圧倒的で、同じ動きは(たぶん)二度と繰り返されず、常にその場その場で新しい動きが自然に生じてくるような臨場感。どれだけ動きの引き出しが広いのか。

 やがてそこに発声も加わり、動く壁による出演者の出現消失の効果が使われ、動きが同期したり、見えないやりとりをしているようであったり、それまで環境音が主だった音響と二人の動きが連動して小芝居のようなシーンがちらりと現れては霧散したりと、様々な化学反応を手当たり次第に試しているような目まぐるしさ。それでもバラバラで散漫な印象はありません。

 二人の動きに説得力があるため緊張感が途切れず、その微妙な関係性がドラマを感じさせます。とにかく断片的な動きの点描だけでこれだけの長丁場を押し切ってしまう構成力には脱帽です。個人的には、最終パート40分における捩子ぴじんさんの変幻自在な動きにシビれました。


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『春の祭典』(白神ももこ:演出・振付、毛利悠子:美術、宮内康乃:音楽) [ダンス]

 2014年11月16日は、夫婦で東京芸術劇場に行って、フェスティバル/トーキョー14のダンス演目を二本鑑賞しました。

 最初の演目は、ダンスカンパニー「モモンガ・コンプレックス」を率いる白神ももこさん演出・振付による『春の祭典』。60分の作品です。

 正直に言うと、事前には“モモコンのハルサイ”というのが全く想像できず、配偶者とも「森の動物たちが春の祭りだわっしょいわっしょい、というような内容だったりして」と冗談を言っていたのですが、まさか本当にやるとは……。

 まず毛利悠子さんの舞台美術が素晴らしい。舞台奥の急峻なスロープから手前に向けて傾いている高速道路(舞台奥ずっと向こうまで道路が続いているような錯覚が生じる)、周囲には何本か背の高い照明が立てられており、一本は天井から釣られています。他にも吹き流し(実はトイレットペーパー)など、高速道路まわりの殺風景で荒れた雰囲気が再現されていて、これがぐっと来ます。(なお、産業廃棄物を使った作品がホールにも展示されていました)

 全体は大きく二部構成になっているようで、森の動物たちの合唱によるプロローグに続いて、まず第一部は昼。本当にお祭りをやります。しかもベタな日本の土俗的祭り。盆踊りみたいなダンス(というか盆踊り)、桃太郎の田舎芝居(歌舞伎みたいにみえを切るわけです)、神主さんが出てきて何やら神事らしき動き。ニジンスキーのオリジナル演出をそのまま日本版に翻訳するとこうなるのでしょう。

 第二部は夜。祭りの後始末(掃除)に続いて、魔女が円陣組んで床を叩いたり、照明柱の下では小さなニョロニョロがわさわさ動いたり、けむくじゃらの妖怪(ビッグフットとかチューバッカとか何かそういうもの)たちが踊ったり。ここは夜のムーミン谷ですか。

 「生贄を選ぶ」というテーマが、「仲間外れ(村八分)を選ぶ」に変換されていたりして、とても民族性豊かな演出であると思います。

 というわけで、たとえストラヴィンスキーだろうとニジンスキーだろうと気にせず作風を貫く白神ももこさんの豪腕ぶりに感心しました。個人的には、いや、まあ、いや、どうだろう、戸惑いを隠せないのですが。


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『短篇小説日和 英国異色傑作選』(西崎憲:編集・翻訳) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

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 本書は1998年12月から順次刊行された『英国短篇小説の愉しみ』全三巻から評価の高かった17作品を抜粋・改稿したものに新訳3篇を加えて一巻にまとめたものである。形を変えてはいるが15年を経ての文庫化ということになる。短篇小説の名作というものは意外に読む機会を逸しがちなものなので、今回の文庫化は単純に編者としても喜ばしいし、短篇小説の一愛好家としても手軽に読める状況になったことに喜びを覚える。
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文庫版p.486

 18世紀から20世紀前半に発表された英国短篇小説から選ばれた傑作選に、編者による短篇小説論を追加。文庫版(筑摩書房)出版は2013年3月です。

 英国の短篇傑作選ではありますが、収録作品の大半が何らかの形でゴーストストーリー、幻想小説、怪奇小説に分類できるものなので、そちらの愛好家の方々にもお勧めです。さほど長い作品は収録されていないため、ついつい一篇また一篇と読み進めてしまう魅力があります。

 いくつかお気に入りをご紹介しておきます。


『羊歯』(W.F.ハーヴィー)
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 ポーター氏は平凡な人物であったが、氏によく似た数千の人間とは一線を画する事実をひとつだけ有していた。秘密がひとつあったのである。ポーター氏はキラーニー羊歯が生えている場所を知っていた。それもイングランドでである。
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文庫版p.54

 珍しいシダが生えている場所を知っている。その事実が、凡庸な人生を送る引退間近のポーター氏の希望と自尊心を支えていたのだった。ところがあるとき、ポーター氏はそのシダが何者かに奪われてしまったことを発見する。余生の生きがいを根こそぎ否定された衝撃と悲しみが、私のような五十代読者の心に迫ります。


『八人の見えない日本人』(グレアム・グリーン)
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日本の紳士たちは魚を食べおえ、片言だが完璧な丁重さで、中年のウエイターにフレッシュフルーツサラダを注文していた。若い女は彼らを見た。それからわたしを見た。けれども女の眼に映っているのは未来だけだった。
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文庫版p.94

 レストランで語り手が見た光景。八人の日本人がテーブルについており、その向こうに若い男女のテーブルがある。若い女は作家志望者らしく、限りなく楽観的で、周囲がまるで見えていない様子。日本人グループは何をするでもなくただ「謎の存在」として場面の中央にいるだけですが、その違和感が若い女性の視野の狭さと危なっかしさを際立たせます。


『豚の島の女王』(ジャラルド・カーシュ))
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 予言はその時、成就した。ラルエットは豚の島の女王となった。彼女には三人の臣下がいた。二人の踊る小人と世界で一番醜く力の強い男。ラルエットには手はなく、足もなく、そして美しかった。
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文庫版p.111

 サーカス一座が乗った船が遭難し、四名だけが「豚の島」と呼ばれる無人島に漂着した。巨人男、小人兄弟、そして手足のない女性。彼女は島の女王となり、自分に惚れている他の三名の男を支配するのだったが……。寓話めいた物語ですが、支配従属関係や嫉妬心といった人間心理の動きを短いページ数で見事に表現していて、忘れがたい印象を残します。


『羊飼いとその恋人』(エリザベス・グージ)
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 そもそもミス・ギレスピーは日頃はきわめて分別に富んだ女性であり、資産を費やして何より水はけの状態も確認せずに、手にあまる家を買おうだなどと夢にも思ったことはなかった。だがあの牧歌的な羊飼いとその恋人の人形を買ってからというもの、彼女はすっかり無分別になってしまっていた。
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文庫版p.203

 堅実で常識的な老婦人が骨董品店で見つけた「羊飼いとその恋人」の人形。それが気に入って衝動買いしたとき、彼女の中で何かが弾けた。いきなり列車に乗って知らない駅まで行き、そこでふと見かけた家をいきなり買ってしまったのだ。

 約束も義務もすべて放って、お気に入りの小物を手に、列車を乗り過ごして知らない駅に降りる。誰もが「一度はやってみたい」と夢想する行為。大きな解放感を得ることが出来ます。ラスト一行のオチも見事。


『河の音』(ジーン・リース)
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あたしはつるつるした、きれいな、あんなふうな顔がこわい。ねずみの顔が、映画館で笑うときの笑い方がこわい。エスカレーターがこわい。人形の目がこわい。でもそういうこわさは言葉にならない。そのための言葉はまだ発明されてない。(中略)
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あたしはこわい。ここには何かこわいものがある、ほんとに。なんで感じないの? あなたが楽しもうと言ったあの最初の日、一杯になった水盤にぽたんと水が滴る音がした。楽しい音にも聞こえたし、こわい音にも聞こえた。あの音を聴かなかった? 背中を向けないで、寝息を立てないで、寝ないで。
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文庫版p.402、407

 河の近くに宿泊した男女。女性はひたすら「こわい」と訴え、何がどうこわいのか判然としないまま追いつめられてゆく。その夜、いったい何が起きるのか。具体的な対象がない純粋恐怖を神経症的に描き、得体の知れない怖さに読者も巻き込んでゆく作品。


『輝く草地』(アンナ・カヴァン)
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草地はあらゆる方向に広がる。境界を越え、すべての命を破壊し、明るい緑の棺衣で世界のすべてを覆う。その下で生けるものはすべて滅びる。忌まわしい緑とは戦わなければならない。戦うのだ。刈って押し戻せ。刈り落とせ。日毎に、一時間ごとに。どんな代償を払おうとも。草の狂気めいた増殖を阻むにはその手段しかない。草に対してはほかに方法はない。異常な活力と忌まわしい力を持った草、致命的で、執念深く、疫病じみたこの草に対しては。草はすべてを包む。あらゆる場所を。唯一、草が世界を、ただ草のみが世界の表面を覆い尽くすその日を目指し。
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文庫版p.422

 緑に輝く草地。生き生きとした美しい光景。それを見た人々は狂気に陥り、命を犠牲にしてでも草を刈り取ろうとする。その犠牲が草を育てるのだ。パラノイアが伝染し、狂気にとり憑かれてゆく語り手。強迫観念に支配された文章の迫力に思わず息を飲む怪奇幻想短篇。


[収録作品]

『後に残してきた少女』(ミュリエル・スパーク)
『ミセス・ヴォードレーの旅行』(マーティン・アームストロング)
『羊歯』(W.F.ハーヴィー)
『パール・ボタンはどんなふうにさらわれたか』(キャサリン・マンスフィールド)
『決して』(H.E.ベイツ)
『八人の見えない日本人』(グレアム・グリーン)
『豚の島の女王』(ジャラルド・カーシュ))
『看板描きと水晶の魚』(マージョリー・ボウエン)
『ピム氏と聖なるパン』(T.F.ポウイス)
『羊飼いとその恋人』(エリザベス・グージ)
『聖エウダイモンとオレンジの樹』(ヴァーノン・リー)
『小さな吹雪の国の冒険』(F.アンスティー)
『コティヨン』(L.P.ハートリー)
『告知』(ニュージェント・バーカー)
『写真』(ナイジェル・ニール)
『殺人大将』(チャールズ・ディケンズ)
『ユグナンの妻』(M.P.シール)
『花よりもはかなく』(ロバート・エイクマン)
『河の音』(ジーン・リース)
『輝く草地』(アンナ・カヴァン)
『短篇小説論考』(西崎憲)


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